’70年代前半の頃のこと。わたしは6年生だった。私学の中学受験のために通う塾の帰り、夜の8時過ぎ頃だったか。場所は京王線の新宿からすぐ近くの急行停車駅の駅前。急激に開け始めていたそこは、駅前に大きなテナントを持つマンションが建っていた。建物にエレベーターが設置されること自体まだ珍しい頃で、無人のエレベーターを子どもがおもしろがって乗り、そのことが問題になるような頃だった。そのビルには当時全盛期だった渡辺プロダクションの事務所が入っていて、駅前でタレントがうろうろしていた。通りを隔てた反対側にも大きなテナントビルが建ち、その一階には紀伊国屋書店が入っていた。その二つの大きな建物をはさんだ通りには、平日の夜にも常時、ホットドッグ屋の車がいて、焼きたてのホットドッグを売っていた。
いつものように塾からの帰りを急ぐ。駅から近くに自宅があったわたしにとって、明るい駅前と、人気のある商店街を通れば危険は何もないはずだった。前述の二つの大きな建物をはさんだ道を歩く。「道」というよりも駅周辺という場所だった。
突然、知らない男がわたしの腕をつかんだ。何事かと瞬間体が固まる、つかんだ腕は、わたしの手を強い力で握りなおした。そして手を握って、わたしをどこかに連れていこうとした。
体全体が恐怖で叫ぶ。しかし不思議なことに声は全く出ない。声帯から喉にかけて固まってしまったようだった。叫ぼうとしても声を出そうとしても、息の音すら出ない。足を踏ん張ろうとしても、強い力で握られている手の力と、男の動きの勢いの方が強い。その男の足で二三歩程度、わたしは引きずられたような気がする。
「何をやってるんだ!」
ホットドッグを売っていた男の人が、ホットドッグを売る車の中から叫んでいた。
わたしの手をつかんでいた男が半ば笑いながら「妹だよ、連れて帰る」と答える。そしてわたしに言った。「おにいちゃんだよな?」
アンタなんか知らない。その手を放して欲しい。でも、わたしの喉は固まり続けている。男はわたしが了解しない作り話を続けている。ホットドッグを売っていた人はそれを聞こうともせず、わたしに問いかける。
「そうなのか? おにいちゃんなのか?」
固まり続けるわたしの喉をたたき起こそうとするかのような勢いで、ホットドッグ屋の男性がわたしに向かってまっすぐにそう叫ぶ。それでもわたしの喉は恐怖に固まっていて、その固まりはいっこうに解けない。気持ちはどれだけ叫んでいるのかわからないのに。
「ちゃんと言え! 自分の身は自分で守れ!」
そんな感じのことを、この男性が怒鳴った。魔法が解けたかのようにわたしは叫んだ。
「こんな人、知らない! 放して!」
強い記憶として残っているにもかかわらず、わたしには深い後悔がある。わたしはこのことを親にうまく話せなかった。いや、話したという記憶も怪しい。話すということで事実を再認識してしまうことを怖れて、口をつぐんだような気がする。記憶ということにも、長い間蓋をしたような気がする。時間が流れるという距離をおかなければ、自分でも認識できないような記憶だった。わたしを連れていこうとしたこの男の顔も風体もよく思い出せないのは、多分自己防衛のひとつなのだろうと思う。でもそれは全て後になっての解釈、言い訳のようなもので、本来は、すぐに親といっしょにわたしを助けてくださったこの方にきちんとお礼にうかがわなければならなかったのに。失礼をごめんなさい。本当に本当に、ありがとうございました。
小学生が殺される事件がまた起きた。わたしは子どもたちに教えた護身の方法を、子どもたちに再度教える。この方法を小学生だったわたしが知っていたら、もう少しなんとかなったかもしれない。でも最後には「運」も左右するんだろう。報道を見ながら小さな命の冥福を祈る。
いつものように塾からの帰りを急ぐ。駅から近くに自宅があったわたしにとって、明るい駅前と、人気のある商店街を通れば危険は何もないはずだった。前述の二つの大きな建物をはさんだ道を歩く。「道」というよりも駅周辺という場所だった。
突然、知らない男がわたしの腕をつかんだ。何事かと瞬間体が固まる、つかんだ腕は、わたしの手を強い力で握りなおした。そして手を握って、わたしをどこかに連れていこうとした。
体全体が恐怖で叫ぶ。しかし不思議なことに声は全く出ない。声帯から喉にかけて固まってしまったようだった。叫ぼうとしても声を出そうとしても、息の音すら出ない。足を踏ん張ろうとしても、強い力で握られている手の力と、男の動きの勢いの方が強い。その男の足で二三歩程度、わたしは引きずられたような気がする。
「何をやってるんだ!」
ホットドッグを売っていた男の人が、ホットドッグを売る車の中から叫んでいた。
わたしの手をつかんでいた男が半ば笑いながら「妹だよ、連れて帰る」と答える。そしてわたしに言った。「おにいちゃんだよな?」
アンタなんか知らない。その手を放して欲しい。でも、わたしの喉は固まり続けている。男はわたしが了解しない作り話を続けている。ホットドッグを売っていた人はそれを聞こうともせず、わたしに問いかける。
「そうなのか? おにいちゃんなのか?」
固まり続けるわたしの喉をたたき起こそうとするかのような勢いで、ホットドッグ屋の男性がわたしに向かってまっすぐにそう叫ぶ。それでもわたしの喉は恐怖に固まっていて、その固まりはいっこうに解けない。気持ちはどれだけ叫んでいるのかわからないのに。
「ちゃんと言え! 自分の身は自分で守れ!」
そんな感じのことを、この男性が怒鳴った。魔法が解けたかのようにわたしは叫んだ。
「こんな人、知らない! 放して!」
強い記憶として残っているにもかかわらず、わたしには深い後悔がある。わたしはこのことを親にうまく話せなかった。いや、話したという記憶も怪しい。話すということで事実を再認識してしまうことを怖れて、口をつぐんだような気がする。記憶ということにも、長い間蓋をしたような気がする。時間が流れるという距離をおかなければ、自分でも認識できないような記憶だった。わたしを連れていこうとしたこの男の顔も風体もよく思い出せないのは、多分自己防衛のひとつなのだろうと思う。でもそれは全て後になっての解釈、言い訳のようなもので、本来は、すぐに親といっしょにわたしを助けてくださったこの方にきちんとお礼にうかがわなければならなかったのに。失礼をごめんなさい。本当に本当に、ありがとうございました。
小学生が殺される事件がまた起きた。わたしは子どもたちに教えた護身の方法を、子どもたちに再度教える。この方法を小学生だったわたしが知っていたら、もう少しなんとかなったかもしれない。でも最後には「運」も左右するんだろう。報道を見ながら小さな命の冥福を祈る。
我々はそのホットドッグ屋さんのような気質を忘れてはいけないと思います。
怖いからなのか大きな物音が聞こえても聞いているだけで、後からマスコミあたりにそういう情報を耳打ちするご近所さんみたいな人が、もし現場に飛び込まないまでも声を掛けるくらいの事をしていたら助けられたのではないかという事件もあるように思います。(例えば町田で男子が女子を刺した事件とか)
事件に限ったことではないけど、見て見ぬ振りをしない人間になりたい。
いや~、自分でも、「そうねえ」なんて他人事のように思ってしまった。
「電車」話も、入れてて、すげ~なあ、ヤバイよなあ、なんて思ったんですけど、このネタもかなり危機、ですよね。
実はまだいっぱいあるんですよね、ショッキングネタ。
誘拐未遂の初体験は、実は幼児期に経験済みです。
これは本人が全くわからんところで全て終わりましたから、本人に恐怖の記憶は無いんですけどね。
しかし今回上げた「危機の記憶」。入れてて(これ、かなりヤバかったな)と改めて思いました。
この男が話した作り話は、わたしが悪い子だから引きずってでも連れて帰るって言ってました。
声が出ない喉でも、なんというか納得できず口ぱくぱくって感じでしたね、コレには。
それでも声が出なきゃ、もうお手上げなんですよね。
このホットドッグ屋の方がわたしに教えた教訓はでかいです。
この人、相手に対抗するのではなく、わたしを奮い立たせたんですよね。
オマエの危機からの脱出を、オマエの一歩が踏み出せ、みたいなこと。
これは長く教訓として残っていると思う。
こんなに大きな影響をくれたのに、なんでわたしはすぐにきちんとした対応でお礼を言えなかったんでしょうねえ。
つくづく後悔。
「ストーカー防止法以前」の時代、110番で軽くあしらわれたときに、粘りに粘って警察を出動させたことがあるんですが、これもこの時の教訓がやっぱり生きているのかもしれないです。
>事件に限ったことではないけど、見て見ぬ振りをしない人間になりたい。
深く同意。
事件ということではないけれど、これ、おもしろかったですよ、よかったら。
http://jiro-dokudan.cocolog-nifty.com/jiro/2005/11/post_49c0.html
私信;お子さんの入院看護の日々、おつかれさまでした。
危機感が、すごくリアルに感じられました。
何か考えもしなかったことが起こっているときは言葉もでなくなるかもしれません・・
でも、そこで自分を奮い立たせなければいけないんですよね。
「ちゃんと言え!自分の身は自分で守れ!」
ホットドックを売っていた方が男性が小学生だったS嬢さんに叫んだ言葉は、
正しい言葉であったと思います。
恐怖を取り除き、今に残り、信念が受け継がれているのですから。
こういう行動ができる人が増えて、
どの人も自分の安全について意志をもって行動できたら、
近頃の犯罪にも防げたであろう事件があったのかもしれませんね。
小学生の事件は(動機はまだわかりませんが)犯人が逮捕されたようですね。
付近の住民の方も一安心でしょうが、
ひたすらに守るだけでなく
自分の身の守る術も、これをきっかけに深く考えられたらいいと思います。
私も、災難にも危機にも耐えられる意志をもちたいと思います。
コメント、ありがとうございます。
>「ちゃんと言え!自分の身は自分で守れ!」
えっとね、正確な言葉で覚えてないんですよ。
「自分で言え」と叱責されたことははっきりと覚えてるんです。
オマエが言わんでどうする!みたいな感じだったかな。
すこーんと響きましたね、この主旨は。
自分の経験なんですが、なにしろ年数たってるので後からの解釈かもしれないんだけど。
親に言えなかったのは、単独行動が制限されかねないって、そういうとこもあったような気がします。
束縛、干渉、ってとこを嫌うタイプの子でしたね。
塾通いの子で、べったり送迎されてる子に「うっとうしくないのかな」なんて思ったりもした記憶があります。
そんな志向があったら、自衛自尊は、もう不可欠になってきますよね。
だからこそ、響いたのかもしれない、この手の言葉が。
その子のキャラに合う叱責が、運として「はまった」ってことかもしれないです。
同じ状態で、第三者からも怒鳴られたら、ってタイプの子もいるかもしれないと思う。
ただ、見て見ぬフリをしないってことは、もう鉄則かもしれないです。
この方の叱責が合わないタイプの子だったとしても、この人はけして見捨てることはなかったでしょう。
>私も、災難にも危機にも耐えられる意志をもちたいと思います。
何を尊重したくて、意志を持つか。
この自分が尊重したい部分を持つってことが、けっこう重要なのかもしれないかな、と、個人的には思います。
単純に言って、守りたい人間を持っている人は強いですしね。