二の丸に名残りを留めて三の丸、搦手(からめて)門に向う。
すでに原子力時代の息吹を身に感ずる今日、私自身がどのように生活しどのように勉強していくかということは、日本人としてどのように生活し勉強していくかにつながり、そしてそれは人類がいかなる方向にどのように生活しどのような勉学を希望と夢をもって続けていかなければならないかという直接課題につながって行くのではなかろうか。
暗雲と迷低の間に真の人間の尊さを捧げて「水漬(みづ)く屍(かばね)草生(くさむ)す屍(かばね)」と散っていった第二次大戦の尊いぎせいに対して、生きて今日残っている私達は、尚遠く人類の歴史に目ざめて愛に生き真実をつらぬいて手をつなぎ合って世界平和の道に邁進(まいしん)することを願う心で一杯である。
三の丸搦手門にたつと前方に明るい清らかな校舎を見る。菅谷中学校である。ここに勉学する若き人達よ真に人間愛と希望に生き「青春に悔いなく人生に幸あれ」と願うのみである。
梅香る菅谷城跡搦手の門にて
慕郷の旅人 熊谷記
菅谷中学校生徒会報道部『青嵐』8号 1957年(昭和32)3月
*:軍歌「海ゆかば」の一節。原歌は万葉集に収められた大伴家持の「陸奥の国より金を出せる詔書を賀(ことほ)ぐ歌」。
海行かば 水漬く屍
山行かば 草生す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ