インターネットの向こうには「生きた人間」がいる。
でも、時々思うことは、相手に対して「生きた人間」という想像力が乏しくなってしまうことが起きるのもインターネットなのではないかと。
明らかに悪意がわかる「通りすがり」さんもそのひとつだけれども、でもそうしたものは悪意というものが見える分、わかりやすい。
困惑を与えられるというケースが、熟慮というものが見えないトラックバック。
そして、未知の人からのメールというものもある。
わたしは自分が管理する掲示板にメールアドレスを載せているので、こうしたものが時々迷い込む。
もちろん、明かなスパム以外は、きちんとした態度で送ってこられる方が多いのだけれど。
一番困るのは「教えてください」という情報提供を望む類のもの。
送信者自身の提供する情報があまりにも少ない状態で「教えてください」と言われても、正直とても困惑します。
特に、送信者がフリーのアドレスではなく、プロバイダのアドレスの場合、その困惑は余計に増加します。
プロバイダのアドレスが使われている時点で、いたずらではないと判断する。
そうすると、相手と向かい合う上での「困難さ」が露見してしまう。
「教えてください」という、あなたの知りたいことに関して、現在までにおいてあなたはどうされましたか?
どう考えましたか?
動くことを何かやってみたりはしましたか?
あなたはそのことに対して、精神的にどのくらいのエネルギーを使われましたか?
結局、ここがキーなんですよね。
インターネットは情報をすぐに入手できる便利なものではあるけれど、メールのその相手は「便利な検索サイト」ではありません。
「生きた人間」がそこにいるわけで。
先日、わたしにメールを下さった方。
あなたの思うようなお返事を、わたしから受け取ることができなかったかもしれません。
でも、上記の「キー」になること、もしもあなたがきちんと答えてくださるならば、答えてくださる行動というものが重ねることができたならば、きっとあなたに道は開けていくと思います。
それがあなたのために一番いいことなのだと思います。
その上で、微力でも、わたしにできることがあるならば、できる限りのことを提供することを惜しみません。
その覚悟があるからこそ、自分が管理する掲示板というものにメールアドレスを表記する。
そのために来るスパムよりも、そこで入ってくる「そのアドレスを必要とする人間の可能性」を選択しているからです。
あなたにとって、「優しい言葉が羅列される返信」ではなかったかもしれないけれど、わたしは表記名に実名記載のアドレスで返信したこと、そのことの誠意というもの、伝わればいいなと思っています。
でも、時々思うことは、相手に対して「生きた人間」という想像力が乏しくなってしまうことが起きるのもインターネットなのではないかと。
明らかに悪意がわかる「通りすがり」さんもそのひとつだけれども、でもそうしたものは悪意というものが見える分、わかりやすい。
困惑を与えられるというケースが、熟慮というものが見えないトラックバック。
そして、未知の人からのメールというものもある。
わたしは自分が管理する掲示板にメールアドレスを載せているので、こうしたものが時々迷い込む。
もちろん、明かなスパム以外は、きちんとした態度で送ってこられる方が多いのだけれど。
一番困るのは「教えてください」という情報提供を望む類のもの。
送信者自身の提供する情報があまりにも少ない状態で「教えてください」と言われても、正直とても困惑します。
特に、送信者がフリーのアドレスではなく、プロバイダのアドレスの場合、その困惑は余計に増加します。
プロバイダのアドレスが使われている時点で、いたずらではないと判断する。
そうすると、相手と向かい合う上での「困難さ」が露見してしまう。
「教えてください」という、あなたの知りたいことに関して、現在までにおいてあなたはどうされましたか?
どう考えましたか?
動くことを何かやってみたりはしましたか?
あなたはそのことに対して、精神的にどのくらいのエネルギーを使われましたか?
結局、ここがキーなんですよね。
インターネットは情報をすぐに入手できる便利なものではあるけれど、メールのその相手は「便利な検索サイト」ではありません。
「生きた人間」がそこにいるわけで。
先日、わたしにメールを下さった方。
あなたの思うようなお返事を、わたしから受け取ることができなかったかもしれません。
でも、上記の「キー」になること、もしもあなたがきちんと答えてくださるならば、答えてくださる行動というものが重ねることができたならば、きっとあなたに道は開けていくと思います。
それがあなたのために一番いいことなのだと思います。
その上で、微力でも、わたしにできることがあるならば、できる限りのことを提供することを惜しみません。
その覚悟があるからこそ、自分が管理する掲示板というものにメールアドレスを表記する。
そのために来るスパムよりも、そこで入ってくる「そのアドレスを必要とする人間の可能性」を選択しているからです。
あなたにとって、「優しい言葉が羅列される返信」ではなかったかもしれないけれど、わたしは表記名に実名記載のアドレスで返信したこと、そのことの誠意というもの、伝わればいいなと思っています。
けど、しちゃお^^
S嬢さんの深旨な姿がここにある。
S嬢さんの生きる姿勢がこの文章にある。
この困惑したメールにも、
その中で精一杯読み込もうとする。読み込める。
頭が良くて、お人好し、頑張る、頑張らない、
(って言ったら怒られるかなぁ。表現は難しい(笑))
なS嬢さんがいる。
助けて~。という時に
余裕はないかもしれないけど、
まず、
S嬢さんのこのBlog。
それから、S嬢さんの別のHP。
それから、
気になったら、S嬢さんのコメント
全部読んでみたら、
その中だけで、答えは、案外あると思う。
(だって、凄いもん(笑))
教えて~。は
その中に答えがなかったのかな?
それとも見つけられなかったのかな?
この文章もS嬢さんの誠意いっぱいの
フォロー文。
外から見るあたしはそう思う。
p.s.
無責任で勝手なこと言っちゃった!
ここと反する?(笑)こと書いてるので
URLどうしようかと思ったけど(笑)、
このコメントを読む人に
通りすがりと思われてもイヤだなぁと思ったので、
一応、入れといた。
やばかったら、コメントごと消しといて~S嬢さん
身体に障害のある方。
顔面に少々の麻痺と、言語障害がある。
異性にまともに相手にされないできた心情をめんめんと訴え、一度食事を一緒にして欲しいと。
個人情報も添えてね。
わたしが応えることではないと、丁寧にお断りさしあげました。
この方に直接言いませんでしたが、日本の障害者運動を支えてきた「女性の」肢体不自由者の方々、たいがい、ものすごくかっこいい男性と恋愛されてるんですよね。
それもお相手が10歳以上下だったり。
相手の障害の有無というものも関係なくね。
あと、こんな所もあって。
http://sports.cocolog-nifty.com/ototake/2002/10/post_3.html
大胆な言い方だけれど、「手も足も無い男を砂糖の安売りにかり出す」。
いいじゃないですかねえ、この光景、と思う。
「障害」という「事実」の上に、どう「二次障害」を作っていくかは、実は本人にかかっているんじゃないかとも思う。
必要なことがきちんと出されていない「教えてください」ってのも、これと似てる。
それとコレ。
>この困惑したメールにも、
その中で精一杯読み込もうとする。読み込める。
頭が良くて、お人好し、頑張る、頑張らない、
人は、いろいろな個性を「与えられて」いるものだと思うのですよ。
その中に、生きている上で超えていくための「便利な道具」をそれぞれに「持たされて」いるのだと思う。
その「便利な道具」は、その人によって、千差万別、多種多様。
それを個々で使っていたらもったいないので、是非使い回しをしましょうよ、というとこがあって。
で、自分が持っている「便利な道具」を提示して、それを共有して使うことに対して厭わないってトコです。
わたし自身もいろいろな人の持つ個性の中の「便利な道具」をたくさん貸してもらって生きているわけだしね。
>いいじゃないですかねえ、この光景、と思う。
うん。
皆、それぞれ。だしね。(笑)
ありがとう。
また1つ。ここで、S嬢さんが出た。
あぁ。全部読めば。元から出てる。と思うけど。
ここしか見ない。
あたしも含めて。
そういうヒトに。(笑)
いや、真面目な話、
ネット上に出す「言葉」に対して、「姿勢としての一貫した線」ってのは、ずいぶん前に、腹くくったトコ、あります。
自分が関わるID、ずっと同じので通してるんですよね、わたし。
だから、「satomies」ってID使うと決めた時点で、覚悟と緊張感ってのは、あるなあと思う。
別のID取ったものは「アソビ」ですけどね。
ブログもねえ、考えたんだなあ、このID使っていいかなあって。
いや、gooですでに取ってあったIDだったので、まあいいや、と。
ブログのために、どこかID起こすほどの気は、実は無かったです。
っつ~ことで、ヨロシクです。