なかなか面白い分析です。
<中央日報>ゲーム中毒の本当の原因は競争社会が作った欠乏=韓国
韓国は世界最長の勤務時間と勉強時間を誇る(?)。仕事と勉強が優先されるため、ゲームは良い待遇を受けにくい。このためゲームは仕事や勉強をする時間を奪う邪魔物として扱われたり、さらには中毒を起こす麻薬のような存在と見なされる。
ゲームは果たして有害な存在なのだろうか。ゲームはコンピューターが発明される前から人類の歴史と一緒に歩んだ。囲碁や将棋を見ると、ゲームが古い存在ということが分かる。実際、遊びは人類より古い。哺乳類や鳥類も遊ぶ姿を見せるため、遊びは人類以前の原初的な本能といえる。
動物の子の遊ぶ姿を見ると、親の動きと似た部分を見ることができる。人の場合も同じだ。大人になってする仕事を遊びを通じてあらかじめ学んで身につけているのだ。このような面で遊びは一種の学習でもある。ただ、通常の学習とは違い、強制性なく自由に参加し、その結果を心配する必要がない。このため仕事とは違い、失敗してもいくらでもまた楽しくできる。むしろ仕事に対する良い訓練になったりもする。したがってすべてのことをコンピューターでする時代に、コンピューターで遊びをするのは極めて当然のことだ。
数人が一緒にゲームをするには、ゲームの規則がよく守られ、公正な競争と褒賞がなければならない。ゲームと呼ばれたりもするスポーツもこうした点では同じだ。公正な競争と褒賞がなければ、きちんとしたスポーツやゲームということはできない。ゲームを通じて規則を守り、チーム同士が協力し、相手チームとは正々堂々と競争し、公正な褒賞を受ける経験は、正しい社会性と道徳性を育てる良い教育でもある。これを通じて青少年は社会の健全な一員として育つことができる。したがってこのような遊びは特に青少年期には必須といえる。
しかしこの国の青少年は遊びを通じた社会的学習が十分にできていない。子どもたちが最も多くの時間を過ごす学校や塾で要求されているのは、自分以外をみんな競争相手と考えることだ。ここには協力も配慮もなく、競争者を抑えて高い試験の点数を獲得することだけだ。こうして大学生になると、組別の課題が地獄になるしかない。さらには国までが動き出し、海外にも類例がないゲームシャットダウン制まで実施している。ゲームシャットダウン制を推進した人たちは青少年の睡眠権保障を名分に出したが、彼らは青少年が睡眠を減らしながらもゲームをする理由を正しく理解していない。
青少年にとってゲームは、結果に対する心配なく自分の自由意志で何かができ、それによる公正な褒賞を得ることができるところだ。現実でそうできない青少年にとっては重要な慰安であり、避難場所となる。これは青少年に限られたことではない。青少年であれ成人であれ、我々の社会で深刻に欠乏しているものをゲームを通じても満たそうとしているのだ。これをゲーム中毒というのなら、そのような中毒は存在する。しかしゲーム中毒の本当の原因はゲームではなく、激しい競争社会が作った欠乏だ。ゲーム中毒は人間の生活に必要なものを満たそうとする本能的な行動の結果にすぎない。
仕事と勉強に抑えつけられた機械ではなく、幸せな人間として暮らせる社会を作るためには、まず子どもたちが幸せに遊べる時間を作らなければならない。これが我々の未来を生かす道だ。フリードリヒ・シュラーはこう話した。「人は遊びの中で完全に人である」。
キム・ソンワン釜山ゲームアカデミー教授/インディゲーム開発者/インディゲーム開発者の会インディラ!代表/ゲーム開発者連帯執行委員