“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

軍国主義復活をねらう安倍、自民党中枢とヘイト・スピーチ

2014年08月08日 10時59分05秒 | 臼蔵の呟き

ヘイト・スピーチは単なる不快な表現ではなく、国籍、民族、性などの属性を理由に、マイノリティの人間としての尊厳を否定する言葉の暴力であり、差別や暴力を社会に蔓延させる差別煽動であり、歴史的にジェノサイドや戦争を引き起こしてきた。だからこそ、国連、国際社会も右翼勢力、右翼政党による排外主義、差別発言、煽動を批判し、当事国の取締りと対応を求めてきたのだと思います。

従軍慰安婦問題と同じような流れの中で、右翼グループによる集会、デモなどでヘイト・スピーチが東京周辺では問題として取り上げられてきました。言論の自由といって見過ごすことの出来ない差別発言、煽動が社会にもたらす負の影響を見過ごせば、ナチスドイツが引き起こした、暴力、人種差別が極限まで拡大し、政敵の排除、時の政治権力を批判する運動などの弾圧に行き着くことは歴史の教訓です。その延長線上に侵略戦争への動員、思想統制などが待ち受けています。再びそのような悲劇を再現させてはなりません。

安倍、自民党中枢のヘイト・スピーチへの対応は無策であり、規制と批判をせずに、彼らがその行為を容認し続けるのであれば、同種の政治勢力であることを証明しているのだと考えられます。

<時事通信>ヘイト・スピーチ対策を 都知事要請

 東京都の舛添要一知事は6日、都内で開かれた自民党衆院議員の勉強会であいさつし、人種や国籍などで差別するヘイトスピーチ(憎悪表現)について、国レベルで対策を検討するよう自民党政務調査会に要請したことを明らかにした。週内にも安倍晋三首相と会談し、同様の要請を行う。

 舛添知事は2020年東京五輪・パラリンピックに関連し、「人種や国境、宗教の壁を越えてスポーツで結び付く平和の祭典をやる主催都市で、そんな恥ずかしい言論を許していいのか」とヘイト・スピーチを強く批判。「都が条例で規制しようとしても、川崎市や千葉市、さいたま市でやられたら仕方がない。国レベルでしかるべき対策を取るべきだと自民党政調会に申し上げた」と述べた。 

<ヘイト・スピーチは言葉の暴力>

 「うじ虫ゴキブリ朝鮮人」「韓国人は皆殺し」―このようなヘイト・スピーチでマイノリティを攻撃し差別を煽動する排外主義デモが各地で行われ、インターネット上に同様の表現があふれています。日本では表現の自由として保障されているからです。

 「ヘイト・スピーチ」という言葉は2013年流行語大賞のベスト・テンに入りましたが、未だその意味は正確には理解されていません。それが、法規制をめぐる議論にも混乱を招いています。本書では、アメリカでこの言葉が生まれた経緯、国際人権法が違法とした経緯、ヘイト・スピーチが歴史的・現実的にもたらしてきた害悪などから、ヘイト・スピーチとは何かを検討しています。ヘイト・スピーチは単なる不快な表現ではなく、国籍、民族、性などの属性を理由に、マイノリティの人間としての尊厳を否定する言葉の暴力であり、差別や暴力を社会に蔓延させる差別煽動であり、歴史的にジェノサイドや戦争を引き起こしてきたのです。

 日本はこれまでヘイト・スピーチをはじめとする差別の問題に正面から取り組んで来ず、野放しにしてきました。ヘイト・スピーチの放置は、自死に至るほどのマイノリティの苦しみを放置することです。「表現の自由か法規制か」という100かゼロかの議論から、日本社会が差別とどう向き合い、差別をなくすために何をすべきか、どのような法制度を作るべきかという具体的な検討に踏み出すべきです。


侵略戦争の残忍さは隠せない

2014年08月08日 05時35分46秒 | 臼蔵の呟き

はだしのゲンの閲覧制限問題は、昨年のこの時期に顕在化しました。従軍慰安婦問題と橋下発言、国会における河野談話の見直し要求(維新の会の質問)、アンネの日記本の毀損事件、NHK籾井発言、百田直樹の演説と居直り、NHK報道への政治介入などは一連の安倍、自民党中枢による世論誘導、操作の露骨な策動は、常態化しつつあります。

最近では、NHK報道への更なる批判と政治圧力、朝日新聞批判などへの深刻化する傾向が顕著となっています。私から見れば、朝日の報道は、普通の取材、報道であり、何も変更などはしていません。NHKなどは安倍政権の報道機関に成り下がっているのですが、それでも気に入らないとさらに批判を強める。NHKを完全に支配し、国営放送化しようとしているのは許せることではありません。

そのような流れの発端、政治権力に迎合するような言論統制、閲覧批判を許してはなりません。

<はだしのゲン閲覧制限問題>

広島の原爆被害を描いた漫画「はだしのゲン」を松江市教育委員会が小中学校の図書館で自由に読めなくするよう指示していた問題で、賛否両論が沸き起こっています。さまざま論点が出ており、必ずしも議論がかみ合っていないようです。新聞の社説やネット上の議論などから論点をまとめました。

 そもそも松江市で閲覧制限騒動が起きたきっかけは、1人の市民が市議会に提出した陳情書です。陳情書の趣旨は、「ゲン」は「天皇陛下に対する侮辱、国歌に対しての間違った解釈、ありもしない日本軍の蛮行が掲載」されていて、子どもたちに「間違った歴史認識を植えつけている」ため、小中学校図書館からの撤去を求めるものでした。陳情書は不採択になりましたが、市教委は「小中学生には描写が過激」という別の理由で閲覧制限を打ち出しました。

戦争と平和を考えさせる

 閲覧制限への反対論には、残虐な描写が戦争の悲惨さを教え、平和について考えさせるという意見があります。毎日新聞の社説はその1例で、「戦争が人間性を奪う恐ろしさを描いた貴重な作品として高い評価を得てきた」とし、原爆被害の実態を広く世界に伝えてきたことも指摘しています。ブロガーのイケダハヤトさんは、小学校の図書館における漫画の求心力の強さを挙げ、「学校以外では読むことはないけれど、価値があるマンガ作品」だからこそ、学校図書館に置く意味があると書いています。

過激な描写は事実なのか

 閲覧制限への賛成論では、子どもに見せるべきではない過激な描写の例として、日本兵が妊婦の腹を切り裂いて赤ん坊を引っぱり出したり、女性器の中に一升瓶をたたきこんで骨盤をくだいて殺す場面などが挙げられています。こうした描写が事実に基づいているかについて疑問の声も上がっています。「素人戦史マニア」を自認するジャーナリストの石井孝明さんは、「旧軍全体が統一的に残虐行為を行ったという事実が記された戦史書、公文書があったら、教えてほしい」と書きます。

 反対論の中には、松江市教委のような規制は「表現の自由」を侵しかねないとの声も出ています。これに対して、問題は「ゲン」が小中学校の図書館にふさわしいかどうかであり、表現の自由とは関係がないとの反論もあります。

 「ゲン」の政治性についても意見が分かれます。産経新聞の阿比留瑠比編集委員は「特に天皇に対しては、作者の思想の反映か異様なまでの憎悪が向けられる」と批判しているのに対し、朝日新聞の社説は「天皇の戦争責任をめぐっては今もさまざまな見方がある」としつつ、「子どもと大人が意見を交わし、一緒に考えていけばいい」と論じています。

「ゲン」の特別扱いは

 賛否とは別の意見もあります。ジャーナリストの藤代裕之さんは、閲覧制限への反対論が「世界的な名作」「平和教育に有用」といった「ゲン」が重要な作品であることを軸にしていることを指摘。「評価に関わらずある作品を特別扱いすることのほうが問題ではないでしょうか」と疑問を投げかけ、賛否どちらにしても特別扱いするのはよくないと論じています。

 その根拠として藤代さんは、日本図書館協会の「図書館の自由に関する宣言」から、国民の知る自由を保障するため「図書館は、正当な理由がないかぎり、ある種の資料を特別扱いしたり、資料の内容に手を加えたり、書架から撤去したり、廃棄したりはしない」という言葉を引用しています。

 当の日本図書館協会は、「自主的な読書活動」を尊重する観点から、閲覧制限の撤廃を求める要望書を松江市教委に送りました。アメリカの図書館協会が年齢による利用制限を「目立たない形の検閲」としているのを引用して市教委を批判したそうです。

 なお、ヤフーの意識調査<「はだしのゲン」の閲覧制限は妥当?>によると、約14万票のうち83%が「制限すべきでない」との回答です。