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S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

王様の耳はロバの耳

2005年05月26日 | つぶやき
「言っちゃいけないことを、言ってみたい」
「言っても仕方のないことを、言ってみたい」

こういう「欲」って、ありません?
しちゃいけないってこと、したくなる、というか。
したってしょうがないことを、したくなる、というか。

同意求めてどーすんだ、
と言われても困るのだけど。

つい、「道楽」をひとつ。
いや、ホント、単なる「道楽」。

はてな利用 「S:今日の一言

「パレアナ」を呼ぼう

2005年05月23日 | つぶやき
今週の土曜日は、二人の子どもの運動会で、翌週の月曜日は二人とも運動会の代休。
そして水曜日は娘が通う養護学校の創立記念日でお休み、木曜日は横浜開港記念日で二人とも学校がお休み。
金曜日は息子が通う小学校の創立記念日で学校がお休み。
飛び休だけれども、このお休みばかりの週に、TDLでも行ってこようかとも思っております。
この時期は「神奈川県民感謝デー」で、割引優待があるしね。

ああ、よかった。
来週、わたしが忙しくなくて。
ヤツらに充分、時間を使ってやれるわ。
もしも、わたしが自分の用事等で留守番の週だったら、かわいそうだったわ。
ああ、よかった。
気候もよくて。

いや、実はね、
今日の「収穫」で面接に行った先から、今日、封書が届きましてね。
封筒、手にした途端にわかっちゃったんですよ、厚みでね。
履歴書の返送でした。
まあ、わたしの条件、ちょっと悪かったんでね、予想はついてたんだけど。
やっぱり、「いらないよ」と言われるのは、凹みますわね。
それなりに面接だけでも収穫があったわけだし、ご縁はつなげていきたいと思うけど。
でも、行きたかったな。

こんなときには、ちょっと「パレアナ」に来てもらわなきゃ。

「少女パレアナ」を、知っていますか?
パレアナの「being glad game」を知っていますか?

「少女パレアナ」
「少女パレアナ」を紹介する個人サイト

原作の「being glad game」はアニメ作品(愛少女ポリアンナ物語)では「よかったさがし」、翻訳書では「喜びのゲーム」となっています。
立ちはだかる現実に対して、「being glad game」と「負け惜しみ」との違いは、自分に与えられた状況の中でどれだけ得られるものをポジティブに喜べるかということ。

採用の通知が来たら、6月の第一週どうしようと、真面目に気にはなっていたんですよね。
面接でお話を聞きながら、応募数が多く難しそうだと思い、このことを口に出来なかった自分がいました。
6月からの勤務で、最初の週に、しょっぱなから「休ませていただきたい」は、さすがに言えないだろうなと。
6月オープン時に予想する「大変さ」はおっしゃってましたのでね。
毎年、いろんな形で使うこの平日休みばかりの週に、ずっと留守番をガキ共に言うのは、かなり気が重かった。
今回の「ご縁」は、自分のやり方次第で、充分つなげていかれるご縁だろうと思う。
それはもう、わたし次第で、どうにでもやれる。

だから、やっぱり、よかったんでしょう。

今日は、爪のケアをして、きれいにマニキュアを塗っております。
ていねいにケアした指先を見ながら、にこにことゴキゲンです。
パン屋さんの製造や販売に関わるならば、指先はきれいに清潔にが当然で、マニキュアを塗った自分の指先など、眺められる生活ではなかったろうと思う。

ねえ、パレアナ。
わたし、来週は、有意義に過ごそうと思うわ。
今、わたしの爪はとてもきれいよ。
よかったのよね、きっと。

パレアナが微笑む。
パレアナが、堂々と言うだろう。

「ええ、もちろんよ。
 爪をきれいに塗るのに、それができるっていうしあわせも感じられるわ。
 このことがなかったら、ただ爪を塗るだけで、塗った爪がうれしいって思わなかったかもしれないわ。
 来週のことも、誰にもあやまらなくてよくなったわ。
 きっと、来週はとてもステキな週になるはずよ!」

「ありがとう」が呼ぶ展開

2005年05月21日 | つぶやき
先日「個人情報」という記事をあげまして。

問い合わせをした二社から、お返事が来ました。
要するに、登録を希望した方がメールアドレスを入力するところでまちがえて入れたのだろうと。
それがたまたま、わたしのアドレスと一致したのだろうと。
販社の方からは、丁寧なお詫びをいただき、またヤフーからは、二重登録はできない仕様になっているので、今後同様のことがあったら、今回のようにメールの送信先にお問い合わせくださいとのことでした。

そんなに入力ミスが見事に一致するものかなあ、とちょっとした疑問はあれど。
丁寧な回答を送信くださった二社に、
「回答ありがとうございました」と、簡単に送っておきました。
まあ、「返信見たよ、ありがとう」という確認を送るという主旨というか。

そうしたら、ヤフーから、すぐに返信が来ました。
「お客様よりわざわざお返事をいただき、大変うれしく思います」という内容で。

なんかね、いいな、と思った。
こういう、サービスを介したやり取りで、「人間」が見えるということが。
コピペの使い回しの定型文を貼り合わせたような文章も多い中で、「人が送っている」という感じが見えることに、なんか、こう感激しましたね。

「ありがとう」って思う気持ちって、時々、魔法のように人と人をつなげるのだなと、あらためて思ったのでした。

受容と共感

2005年05月20日 | つぶやき
NHKの朝の連ドラの「ファイト」。
今日の回のこと。
簡単なあらすじは以下の通りなのですが。
友人とのトラブルで高校に行けなくなったヒロイン。
このトラブルはもともとは、父親が自分の正義を通したことが原因なために、そのトラブルと不登校の理由が両親に言えない。
言うことは、父親を傷つけることになる、と。
不登校を続ける娘に対してその理由がわからないことにいらだつ両親に何も言わず、「友達」である競走馬のいる厩舎に通うヒロイン。
そして、母親は、厩舎で厩務員の、馬に話しかける言葉に気づきを持つ。
厩務員は、馬に、「オマエは気が立っているのだな」とゆっくりと話しかける。
「理由がわかるのか」と問う母親に、「理由はわからないが、気持ちはわかる」と答える。
母親は、家に帰り、娘に対して、ただ「つらかったね」と言葉をかける。
そうそうそうそうそう、
そうだ、そうだ、と強く思う。
「つらい」と嘆く人の前でしてしまうまちがいは、まず理由を聞いて、そのつらさを「検証」しようとすること。
ちがう。
それは、後。
「つらい」と嘆く人の前で、まずやるべきことは、
「ああ、あなたはつらいのね」と、その感情を共有することだと思う。
まず理由を検証されても、その理由は、その当事者と聞き手とでは、微妙に価値観が異なる。
つらさを背負う人は、たいがいにおいて、自分を責めている。
それを口にしたところで、まず最初に、理由と事情を検証されるのでは、心もかたくなになる。
その理由と事情の前で、裁かれるような感覚さえ、持ってしまう危険がある。
必要なことは、「ああ、あなたはつらいのだね」と、つらさを感じる本人を、本人の気持ち自身を、本人自身を、まず、そのままの姿で受けとめることだと思う。
受けとめてくれる人間がいるかいないかで、つらさはさらに、大きな孤独感をプラスすることが関わっていってしまう。
受けとめてくれる人間の存在を感じるとき、人は、自ら、そのつらさに向かい合って、解決という扉を見つけ開いていく強さを持つことができる。
そのときに、まず「ああ、あなたはつらかったのね」という立場を持った人間は、裁く相手でも検証する分析者でもなく、「つらさを共に解決しようとする協力者」になることができる。

つらさを抱えてる人間に最も必要なのは、「つらさを共に解決しようとする協力者」なのだと思う。

今日の「収穫」

2005年05月17日 | つぶやき
今日は、パートの面接に行ってきました。
新聞の折り込み広告に、その求人を見つけたのは日曜日。
月曜日の朝一番で、電話を入れました。
・・・ずっと話し中。

リダイヤルのトライを何度か重ね、20分くらいたってから、やっと電話がつながりました。
「明日の10時15分に、写真貼付履歴書を持って面接に来てください」とのこと。

求人は、社会福祉法人の地域作業所のパート職員。
知的障害者の働く「パン屋さん」です。

履歴書は、「学歴」「職歴」をちゃちゃっとすませ、「親としての活動歴」を簡単に明記しました。
あまりびっしり書くと、それはそれでわざとらしいし、書かないのは「損」だ。
「志望動機」には、「知的障害児の『親』」「娘の在籍校」「娘の知的障害のレベル」と、「娘の将来を考えて、職員として働くことで勉強をさせていただきたい」と。
はっきり言って、通り一遍の「施設見学」より、有意義だと思った。

さて、面接。
さっと簡単に様子を見ただけですが、知的障害者にとってすばらしい職場でした。
建物も、新築しただけのことは、ある。
運営の理想や目標も、高い。
面接する責任者である女性二名がいきいきときれいで、魅力的だった。

「わたし、『親』なんです」
これだけで「知的障害者の親」と通じるのは、さすが「業界」。
「志望動機」は、この一言で、ある意味、充分なわけで。

しかし、4人募集で、20人応募だそうで。
時給、けして高くないんですけどね。
交通費も、全額出ません。
その中で「土曜勤務できる人優先」の枠から、自分は漏れる。
どうなるかはわかりませんが。

それでも、「そこで顔を売ってくる」ことは、面接だけでも達成できる目的でありました。
「今回、ご縁が無くても、『親』として見学には来させていただきたいと思っていますし、数年後、娘や仲間の子どもたちがお世話になるかもしれません。
 よろしくお願いします。」
と、頭を下げてまいりました。
この社会福祉法人、パン屋だけでなく他の福祉的就労部門もあるし、グループホームもいくつか経営している。
これはでかい。

去年、中学に入学した娘ですが、学校卒業まで5年を切った。
成人まで、あと7年を切った。
仲間内の子どもたちも、続々とその後に続く。
視界に入れるのは、次の目標です。
この地域での知的障害者が働く場の「有力者」には、今までに別の形ですでに2名ほど「顔を売って」あるわけで。
欲しいなあ、ここの「職歴」と、思うわけです。
娘がどんな進路を選択したとしても、仲間内の子どもたちのこともあるし、自分の積む経験は有意義に使える可能性は充分にある。
不採用、来ても、まあ、「顔つなぎ」してきただけでよしとするか。
忘れられないように、ちょこちょこ「顔売り」のために、パン買いに行っちゃお。

しかし、ちょっと驚いたのは、この面接で居合わせた応募の方々。
パート募集枠なんで、まあ、主婦層なんですが。
いわゆる「オバチャン」じゃない、きれいな「奥さん」ばっかりだった。
ちょこっとお話しした方にお聞きしたところ、ここの商品は、おいしくて有名なんだそうだ。
わたしは「近隣地域」ではあるけれど、徒歩圏自転車圏よりちょっと遠いので、知らなかった。
なるほど。
焼き菓子、自家製パン、そういったものを焼くのが好きな主婦層かもしれないと思った。
そして、面接で聞いたところ、「採用されなくてもボランティア募集は無いか」との質問が来たと。

知的障害者の作る「商品」。
一昔前は、「それなり」だったと思う。
娘が2~3歳の頃だったか、知的障害者の焼き菓子、パンという「商品」を作る発想が生まれ始めた。
食べるものを作って、地域に商品として出す。
これは知的障害者にとって、「買う人」が見え、「商品価値」がわかりやすい。
そして消費者にとっては、「おいしい」商品が増えたわけで。
「知的障害者の作る焼き菓子&パン」イコール「おいしい魅力ある商品」という構図が定着していることを改めて感じたというか。
その辺も、求人応募の人数の多さに反映しているんでしょうね。
ウチの徒歩圏の公的施設で売っている「知的障害者の地域作業所製パン」も、焼き上げて数時間のうちに完売という「人気商品」だしね。
その辺をあらためて実感したのも、今回の「収穫」でした。

帰宅後、ダウン症の赤ちゃんのママからお電話。
「お話しすると、元気になるんです」と。
そうよ、元気で行こうね!

「女社会」と「ネット上に見られるホンネ」

2005年05月11日 | つぶやき
こんな文章を、ネット上で見つけまして。
AP通信によると、ブリガム・ヤング大学研究チームはこのほど、女の子がわずか3歳から、自分の要求を通すために、人を操ったり、仲間はずれにするなどの「意地悪」を行うことを突きとめ、専門誌アーリー・エデュケーション・アンド・デベロップメントに発表した。
女の子の意地悪は3歳から始まる=米調査

関係性攻撃とは,女児に特徴的とされる攻撃の型で,自分の目的を達成するために他人の人間関係を操作する行動であり,具体的な行動例としては,悪口を言ったり,仲間に入れなかったりすることで相手を社会的に排除したり,相手が嫌われるように仕向けること等が挙げられる(Crick & Grotpeter, 1995)。
美作女子大学・美作女子大学短期大学部紀要
小学生における攻撃性得点の分類基準
―小学生用P-R攻撃性質問紙による3種類の攻撃性について―

学校に行ってりゃ学校で、職場に行きゃ職場で、子ども生みゃ公園で、近所で、幼稚園で、学校でと、「女」やってりゃ、必ずといっていいほど、ついて回る「問題」ですな。
どこかの集団に「安全に」属していなきゃ、「女」やってる社会生活がスムーズに進まなくなる危険が時にある、と。
この「意地悪」は、気に入らない相手を、その相手が属する社会から孤立させて自分の要求を通すってのが、特徴ですから。

しかし、ネット上では。
ブログだのという、個人の「つぶやき」の世界では。
こうした「女」集団に関しての「住みにくさ」をいう女性がよく見受けられる。
正直に言っちゃえば、こういう「女社会のめんどくささ」ってのを感じてる人が少なくないんだろうな、と。
でも、「浮く」のはヤバイ、と。 

そういう意味でも、ネットってのはおもしろいなあと、わたしは思うわけです。
堂々と、ホンネの部分が見受けられるというか。
個人の正直なホンネが炸裂することができるブログという媒体は、「自由」を手に入れる活力になる可能性を内在しているのでは。
と思ったりしながら、そんな文章を読んで、ふむふむと思うのでした。

「検証」という姿勢

2005年05月10日 | つぶやき
最近、有名になってきているURLというものがありまして。
「創作童話:博士(はくし)がひゃくにんいるむら」

この「創作童話」、数字に基づいた「創作童話」です。
博士という立場の人が、必ずしも順風満帆な人生を送っているわけではないということ。
それがテーマなのだと思います。

しかし気になるのはこのページの画像ですね。
「行方不明・死亡」というのは、進路先・連絡先不明であり、それに死亡を含んだ数字であるわけで、「自殺者数」ではないわけです。
「自殺者数」として出されているわけではない数値が、この画像によって、「自殺者数」であるかのような「印象」を与えています。
この印象を残す画像をどう扱うか。
数字を持ってグラフ化し、検証する 幻影随想「博士卒の進路」に、大きく敬意です。

「事実」に見る「真実」を伝えるために、創作化する。
そのときに、人はどこまでその「『創作化』した部分を『事実』と誤解する危険」を回避できるのだろうか。
これは、ドキュメンタリーというものの「落とし穴」に似ていると、わたしは思います。
「本当にあること」をカメラに写し、そのまま伝えたとしても、その「現実」のどの部分をクローズアップするか。
また、どんな構図でその映像を撮るか。
編集時に、どんな構図の映像をカットして編集するか。
そういう「演出」で、「創作」部分は生まれかねない。
「創作」部分から生まれる「印象」は、時として、「事実」にとっての弊害になることがある。
この「印象」というものを、再度検証してみることの大切さを、わたしは感じる部分があります。

さて、日常のことですが。
今日、5年生の息子が大騒ぎで帰宅しました。
帰宅後、すぐに、入浴の準備を始めました。
なんでも、学校の理科室で「ヨウ素」をさわったと。
その「ヨウ素」は毒性があるもので、すぐに38度以下の風呂に入り、毒素を洗い出さなければならないと。
また、手についた「ヨウ素」の毒性は、今日一日取ることができず、明日まで顔が洗えない、と。
それはもう、大騒ぎでありまして。
「誰に聞いたか?」と聞くと、「友達に」と答える。
学校に通う上で、誰から与えられる情報をあなたは第一にすべきか?と問うと、担任の教員と答える。
では、そこまで騒ぐ情報が、正確なものかどうか確かめるにはどうしたらいいかと尋ねると、担任の教員に聞くと答える。
息子は学校に電話を入れ、担任の教員と話し、「正確な情報」を入手し、騒ぎは解決しました。
その後、インターネットで「ヨウ素」について調べさせ、「ヨウ素事件」は解決しました。
息子は「毒」という言葉の印象に振り回された。
その印象を自分で解決する「スキル」というものがあること。
このことが今回の件で少しでも「印象に残って」くれたらいいな、などと思うのでした。

明日の外出

2005年05月06日 | つぶやき
明日、銀座に行きます。
家族連れではなく、単独で。
20年以上会っていなかった友人と、待ち合わせをしています。

生家に近かったので、新宿が長いこと好きな街でした。
高層ビルでバイトをし、紀伊国屋書店前や、中村屋マシェーズをよく待ち合わせ場所に使いました。
今は、横浜みなとみらい地区が好きです。
特に横浜ワールドポーターズ

3年ほど前から、年に二度、銀座に行く機会ができています。
行くと、銀座もいいな、と思う。
銀座に行くと、いつも伊東屋に行きます。
今、伊東屋オリジナルのボールペンがとても気に入っているので、明日、替え芯を買ってこようかなと思っています。

今は横浜の片隅にすっかりなじみ、広い空や、晴れた日の大きな富士山が当たり前の光景になっています。
でも、単独で都会に出ると、都会育ちの自分を思い出します。
私学の中学に進んで、新宿や池袋を通って満員電車で通学していたわたしにとって、都会の雑踏は故郷の原風景でもあります。
銀座に友達と初めて行ったのも、13の時だったしね。
通りすぎていく人の群れと、建物の間に見える空に、郷愁を感じる自分がそこにはいます。

今夜は、ちょっとワクワクしながら、爪でも塗ろうかと思っています。
往復の電車の中で聞く音楽を、今夜準備する予定です。

今年の運動会

2005年05月05日 | つぶやき
娘と息子、
いつか起こりえるだろうと思っていたことが起きてしまいました。
いや、たいしたことじゃないと言えば、たいしたことではないのだろうが。

運動会の同日開催

両校とも、今月最後の土曜日です。
まいりましたね。
息子の小学校の運動会は、娘の母校の運動会でもあります。
連れていけば、いろいろな方から声をかけてもらえる場でもあります。
去年のように、今年も連れて行きたかったです。
娘の学校の行事は、いつも息子は喜んで参加しています。
入学式も、土曜参観も、運動会も、夏休み行事も。
去年の息子の運動会の代休の日は、娘の養護学校でPTAの役員に混じって、ベルマークの集計作業も手伝ってくれました。
去年の娘の運動会は、強い日差しを浴びながらも、一番前の席に陣取って、娘だけではなくいろいろな生徒たちを応援していました。
母が日陰に時々逃げても、彼は一番前の席を動きませんでした。
今年も、娘の学校の運動会に行くことを、当たり前のように楽しみにしていました。
彼に「同日開催」を告げると、しばし絶句していました。

息子の小学校、娘の養護学校、「片親参加」で乗り切るつもりです。
どっちがどっちの学校に行くか、息子に決めさせました。
そのことの意味を理解している方が選ぶことがよいのだろうなということで。

息子は「おかあさん」を指名してきました。
う~~ん。
ぐっとホンネを隠して、「わかった」と微笑みました。

実はわたしはホンネは、娘の方の運動会に行きたかったのです。
息子の小学校の運動会は、わたしにとっては「息子とその他大勢」。
この「大勢」も、大勢過ぎるというか。
ゆっくりと見渡せて、1人1人の努力や成長を垣間見ることが出来る娘の学校の運動会の方が、見たかったのです。
・・・仕方ないです。
息子と一緒に、父親が撮ってくるビデオを楽しみにすることにします。

でも、行きたかったな。
と、いう思いは強い。
ただ、この思いを隠し、無いものにすること、無いものとして見せないこと。
これが息子に対して表してやれる愛情の形なのだろうなと思います。
障害児のきょうだい児は、親が自分に使ってくれる労力のようなものにハンディを感じること、多いと思いますのでね。
これくらい、がんばらなくっちゃね。

ある光景

2005年05月04日 | つぶやき
さわやかな天候の今日、子どもたちを連れて大きな公立公園に遊びに行っていました。
その公園は、足こぎのゴーカートのコースがあり、子どもたちは一周回っては並び一周回っては並びと繰り返し、何度も何度も楽しんでいました。
わたしは遠目からその様子を、写真を撮ったりしながら見守っていました。

ふと、ある男の子に視線が止まりました。
小学校の高学年くらいのその子は、一見して「普通の子」でした。
しかし、その様子は「普通の子」ではありませんでした。
足こぎのゴーカートが「こげない」のです。
簡単に言えば、三輪車がこげないのと同じ状態です。
片方のペダルに足を乗せて、もう片方の足を乗せるということが、できない。
もう片方の足を乗せると、先にペダルに乗せていた足が離れてしまうのです。
なんとか両足がペダルにのせることができて、少しペダルをこぐと、今度は全くハンドル操作ができなくなるのです。
進まない車体は、進まないだけではなく、ハンドル操作ができないために斜めに曲がり、四輪で安定しているはずの座席に座る姿勢もふらついてきます。
何度も何度も繰り返すのですが、前に進むことができず、ハンドルを持ちながら両足を地につけて、車体の方向をまっすぐにするだけで精一杯です。
二輪の自転車ではなく、四輪のカートです。

4~5メートル、それをくり返していたとき、おじいさんらしき人が走っていきました。
片手を彼の肩に添え、片手をハンドルに添え、補助してやるのですが、それでもこぐことができません。
それから今度はお姉さんらしき女の子が彼のもとに走っていきました。
背中を押してやるのですが、どうにもうまくいかない。
お父さんらしき人も出てきました。

補助をされながらも、それに頼ることなく、彼は結局、一周の間、自分なりにやり方を模索し続けました。
それでもその一周の間、ついに彼は「こぐ」ことができませんでした。
カートを返した彼は、おじいさんと父親、姉とともに連れだって、わたしの前を通りすぎていきました。
父親らしき人が、その子に対して懸命に、両足の動かし方を、手を使って話していました。
いや、口や理屈でそうやって説明しても無理だろう、と、わたしはそんなことを思っていました。
わかっていたら、できるはずの距離と時間を、彼は黙々と努力していたのをずっと眺めていたからです。
彼の「一周」は、他の子どもたちが何周もできる時間を費やしました。
その、「他の子どもたち」の中には、ダウン症のわたしの娘も含まれていました。

どう見ても、「障害」を感じない、「普通の子」でした。
歩く姿も全くの「普通」で、家族と話している姿も「普通の子」でした。
でも、多分、あの子は「手をたたきながら歩く」という類の動作が困難なのではないかと、そんなことを思っていました。

そんなことを思いながらも、わたしはこの男の子の「一周」に、大きな敬意を抱いていました。
彼は短気を起こすことなく、黙々とチャレンジを続けていました。
駆け寄った家族に対して、拒否の姿勢を見せたわけではないのですが、自己の力でチャレンジを続けることを選びました。
そして結局「できなかった」。
その様子から察するに、日常で、彼の年齢の集団の中で、彼には「みんなが簡単にできることができない」という経験をしていることがあるだろうということ。
そのことは彼の自己評価に関わっているのではないだろうかということ。
それでも彼は、「一周」を、黙々と闘い続けたということ。
そして、彼の父親の説明に、素直にうなづきながら聞いていたということでした。

また、彼のご家族の方々。
最初に、けっこうな時間を使って、見守っていました。
わたしは近くに家族の「目」があることに、最初、全く気づかなかったほどですから。
そして駆け寄ってからも、彼の姿にいらつきを見せる人は誰もいなかった。
また、彼の「チャレンジ」の意志を、尊重し続けていました。

目の前に展開していたのは「できない子」の姿でした。
それでもわたしは、その男の子に対して深く敬意の念を抱きながら、その子の後ろ姿を見送っていました。

トラックバックの一例

2005年05月03日 | つぶやき
共通ワードでの検索でトラックバックが送られるということは、まあよくあるのですが。
いや、その検索ワードというもので、「ウンコ」でトラックバックを送られると、どうしたモンかと。。。
送られた記事は ウンコに見る「距離感」 。

訪問してみれば、「ウンコ」はまさに「ウンコ」の話題であって、こちらの「ウンコ」とはどうも「ウンコ」が違うなと。
しかし、コメント欄にお決まりの「トラックバックありがとう」コメントが並んでいるわけでもなく、大量宣伝TBとはちと違うかな、と。
ということで、悪質な宣伝というわけでもなく、「ウンコ」は「ウンコ」だけに、まあ堅いこと言うなよ的感覚で、まあいっか~という感じで、このトラックバックはいただいておこうかな、というスタンスです。
ただ、このトラックバックによって、トラックバック一覧から押し出されてしまった記事が惜しいことは惜しいのですけれどね。

トラックバックという機能の解釈は人それぞれのようですが、わたしの解釈としては「記事の内容に関しての発展」かなと思います。
だから本来の感覚としては、このトラックバックは削除の判断に向かうパターンでもあります。
わたしが出した「ウンコ」としての発展としては、本来、こちらの記事が関連性としてあげられるものかな、とも思います。

先日、「露出するリスク」という文章を読みまして。
インターネット上に「露出するリスク」を語るのに、わかりやすく話を提示していくために、「チンコ」という単語を駆使していらっしゃる。
この方は例示のための「チンコ」であるので、「チンコ」という共通ワードでのトラックバックをもらったら、即削除というのは容易に推測ができる。
しかし、わたしの「ウンコ」はまさに「ウンコ」だしなあ、
などと思ったりしたのでした。

目的のわかりにくいトラックバックは、混乱します。
トラックバックは相手の領域にリンクを貼る行為である以上、相手の記事中の「単語」ではなく、相手の「記事内容」に即したものであって欲しいと、わたしは思います。
と、いう返答を込めて、トラックバックを送られた バンクーバー情報「ウンコ事件」にトラックバックです。
もしかしたら、後日、削除させていただくかもしれません。

*関連記事
トラックバック受付に関しまして

無題

2005年04月30日 | つぶやき
ブログ巡回先で、ご家族の突然の訃報を告げる記事を発見し、呆然としております。
少し前から、このご家族の健康がすぐれず、ということを目にしていたなあと端々に記憶していることを思ったりします。
この突然の訃報、そのことと関係があるのだろうかと、思っても詮無いことなど思ったりもしています。

知的障害をもつこのご家族。
その知的障害は、本人の主訴が理解しにくいということに関係したのかしなかったのか、などと思いが巡る。

うちの娘は、体調を崩したときに、そのことを言葉では訴えられない。
ただでさえ「言語」というものの使用状態が少ない上に、言葉で体の症状を訴えるということをせず、しかも我慢強い。
熱にも、痛みにも、じっと耐えようとする個性の持ち主でありまして。
また、じっと耐えることが個性になってしまっているので、「体調の悪化を表現する語彙」がちっとも身につかない。
なんとなく変だなと思っていると、突然吐くことから始まることが多い。
わたしにできることは、ちょっとした風邪でも、体調を崩した後は、余裕を持って休ませるというくらいのことで。

10年近く前だったか。
友人が、彼女のお嬢さんの持つ知的障害に関して、わーっと泣いた。
知的障害が悲しいということではないんだ、と。
この子は体調が悪いときに、その自分の体調の悪さをどこまで言葉に出して言えるのだろうか、と。
それを自分はわかってやれるのだろうか、と。
いろいろな「検査」に関して全て「異常なし」だったこのお嬢さんは、極度に疲れやすく、いつもどこかぼうっとした印象があった。
結局、何度も検査を繰り返したはずの「心臓」に関して、緊急手術が行われたのは、それから間もなくだった。

今回の「訃報」。
お母様が出す「文字上」でしか、接点が無かったけれど。
でも、そうして「出会った」命。
あなたのお母様が時々話してくださったことを思いながら、出会えたことを感謝します。
どうぞ、安らかに。

ウンコに見る「距離感」

2005年04月25日 | つぶやき
ウチの10歳息子は、精神的な揺れや体調の変化等が腸にくるタイプらしく、下痢だの便秘だの忙しい。
そんな自分の「腸」とのつき合いの中で、「立派なウンコ」は彼の喜びのようで。
「立派なウンコ」が出現すると、トイレから叫ぶ。
「おかあさん、おかあさん、来て! スゴイよ!」
彼が叫ぶ「立派なウンコ」の基準は、体の教育で勉強した「バナナの形」で太くて長いもの。
喜ぶ彼のテンションを下げないように、負けないテンションで母は喜んでやることにしている。

しかし、クサイ。
「立派なウンコ」は、軽度の便秘後に多いので、しっかりとクサイ。
その臭さを感じる度合いは年々増加しており、また「直視時間」も微妙に減少している。
これは子どもの成長により生じている、わたしが彼のウンコに感じる精神的な「距離」なのだと思う。

赤ん坊の時期は、赤ん坊の肛門を直視し、ウンコを間近に見る。
クサイのなんのというより、肛門から出る「健康のバロメーター」を凝視する。
乳児から幼児期にかけて、お風呂で体が温まるとぽこんぽこんと浴槽内でウンコをしてしまうことが何度かあった娘に関しては、何度もウンコを手づかみで拾った。
「子どものウンコが怖くて母親がやれるか」なのである。
また、母親が子どものウンコに抵抗が無いという「距離感」に基づくものとは、子どもが母に向ける無心の愛によるものなのではないかとも思う。
母の愛が無常の愛なのではなく、母の愛というものは子どもが母に向ける無心の愛に育てられるものという気がする。
子どもというものは最低でも生まれ落ちて数年くらいは、どんな母親に対しても、母親がどんな態度を取ろうとも、母親がどんな人格を持とうとも、無心に母親を求めてくる。
愛されれば女は強いという公式が、ここでも成立しているような気がする。

オムツが終わり、パンツをはくようになっても、失敗すればウンコは目の前の存在だ。
やがて、当たり前に「個人の時間」をトイレで持つようになると、子どもと母親との間で、ウンコは遠い存在になっていく。
こういう「プライベートの確立」の象徴のひとつがウンコかもしれない。

5年生になった息子が、母親にウンコを見せる。
喜んでやりながら、自分が感じている「距離」を隠し、そして「その年齢になっても母親にウンコを見せるオマエは幼いなあ」とも思う。
でも、彼のそんな「距離感」も、もう終息までは時間の問題だろう。
アンタが自分でその距離を終わらせるまでつき合ってやるよ、と思う。
「拒絶」ではなく「卒業」と、本人が認識できるように。
しかし、とっくに個室で1人で寝られるようになっているのに、母に自分の人間関係上の秘密を持つプライベート感覚は成立しているのに、このウンコに見る「距離感」はおもしろい。
成長というものは、そういう多様なものなのだろうと思いつつ。

さて。
年老いていけば、子どもや介護者という立場の人間を別にすれば、配偶者がウンコの世話をする場合がある。
夫婦により個体差はあるだろうが、たいがいにおいて、夫が妻に世話になる。
夫のウンコの始末を妻がする場合、「愛された歴史という実感を持つ妻」は苦にならないらしい。
妻に育児歴があれば、特に「もともと知っている作業の応用版」という部分もある。
ただし、妻をないがしろにしてきた夫は、そうした介護を妻から受けることが難しい。
立場としての「妻」でも感情を持った人間であり、精神的な距離が遠い存在の「ウンコ」は、駄目なわけで。
この精神的な距離から発生する抵抗感が、ウンコの度に、夫婦が傷つけ合う可能性を多様に持たせていくだろうと思う。
人間関係上の距離感が関係なく、仕事として事務的に処理をする介護者に任せていくことがお互いの「利」となるのが自然だと思う。

たかがウンコ、されどウンコ。
ウンコには、見ようによっちゃ、健康だけでなく人生が見える。

意志

2005年04月21日 | つぶやき
「ある」ことが、当たり前の人間になりたくない。
「ある」ということを、支える人に思いを馳せる人間になりたい。

「無い」ことに、不満を叫ぶだけの人間になりたくない。
「無い」ことから、「ある」ことへつなげていくヒントをさがしていく人間になりたい。

「得られない」ことに、不平を言うだけの人間になりたくない。
「得られない」ことを、得るための工夫を見つけていく人間になりたい。

正当な権利を主張しようとするときに、
それが本当に正当な権利なのか、
熟慮する力を持つ人間になりたい。

闘うべきときは、
まっすぐに闘う人間になりたい。
そのためにも、
自分の闘う機会に対して、
安直な判断をする人間にはなりたくない。

敬語の誤用

2005年04月17日 | つぶやき
テレビで「サンデー・ジャポン」を見ていまして。
デヴィ夫人の電話インタビューが出てきました。
北朝鮮に行った時の話で。
現地の方にお土産を渡したという話で。
「いりません、いりませんとおっしゃったのだけれど、いいえいただいてくださいとアタクシ申しましたの」
ここでわたしの耳はぴくんと反応しました。
は?
なんとおっしゃいました?
あれだけ敬語を多用し、また一国の大統領の夫人だった方が、こんな敬語を誤用するんだなあと。
不味いだろ?と。

正解は。
「いりません、いりませんとおっしゃったのだけれど、いいえお受け取りになってくださいとアタクシ申しましたの」
「いただく」は、上の人からもらうときに使う表現ですね。
それとも、単なる誤用ではなく、自分の方が上であると、潜在的な認識が出てしまった?

まあ、敬語っちゃ、難しいものなんでしょうね。
でも「待遇表現」というものは、誤用しちゃ、意味が無いんですけどね。

しかし。。。
「いりません、いりませんとおっしゃったのだけれど、いいえいただいてくださいとアタクシ申しましたの」
の方が、
「いりません、いりませんとおっしゃったのだけれど、いいえもらってくださいとアタクシ申しましたの」
よりきれいに聞こえるんだろうか。
見せかけの美辞麗句ってのは、こんなものかもしれない。