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尊厳

2007年06月22日 10時24分56秒 | 世間の話
 ハンセン氏病とは昔のらい病のこと。らい菌の侵入によって発症し、皮膚に斑紋が出来て、毛が抜け落ち、肉が崩れる。見るからに痛々しい形相となる。
 そんな(ハンセン氏病)患者に対して、日本政府は戦後、強制的な隔離政策を採ってきた。つまり、社会との関わりを一切、遮断する収容所生活を患者に強いる。
 この施設の1つに「星塚敬愛園」ハンセン氏病療養所が鹿児島県にある。
 療養所と言う位だから当然、病気を治療し、健康や体力を養う所と解される。が、実際の姿は「天と地」ほど違っていた。
 星塚敬愛園の患者の1人に日高トシ子さんが居た。当年とって84歳になる。トシ子さんは最愛の人と結婚し、やがて、長男・一夫さんを出産する。
 希望に満ちた人生の始まりであった。
 しかし、彼女に幸福の女神が宿っていたのも、この時までだった。一夫さんが2歳の時、トシ子さんはハンセン氏病を発症する。「幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた」と、トシ子さんは呟いた。
 ハンセン氏病だと判明するや否や、手塩に掛けて育てていた一夫さんと引き裂かれ、トシ子さんは施設に隔離される。我が子を奪われ、夫との2人だけの寂しい生活が療養所で始まる。
 しかし、やがて2子目の長女を妊娠し、2人の生活に一筋の希望の光が見えてきた。ところが、我が子が順調に育っていた妊娠7ヶ月が経過した時である。園内の医局から1通の通達がトシ子さんの手元に届けられた。
 そこには彼女にとって衝撃的な指示が標されていた。………「強制堕胎せよ!」
 トシ子さんは積み木が崩れるように、その場に泣き崩れた。暫くは夢遊病者のような虚ろな表情のトシ子さん。
 国の非情な判断によって、掛け替えのない1人の尊い命が奪われた瞬間であった。
 トシ子さんは我が子を「桃子」と名付け、片時も忘れず現在まで慰め、祭ってきた。この出来事から58年もの長い歳月が経った今年2月、トシ子さんは我が子・桃子に対面する機会を得る事が出来た。
 長男・一夫さん(現在、60歳)と連れ添って、園内医局の1室にトシ子さんは入って行く。そして、待ちに待った長女・桃子さんと2人は対面した。
 その瞬間、言うに言えない58年もの長い間、押し殺していたトシ子さんの我が子・桃子への想いが堪え切れない涙として、止めど無く溢れ出る。
 国はハンセン氏病患者たちを非人間的で、虫けら同然のように扱ってきた。 
 人間の尊厳を蔑ろにした結果のむごい悲劇の結末が待っていた。
 
 そこに置かれてあったのはホルマリンに浸され、ビン詰めにされた妊娠7ヶ月の桃子だった!
 

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