堺北民主商工会

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空想から科学へその⑥

2008年03月31日 12時59分46秒 | 世間の話
先週の月曜日の続きです。

マルクスもエンゲルスも様々な文章を遺しましたがこれらはすべて突然に思い付きを述べたわけではありません。

弁証法も唯物論も、過去から営々と繋がる哲学の考え方です。
弁証法とは、物事の成り立ちには発展的な前進が貫かれており、より高い段階へ進んで行くという哲学の考え方です。
形而上学とはその逆で世界が固定的であり、変化をさせる事が不可能であるという考え方です。
(神とか超越的な物事により創造されたものだから)

現代人の僕らにはどちらが正しいかは言わずとも分かる話だと思います。

次に唯物論ですが、これは物事を認め科学的に見るものの見方です。
その逆が観念論。
物事よりも先に精神があるという考え方です。

こちらもどちらが正しいかは自明の事です。
例えば観念論で地球を考えたとすれば、自分の精神の方が地球よりも先行する事になります。
実際には自分の精神や認識がどうであろうと、地球はずーっと前から存在しています。

冷静になって考えれば弁証法も唯物論も当たり前の話なんですが、忙しい毎日ではこの考えを貫く事にはそれなりの教養が必要です。
マルクスの生きた時代より遥かに科学の発達した現代ですら
「社会は変わらない」
なんて言う意見が世間で沢山聞かれる事からもそれは窺えますし、インチキ霊媒師や占いなどがテレビで持てはやされている等、惑わされる事が多いからです。
僕が学ぶ喜びを知り、大切だと切に思うのはこういった思想的背景があるのです。

この、唯物論で歴史を見る考え方を「史的唯物論」と言います。
実は歴史に唯物論を適合したのはマルクスが最初でした。
マルクスの天才的な要素の一つはココにあったと言っていいでしょう。

事務局:つ

恥ずべき人達

2008年03月28日 09時24分31秒 | 世間の話
 去る2月3日(日)、節分の日に関西テレビが命の輝きを伝えるドキュメンタリー作品(東海テレビ制作)を放映した。その番組は[LIFE IS BEAUTIFUL~小さないのちの詩~]と言う作品。番組は2本の作品から構成されており、前半は日本人男性と結婚したフィリピン人女性・アンナリザ(25歳)の物語。日本で結婚はするももの、直ぐ破綻し、お腹に宿った小さな命を彼女は独りで産み育てると決意して帰郷する。しかし、実家の父も母も彼女の稼ぎを当てにして誰も働かない。こんな状況で出産を迎えるのだが追い討ち掛けるかのようにお腹の赤ちゃんは逆子だった。医者は母子共に危険だからと彼女に帝王切開での出産を勧めるが、彼女は頑として普通分娩での出産に拘る。彼女が執拗に拘る其の訳はこうだ。…帝王切開で生めば再び、勤めに出るのに最低1年近くの歳月を要する。しかし、普通分娩で産めば3ヵ月も経てば働く事が出来ると言う理由からだ。彼女はその決断をして出産したが案の定、産まれ出た赤ちゃんは無呼吸状態が3分間も続いた。しかし、医師たちの懸命な手立てによって無事、一命を取り止め、女の赤ちゃんは息を吹き返した。その赤ちゃんに彼女は「アスカ」と名付け、入院費用が掛かるからと、僅か2日後に病院を出て、自宅に戻った。
 それから2ヶ月後、番組制作スタッフが再び、フィリピンを訪ねると彼女の姿は家には無かった。母親に尋ねるとマニラの歓楽街で日本人客を目当てにしたカラオケスナックで働いていると言う。スタッフが夜の歓楽街で働いている彼女を見付けた。出産後の身体を労わる時期にも拘らず、家族を養うがために嫌な客にも我慢して、ただ生きるが為に働き続ける。月1回の休日に我が子に会う事だけを唯一の楽しみに働いている。その時の彼女が言った言葉が今も、心に残っている。…「私は普通の暮らしがしたい!我が子と家族と毎日、一緒に居たいだけ」とただただ当たり前の事を願い、小さく叫ぶように呟く、切ない想いに満ちた涙が止めど無く溢れ流れていた。
 番組後半は22年前に起こったチェルノブイリ原発事故で被曝したウクライナ人の女性(21歳)の出産のドキュメント。彼女はこの事故の翌日に生まれ、放射能の影響で被爆し、3歳の時に片肺を切除する。そんな彼女が赤ちゃんを産む決意をする。
 生まれてくる小さな命は生まれる場所や時は選べない。しかし、生まれてくる命は全て、平等に扱われなければならない筈だ。新しい命、その全てが幸せになる権利を持っている。
 今、フィリピンには日本人が父親の赤ちゃんが多い。勿論、その父親はフィリピンには居ない。
 何処かの知事が少し前、「日本人の海外での買春はODAのようなものだ!」と言い放った。果たして、こんな知事がフィリピン・マニラで家族のためにだけに働き、一所懸命に生き抜こうとしている彼女等をまともに見る事が出来るのだろうか?

若手経営者の方は民商へ

2008年03月27日 12時21分55秒 | 青年部
民商青年部では、新規開業塾や商売の知恵がわく経営交流会、
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異業種の交流や経営や暮らしに役立つかも・・・



                         事務局:い


アメリカさんは黙っててくれればいいよ

2008年03月26日 12時44分31秒 | 世間の話
ブラジルに地域紛争、組織犯罪、共同軍事演習などを各国協同で行う南米安保協議会構想があるという報道がありました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-03-24/2008032407_01_0.html
ブラジルのルラ大統領によると、NATOのような軍事同盟では無く、あくまで地域の紛争解決、組織犯罪対策、共同軍事演習の実施などが目的です。

これを受けてアメリカのゲーツ国防長官とブラジルのジョビン国防相は二十日会談。
南米安保協議会の構想を聞いたゲーツ長官が、
「われわれは何ができるだろうか」と述べたのに対し、
ジョビン国防相は
「最良の支援は、距離を取ることだ。これは南米が取り組んでいることだ」
と応じたといいます。
(ようするに黙っててくれって事ですね)

 同国防相は、ライス国務長官との会談でも、ブラジルが協議会を招集することについて「許可を求めることはしなかった」と強調しました。
実はライス国務長官は、同国防相の訪米に先立つ十三日、同協議会に関して「ブラジルとの調整を期待している」と述べていました。

日本が国際貢献の名の下にアメリカ一辺倒の外交を深めるその同じ瞬間に、かつてのアメリカの裏庭ではアメリカの支配から脱却し、今世界であたりまえとなった地域の協同が進んでいる。

日本のマスコミはこういった世界の大きな流れを伝える事は皆無であり、アメリカと日本の権力者の都合によりフィルターに掛けられた報道に終始している事が残念でならない。

事務局:つ





六韜(りくとう)

2008年03月25日 11時14分23秒 | 世間の話
中国の遥か昔より読み継がれる「六韜」
かの太公望が著したと言われる本で、あの源義経や三国志の蜀の軍師、諸葛亮も読んだという。
日本では「虎の巻」の語源でも有名な本を読みました。

文、武、竜、虎、豹、犬
の六巻を併せて六韜。

虎韜や豹韜、犬韜は古代の兵隊の動かし方を語った部分なので、現代人にはあまりピンと来ませんが、文韜、武韜、竜韜の三巻は戦争の始まる前の政治や人間を語った部分であり、人間観察などの描写などがとても興味深く読むことが出来ました。

例えばこんな感じです。

王様が太公望に良い政治とはどんな政治か?を聞きました。

太公望「民を失業させないのは生活に安定を与える事になります。農民が労役によって耕作の時期を失わない事がすなわち農業をしとげる事になります。罪も無いのに罰しない事がすなわち生かすという事です。租税を軽くする事が与える事になります。宮殿、離宮を質素にして大きくしないことが民を楽しませる事になり、官吏が清廉潔白で過酷でないのが民を喜ばせるというのであります」

・・・。
太公望の語った理想は今の日本の逆ですね。

温故知新という言葉がピッタリの本だと思います。

事務局:つ






空想から科学へその⑤

2008年03月24日 11時27分28秒 | 世間の話
先週の月曜日のつづきです。何回か連載で書いてますので未見の方はそちらをお先にどうぞ。

では本題に。
空想から科学への第二節でエンゲルスは哲学の話に入ります。
哲学と言うと何だかワケワカラン話だと思う方が多いかもしれません。
僕もかつてそうでした。
何だか難しい言葉が沢山出てきて、しかも掴み所の無い話。
えーいうっとうしい!みたいな。
でもそれで投げ出すのは早計です。
ぜひ難解だからと通り過ぎず、哲学の魅力に皆さんも接して欲しいと思います。

さて、僕は科学的社会主義の最重要な話ではありますが、弁証法的唯物論をただの学術論争や政治活動の道具とは思っていませんし、マルクスもエンゲルスもそんな態度は取っていません。
やはり、哲学とはすべての礎なのです。

五感でとらえるすべての事、そして震える自分の心、まわりの人々や事象にこの弁証法的唯物論を持って接し、毎日を過ごせば、様々な出来事を良い方向に変える道筋が見えてくるのです。
それは意識してではありません。もはや自分の中に在る事なのです。

具体的に弁証法的唯物論とはどういった哲学なのか?
辞書を引いてみましょう・・・。

『弁証法的唯物論』
マルクスとエンゲルスにより創出され、レーニンらによって発展させられた唯物論。形而上学的・機械的見方に対し弁証法的であり、観念論に対し唯物論的である。世界は全体として統一をもちながら相互に連関し発展する物質であり、思考や意識もその物質の模写の過程であるとする。弁証法的唯物論が歴史の発展についての見方に適用されて唯物史観となる。(大辞林)

難しい言葉を挙げると
唯物論・形而上学(けいじじょうがく)・弁証法・観念論・唯物史観
といった所でしょうか。

エンゲルスは第二節で弁証法の解説から入るので、僕もそれにならってみたいと思います。

つづく

事務局:つ



すり替え

2008年03月21日 09時27分14秒 | 世間の話
 ここに、ある一つの考え方がある。…「人は生まれながらにして“わるいやつ”」所謂、性悪説と言う“やつ”。昔から「三つ子の魂、百まで」とは良く言ったもので人の脳細胞は3~4歳までにほぼ完成されるらしい(最近の研究では年に関係なく脳細胞は増殖し続けると言う説もある)。
 しかし、人間は赤ちゃんから幼児、成人へと成長するにつれ社会との関わり、人との交わりを避けては通れない。それこそ人が人として生きる証である。それが故に、人は人間性や考え方や生き方までもが、その人その人の社会との関わり、人との交わり、置かれた境遇、その人の努力などによって千差万別に成長していく。
 決して生まれながらにして「その人はこんな人に成る」と烙印を押せる訳ではない。まして「生まれながらにして人間は悪いやつ」だと言える筈も無い。
 ところが最近、凶悪犯罪の犯罪者に対する向かい方にこの考え方(性悪説)で対処する手法が表れた。つまり、犯罪者は生まれながらにして“わるいやつ”なのだから、手の施しようがない。極端に言えば「そんな奴はこの世から葬り去ればよい」と言う考え方。
 この考え方には大きな落とし穴がある。過ちの全てを個人の責任にする手法は物事を間違った方向に導く。
 つまり、犯罪者の生い立ちや境遇、社会との関わり、人との交わりはどうだったのか。勿論、犯罪者は当然、罪に対する償いは行わなければならない。しかし、その犯罪の原因や根源を社会との関係、人との交わりなどで究明する事を疎かにしてはならない。むしろ、この究明にこそ犯罪が発生する温床が隠されている。
 確かに、軽薄で、礼儀知らずの政治に無関心な連中も多い。しかし、このような連中を利用して政治(経済)を操り、支配する連中の方がもっと“わるいやつら”である。
 時(悪政)の権力者は得てして“性悪説”を巧妙に使い分ける。こう言う“考え方”がマスメディアに登場し始めると政治(経済)の雲行きが怪しくなる。政権担当者は自らの失政の責任を国民に転嫁する。それだけならまだ良いが一部の特権階級を優遇するために“性悪説”を利用して、事の真相をすり替える。こんな風潮が目に付き始めると暗雲立ち込める時代への前触れとも言える。
 「財産に応じて医療の良し悪しが決まる。貧乏人は死ね」「富む者は益々、肥え太り、貧しき者は極貧に」「権力者に都合の良い愛国心を子供に叩き込み、労働力だけ生み出す機械化人間を排出する」「憲法9条は削除され、戦争の出来る国に」…こんな時代であってはならない!

所得税の確定申告が終了しました

2008年03月18日 12時40分42秒 | 活動紹介
3月13日に集団申告を行い、また17日に法定の所得税の確定申告の〆切を迎え、堺北民商も先週までの様相が嘘のような静けさの中にあります。

ですが、つい先ほども消費税の申告の相談があるなど、いつでも要求相談活動に取り組んでいますので、どなたも遠慮なくご連絡下さい。

実務的には今後は労働保険の年度更新の準備に入っていく時期ですね。

事務局:つ

空想から科学へその④

2008年03月17日 10時46分09秒 | 世間の話
先週からのつづきです。

さて、
三人の空想的社会主義者について語ったエンゲルス著「空想から科学へ」の第一節、その最後の文章に今日の題名の言葉があります。

エンゲルス曰く
「彼ら(空想家)のすべてにとっては社会主義は絶対的真理と理性と正義の表現でありそれ自身の力で世界を征服するには、ただ発見されさえすればよいのである」

そしてそれは人間の発展とは無関係故に

「いつどこで発見されるかは全くの偶然である。その場合、絶対的真理、理性、正義はまた、それぞれの学派の創始者によって違ってくる」

要するに、空想的社会主義は様々な人間が様々な思索により独自の考えを出すという状況だった為、「資本主義の矛盾を取り除く」という共通の目的がありながら主観が入るため、やり方や論理の違いが生まれ、それをすり合わせるのですが、当然うまくいかないという事なのです。

だからこそ・・
「社会主義を科学する為には、まずそれが実在的な基盤の上にすえられなければならなかった」
となるのでした。
では、実在的な基盤の上とは具体的に何を指すのか?

それこそが、唯物論の歴史への適合である史的唯物論であり、そして剰余価値による搾取の論理の暴露だとエンゲルスは言います。

というわけで来週は弁証法的唯物論についても詳しく解説だ!

事務局:つ

我儘

2008年03月14日 11時28分39秒 | 世間の話
 人間にとって住まいほど大切なものは無い。極端に言えば住居は人間性の形成の上でも影響を与えると言っても過言ではない。
 京都市中京区に事務所(㈱莫設計同人)を構える松村正希(60歳)は建築家である。彼は「人との出会い」を大切にし、「建物は町をつくり、人をつくり、文化をつくる」と言う考えの元に、その社会的責任を果たすべく作品づくりを行っている。彼は京都の宇治に生まれ、伏見工業高校を卒業後、独学で建築家となった。設計事務所に勤務していた20歳の時、全国の重度身体障害者の施設を見て廻り、ある決意を固めた。…独学で学んだ彼だから言える事だが、それは「私の師匠は障害者だ」と言う決心だった。彼はこの事を生涯のモットーとしている。
 だから、彼の作品は障害者や高齢者を差別・区別する事無く、人と人との関わりを大切にし、人が人を好きになり、人が人としての生活が息づく住まい(建物)ばかりである。例えば、京都府京丹後市に2005年7月に建てた特別擁護老人ホームがあるが、この「特養施設」は高齢者の生活にとって大切な「食」を重視した重度認知症患者が暮らす「家」である。この「特養ホーム」は私達が一般的に目にする「施設」とは全く、違っている。各部屋から調理をしている様子が手を取るように見え、調理場からは「食」をそそる料理の匂いが仄かに匂ってくる。又、各部屋の前を行き交う人が入居者に気軽に声を掛け、そして職員が入居者の毎日の体調も看て取る事が出来る構造となっている。こんな造りにしたのも「人(認知症患者)は必ず、「視覚・聴覚・臭覚・触覚」を日常不断に使い、働かす必要がある。そして、その作用によって、初めて「人としての生活が出来る」と言えるからだ。この「特養ホーム」に入居している重度認知症患者は何時も皆が伸び伸びと溌剌とし、笑顔で和み、仲睦まじく暮らしていると言う。ここには単なる施設では無く、「家」としての住環境が備わっている。そして、このような造りの環境がそこで働く職員や入居者の心までも穏やかなものにしている。だから、此処では世間で有りがちな認知症患者に対する差別や区別が存在する余地が無い。
 話は逆上るが松村が全国の重度身障者施設を訪問した時、ある認知症の子供が練習に練習を重ねた末に、舞台で仲間と一緒に芸を披露した事がある。我が子の振舞い姿を観ていた母はここまで芸が出来るようになるとは信じられないと、母親の顔には感激の余り、溢れる涙に濡れていた。それを間近で見ていた松村も胸が詰まり、自然と貰い泣きをしたと言う。この出来事で彼の人生の進路は決まったらしい。
 認知症患者、身体に障害を持った人々が健常者と同様な生活を望むのは「我が儘」と言えるのだろうか?
 国の予算が人間社会の充実のために正しく使われてこそ本当の「国民の政府」と言える!