S嬢のPC日記

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受容と共感

2005年05月20日 | つぶやき
NHKの朝の連ドラの「ファイト」。
今日の回のこと。
簡単なあらすじは以下の通りなのですが。
友人とのトラブルで高校に行けなくなったヒロイン。
このトラブルはもともとは、父親が自分の正義を通したことが原因なために、そのトラブルと不登校の理由が両親に言えない。
言うことは、父親を傷つけることになる、と。
不登校を続ける娘に対してその理由がわからないことにいらだつ両親に何も言わず、「友達」である競走馬のいる厩舎に通うヒロイン。
そして、母親は、厩舎で厩務員の、馬に話しかける言葉に気づきを持つ。
厩務員は、馬に、「オマエは気が立っているのだな」とゆっくりと話しかける。
「理由がわかるのか」と問う母親に、「理由はわからないが、気持ちはわかる」と答える。
母親は、家に帰り、娘に対して、ただ「つらかったね」と言葉をかける。
そうそうそうそうそう、
そうだ、そうだ、と強く思う。
「つらい」と嘆く人の前でしてしまうまちがいは、まず理由を聞いて、そのつらさを「検証」しようとすること。
ちがう。
それは、後。
「つらい」と嘆く人の前で、まずやるべきことは、
「ああ、あなたはつらいのね」と、その感情を共有することだと思う。
まず理由を検証されても、その理由は、その当事者と聞き手とでは、微妙に価値観が異なる。
つらさを背負う人は、たいがいにおいて、自分を責めている。
それを口にしたところで、まず最初に、理由と事情を検証されるのでは、心もかたくなになる。
その理由と事情の前で、裁かれるような感覚さえ、持ってしまう危険がある。
必要なことは、「ああ、あなたはつらいのだね」と、つらさを感じる本人を、本人の気持ち自身を、本人自身を、まず、そのままの姿で受けとめることだと思う。
受けとめてくれる人間がいるかいないかで、つらさはさらに、大きな孤独感をプラスすることが関わっていってしまう。
受けとめてくれる人間の存在を感じるとき、人は、自ら、そのつらさに向かい合って、解決という扉を見つけ開いていく強さを持つことができる。
そのときに、まず「ああ、あなたはつらかったのね」という立場を持った人間は、裁く相手でも検証する分析者でもなく、「つらさを共に解決しようとする協力者」になることができる。

つらさを抱えてる人間に最も必要なのは、「つらさを共に解決しようとする協力者」なのだと思う。
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4 コメント

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猫だましい (TAKO@ぽんす)
2005-05-20 15:25:36
S嬢さん



最近、読んだ本、河合隼雄著「猫だましい」(新潮文庫)に同様のことが載ってました。



この本の中で河合先生は、「なぜあり療法」と「なぜなし療法」という呼び方で説明されていて、人は何かと「なぜ?」を知りたがり、その原因が分かることで「すべて解決する」と考えてしまいがちで、答えが分かると(聞き手は)安心する。 そして、原因を追及された当事者は余計に傷つく。

そうではなく、相手と「なぜなし」に向き合うことで解決する(治る)ことが心療の現場ではよくある。と、書かれてました。

(これ↑は、私なりの要約なので原文のニュアンスとは異なると思います。たぶん。)



>「つらさを共に解決しようとする協力者」



その立場で相手に会うことは、「相当に修練を積まぬとできない」(同、引用文)とも書かれていました。



受容と共感 。 何も云わず、ただ傍にいてあげることは、実は難しいことなのかもしれませんね。 でわでわ。
Unknown (S嬢)
2005-05-20 16:46:32
何かあると人は、すぐに「脳」と「口」になりたがるなあと。

必要なのは、「耳」になることなのだよなあ、と思うのですわ。

「口」は、当事者が動かすべきもの、というか。



「耳になる」ことに対しての信頼を得られたときに、「口」が自らのために動き出し、そこで「耳」はただ「耳」であることから、「生産性のある相づち」を打つ役割になっていく。

そういうモンだと、わたしは思うのですよね。



この信頼できる、そして頃を見はからって動き出す「耳」を、誰でも手に入れられるわけではない。

でも、最近ではブログというツールも効果的に機能するよなあというのは思います。

それが、まあ、自記事の「宛名の無い手紙」というヤツに関連していくわけなのだけど。

書いていくことで、自らが「耳」の役割をしていくことができるというか。



>その立場で相手に会うことは、「相当に修練を積まぬとできない」(同、引用文)とも書かれていました。



「耳になる」という重要性をわかってない人ほど前に出る、という確率は高いような気もしますよね。

それで二重に傷つく場合もある。

それでついた傷と頑なさをまたほどかなくては、「芯」の部分が痛いままだよなあと思うこともあります。



そういえば「話を聞かない男、地図が読めない女」という本の中に、

「女は話すことを聞いて欲しい、

 それを聞くときに男は解決策を相談されてるのかと思う」

という、食い違いの会話の話があったなあと。

コレも、そういう意味では、問題点がちょっと似てるかもしれない。



>人は何かと「なぜ?」を知りたがり、その原因が分かることで「すべて解決する」と考えてしまいがちで



コレね、「子どもに障害がある」と告知されたときに、ものすごく関わってくる「問題」なんですよね。

原因がわかっても、意味無いんですよね、「障害」の前では。

親がこの「原因がわかっても障害自体が無くなるわけではない」という無力さを知っても、周囲がまた、原因が何かと口に出すことで、親が傷ついていったりもするんですよね。



TAKO@ぽんすさま、猫好きだったよね。

よかったら、ココ、寄ってってください。

猫話。

http://blog.goo.ne.jp/satomies/e/07b8a2e2c30e89e8459acfb2b31d7942

トラックバック先の猫話もおもしろいよ。
TBしてみましたが (ぶんだば)
2005-05-26 00:35:31
恐る恐る…こんな、わけのわからない記事を書いたのは初めてなので、たぶん読みにくいと思います。けれど、とにかくたくさんの記事で泣いてしまうということを伝えたくて、記事を書きました。
Unknown (S嬢)
2005-05-26 09:40:50
>こんな、わけのわからない記事を書いたのは初めてなので



光栄です、ありがとう。

というか、なんかぶんだばさんがおろおろしてる感じが、ものすごくかわいらしい感じで、うふうふうふ、と思いました、このコメント。

にこにこ。

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癒される文章・癒されるブログ (徒然なるままに時間のあるときにPCに向かひて)
私は「鉄の女」といわれたことはないが(自嘲)まあそれなりに経年とともに図太くはなっているのだろう。 けれど、今は病もちであって、どうにも精神的にダウンしてしまったり、疲れきってしまったりすることがある。 そんなときに、必ず覗きにいくブログがある。 一つは