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“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

原発汚染地下水 最初から放出が前提

2014年08月19日 12時59分40秒 | 臼蔵の呟き

自民党政権、経済産業省、原子力規制委員会は最初から、くみ上げる地下水は、太平洋に放出する計画であったことが明確になりつつあります。彼らは、汚染され、増え続ける冷却汚染水を保管できないことから、何らかの形で汚染水を太平洋に薄めて放出することをねらってきました。

薄めるからいいではないか。これは彼らが考えていることです。

そもそも福島第一原発による事故がなければ、核燃料の溶融、原子炉からの放射性物質の漏れ出しは無かったのです。そのことを全く不問にして、汚染水が大量にたまるから、放出しても仕方がないとする主張は到底受け入れられるような問題ではありません。その一方で、安全性が確認されたら九州電力川内原発を再稼動させるのだと。彼らの手前勝手さと、無責任さはどうしようもないレベルまで腐敗堕落しています。

<北海道新聞社説>原発汚染地下水 最初から放出が前提か

 場当たり的な対応を重ねた揚げ句、行き詰まってから相手に困難な選択を迫る。あまりに不誠実なやり方と言わざるを得ない。福島第1原発の汚染水対策で、東京電力と政府は、建屋周辺の井戸から地下水をくみ上げ、浄化して海に放出する計画を表明し、地元漁業者への説明を開始した。

 浄化するとはいえ、汚染された地下水を海に流すのは初めてだ。

 しかも、山側の井戸から汚染前の地下水をくみ上げて海洋放出する地下水バイパスが5月に始まったばかりだ。バイパスを受け入れたことだけでも、漁民にとっては苦渋の決断だった。

 その効果も判明しないうちに、持ち出された無理難題である。漁業者の反発は当然だ。

 建屋周囲にある井戸は「サブドレン」と呼ばれ、事故前から地下水をくんで海に流していたが、東日本大震災でポンプなどが壊れ、使えなくなった。

 これが建屋に1日400トンもの地下水が流入し、汚染水が増え続ける主因とされている。政府が昨年まとめた汚染水対策には、凍土遮水壁の建設、地下水バイパスなどとともに、サブドレンの復旧が盛り込まれていた。その時点で、くみ上げた汚染地下水の処理に窮することは、東電と政府には分かっていたはずだ。ぎりぎりまで問題を伏せていたと批判されても仕方あるまい。第1原発敷地内で汚染水をためるタンクに余裕はなく、タンクの増設計画にもサブドレンの水の保管は含まれていない。

 要するに、最初から海洋放出を想定していたのではないか。

 東電はサブドレンの活用で地下水の流入が半減するとしている。

 だが、これまでの対策には見るべき成果はなく、切り札とされる凍土遮水壁の効果も疑わしい。

 汚染水は「アンダー・コントロール(管理下)」という安倍晋三首相の言葉とは裏腹に、制御のめどすら立たないのが現実だ。

 不都合な事実から目を背けた結果が、海洋汚染を拡大させかねない今回の放出計画である。

 何の展望もない計画に漁業者も国民も納得できるわけがない。国際的な信用も失われる。

 政府と東電は地質構造、地下水の流れ、汚染の実態を解明し、対策を根本から見直すべきだ。

 事態を過小評価せず、あらゆる情報を公開するのが事故処理の第一歩だ。こんな当たり前の認識が、いまだに関係者の間で共有されていない現状に憤りを覚える。


除染作業員の診断書偽造

2014年08月19日 10時58分43秒 | 臼蔵の呟き

元受企業のゼネコン鹿島が国の除染費用をピンはねし、その除染作業による健康被害は全く関心がないことを良く示しています。原子力産業の経営姿勢が良く示される事例です。作業員は企業利益の手段、道具であり、使い捨てにする。その作業員の健康被害などは眼中に無い。ばれたら、形式的に口裏を合わせておけばよい。これがゼネコン、政権の本心であることを示しています。

それにしても原子力産業、電力会社の無責任さと、モラルの無さは際立っています。そして、原子力発電所がいかに非人間的な施設であるかを証明しています。このような代物を安全である、コントロールしていると嘯く安倍、自民党中枢の政治感覚はとてつもない非人間性に貫かれています。

<除染作業員の診断書偽造 下請け「こちらで用意」>東京新聞

 東京電力福島第一原発事故に伴う国直轄の福島県田村市の除染作業で、下請け会社が作業員の健康診断書を偽造し、健康診断を受けさせずに作業をさせていたことが分かった。被ばくの危険がある労働は、詳細な血液検査などの健康診断が義務付けられている。法令に違反するだけでなく、作業員の健康への影響が懸念される。

 下請け会社は、鹿島(東京都港区)を中心とした共同事業体の仕事を請け負っていた松栄ワークス(横浜市、破産手続き中)。鶴見労働基準監督署(神奈川県)は今年六月、同社が四十代の男性作業員を雇う際、健康診断を受けさせなかったなどとして是正の指導をした。

 複数の作業員によると、2012年8月、福島県郡山市の事務所などに集まった際、同社社員らから「健康診断を受けたことにしてください。診断日を(教えるので)覚えておいて」と言われ、田村市の山間部の除染に当たった。

 三十代の男性は「誕生日に受けたことにして」と言われ、日付を書いたメモを渡された。事前に同社に健康診断が必要かと問い合わせた作業員らは、「必要ない」「こちらで用意します」と言われたという。

 四十代の男性は同年十一月に事務所に呼ばれたとき、心当たりのない自分の健康診断書があるのを見つけた。一通は「健康診断書」と書かれ、医師名として女性の名前と印があったが病院名はなかった。もう一通は「除染等電離放射線健康診断個人票」と書かれ、福島県内に実在する病院名と医師名のスタンプなどが押されていた。

 男性が医師に確かめると、スタンプも印鑑も病院で使われているものとは違い、数字の筆跡も医師のものではなかった。

 医師は「うちの診断書ではない。私の名前をかたった偽物です」と断言したという。取材に対し、医師は「取材には応じられない。男性らに聞いてほしい」と話した。

 松栄ワークスの社長には再三連絡を試みたが回答はなかった。元請けの鹿島は「作業員の健康診断の受診状況はコピーの提出を受けて確認していた。まさか偽造とは思わなかった」とコメントした。

 発注者である環境省の担当者は「労働管理は各業者に対応してもらっている。労働者から相談があれば、元請けに確認を取らせ、改善要請する」と話した。

 <被ばく労働と健康診断> 原発や除染など被ばく労働をする作業員の健康を守るため、雇用会社は通常の健康診断のほかに、雇用時や就業後半年ごとなどに、通常の健康診断とは別に白血球数など詳細な健康診断を受けさせなくてはならないと法令で定められている。雇用会社は、詳細な診断結果を記した健康診断書(《除染等》電離放射線健康診断個人票)を保管し、所轄の労働基準監督署長に報告しなくてはならない。


愛国と反戦、国民と国家 

2014年08月19日 07時02分27秒 | 臼蔵の呟き

自民党政権が、戦略的にねらう目標は、戦争できる国家。そのためには、現代版富国強兵策です。そこにあるのは国民ではなく、国家であり、富国強兵の中心的なやむ割を果たす軍需企業、死商人、軍隊、武器です。彼らのいう国会の中には生身の人間、日本人の生活などは想定されていません。だからこそ、彼らにとって国民は手段であり、収奪の対象でしかありません。

浜 矩子教授    <毎日新聞> 危機の真相:愛国と反戦、国民と国家 この2つの重要な関係

 13日付の本紙(毎日新聞)から二つの示唆を得た。示唆その1は、筆者が日々チェックしている「仲畑流万能川柳」欄の中にあった。当日の入選投稿の中の次の一句だ。「愛国心あるからこその反戦さ」、おお、素晴らしい。これをサラッといえる感受性は何とも爽やかだ。

 その通りだ。真の愛国心は好戦性とは無縁だ。積極的平和主義などという言葉が使われる昨今だ。使っているご本人はこの言い方を盾に集団的自衛権の行使容認を「ごり押し」しようとする。だが、反戦をもたらす愛国心こそが、真の積極的平和主義だ。不戦を誓う日本国憲法の中にこそ、真の愛国があり、最も積極的な平和主義が貫かれている。

 万能川柳の選者と投句者のセンスがある限り、日本の民主主義は安泰だ。斜にかまえつつ、しかしながら正面切って、ユーモアあふれながら、真剣そのものな目で、世の中を見つめる。この感性が頼もしい。しばしば、底抜けにばかばかしい句も登場する。それがまた、いと、楽しからずや。笑いは、忍び寄る邪悪さに対する至高の解毒剤だ。

 愛国的反戦主義者の投句を発見して、もう一人の人物のもう一つの言葉が頭に浮かんだ。「愛国心だけでは不十分だ。私は私の心の中に一切、憎しみを抱いてはいけない」。イギリス人看護師、イーディス・キャベル(1865〜1915)の言葉だ。彼女は、第一次大戦時に最前線で看護に従事した。敵味方の分け隔てなく、多くの命を救った。そして、ついにドイツ軍に銃殺処刑されてしまった。だが、彼女の助命を求める声は世界中から湧き上がった。

 自分の魂から憎しみを追放できてこそ、真の愛国者になれる。憎しみを内に抱いた愛国心がぶつかり合えば、そこには殺し合いが発生する。反戦の決意に裏打ちされていればこそ、愛国心と愛国心はぶつかり合うことがない。

 本紙から得た示唆その2は、「水説」(中村秀明論説副委員長)の中にあった。万能川柳欄からの示唆に感動しながら目を上げると、その上の段にこの論考があった。

 「『民』はどこへ」がそのタイトルだった。広島と長崎の原爆の日に際して、安倍晋三首相が行ったあいさつについて、二つの問題を指摘していた。第一は、冒頭部分が昨年のものとほとんど同じだったこと。第二の問題は、広島でも長崎でも、昨年と大きく変わった箇所があったことだ。

 第1点も実にひどい。何たる被爆者軽視。何たる見識の欠如。何たる不心得。

 第2点はそれにも増して衝撃的だった。昨年は「私たち日本人は、唯一の、戦争被爆国民であります」となっていたくだりが、今年は「人類史上唯一の戦争被爆国として、核兵器の惨禍を体験した我が国には」となっている。日本人という国民が姿を消して、国家が前面に出た。

 由々しき問題だと思う。国民国家において、国家は国民のために働く装置だ。主体はあくまでも国民だ。かりそめにも、国家のために国民がいるなどと考えてはならない。

 ところが、原爆の日の式典という最大級に厳粛な場面で、首相のあいさつの中から国民が追い出された。代わって、国家が主体の座に座った。これは実に恐ろしいことだ。こんなことは、国民国家の政策責任者においてルール違反なのではないか。首相は「水説」への反論をフェイスブックに掲載した。「『被爆したのは日本人だけではない』との指摘があり、『被爆国』とした」と説明するが、それならば外国人被爆者への思いを付け加えればよい。国民の言葉を消す必要はない。

 ジョン・F・ケネディ米大統領の有名な言葉に「祖国があなたのために何をしてくれるかを問うなかれ。あなたが祖国のために何ができるかを問うべし」というのがある。ケネディ名句の筆頭格に数えられている。だが、筆者はこれがどうも引っかかる。やっぱりこれは違うと思う。国民には、国家が自分のために何をしてくれるかを、常に問いかけ続ける当然の権利がある。

 「祖国」というから、思わずハートをわしづかみにされてしまう。この場合の「祖国」の原語は「カントリー」(country)だ。「ふるさと」とか「いなか」のニュアンスがある。「お国自慢」などという時のお国は「カントリー」だ。

 ケネディ氏が国民国家における国家を意味する「ステート」(state)という言葉を使っていたら、どうだっただろう。「ステートがあなたのために何をしてくれるかを問うなかれ。あなたがステートのために何ができるかを問うべし」といわれても、誰も胸を高鳴らせはしなかったに違いない。それどころか「何を言っているのか」と大顰蹙(ひんしゅく)を買ったに違いない。

 愛国とは、国民が国家に奉仕することを意味しない。愛国は反戦の誓いだ。その誓いの主体は、あくまでも国民だ。反戦平和の決意を新たにすべきこの季節に、本紙から貴重な二つのメッセージを得た。

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 ■人物略歴

 はま・のりこ 同志社大教授。