先週の月曜日の続きです。
マルクスもエンゲルスも様々な文章を遺しましたがこれらはすべて突然に思い付きを述べたわけではありません。
弁証法も唯物論も、過去から営々と繋がる哲学の考え方です。
弁証法とは、物事の成り立ちには発展的な前進が貫かれており、より高い段階へ進んで行くという哲学の考え方です。
形而上学とはその逆で世界が固定的であり、変化をさせる事が不可能であるという考え方です。
(神とか超越的な物事により創造されたものだから)
現代人の僕らにはどちらが正しいかは言わずとも分かる話だと思います。
次に唯物論ですが、これは物事を認め科学的に見るものの見方です。
その逆が観念論。
物事よりも先に精神があるという考え方です。
こちらもどちらが正しいかは自明の事です。
例えば観念論で地球を考えたとすれば、自分の精神の方が地球よりも先行する事になります。
実際には自分の精神や認識がどうであろうと、地球はずーっと前から存在しています。
冷静になって考えれば弁証法も唯物論も当たり前の話なんですが、忙しい毎日ではこの考えを貫く事にはそれなりの教養が必要です。
マルクスの生きた時代より遥かに科学の発達した現代ですら
「社会は変わらない」
なんて言う意見が世間で沢山聞かれる事からもそれは窺えますし、インチキ霊媒師や占いなどがテレビで持てはやされている等、惑わされる事が多いからです。
僕が学ぶ喜びを知り、大切だと切に思うのはこういった思想的背景があるのです。
この、唯物論で歴史を見る考え方を「史的唯物論」と言います。
実は歴史に唯物論を適合したのはマルクスが最初でした。
マルクスの天才的な要素の一つはココにあったと言っていいでしょう。
事務局:つ
マルクスもエンゲルスも様々な文章を遺しましたがこれらはすべて突然に思い付きを述べたわけではありません。
弁証法も唯物論も、過去から営々と繋がる哲学の考え方です。
弁証法とは、物事の成り立ちには発展的な前進が貫かれており、より高い段階へ進んで行くという哲学の考え方です。
形而上学とはその逆で世界が固定的であり、変化をさせる事が不可能であるという考え方です。
(神とか超越的な物事により創造されたものだから)
現代人の僕らにはどちらが正しいかは言わずとも分かる話だと思います。
次に唯物論ですが、これは物事を認め科学的に見るものの見方です。
その逆が観念論。
物事よりも先に精神があるという考え方です。
こちらもどちらが正しいかは自明の事です。
例えば観念論で地球を考えたとすれば、自分の精神の方が地球よりも先行する事になります。
実際には自分の精神や認識がどうであろうと、地球はずーっと前から存在しています。
冷静になって考えれば弁証法も唯物論も当たり前の話なんですが、忙しい毎日ではこの考えを貫く事にはそれなりの教養が必要です。
マルクスの生きた時代より遥かに科学の発達した現代ですら
「社会は変わらない」
なんて言う意見が世間で沢山聞かれる事からもそれは窺えますし、インチキ霊媒師や占いなどがテレビで持てはやされている等、惑わされる事が多いからです。
僕が学ぶ喜びを知り、大切だと切に思うのはこういった思想的背景があるのです。
この、唯物論で歴史を見る考え方を「史的唯物論」と言います。
実は歴史に唯物論を適合したのはマルクスが最初でした。
マルクスの天才的な要素の一つはココにあったと言っていいでしょう。
事務局:つ