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里やまのくらしを記録する会

埼玉県比企郡嵐山町のくらしアーカイブ

梅の香と人の世は 菅谷城跡を尋ねて 8 熊谷泰作 1957年

2010-02-15 13:07:00 | 熊谷泰作

 歩を進めて三の丸へ入ると北側の高塁の脇に二三の人家を見る。人の世の生業は果しなく続く。天に太陽あり地に山河の存する限り世界はなお理想と希望との存する世界である。
 こゝに梅花の咲き匂うを見る。矢負に梅花をさし幽しい武人の風流に興じ滋藤の弓に生国の名挙をかけ、馬にうちまたがって名乗りをあげる武夫の武術修練の場と想われる。馬場の跡がこの一画に名残をとゞめている。
 分け入れば老松その枝を亭々とのばして、いかにも武蔵武士の気骨を示すかのように屹立している「松ヶ枝分けいでし昔の光」今はないけれど英風颯夾の関東武士の名残り追憶するに充分である。
 三の丸に心を留めながらも二の丸に向う。山林の自由を味わいながら二の丸門に入ればこゝに梅林を見る「梅花無尽蔵」と詩歌集に書き留めた古人の心のしのばれて懐かしい。古来日本人は梅を愛しその詩歌は数多い。天満天神として祀られた偉人菅公は十一才の春すでに梅を眺めて「梅花似照星」と歌っている。
 爾来春秋星霜亡くなるまで外部の褒貶に動くことなく梅の花のようにその自分を清くしその潔白を持ちつゞけた。ほろぶことなく、今もなお咲き香る梅にむせび、山林の児に生まれた自由多き青春の幸を思う。
 前方に本丸を眺める鎌倉の昔武士の鑑と歌われ至誠人の道をつくして遂に天命にたおれた畠山重忠公の館跡である。東方左手の丘にあがれば畠山重忠公像が最後の地二俣川に向って射るような眼を向けている。丈余の像の左右には香りも高い月桂樹が二本、公の徳をたゝえて香る。その碑文【小柳通義「重忠公冠題百字碑文」】に曰く
    畠山重忠公貞亮晩節堅
    山間秩父荘出如斯大賢
    重義履正路文武両道全
    忠良無私心仕源家罔愆
    公明而寛大人敬其誠純
    蹈水火忘身轉戦着鞭先
    正受疑應召發菅谷進駐
    路上討兵遮相州二俣川
    遭難釋甲冑自殺不怨天
    讒構雖覆明無實之罪甄  と。
 像のもとに立つと往時の事などしのばれて暗涙と共におもいは恩讐の彼方へと馳せる。「戦争と平和」私の青春はこの岐路にあって苦しんできた。もってこゝに恩讐を超えたこの偉人の人生に崇高な愛敬を捧げるのみである。たゞ誠心を盡して身を致し成否を天に委ねて永遠の真理に殉じた重忠公の名は七百年の今日尚燦然として我々の頭上に輝やいている。

   菅谷中学校生徒会報道部『青嵐』8号 1957年(昭和32)3月


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