テロ対策に武力、軍事力を使えば、必ず、復讐の連鎖を引き起こします。殺害された関係者、家族は殺害した側、アメリカ、イギリス、フランスなどの国家を相手として、復讐のためのテロ攻撃を計画し、その悪循環が繰り返されることになります。
先進協業国がアメリカ、イギリス、ヨーロッパに集中しているために、宗教対立のように言われますが、本質的な問題は宗教対立ではないと思います。むしろ、宗教対立として宣伝、描き出すことでイスラム圏の国民が全てテロリスト協力者のように見られ、不要な対立、衝突を引き起こしているともいえます。
NKH夜の番組で、尖閣問題で中国と日本の相手国に対する印象の悪化比率が80%に上っていると報じられました。これは両国政府の対応の仕方、マスコミを通じた報道、非難合戦、暴力行為などを通じて、相手国、相手国国民への感情が作り出されているのではないかと思います。日本が中国、韓国と対立したままで政治経済をやり過ごすことが出来ないことは冷静に考えれば理解できることです。
同じように、資源を持たない日本が、中東、アフリカ各国との政治経済の良好な関係を築きあげることこそに全力をあげるべきです。また、これらの国家でテロリストが策動し、テロ集団を拡大しないように経済支援、社会的基盤整備、教育支援などを行い、貧困の改善に協力することが必要ではないかと思います。憎しみ、暴力からは何も生まれないと思います。
<アルジェリア人質事件 世界はテロを許さない>
アルジェリアで起きた人質殺害は世界が許さぬ犯罪である。イスラムテロの根絶に向かって、日本と世界は、より強く、より周到に協調せねばならない。
今のイスラムテロの源流は、百年前にもさかのぼるだろう。オスマン帝国の崩壊後、欧州列強がアラブ、イスラム諸国を分割・統治した。その劣勢、誇りを失った陰りが、イスラム同胞団などを創設させ、民衆の間に浸透していった。
それは芽吹きを待ったが、こんどは米ソ冷戦の中、軍事政権が続々と誕生。イスラムを掲げつつ、実態はイスラムを抑圧、弾圧する政治を行った。今、戦火の中にあるシリア、アラブの春で倒されたエジプトやリビアがその典型である。
◆欧米諸国の二重基準
そして、それらの独裁政権をかげで支えてきたのが、米欧ロの諸国である。今回事件のあったアルジェリアでは、一九九〇年代、軍部が総選挙で勝ったイスラム勢力を武力でつぶすのを、旧宗主国フランスは黙認、他の欧州諸国、米国も沈黙していた。
自らは権力を選挙で決める民主主義、暴力ではなく公正な裁きを秩序とする法治を掲げながら、中東では“地域安定”の名の下に暴力的政権を許してきた。そういう二重基準を民衆はもちろん見抜いていた。イスラエルは核兵器を持っているのに、なぜイスラムの核はだめなのか。その当否は別としても、民衆が不信と不満を持つのは自然なことだった。
カイロなど都市の住民は、アメリカのコーラを飲み、ハンバーガーを食べ、ハリウッドの映画を見つつ、そう思い、そう語り合うのである。
◆武力ではなくならぬ
テロリストの親玉とされたウサマ・ビンラディン容疑者の殺害で、オバマ大統領が「やつを仕留めた」とつぶやき米国がかっさいしても、現実にはテロはなくならず、いや9.11事件のずっと前からテロは頻発していたのである。
エジプトでは、南部の遺跡ルクソールで日本人十人を含む外国人六十人以上がテロリストに射殺されたことがあった。当時のムバラク政権は過激派を多く捕らえていたが、テロは取り締まりを逃れ、南部へ移動していた。鉄道が射撃されると、隠れ場所のないように線路近くのサトウキビ畑を刈り取ってしまったが、それでもテロはなくならない。
テロは武力では根絶できない、というのは机上の話ではなく、実際のことなのである。血縁、部族のつながりは強く、一人が殺されると、その兄弟らがテロリストになりうるのである。
貧困や失業、政治腐敗がテロの温床になる。その通りである。しかし、抜け落ちていたのが民主化だった。いち早く気づいた国家は、米国だった。アフガニスタン、イラクと、立て続けに戦争を仕掛ける一方、エジプトなどでは若者らのネット運動を支援していた。ハードパワーとソフトパワー、その両方を使う外交だ。そのアラブの春は、まだ不安定である。混乱もしている。
しかし、現代のテロの根が百年前から地に着いたとすると、その根を断つには、西洋のキリスト教世界とイスラム教のオリエンタル世界との対話、理解、融合しか、おそらく方法はないだろう。成功例の一つが東西の境界にあるトルコだ。クーデターと政情不安を経たうえ、九〇年代半ば、民主化の進んだイスラム政権を誕生させている。欧州との経済交流は年々盛んになっている。
アラブの春という民主化は、暴力のパンドラの箱をあけたわけでなく、暴力をなくす確かな道なのである。イスラム社会がテロを憎むようになることが必要なのである。その支援が、長い目で見て世界の安定、民衆の貧困脱出につながる。欧米諸国、経済発展国の仕事である。
米欧のテロとの戦いは、たとえば目下、アフリカのマリでフランスが行っている武力支援がある。軍事訓練、武器の補給という方法もあるだろう。
◆軍事支援ではなくて
しかし日本には、欧米のような軍事介入、軍事支援とは一線を画した、日本ならではの支援があるはずだ。経済、医療、教育、文化さまざまな支援分野がある。テロを許さない協調体制がある。
テロとの戦いは、残念だが容易には終わりそうもない。テロ情報の国際的共有、ふだんの警護の方法、万一の場合の救出策、それに情報収集の点検強化が必要だ。
多くの課題を残した今回の事件である。犠牲になった人々の無念にこたえるような貢献を、日本はぜひ果たしてゆきたい。
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先進協業国がアメリカ、イギリス、ヨーロッパに集中しているために、宗教対立のように言われますが、本質的な問題は宗教対立ではないと思います。むしろ、宗教対立として宣伝、描き出すことでイスラム圏の国民が全てテロリスト協力者のように見られ、不要な対立、衝突を引き起こしているともいえます。
NKH夜の番組で、尖閣問題で中国と日本の相手国に対する印象の悪化比率が80%に上っていると報じられました。これは両国政府の対応の仕方、マスコミを通じた報道、非難合戦、暴力行為などを通じて、相手国、相手国国民への感情が作り出されているのではないかと思います。日本が中国、韓国と対立したままで政治経済をやり過ごすことが出来ないことは冷静に考えれば理解できることです。
同じように、資源を持たない日本が、中東、アフリカ各国との政治経済の良好な関係を築きあげることこそに全力をあげるべきです。また、これらの国家でテロリストが策動し、テロ集団を拡大しないように経済支援、社会的基盤整備、教育支援などを行い、貧困の改善に協力することが必要ではないかと思います。憎しみ、暴力からは何も生まれないと思います。
<アルジェリア人質事件 世界はテロを許さない>
アルジェリアで起きた人質殺害は世界が許さぬ犯罪である。イスラムテロの根絶に向かって、日本と世界は、より強く、より周到に協調せねばならない。
今のイスラムテロの源流は、百年前にもさかのぼるだろう。オスマン帝国の崩壊後、欧州列強がアラブ、イスラム諸国を分割・統治した。その劣勢、誇りを失った陰りが、イスラム同胞団などを創設させ、民衆の間に浸透していった。
それは芽吹きを待ったが、こんどは米ソ冷戦の中、軍事政権が続々と誕生。イスラムを掲げつつ、実態はイスラムを抑圧、弾圧する政治を行った。今、戦火の中にあるシリア、アラブの春で倒されたエジプトやリビアがその典型である。
◆欧米諸国の二重基準
そして、それらの独裁政権をかげで支えてきたのが、米欧ロの諸国である。今回事件のあったアルジェリアでは、一九九〇年代、軍部が総選挙で勝ったイスラム勢力を武力でつぶすのを、旧宗主国フランスは黙認、他の欧州諸国、米国も沈黙していた。
自らは権力を選挙で決める民主主義、暴力ではなく公正な裁きを秩序とする法治を掲げながら、中東では“地域安定”の名の下に暴力的政権を許してきた。そういう二重基準を民衆はもちろん見抜いていた。イスラエルは核兵器を持っているのに、なぜイスラムの核はだめなのか。その当否は別としても、民衆が不信と不満を持つのは自然なことだった。
カイロなど都市の住民は、アメリカのコーラを飲み、ハンバーガーを食べ、ハリウッドの映画を見つつ、そう思い、そう語り合うのである。
◆武力ではなくならぬ
テロリストの親玉とされたウサマ・ビンラディン容疑者の殺害で、オバマ大統領が「やつを仕留めた」とつぶやき米国がかっさいしても、現実にはテロはなくならず、いや9.11事件のずっと前からテロは頻発していたのである。
エジプトでは、南部の遺跡ルクソールで日本人十人を含む外国人六十人以上がテロリストに射殺されたことがあった。当時のムバラク政権は過激派を多く捕らえていたが、テロは取り締まりを逃れ、南部へ移動していた。鉄道が射撃されると、隠れ場所のないように線路近くのサトウキビ畑を刈り取ってしまったが、それでもテロはなくならない。
テロは武力では根絶できない、というのは机上の話ではなく、実際のことなのである。血縁、部族のつながりは強く、一人が殺されると、その兄弟らがテロリストになりうるのである。
貧困や失業、政治腐敗がテロの温床になる。その通りである。しかし、抜け落ちていたのが民主化だった。いち早く気づいた国家は、米国だった。アフガニスタン、イラクと、立て続けに戦争を仕掛ける一方、エジプトなどでは若者らのネット運動を支援していた。ハードパワーとソフトパワー、その両方を使う外交だ。そのアラブの春は、まだ不安定である。混乱もしている。
しかし、現代のテロの根が百年前から地に着いたとすると、その根を断つには、西洋のキリスト教世界とイスラム教のオリエンタル世界との対話、理解、融合しか、おそらく方法はないだろう。成功例の一つが東西の境界にあるトルコだ。クーデターと政情不安を経たうえ、九〇年代半ば、民主化の進んだイスラム政権を誕生させている。欧州との経済交流は年々盛んになっている。
アラブの春という民主化は、暴力のパンドラの箱をあけたわけでなく、暴力をなくす確かな道なのである。イスラム社会がテロを憎むようになることが必要なのである。その支援が、長い目で見て世界の安定、民衆の貧困脱出につながる。欧米諸国、経済発展国の仕事である。
米欧のテロとの戦いは、たとえば目下、アフリカのマリでフランスが行っている武力支援がある。軍事訓練、武器の補給という方法もあるだろう。
◆軍事支援ではなくて
しかし日本には、欧米のような軍事介入、軍事支援とは一線を画した、日本ならではの支援があるはずだ。経済、医療、教育、文化さまざまな支援分野がある。テロを許さない協調体制がある。
テロとの戦いは、残念だが容易には終わりそうもない。テロ情報の国際的共有、ふだんの警護の方法、万一の場合の救出策、それに情報収集の点検強化が必要だ。
多くの課題を残した今回の事件である。犠牲になった人々の無念にこたえるような貢献を、日本はぜひ果たしてゆきたい。
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