ああ人生は浮雲の流れるように人間の世も移ってゆく。その間にあって悲壮に生きた重忠公の一生を思いつつ歩をはこび梅香る細道を霊祠にぬかずけば重忠公の心魂「我にせまる」の感がある。ここに私の先生【安岡正篤】の作詞した畠山重忠最後の様子を唱った句を吟じて公の霊を追悼する。
元久二年六月の
青葉物憂き夕まぐれ
思ひがけなく鎌倉に
凶変あれば速に
上らるべしと知らせあり
こは何事と取敢ず
一子六郎重保を
先づ先駈けて立たせしに
由比ヶ浜辺の朝まだき
罵り騒ぐ軍兵は
畠山殿謀反ぞと
驚き怒る重保を
おつ取り囲んで討果す
さりとも知らぬ重忠は
次男小次郎重秀と
一百余騎を引具して
菅谷の館をぞ出でにける
鎌倉にては重忠を
途中に討つて取るべしと
北條義時時房等
一万余騎の軍兵にて
大地をどよもし進みけり
かかりしほどに重保の
あへなき最後の悲報にぞ
さてはと知つて兎も角も
鶴ヶ峯まで来て見れば
こはそも如何に白旗は
空を蔽はんばかりなり
重忠きつと見渡して
かくなる上は是非もなし
我今日に至るまで
四十二年のその間
弓矢八幡神かけて
誠の道を一筋に
来りしものを今更に
免れぬものと知りながら
引返さんは天命を
知らざるに似て口惜し
いでこの上は潔よく
命をここにすつべしと
主従覚悟を決しける
この時大軍四方より
鯨波を作つて攻め寄すれば
音に聞えし武士の
最後の程を見よやとて
獅子奮迅に渡り合ふ
この乱軍の只中に
大串次郎重親は
重忠めがけてかけ向ひ
弓を絞つて立つたりしが
去んぬる元暦初めつ方
木曽殿を打つ宇治川に
先を争ふ折しもあれ
馬諸共に流されて
既に危く見えし時
我を救ひし重忠の
厚き情の偲ばれて
今更弓も引きあへず
馬を返して去りけるは
床しくもまた哀れなれ
俾我哭者英雄之流多薄命
俾我慟者賢哲之士易銷魂
天命達人未可測
勝敗兵家豈能論
唯有一誠長不朽
風神奕々射後昆
嗚呼武士の鑑ぞと
世に謳はれし英雄も
二俣川の夕まぐれ
かくて空しくなりにけり
恩讐共に亡びつき
風雲長く忠魂を
弔ふ夕べ鶴ヶ峯に
立てば月影暗くして
松に万古の韻あり
松に万古の韻あり
菅谷中学校生徒会報道部『青嵐』8号 1957年(昭和32)3月
*:山を抜き取るほどの力と一世をおおい尽くすほどの気力の意味から、威勢がきわめて強く元気が非常に盛んであること。