「知的障害を持つ娘が生まれて」と言っても、さてどう人間が動いていくかは、これはもう本当に人それぞれです。
全ての人の全ての流れは、全て尊重されるべきと、わたしは思っています。
で、以下、全くのわたしの「個人的流れ」です。
「障害児の母親」の流れとしては、どちらかというと、特異なケースかとも思います。
感情的な流れに関しては、簡単ですがHPの方に入れてあります。
こちらは、感情という部分から離れた「思考的な軌跡」です。
ダウン症の告知を受け、第一子が知的障害を持つと知ったときに、わたしは障害児教育の参考書を手に取りました。
それは、乱暴な言い方をすれば「バカにつける薬」を、教育に見出そうとしたためです。
お貸しするという形でどなたかの本棚に居心地よく鎮座してるらしいこの本は、今はわたしの手元にありません。
「こうすれば伸びる発達の遅れた子どもの指導法 障害児教育にチャレンジ」
この本にわたしは大きく影響を受けました。
それは第一章の「どんな子どもに育てるべきか(卒業生から学ぶ理想の子ども像)という部分でした。
そこには、知的障害のレベルの軽い重いよりも、「生きる力」を持った子どもの強さと利点が書かれていました。
娘は乳児期に長期の入院生活を送り、完全看護の病院で許可された面会時間も少なく、時間はいくらでもありました。
わたしは放送大学で「障害児の心理と教育」という講座を受講することになります。
そこで、強く印象に残るキーワードと出会いました。
「障害を持った、立派な大人に育てることの大切さ」
障害を持つということを否定から入るのではなく、それは存在すること自体で肯定されるべきもの。
その上での「立派な大人」というイメージを持つことを、大きく教えられたような気がしました。
娘が幼児期に、わたしは講演会に出席という形で、障害児に対して「生活教育」が中心だった日本で「障害児に対する教科教育の必要性」という道を切り開いてきたお一人である都立大学の茂木俊彦教授と出会い、強く影響を受ける言葉に出会います。
「知的障害児に教科教育が必要なのは、生きる楽しさを教えるためです」
また、同時期、わたしは知的障害児に対しての算数教育を研究する「安曇野教育研究会」の入門講座を受講します。
その時に、影響を受け続ける考え方に出会います。
「知的障害児にものを教えるときに、『なんで何度言ってもわからないんだ』と思うことはないですか。
でもね、相手も思っているわけですよ。
『その教え方じゃわからないって、なんで何度言ってもわからないんだ』って。」
問われていたのは、知的障害児の知的能力ではなく、支援する側の知的能力でした。
「バカにつける薬」が必要だったのは、娘ではなくわたしでした。
わたしはこれらの「バカにつける薬」を、ばくばくと食ってきました。
小さい集団ながらも、地域の障害児の放課後支援事業の主宰者にもなりました。
娘だけではなく、この事業に参加する「自分が責任を持つ『障害を持つ子ども』」に対しての、オノレの「知的能力の工夫」も考え続けています。
ただ妊娠しただけだったはずなのですが、その妊娠の結果は、実に興味深い人生の急展開になりました。
娘に「知的能力の向上」を迫られ続けてきたようなこの13年。
けっこう、賢くなった、と、思うよ。。。
いや、あくまでも「13年前と比べて」なんですけどね。
全ての人の全ての流れは、全て尊重されるべきと、わたしは思っています。
で、以下、全くのわたしの「個人的流れ」です。
「障害児の母親」の流れとしては、どちらかというと、特異なケースかとも思います。
感情的な流れに関しては、簡単ですがHPの方に入れてあります。
こちらは、感情という部分から離れた「思考的な軌跡」です。
ダウン症の告知を受け、第一子が知的障害を持つと知ったときに、わたしは障害児教育の参考書を手に取りました。
それは、乱暴な言い方をすれば「バカにつける薬」を、教育に見出そうとしたためです。
お貸しするという形でどなたかの本棚に居心地よく鎮座してるらしいこの本は、今はわたしの手元にありません。
「こうすれば伸びる発達の遅れた子どもの指導法 障害児教育にチャレンジ」
この本にわたしは大きく影響を受けました。
それは第一章の「どんな子どもに育てるべきか(卒業生から学ぶ理想の子ども像)という部分でした。
そこには、知的障害のレベルの軽い重いよりも、「生きる力」を持った子どもの強さと利点が書かれていました。
娘は乳児期に長期の入院生活を送り、完全看護の病院で許可された面会時間も少なく、時間はいくらでもありました。
わたしは放送大学で「障害児の心理と教育」という講座を受講することになります。
そこで、強く印象に残るキーワードと出会いました。
「障害を持った、立派な大人に育てることの大切さ」
障害を持つということを否定から入るのではなく、それは存在すること自体で肯定されるべきもの。
その上での「立派な大人」というイメージを持つことを、大きく教えられたような気がしました。
娘が幼児期に、わたしは講演会に出席という形で、障害児に対して「生活教育」が中心だった日本で「障害児に対する教科教育の必要性」という道を切り開いてきたお一人である都立大学の茂木俊彦教授と出会い、強く影響を受ける言葉に出会います。
「知的障害児に教科教育が必要なのは、生きる楽しさを教えるためです」
また、同時期、わたしは知的障害児に対しての算数教育を研究する「安曇野教育研究会」の入門講座を受講します。
その時に、影響を受け続ける考え方に出会います。
「知的障害児にものを教えるときに、『なんで何度言ってもわからないんだ』と思うことはないですか。
でもね、相手も思っているわけですよ。
『その教え方じゃわからないって、なんで何度言ってもわからないんだ』って。」
問われていたのは、知的障害児の知的能力ではなく、支援する側の知的能力でした。
「バカにつける薬」が必要だったのは、娘ではなくわたしでした。
わたしはこれらの「バカにつける薬」を、ばくばくと食ってきました。
小さい集団ながらも、地域の障害児の放課後支援事業の主宰者にもなりました。
娘だけではなく、この事業に参加する「自分が責任を持つ『障害を持つ子ども』」に対しての、オノレの「知的能力の工夫」も考え続けています。
ただ妊娠しただけだったはずなのですが、その妊娠の結果は、実に興味深い人生の急展開になりました。
娘に「知的能力の向上」を迫られ続けてきたようなこの13年。
けっこう、賢くなった、と、思うよ。。。
いや、あくまでも「13年前と比べて」なんですけどね。
それが全世界で通用するかのような錯覚をする。
その価値観が通らなかった時。
対応の仕方、S嬢さんのようにできたらなぁ~
って思います。
S嬢さんのお陰で気が付きました。
私、考える事ができる。
でも考えすぎて動けない。
考えて動けるようにならなくちゃ。って
27年生きてきて、自分が体験してる事が全てじゃない。
知らない事のほうが多い。
って解っているつもりで、解ってなかった。
自分の想像以上に、自分が子供だったって事。
うがーーーーーーー って感じです(笑
これは、その人固有の「本能」のようなモノもあると思う。
それを「個性」とも言うのだろうなと。
「個性」とは、人の本質の部分をどう守るか、
ということと、関係あるかもしれないとも思う。
「考える」「動く」「考える」
これはいわゆる攻撃型でしょうね。
「考える」「動く結果をイメージする」
「動いた結果のイメージに対しての対応をイメージする」
「動く」。
これは防衛型かな。
いろんなことがあるけれど、人間一人が経験できることなんて、大きく言えば、実はたかが知れてる。
人間の持ってる「共感」という感覚/感情を広げていくことって、人間一人の経験を超える叡智があるんではないかと思うこともアリです。
いつもブログを興味深く拝見しています。
私は、現在11ヶ月のダウン児の母です。
「バカにつける薬」の話、大変身にしみました。
息子が退院してきた頃の日々を思い出しました。
あのころ、私は息子に付きっきりでした。
反応もない息子に一生懸命話しかけ、テレビは発育に悪いとテレビも付けず、知りもしないクラシックを流し(笑)
必死だったんです。ただでさえ「遅れ」のある子なのだから、少しでも「遅れ」の出る要因は排除したいと。
しかし、そんな生活は長続きしませんでした。
赤ん坊といえども親の私が楽しくなくて、どうして子どもが楽しめるでしょう。
私も「バカにつける薬」を食べなくてはならないですね。
彼は、早産児でもあり、まだ首も据わりません。
しかし、最近「両手」を発見したようで、両手を高々と掲げてうっとり見つめています。
まるで新しい力を発見した勇者か魔法使いかという風情で、大変かわいらしいです。
まあ、ようこそいらっしゃいませ。
ブログってのは、ある種「大海」でありまして。
ダウン症児の「ママ」のご訪問コメントは、たったのお二人目ですね。
HPだと「ダウン症」の検索でってことになるからか、「ママ」ばっかのとこありますが、ブログは「ママ」ばっかにならない。
そういうとこが、ブログの面白さですね。
11ヶ月ですか、お子さん。
するって~と、もうすぐ一歳のお誕生日ですね。
おめでとう。
たくさんお祝いしてください。
そして、医療を経てきたお子さんを、たくさんねぎらってあげてください。
それからもちろん、あなた自身に。
11ヶ月、本当に心の波をたくさん経験されたと思う。
たくさんたくさん、ねぎらってあげてください。
一歳のお誕生日は、ホント、大々的に祝って欲しいです。
ウチの娘は満期産です、予定日に陣痛が来て翌日に生まれた。
生後二ヶ月から人工呼吸器のお世話になり、三ヶ月で心臓の手術。
ICUをほぼ一ヶ月出られず、一般病棟でも術後二ヶ月。
退院時は7ヶ月でした。
その後に息子を生んだ時に、「ヤバイ」って思ってたんですよね。
わたし、いわゆる新生児の子育てをしてない、何にもわかんないって。
息子生んでみたら、退院時の娘(7ヶ月)と退院時の息子(生後一週間)、たいして違いは無かったですね。
首座ったのは、8ヶ月くらいだったかなあ。
よくてんかんの発作が出ずに済んだなあと思うくらい、反り返りの強い赤ん坊でした。
泣かない赤ん坊だったし、反応も乏しかったですね。
わたしは「バカにつける薬」の知識の習得に熱心で、本人自身の「今」をどうこうしようってのは感覚的に薄かったんですよ。
知的障害というものを、学問として知りたかったし、そこで発見していくことに、いわば「夢中」だった。
泣かずに反応が乏しい赤ん坊をベビーベッドに寝かせて、放送大学のテレビの受講に釘付けになってて。
なんだかほったらかしじゃ申し訳ないので、ベッドから取り出して赤ん坊抱きながら見てて。
で、なんかそれじゃ赤ん坊も迷惑そうなので、またベッドに寝かせて。
なんか、立ったり座ったりしながら過ごしてました。
お子さん、「手」を発見し始めてるんですね。
かわいいですよねえ、この表情というのは。
こういうとこをゆっくり堪能できるのが、発達のゆっくりな子の「宝」だろうなと思う。
息子のこんな表情なんて、「あったっけ」っていうくらい覚えてませんが、娘のははっきりと思い出せますわ。
これ、自分のボディイメージを持つスタートで、自分の体というものを、そうやって知っていくんだそうだ。
動くようになると、動きながら、自分のボディイメージを作っていくそうで。
車運転するときに、だいたい車はこんな大きさで動くという「車両感覚」というのがありますよね。
つまり、アレを、自分の体の感覚で知っていくというか。
家の中で、いろいろなとこに、やたらにぶつけて始終青タンとか作ってる人ってのは、このボディイメージの獲得がちゃんとできずに育ったんだそうです。
はは、わたしはコレです。
リハの先生に、「わたしのボディイメージは今から何とかなりますか」と聞いたら、「もう遅いです」と言われてちょっと笑えました。
さて、「手」を発見したお子さん。
本人を「何とかする」という、下心ある熱心さではなく、「発達の支援」というものもある。
輪っかのおもちゃを、何か用意できますか?
「手」をしみじみと発見し始めると、次に意志を持って「持つ」ということに目覚め始めます。
このときにね、輪っかが「次」を開いていくんですわ。
つまり、右手で持ったら、次に左手を添えていくような行動が始まる。
これが始まりやすいんですよね、輪っかのおもちゃだと。
右手→左手を添える→って中で、そのうち、「持ちかえ」を覚えていきます。
マグマグの両手付きのヤツでもOK。
やらせるということではなく、そうやって、道具を工夫して「チャンス」を用意してやるわけですわ。
それは何のため?
もちろん、「生きる楽しみ」を知っていくためですよ。
発達段階を進むということで、本人自身がたくさん喜べるのがいいですよね。
そして、誕生日の前祝いメッセージもありがとうございます。
おっしゃるとおり、息子はもうじき1歳になります。
この1年は、本当に濃い1年でした。
幸い私は周りの人間関係に恵まれて、心の波という面では比較的穏やかに来られたと思います。
彼は、心室中隔欠損と早期破水時の体内感染の影響による慢性肺疾患のため、退院まで4ヶ月半かかりました。退院した現在も在宅酸素療法中です。
しかし、風邪も引かずにこの冬をどうやら乗り越えそうです。
1年、たかが1年、されど1年。
盛大に誕生日を祝ってあげようと思います。
息子の誕生を、ダウン症だということも含めて友人に伝えていますが、そのうちの一人が私にこう言ってくれました。
「これからが楽しみね。」
それを聞いて、私はハッとしました。
本当だ、楽しみなのはこれからだ、やっとこれから彼の成長と向き合えるんだと気がついたんです。
そういってくれた彼女の優しさに感謝しています。
さて、輪っかのおもちゃですね。
ものを持たせると、うっとり眺めたりぶんぶん振ったりするんですが、持ちかえることはまだないですね。
うんうん、持ちやすそうな「輪っか」を探してみましょう。そういえばマグマグがあったかしら。
まだ早いかと片付けていましたが、中に鈴でも入れて渡してみようと思います。
アドバイスありがとうございます。
しかし、ぶんぶん振る様もとてもかわいいのですよ。
あはは、親バカですかね。
そして、子どもの受け入れの悪い親御さんに対して、「深刻な合併症も無いのに」と思っていたこともありました。
でも逆なんですよね。
実は合併症の無いお子さんのご両親の方が、精神的なものはきついのだと、やがてわかるようになりました。
合併症が深刻な場合は、向き合っているのは「現在の病状」になる。
でも深刻な合併症が無い場合は、「障害」とだけ向き合わなければならない。
「現在の病状」に関しては、向き合うのは今の病状と治療、明日の回復なんですよね。
でも「障害」とだけ向き合う場合は、正体が大きすぎる不安とだけ向き合わなきゃならなくなる。
周囲との関わりに関しても、「入院」等が関わっていると、まあ言いやすくなるんですよね。
「入院」に関しての説明というものが出てきますから。
ところが合併症が無く、普通に「赤ちゃんのいるくらし」が始まると、言わなくてもいいわけだし、言うチャンスも難しいし、抱え込む可能性も高くなるわけですわ。
こういう「環境」で、人は本当にそれぞれなのだなあというのが実感なんです。
お子さん、在宅酸素を使ってらっしゃるのね。
ショウタがそうだった、ナオちゃんもそうだった、と、あのボンベを思い出しますわ。
あのボンベと縁が無い子よりはゆっくりになるところもあるけれど、ボンベとさよならできる日の喜びは格別、そして元気に歩く子になっていきました。
冬を乗り越えられそうで、本当に良かった。
今年は風邪やインフルエンザが例年より患者さんが少ない年のようで。
超えなきゃいけない冬がこういう気候で本当にラッキーだったと思う。
さて、発達の支援ですが。
「すぐに目に見える変化」を下心に持たないでくださいね。
「先」のためにチャンスを用意しておくってことですから。
↑の「茂木教授」が言ってた言葉でこんなのがあります。
「子どもは『遊び』で育つ。
『遊び』は『遊び』であり、『遊び』に効果を求めたとき、
『遊び』は『労働』になる」
コレも、要チェックワードですわ。