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“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

はじめまして

2011年06月16日 17時07分54秒 | 蜂助の呟き
はじめまして。
このブログは二人で書くことにしました。
宮城県在住ですが、テレビや新聞から東日本大震災や福島第一原発の情報が少なくなりつつあることを感じて、自分達が思っていることを発信したいと思いブログを書くことにしました。
二人ともブログは初めてで、技術的なものもまったくダメです。さらに昭和20年代生まれの、根性はあるがローテクという二人です。
私は「蜂助」、もうひとりは「臼蔵」です。なぜ、「さるかに合戦」かはあまり意味がありません。ただ雰囲気で、ずるい猿をこらしめなければ、という気持ちだけで、あまり意味はありません。

先日、職場である方々を支援するために募金をやろうということになりました。すると「俺たちも少なからず被災しているのに、何で新たな募金をやるのか」という趣旨の意見がありました。
被災した地域の独特な関係がわかるでしょうか。
宮城県でも沿岸部は津波で家も車も家財も人によっては家族もすべて無くしました。そこから少し離れた、津波が来なかった地域から高台にかけては、地震によって家屋やがけ崩れの被害があった方、ほとんど被害が無かった方、職場が被災したり「自粛」により営業が継続できずに職場を無くしたり、いろいろな方がいるのです。職場でも、津波の被害に遭った方、地震で住むところを失った方も居ます。
今、必要なのは自分達が出来ることをやろうということです。募金でも、自分が被災した方はしなくても良いのです。ただ、それを「やめろ」とは言わないでほしいのです。やれる方がやれば良いのですから。

福島県では、もっと悲惨な状況が継続しています。暮らしを壊され、見えないものに怯え、いつ以前の暮らしに戻れるのか分からず、風評被害に合い、心ない方たちから後ろ指を差され、家族離散したり住み慣れない所に引っ越したり、ひどいことばかりです。
私の友人は飯舘村で、ひっそり暮らしていました。影では「仙人」と呼んでいました。超一流会社の研究員だったのですが、思うことがあり9年前にやめてこの村で農業を始めました。3年前に会った時に言っていた収入は100万円弱です。年収ですよ。わずかな鶏を飼い、畑を耕し、幸せに暮らしていました。この暮らしを奪った原発を許すことができません。

今後、二人で少しずつ書いてゆきますのでよろしくお願いいたします。
この写真は先週の気仙沼市です。3月11日から何も変わっていません。

             






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