S嬢のPC日記

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危機の記憶

2005年11月27日 | つぶやき
 ’70年代前半の頃のこと。わたしは6年生だった。私学の中学受験のために通う塾の帰り、夜の8時過ぎ頃だったか。場所は京王線の新宿からすぐ近くの急行停車駅の駅前。急激に開け始めていたそこは、駅前に大きなテナントを持つマンションが建っていた。建物にエレベーターが設置されること自体まだ珍しい頃で、無人のエレベーターを子どもがおもしろがって乗り、そのことが問題になるような頃だった。そのビルには当時全盛期だった渡辺プロダクションの事務所が入っていて、駅前でタレントがうろうろしていた。通りを隔てた反対側にも大きなテナントビルが建ち、その一階には紀伊国屋書店が入っていた。その二つの大きな建物をはさんだ通りには、平日の夜にも常時、ホットドッグ屋の車がいて、焼きたてのホットドッグを売っていた。

 いつものように塾からの帰りを急ぐ。駅から近くに自宅があったわたしにとって、明るい駅前と、人気のある商店街を通れば危険は何もないはずだった。前述の二つの大きな建物をはさんだ道を歩く。「道」というよりも駅周辺という場所だった。

 突然、知らない男がわたしの腕をつかんだ。何事かと瞬間体が固まる、つかんだ腕は、わたしの手を強い力で握りなおした。そして手を握って、わたしをどこかに連れていこうとした。

 体全体が恐怖で叫ぶ。しかし不思議なことに声は全く出ない。声帯から喉にかけて固まってしまったようだった。叫ぼうとしても声を出そうとしても、息の音すら出ない。足を踏ん張ろうとしても、強い力で握られている手の力と、男の動きの勢いの方が強い。その男の足で二三歩程度、わたしは引きずられたような気がする。

「何をやってるんだ!」
ホットドッグを売っていた男の人が、ホットドッグを売る車の中から叫んでいた。
わたしの手をつかんでいた男が半ば笑いながら「妹だよ、連れて帰る」と答える。そしてわたしに言った。「おにいちゃんだよな?」

 アンタなんか知らない。その手を放して欲しい。でも、わたしの喉は固まり続けている。男はわたしが了解しない作り話を続けている。ホットドッグを売っていた人はそれを聞こうともせず、わたしに問いかける。
「そうなのか? おにいちゃんなのか?」
 固まり続けるわたしの喉をたたき起こそうとするかのような勢いで、ホットドッグ屋の男性がわたしに向かってまっすぐにそう叫ぶ。それでもわたしの喉は恐怖に固まっていて、その固まりはいっこうに解けない。気持ちはどれだけ叫んでいるのかわからないのに。

「ちゃんと言え! 自分の身は自分で守れ!」
 そんな感じのことを、この男性が怒鳴った。魔法が解けたかのようにわたしは叫んだ。
「こんな人、知らない! 放して!」

 強い記憶として残っているにもかかわらず、わたしには深い後悔がある。わたしはこのことを親にうまく話せなかった。いや、話したという記憶も怪しい。話すということで事実を再認識してしまうことを怖れて、口をつぐんだような気がする。記憶ということにも、長い間蓋をしたような気がする。時間が流れるという距離をおかなければ、自分でも認識できないような記憶だった。わたしを連れていこうとしたこの男の顔も風体もよく思い出せないのは、多分自己防衛のひとつなのだろうと思う。でもそれは全て後になっての解釈、言い訳のようなもので、本来は、すぐに親といっしょにわたしを助けてくださったこの方にきちんとお礼にうかがわなければならなかったのに。失礼をごめんなさい。本当に本当に、ありがとうございました。

 小学生が殺される事件がまた起きた。わたしは子どもたちに教えた護身の方法を、子どもたちに再度教える。この方法を小学生だったわたしが知っていたら、もう少しなんとかなったかもしれない。でも最後には「運」も左右するんだろう。報道を見ながら小さな命の冥福を祈る。