S嬢のPC日記

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半自費出版の考察まとめ

2005年11月02日 | つぶやき

「自費/半自費出版本」をテーマに上げた自記事一覧
S嬢のPC日記
 自費/半自費出版本から
S:今日の一言
 ■[雑記]新記事:「自費/半自費出版本から」記事上げの動機
 ■[雑記]新記事:自費/半自費出版本から 記事上げのために調べたサイト
 ■[雑記]続「共同出版/協力出版」というもの
 ■[雑記]「商品」としての文章

 まず言いたいことは、わたしは自費/半自費出版本を「一刀両断でつまらん」という気は無いのだということ。それを証拠に、というか、一番最初に出した記事上げは、そうした自費/半自費出版本で「大切なもの」を出している。(自費/半自費出版本から)。
またそれに続く記事上げでも、自費/半自費出版本の成功例も出している。(■[雑記]新記事:「自費/半自費出版本から」記事上げの動機

 その上で言いたいのは、著者を直接知らず、単に書籍としての評価というレベルに達しない領域に類する質の本が、こうした自費/半自費出版本にはとても多いということ。それは■[雑記]続「共同出版/協力出版」というものにも一部ふれている「わたしが見たことがある公立図書館の廃棄本の存在」、そして今はあるのかどうかわからないが池袋のリブロに自費出版コーナーがあり、何度か手に取って中身を一部読んでみたことがあることなどが、そのわたしの感覚の根拠となっている要素だと思う。

 今回、こうした出版物の背景にある「出版ビジネス」を調べながら思ったことは、出版社に「共同出版」「協力出版」という言葉で、「書籍の流通ルートにあなたの作品はのせるべきだ」と言われた人は、同じ会社、同じ人がそういった「同様の提言」をもって出版された過去作品をどこまで「読んでみよう」と思ったかという「疑問」。
こうした「共同出版」「協力出版」と呼ばれる「半自費出版」というものに欠けているのは、わたしは「読者」つまり「購買層」に関してのマーケティング的視点だと思う。そのことをどうとらえるのか、という意味で、自分の作品に出版をすすめる同じ人が、過去どういう作品を出版する傍らにいたのか、そのことは重要なんではないかと思う。
つまり、「審査」というものがあるのなら、その「審査のレベル」を知る、「同様の審査の実際の結果を知る」ということは重要だと思う。
例えば明窓出版なら、分野別にすでに出版されている「立ち読みページ」が用意されているし、また他の出版社でも見積もり時に出される「見本」や、実際にその出版社から出されている同じ企画本を買ってみることも、その「調査」のひとつの方法だと思う。買ってみること、というのは、ビジネスには調査としての投資がいるという、資本主義社会では当たり前のことなんではないかと思う。
 
 そうした本を読んでみて、どう思うか。
この程度なら、自分にも出せる
この程度の本に出版を薦める人なら、自分の位置というものも自ずとわかる
 前者に動く場合は、こうした出版は「夢を売るビジネス」と解釈し、「夢を買う立場」としての利用ということになるだろうし、後者ならば、現実というものが自ずとわかるのだと思う。
この「協力出版」「共同出版」と呼ばれる形式の半自費出版は、巧妙に「誰が客なのか」ということが隠されているような気がする。
「夢を買う立場」というものが、この形態の出版の利用者にはっきりしているのならば、何の問題も無い。

 今回、■[雑記]「商品」としての文章 にトラックバックを二件受信。

それは「自信」ではなく「可能性」なのだと思うのです。/日々是自己主張
2005-11-01 年輪/どうしてブログやHPだけでは、満足できないのか?/琥珀色の戯言

両者とも、■[雑記]「商品」としての文章 に出した「なぜこの人たちはブログなりHPなりだけでは満足できないんだろうということ」に反応していただいたもの。
前者では、その経験と共に、「可能性」というものを持つ、そしてその「可能性」のイメージを出版社によってふくらませられる、という経緯を語り、後者では「誰かに、お金を払っても読みたい、というほどの価値があると認めてほしいのだと思う」と結論づける。

それはそうなのだと思う。
その上で、この二件のトラックバック記事を読んで思ったことは、これは「沈黙のオーディエンス」に関係していることなんだろうということ。

 何らかの形で文章を書く。その結果のフィードバックが欲しい。
このことに対して、まず「形」として製本した「自分の本」を手に入れることができ、そしてお金を払ってその本を「購入する人」が発生する可能性を持つ道を開くという、ひとつの方法という選択なのだと思う。
ただし、このフィードバックに対して、一般的な商品の流通ルートを使って観客からの金銭の動きを発生させる以上、儲けたいか否かの意識は関係なく、ビジネスとしての意識が求められるのだと、わたしは思う。

*トラックバック
それは「自信」ではなく「可能性」なのだと思うのです。/日々是自己主張
2005-11-01 年輪/どうしてブログやHPだけでは、満足できないのか?/琥珀色の戯言