若いときに、どんな格好をして、どんなことをしていたか。
これは、年齢を重ねたときに、どんな風に出ていくのだろう。
歌番組を見ていてよく思うのは、お若い方は髪型が汚いなあということ。
汚い、というか、だらしがない。
顔の半分にばさばさと前髪がかかっていたり、カットがばさばさと不揃いだったりする。
「社会人として生きる普通の人」があの髪型で職場に行ったら、ただの寝癖扱いをされかねない、と思ったりする。
それを見ながら、思う。
これが「若さ」というものだ、と。
人生の中で不安定な時代にいる立場だからこそ、できるスタイルがあるのだ、と。
汚いのは髪の形で、その髪の形をもって「表現体」として存在する姿は、汚らしくないのだから。
若いときは、その個性なりのやり方で、形のあるものを「崩す」ことに挑戦すべきだ、と、わたしは思う。
特に、何かに所属するという場に行き着いていない時代は、その挑戦を楽しむべきだと、わたしは思う。
その上で。
既製の形を崩しても崩しても、崩れてしまわない何かを身につけている「若さ」は、美しい。
それは、例えていうなら、色褪せたジーンズに白いTシャツにダイヤのピアスのようなものだと、わたしは思う。
この「ダイヤのピアスのようなもの」は、例えば物事に対しての姿勢だったり、考え方だったり、そして若さゆえの見栄だったり、自分の身の丈にそぐわない、がんばった背伸びのようなものだったりする。
こうしたアイテムにどんどん手を出し、自分の身の丈に背伸びをし。
それは年輪を重ねて、身の丈がわかるゆとりを手に入れたときに、うまい具合に発酵し、上等な酒になるだろう。
年輪を重ねて楽なものを手にしたときに、この上等な酒を身につけているかそうでないかは、確実な差となって現れるような気がする。
既製の概念にとらわれない本物を、見分ける目というものも身につけられるだろう。
過去の若さをひとつひとつ失ってはきたが、この先の人生の中では、わたしは今が一番若い。
失った向こう見ずや、過去の自分の無理な背伸びに微笑みながら、この先の人生に上等な酒を用意するために背筋をぴんと張り、わたしはまだまだ自分にできる背伸びをしたい。
*年輪/琥珀色の戯言 にトラックバック
これは、年齢を重ねたときに、どんな風に出ていくのだろう。
歌番組を見ていてよく思うのは、お若い方は髪型が汚いなあということ。
汚い、というか、だらしがない。
顔の半分にばさばさと前髪がかかっていたり、カットがばさばさと不揃いだったりする。
「社会人として生きる普通の人」があの髪型で職場に行ったら、ただの寝癖扱いをされかねない、と思ったりする。
それを見ながら、思う。
これが「若さ」というものだ、と。
人生の中で不安定な時代にいる立場だからこそ、できるスタイルがあるのだ、と。
汚いのは髪の形で、その髪の形をもって「表現体」として存在する姿は、汚らしくないのだから。
若いときは、その個性なりのやり方で、形のあるものを「崩す」ことに挑戦すべきだ、と、わたしは思う。
特に、何かに所属するという場に行き着いていない時代は、その挑戦を楽しむべきだと、わたしは思う。
その上で。
既製の形を崩しても崩しても、崩れてしまわない何かを身につけている「若さ」は、美しい。
それは、例えていうなら、色褪せたジーンズに白いTシャツにダイヤのピアスのようなものだと、わたしは思う。
この「ダイヤのピアスのようなもの」は、例えば物事に対しての姿勢だったり、考え方だったり、そして若さゆえの見栄だったり、自分の身の丈にそぐわない、がんばった背伸びのようなものだったりする。
少なくとも、20歳くらいの僕は、そういうシチュエーションに置かれたら、「すぐに読めて、面白いであろう椎名誠」よりも「たぶん本棚の飾りにしかならないが、持っていると文学青年っぽくて、自分にとって読むべき本だと思っているプルースト」を買っていたのだ。若さの中で、わたしは例えば「プルースト」という選択は、とても好きだ。
こうしたアイテムにどんどん手を出し、自分の身の丈に背伸びをし。
それは年輪を重ねて、身の丈がわかるゆとりを手に入れたときに、うまい具合に発酵し、上等な酒になるだろう。
年輪を重ねて楽なものを手にしたときに、この上等な酒を身につけているかそうでないかは、確実な差となって現れるような気がする。
既製の概念にとらわれない本物を、見分ける目というものも身につけられるだろう。
過去の若さをひとつひとつ失ってはきたが、この先の人生の中では、わたしは今が一番若い。
失った向こう見ずや、過去の自分の無理な背伸びに微笑みながら、この先の人生に上等な酒を用意するために背筋をぴんと張り、わたしはまだまだ自分にできる背伸びをしたい。
*年輪/琥珀色の戯言 にトラックバック
こんばんは。ご無沙汰しております。
> 若いときに、どんな格好をして、どんなことをしていたか。
> これは、年齢を重ねたときに、どんな風に出ていくのだろう。
ふと、思い出したのですが。
昔私が付き合って半同棲していた9才年上の彼女の母親に
言われた事があります。
「今はその格好でも良いでしょうけど、30才、40才になった時に
同じ格好は出来ないでしょうから、年齢に応じたファッションを
していくようになりなさい」
うろ覚えですが、こんな感じです。
当時23、4くらいだったと思います。
SUGIZOに傾倒していた私は髪も伸ばして、ストレートアイロンを
毎朝かけてました。
ライブの時はピンク色になるスプレーをセットした髪に吹いて
会場に行ってました。
さすがに会社員としてはブリーチして染める程の度胸はなかったです。
体重も55kgくらいで細く、革ジャンと革パン、ロングブーツなどを
着てました。シルバーのリングなどもしてました。
その彼女と終わって、一人暮らしを始めてから髪もバッサリ切って、
アクセサリーもつけなくなりました。
今付けてるのは結婚指輪と白バンドくらいでしょうか。
もうすぐ30ですが、そろそろ革ジャンの時期かなぁと思ってます。
当時と比べるとそういう服装を自然に着ているように思えます。
40になってもロックオヤヂでありたいと、三十路直前になるにつれ、
強く思うようになりました。
> 特に、何かに所属するという場に行き着いていない時代は、
> その挑戦を楽しむべきだと、わたしは思う。
会社でも下っ端で好き放題できていた時期なので、髪型なども
平気でした。今はもうすぐ主任になりそうなので、ちょっと
自重しようかな、と思ったりです。
もっとも、外見よりも内面にロックな気持ちはメラメラ燃えて
いるように感じる事が増えたので、外見にこだわる必要が
なくなったとも言えますが。
それでは、失礼しました。
明らかに路線を間違えてるけど。
ほいほい、コメントお久しぶり。
奥方ブログを時々のぞきつつ、(おおUSHIZO、がんばってるではないか)な~んて思ってました。
>「今はその格好でも良いでしょうけど、30才、40才になった時に 同じ格好は出来ないでしょうから、年齢に応じたファッションをしていくようになりなさい」
えいっと変換。
「30才、40才になった時に 同じ格好は出来ないでしょうから、今の年齢にしかできないファッションを楽しみなさい」
プロフ画像の「髪の毛高々と二つ結び」なんですが。
まあ、ツインテールよりは位置が低いが、わたしの年齢の常識的な高さよりははるかに上位に結ぶのが常。
もともと夏期にしかやらない。夏の暑さのバカ騒ぎ時期にしか、すでにできない年齢に達しております。
しかし寄る年波に段々と弱気になって、位置が下がってきております。
二つに三つ編みなんてのをしますと、姑が「かわいいねえ、かわいいねえ、女子高生みたいだねえ」とのたまい、義妹は「言い過ぎだ」と吹き出します。
嫁・姑の平穏をぶちこわすな、と義妹にツッコミ返します。
…平和だ。。。
もともとアクセ好きですが、10代20代はもっぱら18金が中心でした。しかし現在はシルバー中心です。
アクセにかける金額が高くなって当然というのが年齢に応じた自然な流れですが、わたしの年齢でシルバーをみすぼらしくなくおおいに楽しむのもまた粋ではないか、などと思っております。
ちなみにおテテには、日常で重ねてはめるのアリで、常時シルバーの指輪が7個です。
デザインはシンプル、ただし左の人差し指だけは、シンプルなデザインではあるが男性もつけられるようなごっついものです。
>40になってもロックオヤヂでありたいと、三十路直前になるにつれ、強く思うようになりました。
年輪の熟成を自分のものにしつつ、弱気になることを落ち着きとは思いたくない。
と、思うわ、わたしは。
好奇心は常に満タンにしておきたいな。
すっごくすっごく恥ずかしいのですが。
わたしは20代になりたての頃、現代詩手帖を片手にカウンターで1人で酒を飲むのがかっこいいと思ってました。
ああ、なんか、こんなことを言うコト自体、恥ずかしくて死にそうだ…。
実家に帰ったときに、92歳になる祖母に会いに行ったときのことです。
「幾つになった?」と聞かれて「33だよ」と答えたら「若いね。今のうちに、やりたいことをしなさい」と言われました。
年を重ねるごとに傷付くことが恐くなり、より安全な方を選んでしまっているような気がします。
でも年齢にしばられたくないな、という思いもあったりして。時と場合にもよりますけれど、何だか型にはまりたくないなとか、冒険もしてみたいなと思ったりもします。
92になんてならなくったってわかる、33は充分若いよ。
33の政治家、33の企業独立なんて、充分に「若い」と、もてはやされる。
森瑶子は「35」という年齢をとても意識していたそうです。「35」を自分の転機にするとね。
そして池田満寿夫の「35」(「エーゲ海に捧ぐ」の映画着手だったかな)に影響を受け、文壇に登場したそうです。
森瑶子は「若くして」亡くなったけど、あの人「死ぬまで若かった」ですね。
年齢というものを意識し始めるのが30代なのかな、なんて思っています。仕事のこととか子供のこととか。今まで、がーっと突っ走ってきたのが、ふと「これからどうしよう」と思ってしまう。
森瑶子は、私の中では「あこがれ」ですね。恋愛についてのエッセイをよく読んでいました。
この記事を読んで最初に思い出したのが、夫が学生の頃に書いた文章に出てきた詩なんですけれど。「青春とは」で始まって「人生死ぬまで青春である」と。私はこの詩がすごく好きなんですけれど、出典が分からないのです。
何だか、この文章を読むと「若いな夫」というか、何とも言えないような気持ちになります。
もう上手く言葉にならないんですよ。この記事を読んでいろんなことを思ってしまって。でもコメントしちゃって、すみませんです。
見えなくなるのよね、先が。
先に対して、呆然とするような気持ち。
そんな気持ちを持ち始める20代後半に、女性の留学熱が高まるんだよね。
きちんと目的を持たない短期留学。そんな女性は山ほど存在していて、帰国後結局迷うのに。
結婚、子ども。
こうしたものは、先を見通す指針になる。
そうした指針を持って、安心する女性は多いと思う。
だけど、結婚、出産と、「規定のレール」のようなものにのっていけないと、また不安は始まる。
妊娠・出産における「体内時計」の時限爆弾のような気持ちよね。
ある年齢で線を引いて、「女の人生に対しての可能性へのひとつの決別」をしなければならないかもしれないという「山」がある。
これは男性にはちょっと理解しがたいかもしれない。
わたしが「女性の30代は美しい」と思うのは、自分がこの「規定のレール」にのっかったからかもしれない。
不安の中で進む30代は、20代よりも現実的だ。
でもね。
あなたが今、目の前にしている課題を超えるのに、あなたの年齢は自信を持っていいほど若いとわたしは思う。
そのことをあなた自身があなたに教えようと、ここ最近の変化はもしかしたら起きているのかもしれない。
無理はしなくていいから、勇気を持って、あなた自身を信頼して欲しいと思う、わたしはね。
>「青春とは」
これは多分、サムエル・ウルマンではないかと思います。
http://www.netwave.or.jp/~wbox/noseishu.htm
わたしは80歳でも恋をしたい。
いや、してみせるぞ、絶対。
森瑶子は、「書く痛み」を感じる初期三部作がわたしは好きです。
情事・嫉妬・誘惑ね。
彼女が毛皮や宝石を買うために「文章を売った」中期作品はあまり好きではないです。
後期作品で「おいしいパスタ」というエッセイ集があります。
これは亀海昌次との往復エッセイ集で、軽いタッチの文章なのだけれど、実はこの亀海昌次、彼女の学生時代の恋人で、彼女の「別れ」というものに対しての感覚に大きな影響を及ぼした大きな恋の相手でありまして。
彼女の最期に、彼女の夫が彼を呼んで、2人だけの時間を持たせた相手。
その亀海昌次の森瑶子追悼文はたまらんですよ。未読であったら、是非ご一読を。
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