ゲーム・コミック・遊び雑談

TVゲームの話がメインですが、コミックやその他の遊びなど色々と。お気楽な話から業界への苦言まで。

いまさらアカム (PSP)

2010年10月31日 23時58分19秒 | 携帯用
先日、ようやく村クエのアカムを倒しました。

HRはとっくに9なわけですから、集会所のアカムはとうの昔に倒しているのは当たり前なのですが、村クエのアカムには全く手をつけていませんでした。

キークエの段階でティガ2匹の「地獄から来た兄弟」があって投げ出しているような状態でした。ラージャンもトラウマでした。まずはディアブロスからと何度か挑んでいましたが、それすら失敗続きという有様で何ヶ月も放置していました。(レウス、レイアの夫婦だけはやり易いです)

MH2G自体も放置状態だったのですが最近になって何とはなしにやり始めて、集会所の未クエを消化していくうちに村クエの方もやって行こうという自分の中での機運(気運?)が高まって行ったのでした。

集会所の方はミラ系をやっていないのでHR6とHR9とで赤字のクリアという状態になりました。次は村クエか訓練所かという所で、とりあえずは村クエという事でやり易いのからクリアして行きました。

ティガ2匹は先日書いた方法を用いて・・・ものの見事に失敗したけど火砕断を頼みにゴリ押しで2死しながらもクリア。これで一皮剥けたようなそうでもないような・・・?。何となくガオレンズトゥーカを作成して、大剣の経験は少ないながらも武器の強さを頼みにしてディアをクリア。ラージャンもG級装備を頼みに適当にクリア。

緊急クエのアカム登場で、1回目は例の如く高台ハメをやろうとして・・・失敗。そのまま戦ってかなり追い詰めたつもりだけど3死して終わり。次に経験の少ないランスで挑んで割と楽にクリア、流石はG級装備。このゲームにはエンティングは無いと聞いていたけど、それらしい物が流れ始めました・・・

「これはMH2のオープニングでは?」と思ったけど、アイルーの出方がちょっと違うか・・・ティガに追いかけられるシーンでもおともアイルーがいて、最後のタイトル画面で『G』が追加される・・・そしてスタッフロールになりました。なる程、友人のSは既にこのムービーをギャラリーに追加させていたのか・・・・・・

そして残りの未クエは4つとなっていて、大連続の2つを先にクリア。残ったのはディア亜種2匹とグラビ亜種2匹のやつ。グラビの方を大剣のゴリ押しで・・・失敗して今度はランスで2死しながらもクリア。最後のディアは大剣で・・・これは割と余裕でクリア。ついにラストの「モンスターハンター」が出現しました。

レウス、ナルガ、ティガ、ラー・・・最初のレウス以外は嫌な奴ばっかり・・・レウスも飛び続けられると時間がかかるな・・・・・・などと最初から諦め気味ですが。

訓練所の方は詰まっていたガルルガをようやく倒した所で次はティガ・・・いかにもへたれさ丸出しです。

「真に偉大なゲーム・・・」 (その他)

2010年10月31日 23時47分40秒 | Weblog
「真に偉大なゲーム」・・・この言葉自体は今から10年前くらいだったか、その時に友人が私の前で使うまでは私の中では認識されていなかった言葉でしたが、以来はしっかりとインプットされています。

似たような表現とか意識といったものは無意識に持ってはいたでしょうが、一度こういった形で言語化されると『便利な言葉』の一つであるように思われます。

便利とは言ってもその意味するものを考えると、そうそう簡単には現れないものであり、そう頻繁に使っていては重みが無いというかその人の判断とかが疑われそうです。

「真に偉大なゲーム」と言って、真っ先に思い浮かぶのはスト2です。問答無用に思い浮かんでしまいます。

次にグラディウス・・・とか考えながら、スト2についての情報が頭の中に過ぎり(よぎり)ます。スト1があって、2が生まれた。1の時にすでに必殺技やガードや6ボタンのシステムは出来上がっていた。しかし時代は納得のいく対戦の出来る状態にはあらず、2によって開花した・・・

1あっての2。しかし2によって初めて生まれたものがあり、全ての基本は2でほぼ出来上がっていた。ダッシュも意義があったが、シリーズで最高のバランスを誇るターボは製作される意義というのは乏しかったように思う・・・やはり総じてスト2でいいのだろう。ダッシュが「真に偉大」というのは何だかピンとこないし、ターボでは断じて有り得ない(スパ2、X、ゼロも勿論)・・・

グラディウス、魔界村・・・グラディウスは文句なしだろう、魔界村はどうなのか・・・?何となく身贔屓(?)のような・・・まあしかしいまだに続編が(「極」までだけど)出ているし偉大だよな・・・

あとスーパーマリオとかも入るのか・・・

昔のゲームはやたらと過大に評価されがちという事もないではないというか、後発のゲームは下地があったとかヒントにしたとか修正したとか組み合わせたとか、オリジナリティーの点ではどうしても不利になりがちです。

しかし当時名作と言われた物を今やってみると、全然遊べなかったりとかそういった事も少なくないような気もします。本当に良い物は今でも遊べる・・・場合もありそうでない場合もあり、今でも遊べないといけないというのも無理のある話なのか・・・?いややはり本当に良く出来た物は、今でも本当に違和感なく遊べるかどうかともかく条件を考慮しながら納得は出来る・・・

どうも表現がおかしいかも知れませんが、例えば昔のWIZなんかを処理速度の遅さには目をつぶって、そしてやってみれば感心する事に溢れているような・・・そういった面はあるような気がします。

考え出すとそう簡単には収まりがつかないのですが・・・まあ続きは気が向けば書いていきたいと思います。