そよかぜから-映画

見てきた映画の記録です
ネタばれあるかも、気をつけて

マラソン

2008年06月05日 | 人間/社会派ドラマ


2005年 韓国 117分
■原題「MARATHON」
■2008.6.1 DVD
■監督 チョン・ユンチョル
■出演
   チョ・スンウ(ユン・チョウォン)
   キム・ミスク(キョンスク)
   イ・ギヨン(ソン・チョンウク)
   ペク・ソンヒョン(ユン・チュンウォン)
   アン・ネサン(チョウォンの父親)

 《story》

「生まれてくれてありがとう。」
「笑顔をくれて、ありがとう」


自閉症のチョウォンに会話と忍耐力をつけようと、母キョンスクは必死訓練させた。しかし、それは父や弟の犠牲の上に成り立っていた。19才を迎えた年、走る姿に楽しみを感じているチョウォンをハーフマラソンに参加させ3位入賞となる。飲酒運転の罰として奉仕活動をしていた元マラソン選手に、フルマラソン参加のためのコーチを頼む。最初はいい加減だったソンコーチだが、懸命に走るチョウォンに心うたれ、本気になっていく。しかし、同じ頃弟が問題を起こし警察に捕まったり、チョウォンが痴漢騒動を起こしたり、キョンスクも胃に穴があき手術する。キョンスクは、自分のエゴのためにキョンスクを引っ張り、家族を犠牲にしたことを後悔し、マラソンを止めることを決意する。職業訓練を真面目に受けるチョウォン。マラソン大会当日、チョウォンは、自ら買ってもらったシューズと送られてきたゼッケンを持ち会場に向かう。止めに来た母キョンスクの手を離し走り始める。

 懸命さは何かを伝え動かす

母の気持ちはよくわかる。離れていく父親の気持ちもわかる。じっとがまんしている弟の気持ちもわかる。どうすれば一つになって動けるのか。一度こけてみるしかないのかもしれない。家族の中で訪れる危機が家族の心を一つにしてくれる。
無理矢理やらされていたマラソンをチョウォンは自分のものにして、自ら走り出す。自閉症のこだわりかもしれないけど、それでもいいと思った。懸命になれるものこそ、その人の輝きだと思う。それが与えられたものでも、自分のものにできたのだと思う。

いつも自分の思うとおりにさせることがいいとは限らない。母親がやってきたすべてが彼のためになったわけではない。これでいいのだろうかと疑問に思う場面。それはできるだけ少ない方が大きな力を生む。しかし、必要な疑問だ。思うようにならないことで心中・・・・そんな結末だってありうる。

自分はどうしたいのだろう・・・自分に疑問を持つ。自分が考えていること、やろうとしていることがわからなくなって迷う。迷えばまわりもくずれる。山に登ること、走ること、そんなこうしたいという確かな考えが、行動力を生む。感じる力なのだろうか。考える力なのだろうか。行動力なのだろうか。犠牲になってしまった家族のことを全く考えないわけではなかったはず。でも、考え始めたら迷う。切り捨てる力、忘れる力、信じる力、まちがってもいいから、大きく踏み出す力。見た目や、まわりの言動にふりまわされず、進む力。迷いながらも、感じながらも、歩くこと、それが大事。


幸福な食卓

2008年06月02日 | 人間/社会派ドラマ

2006年 日本 108分
2007.1.24 シネツイン1 試写会
 2008.5.30  日本映画専門チャンネル
■監督 小松隆志
■出演
   北乃きい(中原佐和子)  勝地涼(大浦勉学)
   平岡祐太(中原直)  さくら(小林ヨシコ)
   羽場裕一(中原弘)  石田ゆり子(中原由里子)

 《story》

「大丈夫。気づかないうちに、守られているから。」

中原家の朝は、みんなで食卓を囲んで朝食をとるというきまりがあった。しかし、あるとき母が家を出た。兄は大学をやめて農業を始めた。そして、父は突然「父さんは、父さんをやめようと思う」と宣言する。崩れていく家庭を前にして、それでも、佐和子の淡々とした朝の食卓は続く。そんなとき、佐和子のクラスに転入生が入ってきた。佐和子の隣にすわったその少年は大浦勉学。二人は次第に惹かれあっていき、ともに同じ高校を目指して受験勉強に励む。そして、願いが叶った高校1年のクリスマス。二人はお互いに心のこもったプレゼントを贈ろうと努力するのだが・・・崩れていく家庭ととtもに、大きな悲劇は起こった。

さわやかな崩壊
こんなことを言ったら怒られるかもしれない。父親は自殺までしようとしたのに。でも、ドロドロとした憎しみや怒りや、混沌とした鬱積した心など感じられないだけに、さわやかな崩壊だと思った。映画自体もさわやかな恋愛が中心になっている。大きな悲劇が、家族の再生のきっかけとなったのは皮肉だけど、佐和子の相手の勉学が、間接的に佐和子の家庭を立ち直らせたのかもしれない。しかし、肉親が自殺未遂しているのに、そんなさやかさを演じることができるのだろうか。だれが悪いか、何が悪いか、ののしり合って、笑顔なんて見せられなくなってしまうのが現実。顔を合わせることも、きっと避けてしまうだろう。この家庭がさわやかさを演じられたのは、朝の食卓があったから。この食卓の時間がなかったら、きっと再生は無理だ。

彼女は何を振り返っていたのだろう
ラストで川沿いの道を歩く佐和子。彼女はときどき後ろを振り返る。さわやかな表情で振り返る。不安さは少しもない、自信に満ちた顔で振り返る。後ろに何を感じたのだろうか。知らないところで見守られていることの確認なのか。自分を後押ししてきたたくさんの人たちを感じているのか。幸福な顔で、ときどき後ろを振り返る。さあ、前に進むぞーって、振り返ることで、そう強く言っているような気がする。そんな思いになれるって、なんて幸福なんだろう。私が後ろを振り返るときって、自信がないとき、不安なとき。だれか声をかけてくれないかな。でもだれもいないという孤独を感じるだけ。自分が支えられていることを感じることができる幸せ。それだけで彼女は幸福になれる権利があったのだと思う。勉学との出会いもそのひとつ。

 自分が壊れてしまう前に

「父さんは父さんやめようと思う」・・・父さんってどんなことをしている人なのだろうか。働いて生活費を入れる。人生のなんだかんだなんて言う。自殺するのは仕事がつらいから。そうじゃない。つらいことをだれも共感してくれないことがつらいんだと思う。聞いてくれるだけでもいいんだけど、聞こうとはしない。聞く気持ちはない。つながらない家族。死んでしまいたくなる父さんの気持ちがわかるから怖い。遺書は、わざわざ書き残す。壊れたことを知ってほしいから。今までだって父さんをしていなかったけど、宣言して気持ちを楽にしたかった。何か気持ちが楽になることを言ってほしかった。「いいよ、父さんなっていらないよ」なんて言われたら、もう一度死ぬかな。娘の悲しみを和らげてやれない父さんなんて、彼氏の代わりに死んでしまいたい気持ちかも。でも、佐和子だって本当にそう思っていたわけじゃない。そうぶっつけることで甘えたかっただけなんだ。未だよくわからないのは、なぜ母さんが出ていったのか。

公式サイト「幸福な食卓」

 10分で食べる食事
急いで早く食べる習慣がついてしまった。黙々とあまりかまないで、急いで飲み込む。うまく楽しい会話をしたいけど、食べることだけで終わる。おいしいもおいしくないもない。満腹になればいい。いわゆる「かっくらう」・・お酒をちびちびやりながら、少しずつ料理にも箸をつけて、味わい、表現し、楽しめたらどんなにいいだろう。今までそんな食事をしたことがあるだろうか。子ども時代はどうだったろう。幸福な食卓という題を聞いただけで、あこがれてしまう。幸福は、食卓が作るのではない。そこに集まる人間が作る。私にはその技術がない。何か1つ尋ねることが精一杯。何かがブレーキをかける。ずっと昔からそうだったかなあ。もう忘れてしまった。2つ何かを尋ねよう。それが前進となるよ。でも、おいしい料理を囲むと話がはずむと言うけど、30000円の天ぷらより280円のカレーがいいなあ。だから10分で食べてしまうのだろうなあ。

ブロークン・フラワーズ

2008年06月02日 | 人間/社会派ドラマ

2005年 アメリカ 106分
■原題「BROKEN FLOWERS」
■2008.5.24 movie plus
■監督 ジム・ジャームッシュ
■出演
   ビル・マーレイ(ドン・ジョンストン)
   ジェフリー・ライト(ウィンストン)
   シャロン・ストーン(ローラ=1人目)
   フランセス・コンロイ(ドーラ=2人目)
   ジェシカ・ラング(カルメン=3人目)
   ティルダ・スウィントン(ペニー=4人目)
   ジュリー・デルピー(シェリー)

 《story》

「人生は思いがけない驚きを運んでくる」

初老のドンの元から恋人が去った。そして一通のピンクの封筒。差出人はなく、昔の恋人とあり、あなたの息子が旅に出たと書いてあった。ドンは子どもの心当たりはなく、推理オタクの友人のすすめで、元の恋人を捜す旅に出る。1人目は、母と娘の二人暮らしのローラ。懐かしく語る。2人目は、不動産を夫婦で営むローラ。食事に招かれたが、気まずい雰囲気。3人目は、動物セラピーの仕事をしているカルメン。4人目は、男達に殴られ放り出される。亡くなった恋人の墓参りをして帰宅。帰る途中で、旅の若者を見る。翌朝、自宅の近くでその若者を見かける。朝食をご馳走し、父親としての気持ちで話をするが、誤解され逃げられる。本当の息子なのか、ピンクの手紙自体偽物なのか、まだ見ぬ息子がどこかにいるのか、謎は謎のまま。

 感情にのない終末

人生に疲れた男。やりたい放題にしてきたけど、それも満足感は得られなかった。今は虚しい人生の最後を慎ましく送っている。今更やりなおそうとも思わないし、だらだらとなんとなく生きている。おもしろいことはないかとさがすわけではもなく、後悔で沈んでいるわけでもない。一通のピンクの手紙。それが劇的に彼の人生を変えたわけはない。でも、なんとなく動かされていく。懐かしく感じることもなく罪に苛まれることもない。歩き始めたら、仕方なく進む。感動が表に出てこない。ただ淡々と事が運ぶ。まさしくこれが彼の生きてきた人生であり、その延長上なのかもしれない。

私は何を持ってまわろう。感動か懺悔か。今振り返っても、それが感動の線上にあるのか、それとも懺悔の線上にあるのかわからない。自分の中では感動として残っていることが、実は大きな傷の上にあることがある。昔も今もそれは気づいていないだけ。やあ元気って手を上げてたら、そこに石が飛んでくる。気づいていないということは、今を生きる上でとても大切なこと。気づけばそこから先に進めなくなる。だから、過去を振り返ることはよしたほうがいい。何も持つ必要はない。動かないでひとり懐古していればいい。

靴をなくした天使

2008年06月01日 | コメディ

1992年 アメリカ 118分
■原題「HERO/ACCIDENTAL HERO」
■2008.5.23 mivie plus
■監督 スティーヴン・フリアーズ
■出演
   ダスティン・ホフマン(バーナード・ラプラント)
   ジーナ・デイヴィス(ゲイル・ゲイリー)
   アンディ・ガルシア(ジョン・ババー)
   ジョーン・キューザック(エヴェリン・ラプラント)
   スティーヴン・トボロウスキー(ジェームズ・ウォレス)
   ジェームズ・マディオ(ジョーイ、バーニーの息子)
   トム・アーノルド(バーテンダー)

 《story》

「すべての夢をかなえる魔法の靴。本当の“天使”はあなたじゃない・・・」

ラブラントはこそ泥で保釈の身。愛想をつかした妻と別れ、最愛の息子と制限付きで会っている。ある日息子と映画を見るために急いでいたラブラントの前に旅客機が墜落。100ドルもする靴をなくさないように脱いだ後、非常ドアを開ける手助けをする。そして、自分の息子と同じくらいの男の子に父親を助けてくれと頼まれる。今にも爆破しような旅客機の中に入り、何人もの人を外に連れ出す。しかし、男の子の父親は見つからず、旅客機は炎上。ラブラントは現場から離れる。送れて息子の家に行ったラブラントは妻から追い出される。マスコミは、旅客機の人々を救った天使はだれか捜し始める。残された靴。ラブラントが唯一このことを話したホームレスのジョン・ババーが名乗り出て一躍有名になる。ラブラントは自分だと主張するがだれも信じない。窃盗の罪で逮捕されてしまう。ヒーローになったジョン・ババーは、罪悪感に苛まれ自殺をしようとビルに上り飛び降り自殺を図る。そこにラブラントが説得にかり出される。二人だけの交渉成立。

 元々優しい人なんだよ

人が困っていたらそのまま放っておけない人なんだと思う。でも、完璧な人間じゃない。ヒーローって、みんなが思うようなスーパースターじゃないのかもしれない。ごく普通の人間で、いいところもあるし悪いこともしている。だれもがヒーローになれる。でも、世の中は完璧なスーパースターを求めている。もし、ラブラントが名乗り出て有名になっても、こそ泥だとわかるとすぐにそっぽを向かれる。反対にたたかれてしまう。ジョンだって悪い人間じゃない。二人の交渉は妥当ではないだろうか。ただ苦しむのはジョンかな。

偽物はつらいと思う。たとえ交渉成立、本物の了解が得られているとしても、結局欺いているわけだし、いつかボロがでる。みんなからそっぽをむかれるのが怖い。なんだそんなにつまらなかったのかと思われるのがつらい。いずれ忘れ去られ、本物はだれかとそこに目が向くことは確実。1年後には静かに暮らして居られたら、何事もなかったかのように、世間が見てくれていたら、幸せかもしれない。