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S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

メールを下さったあなたに

2005年02月20日 | インターネット雑記
インターネットの向こうには「生きた人間」がいる。
でも、時々思うことは、相手に対して「生きた人間」という想像力が乏しくなってしまうことが起きるのもインターネットなのではないかと。

明らかに悪意がわかる「通りすがり」さんもそのひとつだけれども、でもそうしたものは悪意というものが見える分、わかりやすい。

困惑を与えられるというケースが、熟慮というものが見えないトラックバック。
そして、未知の人からのメールというものもある。
わたしは自分が管理する掲示板にメールアドレスを載せているので、こうしたものが時々迷い込む。
もちろん、明かなスパム以外は、きちんとした態度で送ってこられる方が多いのだけれど。

一番困るのは「教えてください」という情報提供を望む類のもの。
送信者自身の提供する情報があまりにも少ない状態で「教えてください」と言われても、正直とても困惑します。
特に、送信者がフリーのアドレスではなく、プロバイダのアドレスの場合、その困惑は余計に増加します。
プロバイダのアドレスが使われている時点で、いたずらではないと判断する。
そうすると、相手と向かい合う上での「困難さ」が露見してしまう。

「教えてください」という、あなたの知りたいことに関して、現在までにおいてあなたはどうされましたか?
どう考えましたか?
動くことを何かやってみたりはしましたか?
あなたはそのことに対して、精神的にどのくらいのエネルギーを使われましたか?

結局、ここがキーなんですよね。

インターネットは情報をすぐに入手できる便利なものではあるけれど、メールのその相手は「便利な検索サイト」ではありません。
「生きた人間」がそこにいるわけで。

先日、わたしにメールを下さった方。
あなたの思うようなお返事を、わたしから受け取ることができなかったかもしれません。
でも、上記の「キー」になること、もしもあなたがきちんと答えてくださるならば、答えてくださる行動というものが重ねることができたならば、きっとあなたに道は開けていくと思います。
それがあなたのために一番いいことなのだと思います。
その上で、微力でも、わたしにできることがあるならば、できる限りのことを提供することを惜しみません。
その覚悟があるからこそ、自分が管理する掲示板というものにメールアドレスを表記する。
そのために来るスパムよりも、そこで入ってくる「そのアドレスを必要とする人間の可能性」を選択しているからです。
あなたにとって、「優しい言葉が羅列される返信」ではなかったかもしれないけれど、わたしは表記名に実名記載のアドレスで返信したこと、そのことの誠意というもの、伝わればいいなと思っています。

ベケットとブログ

2005年01月08日 | インターネット雑記
前記事のコメントレスで、サミュエル・ベケットという劇作家の「ゴドーを待ちながら」という作品の紹介をしました。

(以下、コメント欄からの引用)

ベケットという劇作家のね、「ゴドーを待ちながら」という作品があるのですよ。
ウラジミールとエストラゴンという二人の登場人物が「ゴドーさん」を待つ。
ひたすら、待つ。
待つ、だけ。
たいしたことは何も起きない。
そういうお芝居。
「不条理演劇」として、まあ、代表作。
学問としての「解釈」や、上演にあたる演出としての「解釈」で、
実にいろいろと「いじくられて」きた作品。

---

読者、観客、全てが劇的展開、
つまり「ゴドーさんが来る」ことを待ち望むんだけど、
来ない。
つまり、「来る」か「来ない」かではなく、
「待つ」「待ちながら」って作品なわけで。

と、言っていると、
まあ、「ゴドーを待ちながら」考察一群というものにのみ込まれていってしまうので、この辺で。

でも、人生というものは、
この「ゴドーを待ちながら」って情景がいかに多いものよのう、
とも思うのだよね。
人それぞれの持っている背景の中でね。


大人になる、ということは、
自分が待ち望む展開、結果に関して
「来るかどうかわからない」経験が、多様に始まることかもしれないと思う部分があります。
子どものとき、学生のときというのは、
努力することに対して「結果が反映される」という経験が存在することが多い。
対して「大人」になれば、また、社会に出れば、
いろいろなことに左右され、望む結果が得られる可能性が低くなるばかりか、
左右していく材料も増えていく。
乗り越えなければならないハードルも、高さを増す。

ベケットの「ゴドーを待ちながら」の中には、こんなセリフがあります。

「生きたというだけじゃ満足できない」
「生きたことをしゃべらなければ」


この辺に、昨今の「ブログ流行り」のキーがあるように、わたしは思います。
「しゃべる」ことで、「自分を助けよう」とするブログに出会うことも多い。
また、ブログ間の「交流」は、実生活の人間関係よりも、反応が早い。
アクセス数という、目に見えるフィードバックも存在する。
つまりは、「動けば動いただけのフィードバック」が存在する媒体でもある。
展開を「待つ」ことばかりに慣らされてきた「大人」には、新鮮な媒体かもしれない、とも思います。

ただし。
安易なトラックバックには、疑問は持ちますけどね。

個人ページと広告

2004年12月19日 | インターネット雑記
人がどうしようと、その人の自由だと思うのですが。
と、いうことで、あくまでもわたし自身の感覚として。

わたしは広告が貼ってある個人ページは、画面が汚い感じがして、自分ではやりたいと思わない。
広告がついている無料HPサービスは、あまり使いたいと思わない。
広告バナーは、たいがいにおいて、ギラギラしていて汚らしいと思う。
自分から自分のスペースに小遣い稼ぎの広告をつけようとするのは、品が無い感じがしてイヤだ。

gooブログは、広告が無い。
唯一ある「広告」と言えば、「gooですよ」というバナーがあるけれど、色彩として邪魔にならず、下品でもない。
「無料サービス」ながら、品が保てる感じがとても好き。

文字サイズの指定

2004年11月30日 | インターネット雑記
インターネット上には、年齢の壁ができにくい。
世代を越えて、同じページを見ていることがよくあります。

ただ。

30代の人間と、40代の人間との間にある、大きな「壁」がある。

はい、加齢による視力の衰えが出てくる現象、
老眼です。

早い人では、38~9から、こうしたことを言い始めます。

新聞読むのに、ピントを合わせる時間が出てきた
見えないことはない、
「離して見る」ほど、まだ顕著じゃない
でも、ピント合わせに、「よいしょ」という数秒がある


そして、だんだん見えなくなる。
40代の人間が集まると、老眼の兆しの話が、ごく当たり前に出て来はじめます。

わたしは現在、43歳。
ずっと両眼1,5だった視力が、2年ほど前から、両眼0.9になりました。
老眼の感覚を持つ前です。
知人の眼科医に聞くと、これも老視のひとつだと。
30代後半からの視力の変化は、老視の現れということなのだと。
そしてわたしの場合は、加齢によるピント調節機能の低下が、こうした形で現れているのだそうです。
ごく最近ですが、入浴剤のパッケージの小さな文字を読むのが困難になりました。
ネット上では、文字表示を今まで「小」に設定していたのが、ページによっては「中」が、目に楽になってきています。

以前、40代の方に相談されたことがあります。
文字の大きさが指定されていて、PCの表示の文字サイズの調整をしても、読むのがきついページがある、と。
その場合は、ということで答えたのが以下の通りです。

Windows版Internet Explorerの場合は
「ツール→インターネットオプション」メニューを選択し、
「全般」タブの右下にある「ユーザー補助」で、
「webページで指定されたフォントサイズを使用しない」にチェックを入れ、ページの文字サイズ設定を解除し、プラウザの「表示」で自分の好むレベルの文字サイズを選ぶ。


または、

ワードパッドを開いておき、「書式」でフォントのサイズを自分の読みやすいサイズに設定しておき、読みたいサイトの読みたい部分を適宜、このワードパッドにコピペで貼り付けて読む。

老眼といっても、老眼の傾向の開始という時期から、実際に眼鏡を使用する段階になるまでは、「年数」と言っていいほどかなりの時間があります。
その間に、どう「読みにくい目」をうまく使うか。
そんな工夫が、実は40代の人間が持たなくてはいけないことかもしれません。
そして、このことを知らないでページ設定をしている人も多いのだと思います。

さて、gooブログでもCSSの編集機能が始まりました。
むだづかい日記「CSSで遊んでます」

文字のサイズは絶対サイズではなく、相対サイズで指定したいものです。

に大きく賛同し、トラックバックです。

*追記*
上記の「二つのやり方」ですが、IEのユーザー補助の設定に関しては、こちらのページがわかりやすいです。
「Internet Explorerの設定」
ワードパッドを使ったやり方に関しては、暗い色地にわかりにくい文字色で、文字の大きさが固定という時に便利なようです。
こうした「読めない」「読みにくい」は、ブログ台頭以前に、よくカスタマイズできる掲示板において、起きていた話題です。
「加齢の兆候を感じ始める世代」は、自分の加齢の兆候に対してもまだまだ心理的に素直にはなりにくい。
その少し前の世代の人間に対して、「そのことが他人事にしか思えない世代」と思って、「黙って我慢」する傾向があるようで、なかなか表に出にくい話題でした。
インターネットが盛んになってきたのは、ここ数年のことですから、あと数年経てば、開始時期に30代だった人間に同様の感覚を持つ人間が出始めるので、少し傾向が変わるかもしれません。

「海の向こう」と「こんにちは」

2004年11月14日 | インターネット雑記
これはオランダ製の、「赤ちゃんお誕生記念」の壁掛けタイルです。
一番上に、子どもの名前が入ります。
後ろの壁の時計に、生まれた時間が入ります。
コウノトリが加えた赤ん坊の下に、
生まれた時の体重が入ります。
下の部分に、生まれた場所の名前が入ります。
木枠にセットされ、壁掛けになります。
サイズはだいたいですが、25センチ四方くらいです。

うちには、これが二枚、あります。
子どもが生まれた頃に住んでいたところの近所に
輸入雑貨の店があって、そこで注文しました。
取引のあるイギリスのお店に注文し、
そのお店がオランダの窯元に注文を出すということでした。
一枚、一万円でした。

おととし、友人のところに赤ちゃんが生まれることになって。
「お祝いに何が欲しい?」と尋ねると、
その友人が答えました。
「あのタイルが欲しい」と。

さあ、大変。
わたしが購入したお店は、すでに閉店していました。
(これはオランダのもの)
(そうだ、インターネットというものがあるじゃないか)

はい、探し出しました。
オランダにいらっしゃる日本の方が、
注文を受けて、販売されてました。
探し出したときは、事情があって、
販売休止状態になっていたのですが、
わたしの注文を皮切りに、また受注を再開されました。
(画像はこの時にいただいた、商品見本画像です)

「世界中から探し出してくれた」

と、友人はとても喜んでくれました。
インターネットに感謝です。
お値段は、商品価格、裏に贈り主の名前を入れる手数料、
そして送料含め、9千円でおつりがくる額でした。

商品受注のメールのやり取りの中で、
「子どもが生まれた喜びをずっと感じられる品」
というキーワードから、
母親でもあるその方と、
「生まれた喜び」に関してのお話を交換したりしました。
お話を交わす中で出てきた、
「クロッカス休暇」という言葉に、
オランダを感じたりもしました。

5月に行われた第28回日本ホビーショー
これに、この方は、
オランダのヒンダーローペンの作品紹介で出展されました。
招待券をいただき、家族でこのイベントに出向き、
うちの二つの「生まれた喜び」の生きた姿を前にして、
会話を交わす機会にも恵まれました。
とても楽しかった。

海を越えて、世界をつなぐインターネット、
無限の可能性があると改めて思うことの一つです。

~商品宣伝ということではなく、
単に興味を持たれた方のために~
オランダ製手描きタイル

gooブログのアクセスランキング

2004年10月13日 | インターネット雑記
10/12(火) 846pv 89位

これがgooブログのカウントした、
わたしのところの昨日の数字です。

はあ?という感じです。
なんせ、編集画面に表示される
「過去4週間の閲覧数」というのが以下の通りですから、
昨日の異常さというのは突出しています。

10/03~10/09 1403pv
09/26~10/02 1038pv
09/19~09/25 1097pv


昨日は、更新をしました。
二つのgooブログを行き来していました。
TBが3つ、つきました。
でも、昨日頻繁に行き来した二つのgooブログよりはるかに数字が多いこと、
「異常」としか、言いようが無い。

数字自体を大雑把に言えば、
更新が無ければ100から150
更新があれば200から300。
それが「日常」のペースです。
ちょっとした非日常的な動きがあったときに
400以上ということもありましたが、
それはあくまでも「非日常」という状況で、
その理由自体も、薄々、認識ができるものでした。
昨日がもしも、その「非日常」だとしても、
行き来した二つのブログの数字を見れば、
こちらだけ800を超えることなど、あり得ないと思うのが自然だと思う。
もしも、もしも過去ログをいくつも開いた人がいたとしても、
そうした方が、複数名いらっしゃらなければ出ない数字ですし、
そうした方が一日に何人もいるはずがないとも思います。

考えたくはないことだけれども
gooのカウント数を計算するシステムに対して、
意図的に操作した方がいらっしゃるのか。
その意図とは何なのか。

もしもどなたかの作為的な行為が少しでも入っているものならば、
充分、驚きました。
目的は達成されたと思います。
一つの経験として、受け取らさせていただきます。

「二重カウント防止」策の導入をというお願いを込めて、
gooスタッフブログアクセスランキングについての最新記事にTBです。

インターネットと女性たち

2004年10月09日 | インターネット雑記
「女の人生」というものは、20代はまだまだガキだと思う。
若木の美しさ、命が萌える美しさはあるけれど、成熟と呼ぶにはまだまだ小娘だ。
女性が美しさに味わいを加え始めるのは30代からだと思う。

30代の始まりを「オバサン」と自ら呼ぶか、
精神の前進を意識するか、
その美しい時期をどう過ごすかで、
30代の後半以降が美しいものになるか醜いものになるか
残酷なまでにはっきりと決まっていくと思う。

30代からは、女の人生に「性」が大きく絡み始めるケースというものが出始める。
自分の自尊心、アイデンティティ、
そういった精神的な根源というものにまで影響してくるケースも珍しくない。
夫婦やパートナー間において、
したいの、したくないのと、
したいのに拒絶されるの、したくないのに強要されるのといった、
安定した関係と性ということに問題が出てくるケースが増えていくし、
ヨソでするの、ヨソでされたのと、
浮気、不倫、離婚、婚外子の問題等、
大騒ぎになってくるケースも少なくない。
こうしたこと全てのケースに関して、
女性というものは、自分の価値ということに持っていき、
精神的な極限に、自ら追い込まれていく。

往々にして、女というものは、
「聞いて、聞いて」と、自分の人生に対してギャラリーを求める。
吐いて、聞いて貰って、その上で自分を見つけて安定していく傾向がある。
ただ、コトに「性」がからんでくると、
リアルな人間関係に、なかなか「聞いて聞いて」をやることができなくなる。

ここで、インターネットというものは、
大きな力を発揮すると思う。
ネットに吐き出し、思考し、暗黙のうちに励まされ、
精神の洞窟から抜けだしていく人が、ネットのあちこちで棲息している。
「答え」や「解決策」は、自分で見つけていくしか無いことはたくさんある。
ネットに向かって吐き出しながら、
「その先」を見つけていく女性がたくさんネットには棲息している。
ネット上で何人も、そうした女性たちと出会い、
また、思い悩むリアルの友人に、
「吐き出す」サイトを作ることをすすめたりしてきました。

たいして、巡回の時間を取れないまま、
新しいところを見つけることは偶然に近いところがあるのだけれど、
ブログという場にも、そうした女性たちを見つけたりもし、
コメントを入れずとも、アクセス数に「自分を見守る他者の存在」を感じて
洞窟から抜け出す小さな力にしてくれたら、
などと思っていたのですが。

気づいてみたら、そうしたサイトのひとつが消えていました。
彼女は元気なのでしょうか。
サイトの削除が事件によるものではないことを心から祈りつつ。

ブログでも、HPでも、コミュニティサイトでも、日記サイトでも、
自分に合うアイテムを上手に選びつつ、
ネットを自分が自分として生きることを見つけるアイテムにして欲しいと思う。
安易なコメントはとてもつけられないけれど、
アクセス数という数字の中に、
「見守る応援」を感じていて欲しいと思う。
わたしはそうしたサイトの女性たちを、
インターネットに棲息する、「自分」を見つけようともがく女性たちを
心から、応援したい。

「夫のうわき日記」『いやー』にトラックバックです。

*追加TB
「Women's Blog」『楽しい』

インターネットって、すごい

2004年10月05日 | インターネット雑記
わたしの姉は、オーストラリア在住です。

2年ほど前のある日のメール。

姉の息子、つまりわたしの甥っ子が、
レゴのあるシリーズを集めている、と。
ただ、どうしても買えないものがあるのだと。
シリーズの中のソレは売り切れで、すでに製造も終わっていると。
製造元に問い合わせると、
「どこかの店で在庫をさがすしかない」と言われたと。
近辺ではどこにも売ってない。
「どこかの店」ということで、
そういや日本だって、「どこかの店」に入るじゃないかと思ったと。
ついてはアンタんとこの家の近くで
「○○」は売ってないか、さがしてくれ、と


(国境越えてるぞ?)
(こりゃ、そこら中の店、さがさなきゃならないのかなあ)
と思いながら商品名を聞きましたが、
ウチの子たちはレゴには興味を持たなかったので、
わたしには、わけがわからん、です。
とにかく商品名をメモして、
「パッケージはこんな感じ」と聞いたことを頼りに、
まあ、さがそうかな、と、思ったわけで。

(トイザらスにはあるかなあ)などと思いつつ、
まあ、ものは試しに、と、
まずはスーパーとしては立地が一番近所であるダイエーに行きました。

・・・あった
・・・こんな簡単に見つかっちゃって、いいわけ?

半信半疑なので、早速、携帯で写真を撮りました。
そして、それを写メールで送りました。
「コレでいいの?」
姉、即レス
「もうちょっと大きく、全体表示で撮って」
「・・・・」 再送
姉、即レス
「それ、買って!」

平日のスーパーの子どものいないおもちゃ売り場の片隅で、
写真撮ったり、メール打ったり、
かなりアヤシイですよ、端から見てたら。

でも、コレ、

南半球と会話してるんですよ!?

すごくないですか?
日常的な場所で、出くわしたご近所さんとご挨拶など交わしながら

指先で南半球と交信

すごいですよねえ。
インターネットって、すごい!

モノ? 送りましたよ、
他にもいろいろ詰めて、「船便」で。。。

インターネットは便利だ

2004年10月03日 | インターネット雑記
昨日、地域のイベントに行って来ました。
ステージの催しの一つに
ブラジルのアシェ・ダンスのグループのステージがありました。
ダンスを披露し、そして観客をステージに上げてダンスのステップを教え、
一緒に踊るというもの。
ブラジル人の飛び入りも多く、楽しいステージでした。
うちの娘もステージに飛び入り参加をし、飛び入りのブラジル人の方と一緒に踊っていました。
このチームの方にその場でメール・アドレスをお渡しし、
その夜には、いただいたメールからこのチームのHPを開き、
また、こちらで撮った写真をメール添付でお渡ししました。

インターネットは便利だ

と実感するのは、こんな時でもあります。
立ち話でちょっとする話を、その夜には自宅で大きく広げられ、
また、写真もすぐに現像等することなく、先方にお渡しすることができる。
迅速に行動することが可能になること、
また、そのために負担する出費が特に存在しないすごさというか。
こんなこと、10年前じゃ考えられないことだったと改めて思う。

また、わざわざカメラを携帯していたのではなく、
携帯電話のカメラであり、
また、これが200万画素カメラだというのも、
数年前じゃ考えられなかったと思う。
しかも、娘が踊るステージは、携帯の「ビデオカメラ」で撮りました。
MPEGやNancyの「動画」ではなく「ビデオカメラモード」。
すごいぞ、偉いぞ、V602SH

インターネットも携帯電話も
その機能はチャンスを生かし、
実生活を豊かに広げてくれるものでもあるなあというのが実感です。

雑記

2004年09月27日 | インターネット雑記
今、何かと話題のlivedoorですが。

4年ちょっと前の数ヶ月ほどの間、わたしは無料接続プロバイダのサービスを運営していたlivedoorを、接続プロバイダのひとつとして使ってました。
ISDNのダイヤルアップ接続の定額コースで、プロバイダも一定時間後、従量制の契約だったので、その定額分をはみ出さないように、無料接続プロバイダとして、livedoorを使っていたのです。

専用の接続ソフトをダウンロードして、そこから接続をする。
こ~れ~が~、まあ、なかなかつながりませんで。
特にテレホに突入する23時以降は不可能でした。
結局、すぐにケーブルに変更したので、使わなくなりました。

接続プロバイダとして使っていたので、livedoorのHPサービスも使ってました。
ここのHPの一覧リストには、なかなかおもしろいサイトもあったなあと。
やがて「HOOPSにサービスを移管する」とお知らせがあって、livedoorからこのサービスは消えました。

その後、常時接続がやや、当たり前の時代が到来し、livedoorも無料接続プロバイダというサービスから現在のサービスへと変化していきました。
わたし自身はすっかりlivedoorとは縁が切れていたのですが、またご縁が復活。
きっかけはこちらです。
1000万円が1本、1万円が1000本当たる!
総額2000万円の「お年玉付き年賀グリーティングカード」


プレスリリース版

友人から、この年賀カードをいただきまして。
この企画にエントリーするためには、livedoorに登録が必要だそうで。
つまりは、この企画、livedoorの登録者獲得のキャンペーンなのだなと解釈。

で、以前のユーザー登録IDを使ってみましたが、すでに抹消済みだったので、再びlivedoorに新規登録。
そして結果ですが。当たりました!一万円。
この当選金を受け取るためには、今度は、イーバンクに口座を開くことが必要になります。
口座開設の手続きをしながら、ああ、この企画は「イーバンクlivedoorブランチ」という新サービスのキャンペーンだったのだなと解釈。
そもそもこの企画、空くじ無しでしたし。
末等は「10円」が当たる、つまり登録した人全員に、少なくとも10円は、その口座開設の入金のために用意されていたというわけです。

しかし、この受け取りのためにイーバンク口座を開こうとすると、イーバンクのページに、「告訴」という言葉を使った、livedoorを批判する文章が載っていました。
イーバンク側とlivedoor側との、なんだか妙な展開が出てきていたようで。
どちらがどう悪いのかわかりませんが、脅迫電話があったのなかったのと、その展開はけして穏やかな内容とは言えないものでした。

しかし、この年賀カード企画、総額3千万円以上が「当選」という形で動く企画で。
そのことになんかビックリしたのですが、livedoorとしては勝算アリの投資としての企画だったのでしょうけれど、
企画直後にこうしたもめ事が出てくるというのはどういうことなんだろうと、
少なくとも、わたし個人にとっては、企業イメージを落とした一件ではありました。

報道番組の中でのlivedoorに対する同情評を見ながら、
本当に本当に、小さな声で、「でもね」という気分であります。

大森信和氏を悼む

2004年09月26日 | インターネット雑記
~2004,7,5
 甲斐バンドのギタリスト大森信和さん、逝去~

7月だったのか、と思う。
知らなかった、と、愕然とする。
でも、インターネットは便利だ。
本当に便利だと思う。
検索すると、どんどん情報が出てくる。
訃報を伝えるご本人のお嬢さんの言葉が出てくる。
心からの悼みの文章を綴った個人のサイトがたくさん出てくる。

13の時に、甲斐バンドがデビューし、好きになって。
14から、大切にレコードを買い始めて。
シングルもLPも、発売日を本当に待ち望んで買い集めた。
15の時からは、ライブハウスやコンサートにもよく行った。
17の時に出たSEIKOのCMに使われた曲が大ヒットになり、
でもこの曲が「え?」って言うほど自分の好みに合わなくて。
なんとなく、ちょっとずつ後ずさり。
その後、その曲からどんどんチケットが入手できなくなっていく。
18の時に、やっと取れた武道館のチケットはステージから、とっても遠くだった。
遠くに見ながら、自分の10代の時期の変化も感じていたあの日の武道館。
19の時に、新宿の都庁建設予定地で大きな野外コンサートがあって、
興味はあっても、必死にチケットを取ろうとするエネルギーはすでに無く、
その上その時のわたしの関心は、「彼ら」よりも「彼氏」だった。

なんてことを思い出しながら、古いCDを引っ張り出して聞いています。
そして、検索で出てくる個人のサイトに、自分も参加しようと思います。

新宿ルィードや、中野サンプラザ、渋谷公会堂、
すぐそばで見たあなたの笑顔を、わたしはきっと忘れない。
コンサートでのあなたのギターを、わたしはきっと忘れない。
10代のひりひりとした自分の青臭さと共に、きっと忘れないと思う。
ありがとう、さようなら、どうぞ安らかに。

*追記*
gooBLOGの検索機能から見つけた「合掌」にTBです。

ネットの中のいい人と悪い人

2004年09月13日 | インターネット雑記
今日のわたしに感じるモノ、大きくあって、
ネット上での人格 その2 から、トラックバックいただきです。

今日、わたしは、自分が日常的に出入りしているサイトの掲示板で、
ある投稿を入れました。
入れる前に、
(ここに来るのも最後かもしれない)と覚悟を決めました。

スレッドは「泣き記事」です。
流れとして求められているのは「慰め」です。
しかし、わたしは「叱咤」を入れました。

理由は、「納得いかなかった」から。
スレ主がネットの友達から「慰め」が欲しいのはわかる。
でも、このスレッドの文章では、
大事なとこを突っこんで考えているとはわたしには思えなかった。

自分が起こしたことには、
その失敗の中からきちっと自分で拾わなくてはいけないことがたくさんある。
その手伝いをするならば、いくらでもしたいと思う。
でも、そのスレッドのその状態は、慰めを求めていて、
他の人がどうであれ、
わたしには「そうよねえ」とは言えないレベルだったというか。

実生活だったら、目の前でこの話を聞いたときに、
タイミングを計った短い質問で、相手の思考を誘導できたと思う。
肯定できない表情というのを暗に出すこともできたと思う。
そうやって、傷つけずに言えるし、出せる可能性が、まだある。
「もうちょっと考えてみようよね」と。

でもネット上では、反応しないか、肯定する言葉かけをするか、
肯定する言葉かけの中に、否定をちょろっと混ぜるか。
否定をちょろっと混ぜたら、それ以上にフォローの表現も入れるか。
そういう曖昧な線にとどめてしまうことが多いと思う。
肯定しないという態度を出すときに、
結局、文字と文体は強いものになりかねないから。
これを伝えきれる自信がなくて、
曖昧なものに逃げて生まれていく「いい人」ってのはいるんじゃないかと、
ネットでの会話を見ていると、そう思う。

結局、ネット上には「いい人」が増えていくような気がする。

でも、それは本当に「いい人」なんだろうか。
その疑いを持つと共に、
ネット上で「悪い人」にされる人にも、疑問を持つ。

ネット上で「悪い人」にされやすい人に、変換器をつければ、
かなり「悪い人人口」は減少すると思う。
変換機とは、こんなもの。
「○○だ」→「○○だと自分は思うのですがどうでしょうか」
「ここで○○するのはまちがっている」→
「ここで○○することには賛成出来ない人が多いと思います」
あら、意外と簡単。

もちろん、こうした配慮ってのは、
不特定多数に対してのコミュニケーションにはとても重要だと思う。
わたし自身、こういう観点の表現を意識して使うことは多いと思う。
でも、本当はどうなんだろうか。
自分が「読む」上では、実はたいしたポイントにはなってない。
むしろ、断言の多い文体は、堂々と向かい合おうという気になる。

その中で、わたしにとって、もっと大きなポイントは
相手の出して来るものの中で
どんな時に、どんなことを言って、どんなことにゆずれない気持ちを持つのか
そういうこと自体の方が、相手を知る要素は大きいと思う。

そして、そうやって見つけた「人格」がわたしには貴重ですよ、
ネットという媒体を操る中で人と知り合っていくという意味でね。

さて、今日の「結果」。
スレ主さんは、わたしの叱咤に、誠実に応えてくれました。
スレ主さんが負の経験の中で知ったものを教えてくれました。

しっかと直球をキャッチしてくれたことに、大きく感謝をした今日でした。

アクセス数とランキング

2004年09月04日 | インターネット雑記
「goo BLOG」はトップにカウンタがつけられない。

自分で認識するアクセス数は
編集画面から見る「アクセス状況」だけですね。
この数字、見ると推測できることがありまして。

「二重カウント防止がされていない」

つまり、自分が自分のブログを更新するだけで、
かなりのカウント数が出てしまう。

また、全文表示にするかしないかという選択ができますから、
全文表示にしない場合は、
する場合より、カウントが上がる。
つまり、
トップを開いて「1」。
更新記事を一行読んで、それを開くと「1」。
コメントを入れると、更新されて「1」。

意味の無い数値がどんどんついていく。

数値をきちんと知りたい人には、
少し迷惑な状態なのではないかと。

カウンタをつけられる状態にして欲しいですね。
二重カウントを防止するかしないか、
持ち主が決定権を持つことができますし。
画像貼付ということになりますが、
単純な数字程度のカウンタなら、
せいぜい、2000バイトほどなんではないかと。
いや、フリーのカウンタで広告表示が出るものなら、
もう少しいってしまうかな。
gooに広告表示はまずいのかな。
でも、ありますよね、
フリーでも広告が出ないものは。

また、
二重カウント防止がされていないということは
自分が更新キーをただ連打するだけで、
アクセス数は意味も無く上がっていくということで。
カウンタがついていない状態で、
意味もない自分での更新をくり返しても、
ランキングには登場できるシステムになっているようで。

アクセスランキング、
これを見ると、
今、人気のあるところがわかる目安にはなります。
でも、あくまでも「目安」なんではないかと。
数字のカウント方法に関して、何の記載もありませんし。
それで、わたし自身は、
このアクセスランキングのリストから飛んだことは
ほとんど無かったんですよね。
もっぱら、ブログ内検索に、
自分に関心のあるワードを打ち込む方法ばかりで。

思うところあって、
今日、アクセスランキングから、
いくつか飛んでみました。

み~つけたっと。
お気に入りに登録っと。
おお、なかなか役に立つではないですか、
アクセスランキング。
見つけられたことは、かなり楽しいです。
そこが更新されていくことは、わたしにとって、
日常の小さな喜びになるでしょう。

見つけたのは、単なる日記ではなく、
コンテンツのはっきりしたところ。
そう、ごめんなさい、
わたしは知らない人の単なる日常には全く興味は無い。
関心のあるのは、そこにコンテンツがしっかりあるものなんですよね。

アクセスランキング、
それは自分が興味があるところを
もしかしたら見つけられるかもしれないツール。
それ以上の意味は、わたしにはあまり無いんですよね。
自分のランキング入りと、その数値のために、
更新キーを連打している人には申し訳ないのですけれどね。

大事なのは、訪問した時に出会ったものと
その出会ったものとの「その先」なので。