世界のトヨタが遂に、今年度決算で経常利益2兆円を突破した。2兆円と言えば途方も無い金額で、毎日100万円づつ使っても使い果たすまでに、約5500年もかかる。
こんな富が僅か1社で作り出される。
我々、庶民には想像も出来ない富である。
しかし、世界有数にまで伸し上がったトヨタに「見えない世界」が存在する。それは過酷な低工賃を押し付ける下請け会社イジメである(勿論、社員に対するリストラ(首切り)と給料・賃金の据え置きは当たり前)。良く知られている「看板方式」と言われる徹底したコストダウンのために編み出された下請け部品会社への発注方式で、この方式をすぐ導入したのがトヨタであった。
この「看板方式」は今から30年前に発案された工業生産方式で「Just in time」と言われ、部品も完成品も在庫を殆ど、持たずに生産するもので、つまり、親会社が必要な時に、必要な物(トヨタは自動車部品)を調達する事によって、無駄を無くし、部品の保管倉庫料や運送費用などを極力、削減する方法である。
例えば、トヨタは下請け会社に部品を夜、発注して翌朝、納品させる。又は金曜日(以前は土曜日)に発注し、翌週の月曜日に納品させる等。
その結果、下請け会社は家族の生活を支えるために否応無く、昼夜・休祭日を分かたず働き尽くめの毎日。しかも、常識では考えられない低工賃であるが故に、長時間労働を強いられる。一度なりとも親会社に文句を言おうものなら、すぐさま取引は打ち切られる。それでなくてもトヨタの一方的都合により、取引中止は下請け会社切捨ての常套手段である。
丸で使い捨ての「部品」のように下請け会社は扱われる。
話は古く、遡るが封建社会であった江戸時代。武家の格は「米」の出来高を表わす「石(こく)」によって示された。特権階級の武士(大名)は華やかで、何不自由なく豪勢な暮らしを送っていた(勿論、下級武士は藤沢周平の作品にもあるように、日々、慎ましい生活を強いられていた)。
この時代にも「見えない世界」が存在した。農民が手塩に掛けて育てた米を武士は年貢米(現在の税金)として、苛酷に取り立てた(因みに「米」は八十八手もの手間が掛かると言う例えから「米」と書くらしい)。
天変地異により、米が不作になった時でも、武士による年貢米の取立ては容赦なかった。
その結果、食物不足の極貧生活によって、餓死した農民も数多い。
しかし、農民こそが現代日本人の「生命の源泉」を生産し、日本社会の歴史の歯車を回してきた。だからこそ、現在の日本があると紛れも無く、言う事が出来る。
どんな時代にも、社会の土台を支える人達が存在する!
本当は、この人達こそ「見える世界」でなければならないのに!
こんな富が僅か1社で作り出される。
我々、庶民には想像も出来ない富である。
しかし、世界有数にまで伸し上がったトヨタに「見えない世界」が存在する。それは過酷な低工賃を押し付ける下請け会社イジメである(勿論、社員に対するリストラ(首切り)と給料・賃金の据え置きは当たり前)。良く知られている「看板方式」と言われる徹底したコストダウンのために編み出された下請け部品会社への発注方式で、この方式をすぐ導入したのがトヨタであった。
この「看板方式」は今から30年前に発案された工業生産方式で「Just in time」と言われ、部品も完成品も在庫を殆ど、持たずに生産するもので、つまり、親会社が必要な時に、必要な物(トヨタは自動車部品)を調達する事によって、無駄を無くし、部品の保管倉庫料や運送費用などを極力、削減する方法である。
例えば、トヨタは下請け会社に部品を夜、発注して翌朝、納品させる。又は金曜日(以前は土曜日)に発注し、翌週の月曜日に納品させる等。
その結果、下請け会社は家族の生活を支えるために否応無く、昼夜・休祭日を分かたず働き尽くめの毎日。しかも、常識では考えられない低工賃であるが故に、長時間労働を強いられる。一度なりとも親会社に文句を言おうものなら、すぐさま取引は打ち切られる。それでなくてもトヨタの一方的都合により、取引中止は下請け会社切捨ての常套手段である。
丸で使い捨ての「部品」のように下請け会社は扱われる。
話は古く、遡るが封建社会であった江戸時代。武家の格は「米」の出来高を表わす「石(こく)」によって示された。特権階級の武士(大名)は華やかで、何不自由なく豪勢な暮らしを送っていた(勿論、下級武士は藤沢周平の作品にもあるように、日々、慎ましい生活を強いられていた)。
この時代にも「見えない世界」が存在した。農民が手塩に掛けて育てた米を武士は年貢米(現在の税金)として、苛酷に取り立てた(因みに「米」は八十八手もの手間が掛かると言う例えから「米」と書くらしい)。
天変地異により、米が不作になった時でも、武士による年貢米の取立ては容赦なかった。
その結果、食物不足の極貧生活によって、餓死した農民も数多い。
しかし、農民こそが現代日本人の「生命の源泉」を生産し、日本社会の歴史の歯車を回してきた。だからこそ、現在の日本があると紛れも無く、言う事が出来る。
どんな時代にも、社会の土台を支える人達が存在する!
本当は、この人達こそ「見える世界」でなければならないのに!