堺北民主商工会

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思い上がり

2007年06月15日 10時29分30秒 | 世間の話
 1937年、身の毛もよだつ、おぞましい事件が起こった。
 当時、中華民国の首都であった南京市を占領した日本軍が数週間にわたって、中国人を虐殺した。虐殺した中国人は20万人とも30万人とも言われている(中国では多少、オーバーに表現する風習があるから、数字は定かでないが)。虐殺された死体は揚子江を埋め尽くし、あたり一面は腐敗臭が漂い、丸で地獄絵宛らの様相を呈していた。
 そして、3000万人にも上る犠牲者を出した太平洋戦争へと突入していった。
 この歴史の事実に対して、「南京大虐殺は無かった」と言い張るジャーナリストが居る。
 S・Yと言う人物である。元読売テレビのニュースキャスターを担当していたが、最近は専ら、自民党の広報キャスターであるかのように(いや、それどころか、恰も戦前の日本陸軍所属の報道ウーマンであるかのように)テレビに、講演会にと出演して、好き勝手、言いたい放題に息巻いている。
 そして、今また、「憲法9条を改憲しよう!」と臆面も無く、声高に喚いている。
 この種の人間は個人主義を超越して、寧ろ、利己主義の境地に達していると言わざるを得ない。
 「思い上がり」もここまでくれば呆れて、空いた口が塞がらない。
 つまり、自分勝手で傲慢、他人の意見には一切、聞く耳を持たず、ガァーガァーと吼え捲くる人種である。
 丸で、「浅瀬に仇浪」のように。
 話は変わるが、織田信長のこう言う逸話がある。
 信長が、三好・松永の一党を京都から一掃し、この街の支配権を完全に掌握した頃のことである。
 三好家の料理人・坪内なる者が信長に呼び出された。この男、坪内は料理においては右に出る者なしと言う腕前である。
 信長は、家臣に「その者に料理をさせて余の前に供してみよ。食べてつかわそう」と命じた。
 坪内は、そこで三好家に仕えていた頃の第1級の料理を作り、それを信長の食膳に供した。
 信長は、それを1口食べると「このような水臭いものが食べられるか、その者はインチキだ。すぐに斬れ」と命じて、真に不快な様子だった。
 そこで、坪内は悟るところがあったらしく「もう1度、お試し下さい。それでお気に召しませなんだら、すぐ御成敗くださって結構でございます」と言って、改めて料理を頼み込んだ。
 信長が許すと、次の日に彼は再度、料理を奉った。
 信長は、それを口に運ぶと、「おお、流石に世に聞こえた料理人じゃ、うまい!」と言って坪内を許した。
 坪内は後で、「あれは田舎者向きに料理をしたまでだ」と人に語ったと言う。

 天下を取った人物と一概に、比較は出来ないが昔も今も、知ったかぶりをする、思い上がり者が居るもんだ。