○昭和28年(1953)度
昭和28年5月10日 第三回通常総会開催 於菅谷村小学校
総組合員数 398名
出席者数 289名
役員改選 理事 16名 監事 3名
5月15日 組合長 濱中東重郎(非常勤)選任
専務 大塚眞一(常勤) 選任
6月1日 獣医師 若林進 採用
○6月第1回乳牛導入実施 導入頭数13頭 購買地 山形県 購買委員 山田、荒井、伊東他
○夏乳増産共励回実施
○第2回乳牛導入 導入頭数20頭 購買地 山形県 購買委員 吉田、山下、荒井、山田、田村
○獣医用自動二輪車購入
○育成牛共励会実施 菅谷会場50頭 小見野会場 50頭
27年(1952)~28年(1953)にかけて生産量も上昇し、全国的に牛乳の争奪戦が展開され、乳業界は戦国時代となり、この近辺に於ての業界も農家に支払われる原料乳価は経済乳価から競争による乳価の上積みが行われるようになり、採算をこえての追従があった。所謂酪農ブームとなり有畜農家創設特別措置法制定と平行し農家は酪農へと転じ、自転車で手綱を持ち牛買いに歩く様があちこちに見られた。
高坂村、三保谷村でも酪農の機運が高まり高坂では高坂農協が酪農部を作り、明治乳業と交渉が進み導入希望者は20数名に達し資金は農協が対応し、武蔵酪農に加入が決定し29年(1954)春山形導入を実施し田村獣医師が出張した。初妊牛価格15~18万。時を同じくして三保谷村に於ても12名酪農希望者が集まり岡野、石黒、関氏或いは三保谷村農務課の長沢氏等当組合の福島敬三理事の指導に依り武蔵酪農に加入が決定した。29年(1954)3月早速山形導入を実施し購買者4名、当局より1名、武蔵酪農から福島理事と田村獣医師が参加し11頭の初妊牛を導入した。
武蔵酪農農業協同組合編集・発行『武蔵酪農創立四十周年の歩み』(田村孝一執筆 1990年1月)18頁~19頁