S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

「検証」という姿勢

2005年05月10日 | つぶやき
最近、有名になってきているURLというものがありまして。
「創作童話:博士(はくし)がひゃくにんいるむら」

この「創作童話」、数字に基づいた「創作童話」です。
博士という立場の人が、必ずしも順風満帆な人生を送っているわけではないということ。
それがテーマなのだと思います。

しかし気になるのはこのページの画像ですね。
「行方不明・死亡」というのは、進路先・連絡先不明であり、それに死亡を含んだ数字であるわけで、「自殺者数」ではないわけです。
「自殺者数」として出されているわけではない数値が、この画像によって、「自殺者数」であるかのような「印象」を与えています。
この印象を残す画像をどう扱うか。
数字を持ってグラフ化し、検証する 幻影随想「博士卒の進路」に、大きく敬意です。

「事実」に見る「真実」を伝えるために、創作化する。
そのときに、人はどこまでその「『創作化』した部分を『事実』と誤解する危険」を回避できるのだろうか。
これは、ドキュメンタリーというものの「落とし穴」に似ていると、わたしは思います。
「本当にあること」をカメラに写し、そのまま伝えたとしても、その「現実」のどの部分をクローズアップするか。
また、どんな構図でその映像を撮るか。
編集時に、どんな構図の映像をカットして編集するか。
そういう「演出」で、「創作」部分は生まれかねない。
「創作」部分から生まれる「印象」は、時として、「事実」にとっての弊害になることがある。
この「印象」というものを、再度検証してみることの大切さを、わたしは感じる部分があります。

さて、日常のことですが。
今日、5年生の息子が大騒ぎで帰宅しました。
帰宅後、すぐに、入浴の準備を始めました。
なんでも、学校の理科室で「ヨウ素」をさわったと。
その「ヨウ素」は毒性があるもので、すぐに38度以下の風呂に入り、毒素を洗い出さなければならないと。
また、手についた「ヨウ素」の毒性は、今日一日取ることができず、明日まで顔が洗えない、と。
それはもう、大騒ぎでありまして。
「誰に聞いたか?」と聞くと、「友達に」と答える。
学校に通う上で、誰から与えられる情報をあなたは第一にすべきか?と問うと、担任の教員と答える。
では、そこまで騒ぐ情報が、正確なものかどうか確かめるにはどうしたらいいかと尋ねると、担任の教員に聞くと答える。
息子は学校に電話を入れ、担任の教員と話し、「正確な情報」を入手し、騒ぎは解決しました。
その後、インターネットで「ヨウ素」について調べさせ、「ヨウ素事件」は解決しました。
息子は「毒」という言葉の印象に振り回された。
その印象を自分で解決する「スキル」というものがあること。
このことが今回の件で少しでも「印象に残って」くれたらいいな、などと思うのでした。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
すみません (まっち~)
2005-05-10 23:45:43
こんばんは。

息子さん、大まじめなのでしょうが、

大笑いしてしまいました。

かわいい~~~。



しかし、確かに、「自分で解決する「スキル」」大切ですよね。

子供達の世代は、今よりずっと「情報」が溢れていて、

何をどうやって選択していくかが、生きる術になると思うし。



かつて不動産の仕事をしていた時のこと、よく「ガセネタ」が入るのですよ。あの業界。

で、思い切り振り回されて、場合によっちゃ大被害を蒙る。

「本質」を見極めるって簡単なようで、

とっても難しい・・・



しかし、Sさんの子育ては、「経験から常に何かを拾いながら歩く」という点で、とても参考になります。



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Unknown (S嬢)
2005-05-11 00:46:38
>息子さん、大まじめなのでしょうが、



そうなの。

そういうヤツ。



で、また、わたしも、

「ふむふむ」言いながら、ちゃんと風呂に湯をはってやる母親。

目の前で、大真面目に「38度以下」に設定しましたよ、湯の温度。

それをやりながら、です、電話。

彼が担任と話しているときは、すでに服も脱いでおりました。



「おかあさん、だいじょうぶだって」

「いいじゃない、そのままお風呂入っちゃいなさいよ」と。



で、その後、娘もわたしも入り、今日は「夕刻には3人とも入浴済み」の日でした。

はっはっは。

そんな日もあるさ。



後で、ちゃんとまた話しましたよ。

小学校という場には、毒素の強いものは置いてはいけないのだよ、と。

それが小学校というものなのだよ、と。

小学校というのは、子どもを守る姿勢がなくてはならない場所なんだよ、と。



大真面目に騒ぐのがどんなに滑稽でも、それを認めてやらなきゃ、先に進めないことだってある。

わたしはそう思うのよね。

彼が大真面目に騒ぐ、

そのこと自体をまず、認めてやりたかったかな。

自分自身の考えというものを、その存在の権利ってモンをまず認めてもらわなきゃ、自分自身の思考を持つってことも難しいと思うのでね。
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友人の流言 (ぶんだば)
2005-05-30 03:17:46
その友人が真剣にそう思っていると、こちらも真面目に受け取っちゃいますね。性教育の話で、保健の先生が、あれとあれを「くっつける」と言ったか「いれる」と言ったかで大論争になりました(馬鹿…でもそのとき調べる根性はなかった)



しかしなぜ38度以下?半身浴?



で、ヨウ素。赤チン(ってないのかな?)

ルゴール。イソジンうがい薬。

あとでんぷん入れると紫になる。



そんなイメージですが、

毒素はともかく、色は落ちにくいかも(^^)

あと、たしか(うろ覚え)被曝したときに効果があるとかないとか聞いたことがあるので、お友達は「毒」をそこから仕入れてしまったのかもしれませんね。



情報を手に入れるという意味では、ネット社会は本当に便利ですよね。息子さん、すくすくと素直に育ってそうで、何よりです。
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Unknown (S嬢)
2005-05-30 08:50:07
伝聞ごっこという「遊び」がありましたよね。

最初の人間が伝えたことが、最後にどうなっているか、と。

他意なく、そういうことは起きてしまうということ。

だから、他者を責めないためにも、「検証」という姿勢は必要かもしれないとも思います。



誰から聞いた。

だから、その「誰が悪い」という風な思考に持っていかないように、今回のこのことは配慮しました。

正しい情報を入手しようとする姿勢は、誰かを守るべきことにも使えるのだということ。

そのことを最終的には、息子にも知って欲しいとも思いました。



先生に聞く、

というのは、学校で起きたことに対しての「最終責任者」というものを知れ、ということでもありました。

実はね、最初に彼が言った「先生に聞く」の「先生」は、「理科専科」の教員だったんです。

でも、わたしは「あなたの学校での生活の最終責任者は誰か」と、問い直しました。

いや、理科専科の教員でも、最終責任者という判断でもあったんですが。

実は、息子の担任は、今年新卒新任の先生で。

この、教師としてスタートしたばかりの彼にも、知って欲しかったんですよね、こういうことに対していくという経験を。

そして、そうやって、「子どもに担任としての信頼をおかれる」ということを直接的に感じられるいい機会だとも思いました。



息子と担任の教諭が電話で話し合っている様、

実は、わたしは「二人の育ちゆく男の子」として、見ていました。

親が子どもによって育てられることがあるように、教員もそうですよね。

って思ったんですよね。



>しかしなぜ38度以下?半身浴?



笑っちゃうでしょ、なんかもっともらしくて。

でも、このことに対しての「ツッコミ入れる検証」は、避けました。

それは、友人の言葉を検証するということで、「疑う」という姿勢を未熟なまま、受け入れかねないと思ったので。

わたしは彼が友人を信じたように、息子の言い分を全部受け入れ、息子の言うままに風呂に「37度」の湯を張ったのでした。
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