ゲーム・コミック・遊び雑談

TVゲームの話がメインですが、コミックやその他の遊びなど色々と。お気楽な話から業界への苦言まで。

サムドラの造語 (PSV)

2013年06月19日 00時07分10秒 | 携帯用
 サムドラの中で自分で作った言葉です。頭の中で考えているだけで、人に話したりといった事は一切していません。
 
『毒ん子遊び』

 ダンジョンでは『毒』を受ける事があります。敵の特殊攻撃によって毒を与えられたという場合と、緑色をした毒のそれと分かる地面に足を踏み入れた場合に毒を受けます。
 毒の地面には、入るつもりはなかったけどうっかり入った、敵の攻撃でのけぞったり飛ばされたりして入ってしまった、といった不可抗力の場合もあれば、毒の中に居る敵やその向こうに居る敵に対して向かって行くために意識的に敢えて入って行く場合とがあります。

 後者のケースにしても、本当は行きたくないけどやむを得ず行く、のと積極的にまたは平気で入って行く場合とがあります。自キャラのレベルとダンジョンのレベルとを考えて毒を受けても大した事がないと判断したり、自らが僧侶とか回復する手段を持っていたり、近くに治療出来る仲間がいたり、といった計算を立てて入って行くならばまだしも、どうにも猪武者というのか後先考えずにわざわざ好んで入って行くような人を時々見受けます。

 少しは遠慮すべきなんじゃないか? と思うような人がいます。なるべくパーティーとしてのチームプレイを心掛けてもらいたいものです。まあそれはそれとして、余裕レベルによって好き好んで入って行くケースもふくめて、わざわざ毒を受けに入って行く事を『毒ん子遊び』と私は呼んでいます。ただそれだけの話です。

『田吾作』

 これは本当に深い意味はないです。ストーンゴーレムの事をそう呼んでいます。砂の王城とかのトゥームキングがボスに出てくるダンジョンのストーンゴーレムの事です。何となくトドメを刺して倒れる時の姿を見て、勝手にそういうあだ名を付けています。

 ……もう一つあったような気がしますが、思い出せない。思い出したら修正で追加します。

将棋界通信 2013年6月号 (その他)

2013年06月18日 19時16分24秒 | ボードゲーム
 何となく始めてみる事にしました。
 私が将棋有段者である事は何度か書いています。まあこのブログ自体が殆ど見る人もいないので、だからどうしたという感じですが。

 将棋もゲームの一環であるとして、ここでちょくちょく取り上げている訳ですが、あくまでこのブログはTVゲームをメインとしています。そんな訳なので将棋主体という雰囲気は出すつもりはないし、他にも色々と書きたい事があります……最近は更新そのものが非常に鈍っていますが。
 あくまでTVゲームメインというスタイルは変えるつもりはなく、一般の将棋をよく知らない人に向けての分かり易い話というものをまあ何となく月1回ペースで書いていこうかと思いました。この先どうなるか分かりませんが……

 さて何から書こうか……3~4月にかけて行われた「第2回電王戦」の頃だったら色々と思い付く事もありましたが、時間が経つと段々と当初の興奮とか脳の刺激を受けていた部分も落ち着いてきたようです。

 その電王戦ネタで経済学者の安田洋祐氏の書かれた「電王戦を振り返る、将棋に必勝法はあるか?」という記事を目にしました。
 
 
 ちなみに、将棋で起こりえる局面のパターン数は、10の220乗ほどではないかといわれている。
 GPS将棋のように1秒間に3億パターン読んだとしても、すべて読み切るには、10の200乗年以上という、途方もない計算時間がかかる(宇宙の年齢ですら10の10乗年程度にすぎない!)。どんなにコンピュータ将棋ソフトが強くなったとしても、すぐに必勝法が見つかる心配はなさそうだ……


 という結びの部分なんか、私もよく分かっていない数字の話が出てきて興味深いものです。

 よく「何手くらい読めるものか?」という将棋のプロに対しての質問があります。これは結構答え難い質問なのです。(私は別にプロではないですが)
 『読む』能力というのは確かに大事で、たくさん読める人というのは確かに強い人が多いです。しかし『読む』事が将棋の対局中に次の1手を決める事においての全て要素では決してないのです。上記の通り、手の数というのはまともに読もうとすると膨大な量になります。
 まさしく天文学的な数字で、こんなものを丹念に読んでいる時間もなければ、読む能力も人間にはありません。コンピューターにも……今の所ありません。

 昔から言われている事ですが、将棋においては沢山手を読むよりもむしろ読みを省略する事が大事になってくる訳です。
 次の1手を決断するためには、ルール上可能な手を全て読む訳ではなくて、候補手を何通りかに絞ります。普通の局面で大体3~5通りくらいの候補が浮かぶでしょうか。その3~5通りに対して、相手の対応を読む。それに対しての対応を読む……といった具合で、それを繰り返していくと3手・5手・7手……と深くなっていくのですが、その何手か進んだ先でどの局面が良いのか? どうするべきか? と指し手の選択をする訳です。

 どこまで行っても、そこには『判断』というものが付いて回ります。局面の状態を判断する事を『形勢判断』と言います。

 候補手を絞るにも『判断』です。何故、絞る事が出来るのか? それは『感覚』によるものとしか言えません。『感覚』によって『判断』するから、全部の手を読まなくてもいい。より良質な手に絞って考えれば、余計な読みの量を減らす事が出来ます。

 コンピューターにはこの『感覚』がありません。ごくごく弱かったコンピューター将棋の初期の時代でも、単純なスピードや読みの量では人間を完全に圧倒していました。だけど『感覚』による『判断』が出来ず、いかにして『判断』するかをプログラマーが試行錯誤を繰り返して将棋ソフトが進化してきました。
 コンピューターがプロすらも倒すような時代になっても、いまだに『感覚』を持っている訳ではなく、擬似感覚というべきか、とにかく人間とは違った判断材料を持って指し手を決めています。

 今となってはコンピューターは恐るべき強さとなっていますが、例えば『銀鋏み』(ぎんばさみ)という、これは将棋用語ですがこの銀鋏みを理解していなかったりと妙な弱点を抱えていたりします。

 級位者が有段者の将棋を観戦していると「一体、何手読んでいるんだ?」と感じる事があるかも知れませんが、後になってそれを質問すると、驚く程読んでなかったり何も考えていなかったりするものです。そういったものは全て『感覚』から来ている訳です。もっとも、本当に強い人はしっかりと正確に読んでいますが。

 安田氏の記事でツェルメロの定理という言葉も初めて知りましたが、将棋に必勝法は存在するかどうか、その結論は勿論分かっていません。私の最も好きな棋士である升田幸三九段は「後手必勝」を唱えていたような気がします……気がするという実にいい加減な言い方ですが、ちょっとこれを確認するのは難しいです。あくまで、そのような事を言っていた、という程度の話です。
 羽生善治3冠王が、もし神様に一つ質問出来るなら(だったか願いを叶えられるならだったか……これもいい加減な記憶ですみません)の問いに対して「将棋は本当に先手必勝なのか? それを知りたい」と答えていました。こういったものはあくまで「そんな気がする」といった域を出ません。机上の話であり、ロマンの一つとも言えます。

 羽生3冠王は早い段階からコンピューター将棋を警戒していたし、升田九段にいたってはコンピューター将棋などほとんど形になっていない昭和40年代に「プロの五段くらいまでは行くだろうな」と予想していました。この人は時代を超えた感性を持った、本当に凄い人でした。