“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

ベクレルやシーベルトをわかりやすく説明を

2011年06月16日 18時07分05秒 | 蜂助の呟き
こんにちは。蜂助です。
農家や農業関係者に「ベクレルとシーベルトわかりますか」と聞いたら、今までに正確に答えた人は一人だけでした。この方は国立大学系の理学部卒業なので、もともと知っていたのですね。私は原発災害があってから、その違いを知りました。
「100ベクレル/㎏で、この食品の基準値が300だから安全です。」と言われたって3桁の数値はどう見ても安全には見えません。100ベクレル/㎏の意味を、ていねいに解説する必要があるのではないでしょうか。それに主食の米やパンなどを除けば、同じ食品を毎日毎日食べ続ける人なんてめったに居ませんよ。

「分からないもの」は実体以上に怖く感じます。さらに、国や東電に対して不信感を持っており、さらに被害者ですから、なおさら不安になります。今、必要なことは勉強をすること。それ以前に、国や行政またはマスコミがわかりやすく解説することだと思います。半減期についても良くわからないようです。「セシウム137は30年で無くなる」と考えている人もいました。半減期は半分になる年数。逆に言うと、セシウム137は60年たっても4分の1が残っているということです。だから天地返しをするなどは、とんでもないことなのです。これを国会で堂々と言っていた議員は全くもって不見識です。

放射性物質が今どこにあるのかも教える必要があります。空気中になんか浮遊していないのに、マスクしろとか長袖を着ろとか・・・。放射線はガラスでも通るし、布なんて簡単に通ってしまいますよ。こんなことを言うのは怖さを強くするだけではないでしょうか。

何で、牧草は放射線量が多いのか、たけのこはなぜ多いのか、何で青森の牧草からも出るのか、などなど行政は正確に情報を詳しく解説して出すべきです。

国民は、基本的な知識を持たされずに、ただ怯えているです。

はじめまして

2011年06月16日 17時07分54秒 | 蜂助の呟き
はじめまして。
このブログは二人で書くことにしました。
宮城県在住ですが、テレビや新聞から東日本大震災や福島第一原発の情報が少なくなりつつあることを感じて、自分達が思っていることを発信したいと思いブログを書くことにしました。
二人ともブログは初めてで、技術的なものもまったくダメです。さらに昭和20年代生まれの、根性はあるがローテクという二人です。
私は「蜂助」、もうひとりは「臼蔵」です。なぜ、「さるかに合戦」かはあまり意味がありません。ただ雰囲気で、ずるい猿をこらしめなければ、という気持ちだけで、あまり意味はありません。

先日、職場である方々を支援するために募金をやろうということになりました。すると「俺たちも少なからず被災しているのに、何で新たな募金をやるのか」という趣旨の意見がありました。
被災した地域の独特な関係がわかるでしょうか。
宮城県でも沿岸部は津波で家も車も家財も人によっては家族もすべて無くしました。そこから少し離れた、津波が来なかった地域から高台にかけては、地震によって家屋やがけ崩れの被害があった方、ほとんど被害が無かった方、職場が被災したり「自粛」により営業が継続できずに職場を無くしたり、いろいろな方がいるのです。職場でも、津波の被害に遭った方、地震で住むところを失った方も居ます。
今、必要なのは自分達が出来ることをやろうということです。募金でも、自分が被災した方はしなくても良いのです。ただ、それを「やめろ」とは言わないでほしいのです。やれる方がやれば良いのですから。

福島県では、もっと悲惨な状況が継続しています。暮らしを壊され、見えないものに怯え、いつ以前の暮らしに戻れるのか分からず、風評被害に合い、心ない方たちから後ろ指を差され、家族離散したり住み慣れない所に引っ越したり、ひどいことばかりです。
私の友人は飯舘村で、ひっそり暮らしていました。影では「仙人」と呼んでいました。超一流会社の研究員だったのですが、思うことがあり9年前にやめてこの村で農業を始めました。3年前に会った時に言っていた収入は100万円弱です。年収ですよ。わずかな鶏を飼い、畑を耕し、幸せに暮らしていました。この暮らしを奪った原発を許すことができません。

今後、二人で少しずつ書いてゆきますのでよろしくお願いいたします。
この写真は先週の気仙沼市です。3月11日から何も変わっていません。