~2004,7,5
甲斐バンドのギタリスト大森信和さん、逝去~
7月だったのか、と思う。
知らなかった、と、愕然とする。
でも、インターネットは便利だ。
本当に便利だと思う。
検索すると、どんどん情報が出てくる。
訃報を伝えるご本人のお嬢さんの言葉が出てくる。
心からの悼みの文章を綴った個人のサイトがたくさん出てくる。
13の時に、甲斐バンドがデビューし、好きになって。
14から、大切にレコードを買い始めて。
シングルもLPも、発売日を本当に待ち望んで買い集めた。
15の時からは、ライブハウスやコンサートにもよく行った。
17の時に出たSEIKOのCMに使われた曲が大ヒットになり、
でもこの曲が「え?」って言うほど自分の好みに合わなくて。
なんとなく、ちょっとずつ後ずさり。
その後、その曲からどんどんチケットが入手できなくなっていく。
18の時に、やっと取れた武道館のチケットはステージから、とっても遠くだった。
遠くに見ながら、自分の10代の時期の変化も感じていたあの日の武道館。
19の時に、新宿の都庁建設予定地で大きな野外コンサートがあって、
興味はあっても、必死にチケットを取ろうとするエネルギーはすでに無く、
その上その時のわたしの関心は、「彼ら」よりも「彼氏」だった。
なんてことを思い出しながら、古いCDを引っ張り出して聞いています。
そして、検索で出てくる個人のサイトに、自分も参加しようと思います。
新宿ルィードや、中野サンプラザ、渋谷公会堂、
すぐそばで見たあなたの笑顔を、わたしはきっと忘れない。
コンサートでのあなたのギターを、わたしはきっと忘れない。
10代のひりひりとした自分の青臭さと共に、きっと忘れないと思う。
ありがとう、さようなら、どうぞ安らかに。
*追記*
gooBLOGの検索機能から見つけた「合掌」にTBです。
甲斐バンドのギタリスト大森信和さん、逝去~
7月だったのか、と思う。
知らなかった、と、愕然とする。
でも、インターネットは便利だ。
本当に便利だと思う。
検索すると、どんどん情報が出てくる。
訃報を伝えるご本人のお嬢さんの言葉が出てくる。
心からの悼みの文章を綴った個人のサイトがたくさん出てくる。
13の時に、甲斐バンドがデビューし、好きになって。
14から、大切にレコードを買い始めて。
シングルもLPも、発売日を本当に待ち望んで買い集めた。
15の時からは、ライブハウスやコンサートにもよく行った。
17の時に出たSEIKOのCMに使われた曲が大ヒットになり、
でもこの曲が「え?」って言うほど自分の好みに合わなくて。
なんとなく、ちょっとずつ後ずさり。
その後、その曲からどんどんチケットが入手できなくなっていく。
18の時に、やっと取れた武道館のチケットはステージから、とっても遠くだった。
遠くに見ながら、自分の10代の時期の変化も感じていたあの日の武道館。
19の時に、新宿の都庁建設予定地で大きな野外コンサートがあって、
興味はあっても、必死にチケットを取ろうとするエネルギーはすでに無く、
その上その時のわたしの関心は、「彼ら」よりも「彼氏」だった。
なんてことを思い出しながら、古いCDを引っ張り出して聞いています。
そして、検索で出てくる個人のサイトに、自分も参加しようと思います。
新宿ルィードや、中野サンプラザ、渋谷公会堂、
すぐそばで見たあなたの笑顔を、わたしはきっと忘れない。
コンサートでのあなたのギターを、わたしはきっと忘れない。
10代のひりひりとした自分の青臭さと共に、きっと忘れないと思う。
ありがとう、さようなら、どうぞ安らかに。
*追記*
gooBLOGの検索機能から見つけた「合掌」にTBです。
僕が中学のときに加入したバンドで、初めてステージでピアノを弾いた曲が「バス通り」でした。
あまりにもそれが恥ずかしかったため、甲斐バンドの音楽はほとんど聴いたことがありません。洋楽小僧だったもので。
(レスを下さる場合は、お手柔らかにお願いしますね。)
このエピソードで、要するに「世代バレ」ですね、多分。
「バス通り」はフォーク系のデビュー曲で、
まあ、恥ずかしいっちゃ恥ずかしいというか。
というよりね、この時期、
男性にとっては、「甲斐バンドが好き」って言うのは、
恥ずかしい部類に入ってました、よね。
わたしの世代でも、男性からは、ちょっと、
「ははは」的な扱いはあったかと。
わたしより数年あとの世代から、出てくるんですよ、男性のファン。
だから、同世代や、ちょっと上の世代の人相手に
「甲斐バンドが好きだった」って言うのは、
かなり恥ずかしいですよ。
ところが、数年後の世代の人間には、
この「恥ずかしさ」はわかんないみたいですよ。
甲斐バンドってのは、わたしの勝手な解釈では、
何回か変化してますね。
一枚目の「らいむらいと」は、確かに「気恥ずかしい」ところがあるものだった。
二枚目の「英雄と悪漢」。ここから甲斐節の「泥臭さ」が
始まる。
この二枚目と三枚目の「ガラスの動物園」は、
甲斐よしひろの福岡時代と東京生活の開始の心境というのが
泥くさ~~く、展開されていくんですよね。
この時期の彼のこの泥臭さと、わたしの10代の思春期の心境とが
見事にシンクロしたというか。
この頃、洋楽ブームでしたよね。
周囲は洋楽ファンだらけだった。
で、シンコーミュージックが洋楽雑誌をばんばん出してて。
「ロックショー」という雑誌の編集長と甲斐氏が結婚するんですが。
この恋愛時代と新婚の時期の曲が、
個人的好みとしては、「ひどい」と思ってました。
ひりひりするものがなくなって、
つまんないすかした感じばかりが目立ってきて。
クサイ曲も増えてきていて。
ただ、詩にリアル臭さが薄くなっていった分、
音が変わっていくのですが。
その後、結婚生活は破綻。
甲斐氏の精神生活というのは、周囲から目もあてられない悲惨さ
だったようで。
そしてまあ、勝手な言い方でいえば、
名曲「破れたハートを売り物に」という曲が生まれていくわけです。
この曲を聴きつつ、
わたしは甲斐氏の「破れたハート」を買ってたんだなあと、
思いましたねえ。
彼がしあわせな時期にそっぽを向き、
不幸になった途端、
その不幸から生まれたものに、また飛びついたというか。
観衆というものの「毒」を自分に感じますよ。
(お手柔らかに、と書いたのに。)
聴いたことのない音楽について、語られても
わけがわからないですから。
対抗できるネタをもって、出直してまいります。
さようなら。
お気に障られたのなら、ごめんなさい。
先ほど、kenさんのところに飛んで、
「music」のカテゴリを読んで、楽しませていただいていました。
それでは。
S嬢はかなり 夢中だったんですね。
レコードが磨り減るぐらい聞いたのは私です。
ま、20年以上前の話なんですがね。
甲斐バンド、ねぇ。
25時の追跡で、甲斐君が足を引きずりながら
逃げるパフォーマンスとか。
うん、懐かしいですね。
青春でした。
自分のバンド連中しか書き込まないブログなんで、何か変な感じと思いつつ嬉しかったです。
んでは。
しかも、駅から徒歩5分。
そして、中学から私学に行ってたので、
小学校を卒業後、すぐに、毎日新宿通って学校行ってたんです。
私学の子って、電車で街に出ることに慣れてるし、
受験は無いからやたらに自由だし、
ってことで、
ライブハウスやら、コンサートやらって行き始める年齢層が
多分低いと思う。
そういう「ナマ」を見られる機会が多い分、どっぷりいくかもしれない。。。
だから、リンクというか、TBネタではあったんですが。
>自分のバンド連中しか書き込まないブログなんで、何か変な感じと思いつつ
コレ、わたしも感じましたのでね、ほぼ丸一日、悩んじゃいました。
悩んでたら、読破しちゃいましたよ、全て。
多分、アクセス数が異常に上がってたんじゃないかと。
読破ですが、
とても素直に、おもしろかったです。
あと、お体、ご自愛くださいませ。
では。
私が大学時代には甲斐バンドの曲を幾つかコピーして演奏した経験もあります。とりわけ「きんぽうげ」の間奏における、大森さんのリードギターは出色だったと思います。