「ある」ことが、当たり前の人間になりたくない。
「ある」ということを、支える人に思いを馳せる人間になりたい。
「無い」ことに、不満を叫ぶだけの人間になりたくない。
「無い」ことから、「ある」ことへつなげていくヒントをさがしていく人間になりたい。
「得られない」ことに、不平を言うだけの人間になりたくない。
「得られない」ことを、得るための工夫を見つけていく人間になりたい。
正当な権利を主張しようとするときに、
それが本当に正当な権利なのか、
熟慮する力を持つ人間になりたい。
闘うべきときは、
まっすぐに闘う人間になりたい。
そのためにも、
自分の闘う機会に対して、
安直な判断をする人間にはなりたくない。
「ある」ということを、支える人に思いを馳せる人間になりたい。
「無い」ことに、不満を叫ぶだけの人間になりたくない。
「無い」ことから、「ある」ことへつなげていくヒントをさがしていく人間になりたい。
「得られない」ことに、不平を言うだけの人間になりたくない。
「得られない」ことを、得るための工夫を見つけていく人間になりたい。
正当な権利を主張しようとするときに、
それが本当に正当な権利なのか、
熟慮する力を持つ人間になりたい。
闘うべきときは、
まっすぐに闘う人間になりたい。
そのためにも、
自分の闘う機会に対して、
安直な判断をする人間にはなりたくない。
Sさんの気骨のようなものが伝わってきて、大変力強い文章だと思いました。
「反省」するということは、とても大切なことだと日々の生活で感じます。ちょっと立ち止まって、自分を振り返ってみる。いまあるもの、無いもの、得られないもの…それらの現実を無批判にただ受け入れるのではなく、それらが持つ意味のようなものを折に触れて見直すといろいろな発見があったり、新たに生き直す活力、或いはいま自分が本当に闘うべき対象のようなものが見出せたりするから不思議ですね。
>「ある」ということを、支える人に思いを馳せる人間になりたい。
本当に素敵です。
「そんなの、無いね」
「作れば、あるね」
大人になってから、ふと、思い出しますね。
「ある」ということ。
これ、実は、社会福祉制度というものを知るようになってから、よく思うんですよね。
娘が生後すぐに先天性の心疾患を言われて。
まあ、ダウン症のよくある合併症なんですが。
即座に思ったのは、医療費。
高額なんだろうな、と。
そしてすぐに説明されたのが、医療費の助成制度。
あとで知ったことですが、こうした先天性心疾患の医療費の助成制度の存在は、は1963年に結成された「全国心臓病の子供を守る会」の存在が大きいんですよね。
創立総会は「涙の総会」と呼ばれたそうです。
つまり、その頃の先天性心疾患の子どもの「生きる」環境は、なかなか希望が持てるものでは無かったのだと。
また、ダウン症の子の合併症の治療に関しては、’60年代は治療の対象にされなかった例が多かったようです。
治療の説明どころか、疾患がある可能性すら説明されない。
ある日悪化して死んでいくというケースも少なくなかったようです。
「無い」から「ある」へ向かっていった人たちが存在したからこそ、実際に今、わたしの家庭でひとつの命が生きている、という実感もあるんですよね。
未熟者のわたしは、「ある」ものに対しての不満や欲ばかり訴えている人がいると、むっとすることがあります。
「それであなたはどう動くのか」
というと、誰かにやってもらうというスタンスしか見えなかったりする。
また、「受け取る」ことの権利を声高に叫ぶということばかりが聞こえてくるような感を持つこともある。
そんなときに思うんですよ。
「ある」ものから恩恵を受けたなら、次に渡していく「『無い』から『ある』へ」という思考を持つことが重要なんではないか、とね。
そんなときは、静かに目を閉じる。
他者に対してどう思うかということよりも、自分に何ができるのだろうか、と。
そして「意志」につながっていくんです。
労働組合の活動は、何だか否定的なとらえ方をされることが多いような気がするのですが、その活動があったからこそ今、育児休暇というものが出来て働きながら子供を育てるということが、出来るようになってきているんですよね。
私の母が、私を産んだ頃は産休しかなくて、3歳未満(これは1歳未満だったか2歳未満だったか記憶があやふやです)の子供を預けられる保育園は市内に2つしかなかったそうです。私は運良くその1つに入園することが出来たわけですが。
母が仕事に復帰して私が保育園に入園できるまでは、祖母が世話をしてくれました。
だから、私は母と祖母と保育士さんに(あと上げればきりがないですけど)育ててもらったのだと思います。
そして今、母は退職してしまったのですが、弟夫婦(共働きです)の子供の保育園への送り迎えや、世話をしています。
母の口癖は「自分はいろいろな人に助けられて子育てと仕事の両立ができたから、今度は自分が助ける番なのだと思う」です。
また少し話は変わって自分のことなのですが、私は精神疾患を持っています。
通院するようになって6年が経ちます。
私が病気になって一番辛い思いをしたのは、家族だと思います。私は結婚していますが、昔だったら離婚話になった(今の世の中でも)としても、おかしくないと思います。
今は、ある程度症状も落ち着いてきました。
ここまで何とか生きてこられたのは、私にかかわってくれた医師や看護婦さんはもちろんなのですが、何よりも両親と、「私の症状を単なる怠けではなく、病気であると認識してくれた」夫だと思います。
そして何よりも、身の回りのことが一切できなくなってしまった私を、家に引き取って世話をし病院に付き添ってくれた義母のおかげだと思っています。
義母は、私に対して本当に実の娘のように接してくれました。これは簡単には出来ることではないと思います。いろんなことがあったので、一口では言い表せません。
制度的なことで言えば、私は通院医療費公費負担制度(通称32条)のお世話になっています。32条の成立過程については、いろんな裏事情があって必ずしも福祉という観点から作られたものではないらしいのですが。
ただ自分がその恩恵を受けていることは事実です。
そして、そのことを教えてくれた主治医と、手続きに関してお世話になったケースワーカーさんに感謝しています。
精神疾患は非常に分かりにくいです。
まだまだ誤解も多いと思います。
そのことに対して自分は何が出来るのか。
まだ模索中です。
それでも、自分が経験したことを何かに生かしたい。
その思いを、何とかして行動に結び付けたいと思います。
初めまして。
ふむ。
と、思いながらURL飛びました。
(数字と.に全角入ってましたね)
おお、「初めまして」だ。
「ののかさん」はこちらの「ののかさん」がいらしたので。
http://nonohana-soranotori.cocolog-nifty.com/
こちらの「ののかさん」の「初めまして」は、ここのコメント欄になります。
http://blog.goo.ne.jp/satomies/e/0431103cdd5475ff422ee7cb30c3b311
どちらの「ののかさん」も、自分を大事に歩んでいるという点では共通ですね。
と、これは前置き。
あなたのお話を入れてくださって、ありがとう。
「お金は天下の回りもの」と言いますが、
「好意や行動」も、わたしは「天下の回りもの」だと思います。
直接お世話になった人に「返す」ということは、相互交渉だけで終わってしまう。
見返りをどこか意識してしまう相互交渉ではなく、「天下の回りもの」とする人が増えていくことが、社会を豊かにしていくことにつながっていくのではないかと思うんですよね。
>それでも、自分が経験したことを何かに生かしたい。
その思いを、何とかして行動に結び付けたいと思います。
「思う」こともまた、思考としての「行動」です。
「思う」こと、
「思う」ことを自分の記憶に残していくこと、
「思う」ことを自分の記録として残していくこと、
これは全て「行動」だと思います。
「何とかして」という気負いはなくても、「行動」が積み重なれば、自然と扉は開くと、わたしは思います。
どうしましょう。「ののか2号」というのはどうでしょうか?
そして、確かに全角入ってました。すみません。
もう一人の「ののかさん」を知ることができて、嬉しいです。
こういう思いがけない出会いがあるというのが、ネットの不思議というか喜びなのかな、と思いました。
私は「思う」だけで行動に移せない自分を情けないと思っていました。
なので、S嬢さんの言葉に目から鱗が落ちました。
こうしてPCに向かったり、窓から空を眺めながら考える時間を大切にしていきたいと思います。
入院中に同室だった人が
「夢や目標は思った時点で半分は叶っている」
と言っていました。
いつか来るであろう一歩を踏み出す時のために、私はいろいろなことを思い考えていきたいです。
もし、コメント入れられるときはurlを入れといていただければありがたいです。
まあ、「FC2」とか「ココログ」とかってわかればそれでいいんですけどね。
しかし、「ののか」ってのでダブるとは、と思った。
いや~~、最初「ココログののかさん」の別ブログかと思いましたよ。
ダブるといえば、実はこのブログでコメント入れられた方で「ゆき」さん、3名いらっしゃるんですよね。
実はコレは、特にふれず。
「ココログののかさん」のブログもよいですからね、こんな偶然でご紹介できたのも、またうれしい偶然かもしれないです。
あとね、「行動」なんだけれども。
ののかさん、「セルフ・ヘルプ・グループ」って、知ってますか?
ネット上にいい説明の文書が見つからないので、「教科書」のレビューを紹介。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4791103912/qid=1124273399/sr=1-2/ref=sr_1_8_2/250-2907144-9331438
「セルフ・ヘルプ・グループ」っていうのは、共通の体験をした共通の問題を持つ当事者たちが、自分の話をお互いに語り合う。
そうして、共通の体験の中のお互いの経験を語り合うことで「わかちあい・ひとりだち・ときはなち」を実現して、明日を見つけていく、というもので。
本来はグループ・ミーティングの形を取るのだけれど、現在、ネット上の個人のHPや個人のブログで、この「セルフ・ヘルプ・グループ」の機能を持っているところは多いと認識しています。
ののかさんのところも、あなたが語ることで他者の話を「引き出している」ところがあると、わたしは思う。
そしてコメント欄という表に出た形で現れなくても、見えない「閲覧者」というものもあるでしょう。
見えない「閲覧者」は、閲覧し「聞く」ということで、自らも「思う」ということを、見えない橋でつなげていく場合がある。
つまり、「行動」、してるんですよ、充分ね。
それが、自分にできる行動を積み重ねたときに、自然に扉が開くことのひとつでもあると、わたしは思う。
>「夢や目標は思った時点で半分は叶っている」
では、わたしからも一つ。
「続けることも、才能です」。
似たようなところで「ピア・カウンセリング」という言葉は知っていましたが。
これは私がずっとやりたいと思っていたことです。
いつか、そういうサイトを作ることが夢でした。
私のブログは、自分の表現したいことをただ書いているだけなのですが、
それを他者がどのように受けとめてくれるのか、気にはしていました。
何か思ってくれれば、いいなとは思っていました。
これからも、自分が書きたいことを書く、という姿勢は変わらないと思います。
自分にできることを、少しずつ積み重ねていきたいと思います。
それを続けていくことで、何が待っているのか、どんな扉が開くのか。
恐くもあり、楽しみでもあります。
「ピア・カウンセリング」は当事者中心の活動からの発祥、アメリカで始まった自立生活運動の中でスタートしました。
この自立生活運動というのは、エド・ロバーツという方が起こしたもので、ご本人はポリオによる四肢障害と呼吸器障害で、生活は全介助が必要。
その彼が「自分に必要な支援を自分で決めて自分の意志で生きる」と表明したもの。
この自立生活運動は日本にも大きな影響を与え、ダスキンの「広げよう愛の輪運動」の一環である「ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業」を利用して、日本の障害者たちがたくさんエド・ロバーツの学んだバークレーに留学しています。
その1人である安積遊歩が日本に持って帰ったのが「ピア・カウンセリング」です。
「セルフ・ヘルプ・グループ」は臨床からの発祥です。
やはり場はアメリカなのですが、もともとは入退院をくり返すアル中患者に対して、グループでの話し合いをさせることをやり始めたら、再入院の数が激変したと。
そのことで、アプローチとしての研究が盛んになったようです。
「ピア・カウンセリング」は、研修を受けたピア・カウンセラーが、ファシリテーターとして存在することが重要ですが、「セルフ・ヘルプ・グループ」は「語り合う」ことで要素が成立していくところがあります。
あなたに自然に開いていく扉に向かって「いってらっしゃい」。