goo blog サービス終了のお知らせ 

そよかぜから-映画

見てきた映画の記録です
ネタばれあるかも、気をつけて

ダイ・ハード2

2007年06月03日 | アクション

1990年 アメリカ 124分
■原題「DIE HARD 2」
■2007.6.1 wowow
■監督 レニー・ハーリン
■出演
  ブルース・ウィリス(ジョン・マクレーン)
  ボニー・ベデリア(ホリー・ジェネロ・マクレーン)
  ウィリアム・サドラー(スチュアート)
  ジョン・エイモス(グラント)
  フランコ・ネロ(ラモン・エスペランザ将軍)
  アート・エヴァンス(レスリー・バーンズ)
  デニス・フランツ(カーマイン・ロレンツォ)
  ウィリアム・アザートン(リチャード・ソーンバーグ)
  レジナルド・ヴェルジョンソン(アル・パウエル)
  フレッド・ダルトン・トンプソン(トルーデュー)

  《story》

「また戦場へ来てしまった運の悪い奴!」

「ワシントンD.C. ダレス国際空港に非常事態発生
    テロ集団が航空管制塔を占拠!
    機能は完全マヒ、パニックが続く空港内にまたしても“あの男”がいた!」


クリスマスイブ、マックレーンは妻のホーリーを迎えにダラス空港に来た。たくさんの報道陣が、南アメリカから連行される麻薬王のエスペランザ将軍の到着を待っていた。マックレーンは、手荷物室に入り込んだ怪しい人影を発見し追いかける。手荷物室で銃撃戦となり、一人を射殺したが、その男は2年前に死んだとされている米軍関係者であることがわかった。マックレーンは空港の閉鎖を訴えたが、管轄外だと一蹴されてしまう。それからまもなくスチュアート率いるテロ軍団の管制塔のコントロールを支配されてしまう。スチュアートは、抵抗の見せしめに、上空の航空機に偽の情報を送り、墜落させてしまう。スチュアートのねらいは、エスペランザの逃亡をであり、奪った飛行機で国外に脱出することだった。マックレーンは、妻の飛行機が無事着陸できるように、懸命にテロ軍団を追う。

 人々を命がけで救う
アクション映画の中でも、人命を救おうと命がけで戦っているところがいいのかな。ただのアクションと違うのはわかるけど、いったいどこが・・・と考えたとき、「アルマゲドン」のように命をかけて人々を救おうとしているところと似ている。最初の飛行機の墜落を止められなかったことへの落胆。あのとき、もしかしたら彼なら止めることができたかも、という期待をもった。でも、全員絶望。マックレーンと同様見ている者も大きなショックを受けた。結局、自分の妻を救うことが最優先になってしまって、ちょっとがっかりだけど、彼の目が多くの人間から彼女だけにしぼられていったような雰囲気になってしまったからね。ラストの燃料にライターで火をつけ、飛行機を爆破させるシーンは最高だね。悪党は絶対許さないぞという気持ちが、見ている観客と一致して、もやもやが晴れていく感じだ。結局は人殺しかな。多くの人命が救われたからいいか。最新作が楽しみだ。人々を命がけで救うというスタンスは残されているでしょうか。

 ムカデ怖い 2007.6.3
毎週日曜日の夜8時は大河ドラマ。武蔵から見始めて5年目。始まりのテーマソングが流れている画面で、中程に出てくる黒いムカデ。いつも目を覆ってしまう。こうして名前を書くだけでもいやでいやでたまらない、「ムカデ恐怖症」だ。それは幼少の頃のトラウマがあるからだ。昔の家は山のすぐそばで、この梅雨の時期になると、ペアーで家の中に入ってくる。天井のすみ、布団の中、お風呂の中、足下、頭の上・・・・いたるところに出現する。1匹いれば必ずもう1匹はいる。15cm以上のでかい奴。夢にまで出てくる。長い長いムカデ。ああ、考えただけで狂ってしまいそうなので、もうやめる。今は団地に住んでいるので、出会うことはないが、それでもふっと気配を感じ、あちらこちらに目をやってしまう。この恐怖症からは永遠に解放されることはないのだろうか。

ダイ・ハード

2007年06月01日 | アクション


1988年 アメリカ 131分
■原題「DIE HARD」
■2007.5.26 wowow
■監督 ジョン・マクティアナン
■出演
  ブルース・ウィリス(ジョン・マクレーン)
  アラン・リックマン(ハンス・グルーバー)
  ボニー・ベデリア(ホリー・ジェネロ・マクレーン)
  アレクサンダー・ゴドノフ(カール)
  レジナルド・ヴェルジョンソン(アル・パウエル巡査)
  ポール・グリーソン(ドゥエイン・T・ロビンソン )
  ウィリアム・アザートン(ソーンバーグ)
  ハート・ボックナー(エリス)
  ジェームズ繁田(タカギ)
  アル・レオン(ユーリ)  デヴロー・ホワイト(アーガイル)
  グランド・L・ブッシュ(リトル・ジョンソン )  ロバート・ダヴィ(ビッグ・ジョンソン)

  《story》
妻のホリーが務めるロサンゼルスの日本商社のビルが、テロリストに占拠された。マックレーンがホリーの仕事部屋にいたとき、34階のパーティー会場がテロリストに封鎖された。マックレーンはテロリストから奪った無線機で、警察に連絡。ビルの通風口やエレベーターの通路などを使ってテロリストに迫っていく。

 ブルース・ウィリスの人間味
アクションものはあまり好きではないけど、ときどき魅入られる作品に出会う。それがこれだった。だいたい殺し合いはすきではない。簡単に人が殺させる場面は、戦争の心理と同じ。悪とされている人間を殺せば英雄だ。殺したことに後悔はない。小さな戦争だ。この映画がおもしろいのは、殺し合いがたくさんあってもブルース・ウィリスの人柄に引き込まれる。スクリーンの彼と、現実の彼は違うかもしれないけど、スクリーンでは暖かみを感じる。燃えたつような正義感ではなく、自然に感じる肩の凝らない正義とでも言えるかな。「アルマゲドン」で感じた人間味にあこがれる。

 美しいもの
青空が広がり、さわやかなそよかぜが吹く。頬でその感触を味わう。心で草原を歩く。傍らには姿は見えないけど、愛する人たちが寄り添う。「そよかせ」はそんな願いがこめられた名前。美しいものを感じたい。感動をたくさん経験したい。ここにはそんなうつくしいものや感動の記録を残したかった。でも、書きたくなるときや、書くことができるときは、決まって心が沈んだとき。書くことで、美しいものを感じる心を取り戻そうとしているようだ。それだけ私の心は貧しいのだ。今日、一番美しかったのは、あの子が一生懸命働いている姿だろうなあ。目をつむれば、バケツを持って水を汲みだしている姿が浮かぶ。がんばってね、ってジュースを差し出したら、やったーってうれしそうにしていた。やっぱり、美しいものを残したいね。
 『ハンナのかばん』 カレン・レビン(石岡史子:訳) ポプラ社 【BOOK】
アウシュビッツからのメッセージ
約150万人もの子どもが殺された。大人も含めると700万人だそうだ。どうして人はこんなにも残酷になれるのだろうか。「アンネの日記」は有名だが、こうして世に知られていない子どもたちにも、きっとそれぞれの人生があったはず。一人の命は大切でも、多くの命は簡単にあっけなくつぶすことができる。一匹の犬を救うことに感動しても、銃を持てばたくさんの命を奪って英雄になろうとする。
ハンナの生きた人生を振り返ることは、きっと銃を持つことを拒否する力となる。世の中には、それを信じて、さまざまな活動をしている人がいることも事実だ。ハンナの兄をつきとめ、ハンナの歩んだ道を少しでもたどることができた。ガス室に送られるハンナの心は張り裂けんばかり、恐怖と悲しみが渦巻いている。思わず目をつむってしまう自分がいる。


スパイダーマン3

2007年05月12日 | アクション

2007年 アメリカ 139分
■原題「SPIDER-MAN 3」
2007.5.4 TOHOシネマズ緑井 with y,h,t
■監督 サム・ライミ
■出演
   トビー・マグワイア
    (ピーター・パーカー/スパイダーマン )
   キルステン・ダンスト
    (メリー・ジェーン・ワトソン(MJ))
   ジェームズ・フランコ(ハリー・オズボーン)
   トーマス・ヘイデン・チャーチ
    (フリント・マルコ/サンドマン )
   トファー・グレイス(エディ・ブロック/ヴェノム )
   ブライス・ダラス・ハワード(グウェン・ステイシー)
   ジェームズ・クロムウェル(ジョージ・ステイシー)
   ローズマリー・ハリス(メイ・パーカー)
   J・K・シモンズ(J・ジョナ・ジェイムソン )
   ビル・ナン(ロビー・ロバートソン)  エリザベス・バンクス(ミス・ブラント)
   ディラン・ベイカー(カート・コナーズ博士)  テレサ・ラッセル(エマ・マルコ)
   クリフ・ロバートソン(ベン・パーカー)  テッド・ライミ(ホフマン)

 《story》

「もう一人の敵、それは『自分』」

今やスパーだーマンは、ニューヨークの街のヒーローだった。ピーターはMJに結婚を申し込むために、叔母からもらった指輪を準備していた。しかし、ピーターはブロードウェーの舞台を降ろされたMJの気持ちをしっかり受け止めることができずにいた。同じ頃、郊外に落ちた隕石から、ピーターのバイクに未知の生物が付着し、部屋に入り込んだ。また、叔父を殺した真犯人が脱獄し、ある実験の光を浴びサンドマンに変身する。さらにハリーは、ピーターを父親を殺した敵としてねらってくる。未知の生物はピーターの身体に付着し、もう一人の悪の心を活性化させていく。

 敵は心の中にいた
「未知の生物」・・「サンドマン」・・空を飛ぶスケボー・・よく考えると不思議な力が増大している。悪の力とも言える。だからこそ、スパイダーマンのような正義の味方が誕生したのだろう。正義の味方がいるということは、その力に合う悪がいるということ。神がいれば悪魔がいるのと同じことかも。サンドマンが出てきても違和感がないのは、この映画の中で本当の敵は自分の心の中にいるのだということを教えてくれているからだと思う。元から悪なんてない。裏を返せば神もいない。心の中にはいつも悪も神もいる。でもそれをコントロールするもうひとりの自分がいることを教えてくれているからだ。悪と神とそして生きる人間と。ハリーだって表情が全然ちがった。父のことを思い出さなければ天使の顔だった。サンドマンだって、娘のことを思う顔は悪の顔ではない。あのカメラマンだって、きっと心の中で悪と善が闘っていたはず。そんな人間の生き方を優しく投げかけてくれるから、不思議なキャラクターも自然に受け止められ、スパイダーマンも遠い人物としてではなく身近な人間として親しみを感じてしまう。
この映画を子どもたちみんなと見ることができたのはよかった。正月に「エラゴン」を見たが、あれより迫力と訴えるものがあった。

公式サイト「スパイダーマン3」

 門司
連休に門司に行った。息子を福岡に送っていくため。家族みんなで楽しく出かけるため。門司は通ったことはあるけど、ゆっくり回ったことがない。調べてみたら、けっこう観光地として興味がある施設もあった。天気もよかったし、何より5人で歩けたことが幸せだ。海上保安庁の船や帆船の日本丸がいた。また、身近に観光用だけどヘリコプターも見た。海峡ドラマシップでは、昭和の街が再現され懐かしい気持ちで歩いた。私は、こんな昭和の街の再現を懐かしく思い、ここにいても飽きないくらいなんだけど、子どもたちはどうなのだろうか。聞いたことがないけど、まるで江戸時代を私が感じるような遠い過去として感じているのだろうか。
生まれた日の新聞印刷してくれる機械があった。子ども三人だけやってみた。そのあと門司港駅前の小さな食堂で昼ご飯を食べた。鉄道博物館にも行った。私たちの世代にしてみれば本当に懐かしいものばかりだった。小倉まで息子を送った。門司という街はそんな香りの街となった。

フライトプラン

2007年02月25日 | アクション
 
2005年 アメリカ 98分 スカラ座  
2006.1.19 試写会
 2007.2.19 wowow (日本語吹き替え)
■監督 ロベルト・シュヴェンケ
■出演 
   ジョディ・フォスター(カイル・プラット) 
   ピーター・サースガード(カーソン) 
   ショーン・ビーン(リッチ機長)
   マーリーン・ローストン(ジュリア)
   エリカ・クリステンセン(フィオナ)
   ケイト・ビーハン(シテファニー)

《story》
夫が事故死。その夫の亡骸と娘とともに、カイルは、アメリカに向け、旅客機で飛び立った。飛行機の中で数時間眠った。目を覚ましたカイルのそばに、娘の姿はなかった。機長の許可を得て、飛行機の中を探すが、娘は見つからなかった。調べていくうちに、乗客名簿に娘の名がないことがわかった。また、遺体安置所からの死んだのは夫と娘の二人であると連絡が入った。娘は本当に飛行機に乗ったのか。肉親の死という悲しみから、現実を受け入れられずに幻を追いかけているのか。真実は・・・。

「彼女は、航空機設計士。
そして、一人の母。 
高度1万メートルの上空で、
幼い娘が失踪した・・・。 
その時、最新鋭の旅客機は、 
史上最悪の《戦場》に変わる--!」

「高度1万メートルの密室、 
跡形もなく消えたひとりの少女・・・。 
容疑者=全乗客425名。 
--それは、史上最悪の飛行計画。」


久しぶりに行ったスカラ座、元朝日会館。エレベーターに乗って7階で降りる。そこに大きな映画館がある。小学生のときに、ここで「チャップリンの街の灯」を見た。視力が悪かったので、かなり前で見た。巨大スクリーンで、見上げてみた。懐かし映画館だ。今は、近郊にシネマコンプレックスがあり、駐車場も無料で、豪華なイスのお気に入りの映画館があるので、街中の映画館に来ることはほとんどなかった。今回は試写会に当たったので、思い切って出てきた。

映画館で見ると、ほとんどの映画がよく見えてくる。迫力があるからだ。大きな映像、そして音響。私はこの映画はおもしろかったと思う。途中あっけなく答えが出てくるが、何となくわかってくるので、ここら辺で後半のアクションに移ってもいいかなと思う。ジョディ・フォスターが好きなので、疑問点はよしとして、楽しんで見ることができた。最後はすっきりさっぱりかな。

フライトプラン公式サイト

 2007.2.19 wowow (日本語吹き替え)

 何が真実か見極めること
人に何か言われたら、「そうかなあ」と、それを信じて自分を疑うことが多い。でも、彼女はちがった。何が自分をそこまで駆り立てるのだろうか。目覚めたとき、娘がいたことが真実なのか、それともこの飛行機には乗り込んでいなかったのか、搭乗券も荷物もない、記録も残っていない。見た人もいない。私でなくとも、自分を疑うだろう。あの窓のハートがなかったら、彼女も自分を疑ったことだろう。何が真実なのか見極めることは難しい。目に見えるもの、耳に聞こえるものが真実であるとは限らないのだ。みんなが言うことが正しいとは言い切れないのだ。自分をも信じることができないなんて、つらく悲しいにちがいない。たとえ結果的にまちがっていても、自分を信じる勇気がいることがわかった。まちがいはこわい。本当は子どもはいなかったとしたら、飛行機から降りる自分は世界中を敵にまわしてしまったような挫折感を感じることだろう。それでも、どんな結果が訪れようとも、1%の可能性を信じて守らなければならないものが現れることがある。自分のためでない。もし、子どもがいなかったらそれでいい。でも、もしいたなら、救い出せるのは信じている自分だけなのだから。

風のファイター

2007年02月20日 | アクション


2004年 韓国 122分
■原題「Fighter in the Wind」
■2007.2.14 wowow
■監督 ヤン・ユノ
■出演
  ヤン・ドングン(チェ・ペダル(崔倍達))
  平山あや(陽子)  加藤雅也(加藤)
  チョン・テウ(チュンベ)
  チョン・ドゥホン(ボムス)
  パク・ソンミン(龍馬)
  国分佐智子(龍馬夫人)
  真樹日佐夫(武術協会元老)

《story》

「正義なき力は無能なり、力なき正義も無能なり」

1939年、日本の統治下にあった朝鮮。チェ・ペダルは、パイロットになるために日本に密航する。航空学校に入ることはできたが、戦時下の日本では朝鮮人は差別されひどい仕打ちを受けるだけだった。あるとき、ペダルは教官と争い、加藤大尉との戦いで負けてしまう。戦争が終わり、日本に残ったペダルはチェンベと小さなパチンコ店を開くが、やくざに襲われてしまう。そのとき、幼い頃に武道を教わったボムスと出会い、武道を習った。そのボトムがヤクザに殺され、ペダルは山奥に入り、厳しい修練を行った。そして、その後、日本の道場を巡り、武闘家たちとの試合に挑むのだった。

こんな人もいたんだ
こうして日本で活躍している朝鮮の人は多いんだなと思った。どの国であっても、優しさをもって、人を大切にしようとする人は立派だと思う。対戦相手を殺してしまい、その奥さんと子どものために、できることをしようとする気持ちは、尊いものだ。それは日本人だからとか朝鮮人だからとかではないのだ。日本人でも、いい人はいいぱいいるし、悪い人もいっぱいいる。ヤクザは日本の恥だ。国の名前をあげてひとくくりにしたくない。このペダルという人間が、ただ強さだけを持とうとしたのではなく、精神をも強く優しく鍛え上げているからすばらしいのだと思った。そういえば、最近見た「SOIRIT」も同じようなストーリーだった。初めは強さだけを求めていたけど、本当の人間の強さとは力ではなく、心であることを見せてくれた。アクションではあるが、見せるだけのアクションではなかった。

公式サイト「風のファイター」

 『交差点』 重松 清 【BOOK】
だんだんとただの思い出ではなく、吃音と人間関係の葛藤とが重なり、悲しくなったりうれしくなったり、「生きている」って感じがしてきた。今までの短編は、どこか卑屈で、自分が世界の不幸の中心なんだと言わんばかりで、まるで自分の姿を見ているようでいやだった。直接は吃音と関係ないが、間接的に人生に一こまを見せてくれ、言葉にでくても、そこに何らかの意味や主張を、自分なりに作ることができた。作者は、そんな大袈裟なものはないと言っているが、ただ見るだけじゃあつまらないものだ。見て、動いた自分の感情を何らかの方法で表現したいものなんだと思う。だから、つたない言葉で、えらそうに込められた主張を推理する。映画も本も、私は同じ気持ちで見る。感情が動かないのっぺりしたものや、頭の中で意味を言葉にできないものは不可なんだ。
少年の人を思う気持ちが、最後は思われる気持ちに変わっていく。ベンチに無理に入って来た人、押し出された人、見ていた人、どの心もそれなりにしんどい。交差点は人と人とが別れる場所。初めは、少年がつきあって通り過ぎた交差点が、いつの間にか付き添われる交差点に変わってしまった。だれを恨めばいいのだろう。初めに少年が言っていたように、実力の世界だ。最後に少年がはじき出され、これでチームはまとまるなんて、なんて皮肉なものなのか。「がん・・・」  それは本当は自分が「がんばる」と言うことで、耐えることだったなんて。そんな立場の逆転ってあるよなあ。


SPIRIT

2007年02月07日 | アクション


2006年 香港/アメリカ 104分
■原題「Fearless(霍元甲)」
■2007.2.1 wowow
■監督 ロニー・ユー
■出演
  ジェット・リー(フォ・ユァンジア)
  中村獅童(田中安野)
  スン・リーミスター(ユエツー)
  原田眞人(三田)
  ドン・ヨン(ノン・ジンスン)
  コリン・チョウ(フォ・ユァンジアの父)
  ネイサン・ジョーンズ(ヘラクレス・オブライアン)

《story》

「世界は今も、この男たちのドラマを越えられない」

20世紀初めに実在した武闘家フォ・ユァンジアの生涯を描く。
少年ユァンジは、武闘家の父が、最後にとどめを刺さなかったために、負けた試合を見て、悔しく思った。ユァンジは、強い武術を身につけ、天津一番の武闘家になるために修行を積んだ。父の後を継ぎ、一門率いるユァンジは、果たし状を突きつけては相手を敗る。ある日、弟子が傷を負って帰り、逆上したユァンジは、チンの元に押し掛け、無理に戦いを挑み、チンを殺してしまう。後で、チン一家の悲しみを知り、そして傷を負った弟子が実は悪いことをした末だったことを知り、自分がしてしまったことを深く後悔する。そして、田舎の村に身を隠す。数年がたち、本当の強さを知ったユァンジは、中国の武闘家を負かしバカにしていた外国武闘家を破り、しかも相手に敬意を持つ、真の強さの武闘家の姿を見せるのだった。そして、ユァンジは流派を越えたお互いに技と精神を鍛え合う組織を作るのだった。これをよく思わない外国の権力者は、ユァンジを倒そうと、大きなイベントの試合を組むのだった。

よく言われるけど、真の強さとは
理想か現実か・・・理想を追い求めることができる人間は、本当に悩み苦しみ、そして人々を愛し、心をひきつける。ただ強さだけを求める人間は、心のつながりがないから、虚ろな雰囲気がいつもつきまとい、際限なく欲がふくらむ。そして、怒りがうずまき、怒りと憎しみの連鎖が起こる。やっぱり、理想を追い求めなくなったら人間はおしまいのような気がする。理想と現実の狭間で、もがき苦しみ、理想を追求することを決意した人間は、しっかり前を向いて、堂々と進んで行くことができる。けれども、残念だけど、そんな人間をつぶそうとする人間がいるのも現実なんだ。理想が現実に負けてしまったように見えるけど、こうして映画となっただけでも、理想は現実を越えている。現実は気怠いし、汚いし、怒りや憎しみ恨みでいっぱい。穏やかな、あたたかな、優しい世界こそ、理想を追い求める世界だと思う。

公式サイト「SPIRIT」

 久しぶりの友人からのメール
今、心の中で右往左往していた自分から少し解放された、落ち着いた心がある。とは、言っても、少し開き直ったような、あきらめたような、中途半端な決心に似た心境だ。そんな中で突然届いた音信。まるで世捨て人になって、久しぶりに故郷に戻ってきた感じだ。バカにされ、飛び出した家に、少し成長して戻った主人公だ。何が成長したのか、それは動じないふりできるようになったことかな。ちょっと大きな波がきたら、またあっぷあっぷして、もがくんだと思うけどね。

 現実の拳法ってどんなものなんだろう
映画では、相手が打ってくるものを手や足で防御する。でも、それもかなり痛いんじゃないかな。顔や胴体に当たらなければ大丈夫みたいに戦っているけど、訓練された一撃は、どこで受け手もかなりの痛手を受けると思う。そういう意味ではブルース・リーの戦いが一番現実に近いかもしれない。あのスピードはどうだろうか。あれほどの動きで対戦するものだろうか。刀や槍をかわせるものだろうか。実際の戦い(試合)と映画の戦いと、かなりちがうと思う。でも、慣れてきて、まるで現実もこんな試合をしているかのように思えてしまう。そういう意味では映画はこわい。こうでなくては映画として見るおもしろさがなくなってしまうから。


Mr.&Mrs.スミス

2007年01月27日 | アクション


2005年 アメリカ 118分
■原題「Mr. & Mrs. Smith」 
2006.1.5 TOHOシネマズ緑井
  2007.1.20 wowow  
■監督 ダグ・リーマン
■出演 
  ブラッド・ピット(ジョン・スミス) 
  アンジェリーナ・ジョリー(ジェーン・スミス) 
  ヴィンス・ヴォーン(エディ)  
  アダム・ブロディ(ベンジャミン) 
  ケリー・ワシントン(ジャスミン) 
  ミシェル・モナハン(グウェン)

《story》 

「一瞬で恋におちた、ふたり」  
「おたがいその正体は秘密」


お互いが殺し屋であることを知らないで結婚。5~6年後、お互いの不可思議さを感じ始めていた二人は、カウンセラーの前に座っていた。謎だらけのそれぞれの生活。ある日、二人は同じ人物を、それぞれの組織から殺すように命令される。そして、お互いが邪魔をしあい、殺しは失敗に終わった。しかし、そのことをきっかけに、殺しを失敗に終わらせた相手を探るうち、お互いの不信は高まった。そして、殺し屋としての二人がぶつかることとなる。

見ていて飽きないおもしろさだった。カウンセラーの前で始まり、カウンセラーの前で終わる。もちろん、治療の効果は抜群に表れているのだが・・。「お互いに殺せない」と思いながら、バンバン撃ちまくっているのだから、それでもきっと仲直りするだろうという予感があるから、それも夫婦げんかの激しいやつだと思うことができる。デパートのテントのようなものの中に逃げ込んだ二人、そこを逃げのびたときのことを話し合う様子は、「明日に向かって撃て」のラストを思わせた。そこを飛び出したら一斉射撃を食らって終わり。それじゃあこの映画はおもしろくない。やっぱりハッピーエンドにならなければ。

公式サイト「Mr.&Mrs.スミス」 

  2007.1.20 wowow

子どもが生まれたら
派手な夫婦げんかのあと、仲直りできたけど、二つの組織から追われることになるよね。組織と激しくやり合って勝ち抜いたところで終わったけど、あの二人が組んだら、2つの組織もつぶされてしまうか。夫婦で新しい家族の組織を作るかな。子どもが生まれたら、その子どもも組織の一員になるとしたら、どこかにあったな、似たような映画が・・・。「スパイキッズ」は政府の機関の1つで正義の味方、「Mr.インクレディブル」はヒーローだった。この二人の子どもは、殺し屋の子どもになる。娯楽で、殺しも1つの仕事のように華麗にこなしていたけど、結局はただの『殺し』なんだ。だとしたら、生まれた子どもはかわいそうだな。

 『乗り換え案内』 重松清 【BOOK】
少年はセミナーで、どもることを、「そんなこと気にしないで、笑う奴は笑わせとけばいいじゃないか」と言われ、怒った。加藤くんも怒った。何となく気持ちはわかる。どもりたくてどもっているわけじゃない。しゃべれないことがとてもつらいのもわかる。でも、もし私がここの先生の立場だったら、同じことをいうだろう。だとしたら、少年や加藤くんの気持ちを、実はわかったようでいて全然わかっていないのかもしれない。もっというなら、わからないことが何なのかさえわからない。苦しい気持ちなのか。このセミナーに来ている意味を勘違いしていることなのか。それに、言葉をかけるとしたら、どんなことを言えばいいのだろうか。励ましが励ましにならず、怒らせるだけだったら、どんなことを言えばいいのだろうか。セミナーなのだから、精神的なアドバイスを受けにきているのではなく、しゃべる技術をマスターしに来ているんだと考えるべきなのだろう。
乗り換え案内の声に負けないで話した言葉「らいねん」・・・そこに加藤くんの気持ちが表されている。友だちになりたかった加藤くんの気持ち。最終日に、少年と初めて同じバスに乗り、交わした言葉。そして、これが別れの言葉でもあった。うまく話せない人間は、さまざまな行動で気持ちがにじみ出てくる。少年は、いたずらばかりしかけてくる加藤くんの気持ちを、この乗り換え案内の声とともに聞いた。今までのすべてを物語る言葉だったような気がする。 


007/カジノ・ロワイヤル

2007年01月08日 | アクション

2006年 アメリカ/イギリス 144分
■原題「Casino Royale」
2007.1.5 TOHOシネマズ緑井
■監督 マーティン・キャンベル
■出演
  ダニエル・クレイグ(ジェームズ・ボンド)
  エヴァ・グリーン(ヴェスパー・リンド)
  マッツ・ミケルセン(ル・シッフル)
  ジュディ・デンチ(M)
  ジェフリー・ライト(フェリックス・レイター)
  ジャンカルロ・ジャンニーニ(マティス)
  サイモン・アブカリアン(アレックス・ディミトリオス)
  カテリーナ・ムリーノ(ソランジュ)
  イワナ・ミルセヴィッチ(ヴァレンカ)
  セバスチャン・フォーカン(モロカ)
  イェスパー・クリステンセン(ミスター・ホワイト)
  クラウディオ・サンタマリア   イザック・ド・バンコレ

《story》

「最初の任務は、自分の愛を殺すこと」

2人の殺しが「00」への昇格条件。クリアーしたボンドの最初の任務は、テロリストの資金源の謎の男の正体を突き止めること。マダガスカルで爆弾男を追い込み射殺、彼が持っていた携帯に残された発信元のバハマ諸島に向かう。そこでも爆弾男の飛行機爆破を阻止する。そして、Mはついに謎の男がディミトリオスであることを突き止める。カジノで彼を破産させる使命を受ける。リンドとともにカジノに向かう。国家予算1500万ドルを賭けた一大イベントの幕が開く。

今までとちがうボンド
007って何度かテレビで見たことあるけど、積極的に見ようとは思わなかった。でも、これはちょっとちがった。まず、友だちに連れられて、いやいや見に行った息子がおもしろかったよと言ったことがきっかっけで、機会があったら見に行こうかなと思うようになった。レイトショーで空いている時間があった。見始めて、自分が座席に座っていることを忘れてしまうほど、中に入っていった。映画館だから・・かもしれないけど、次はどうなるのだろうという興奮があった。確かにおもしろい。今までとはちがうと思った。爆弾男を追いかけるシーンは、工事現場も飛行場も迫力があった。カジノのシーンもすんなりいくことなく、さまざまなアクシデントにわくわくしてしまう。愛を殺すこと、それは自分からではなかった。007となることは、必然的に自由な愛はなくなるという、悲しさがあった。現実的にはありえないことだけど、リアリティーがあり、かっこいいだけのボンドでなく、ワイルドな一途な新鮮なボンドを見ることができた。

頭がよくなければ007も務まらない
今はコンピュータ-が使えなければ何もできない時代だ。それはどんな職種も同じ。たとえスパイの世界でも、秘密諜報部の世界でも。どこでもコンピューターを使って、どこかのコンピューターに侵入できるくらいの腕前が必要だ。さらに経済についても知識がなくてはならない。歴史、文学、地理などさまざまな多くの知識が必要だ。もちろん運動神経も抜群でなくては務まらない。心の制御も必要になってくる。人の心理を見抜く力、自分の心の中を表に出さず、いつも冷静でいられる強い精神力。つまり、万能な人間でなければできないということだ。そう、スーパーマンなのだ。こんな人間が、世界の人々のために働いてくれていることが、何よりの救いだ。

公式サイト「007/カジノ・ロワイヤル」

 『うつくしいこども』石田衣良 【BOOK】
「弟は、なぜ殺したんだろう?」
『羊たちの沈黙』にあるような猟奇殺人。数年前に実際にあった酒鬼薔薇事件。確かに報道では見えない部分がある。マスコミは、まるで正義の使者のように、さまざな角度から報道する。見る側も、ある意味おもしろく興味をもって見る。私もその中の一人だ。原因はなにか。社会か、家庭か、学校か、地域か・・・・・。それらにも原因はあるだろう。でも、影響しあう人間の結ばれた端に、見えない何かがある。テレビの画面や雑誌などの一面だけで、物事をとらえてはいけない。鵜呑みにしてはいけないんだ。
加害者の家族の苦悩も、この本で改めて感じることができた。私たちは、黒い点があると、そのある場所すべてが汚れているように思ってしまう。殺人者がいる学校、地域、家族・・・。同じように思われたくない人もいる。多くはそうなのだろう。その中でも、逃げてはいけない、むしろその渦中の人を支えなければならない人がいる。冷静に考えれば、そうあるべきなんだとわかるんだけど、思われたくない人の中で、そうすることは大変なことなんだということがよくわかった。
ひどいのは、そう思われたくない人たちや、だれかに八つ当たりをしたいだけの人たちが、いやがらせをすることだ。まさにいじめだ。自分がやっていることが、どれだけひどいことなのかわからないのか。殺人よりましだ、なんて思っているのだろうか。自分が、この場所にいたとしたら、どんな冷静な考えで動けるだろうか。

ステルス

2006年11月23日 | アクション

2005年 アメリカ 121分
■原題「Stealth」
■2006.11.23 wowow
■監督 ロブ・コーエン
■出演   
  ジョシュ・ルーカス(ベン・ギャノン)  
  ジェシカ・ビール(カーラ・ウェイド)  
  ジェイミー・フォックス(ヘンリー・パーセル)  
  サム・シェパード(カミングス)  
  ジョー・モートン(マーシュフィールド)  
  イアン・ブリス(シャフツベリー)


《story》

「終わらせない。未来を」

「助けたい。その想い、はミッションを越えた。」


近未来。テロ撲滅のために、極秘に進められたプロジェクトに選ばれたのは、ベン、カーラ、ヘンリーの3人だった。彼らは、最新のステルス「タロン」を操縦し、最高の技術とチームワークをもっていた。そこに、人工知能が操縦する無人ステルス戦闘機「エディ」が加わった。彼は、学習能力をもったコンピューターだった。初任務の後、エディは落雷にあい、密かに異常を生じ始める。
タジキスタンで核弾頭が持ち込まれるという情報が入り、すぐに破壊するようにと指令が入る。4機はすぐに向かったが、近くに農村があり、核弾頭を破壊すれば、その農村で1000人以上の死者がでることがわかった。ベンは任務の中止を決断したが、エディはその命令を無視し、ミサイルを発射してしまう。その後も、エディはあらたな標的を探し暴走する。それを止めようとしたヘンリーは、崖に激突し、大破。カーラは、機体が故障し、北朝鮮に墜落、パラシュートで何とか地上に降りることができた。ベンは、エディを追跡するが、空中給油をしているときにエディに襲われてしまう。作戦の失敗を隠そうとする上司。暴走するエディ、北朝鮮内で逃げまどうカーラ。ベンは、愛するカーラを助けることができるのか。

娯楽として見ればおもしろい。ものすごい早さで飛び交うステルスは感動的だ。まるでゲームをしているようで、私自身はこんなゲームをしないので、こういうゲームをする人にしてみれば、思わず両手が動いてしまうだろう。映画だから許せる場面がいっぱいあった。それは、映画だから楽しめるのだと思う。

「テロ撲滅」という合い言葉は、アメリカを中心に、日本でも叫ばれている。ピンポイントで建物を破壊して、まるで湾岸戦争やイラク戦争でのハイテク兵器の宣伝みたいだけど、“すごい”と一言では片づけられない問題がいっぱいあった。本当にあの建物にいた人間すべてがテロに関わっているのだろうか、巻き添えをくった人間はいないのか。イラクの大量破壊兵器が嘘だったように、後から「あれはテロとは関係なかった」なんてことはないのだろうか。核弾頭が、商品としてテロ組織に売られていく危険は現実にある。それを破壊したら、1000人の死傷者だけじゃすまないんじゃないだろうか。

ステルスのような戦闘機を作ろうと思えば何億というお金が必要だろうなあ。燃料だって莫大な量だろうし、きっと燃費もよくないから、何度も給油しなければならないだろう。これらの費用はどこから出るの? 我々の税金から、消費税から、削られた給料から、年金から、補助金から・・・

いつもアメリカが正義を掲げるけど、掲げて宣伝した者の勝ちなんだろう。反対の立場に立てば、アメリカが敵なんだ。すごい兵器を作れば、戦争の危険を抑えることができるのかと言えばそうではない。その敵となるものは、もっとすごい兵器を作るだろう。核兵器を持ってにらみ合えば抑止力が効いて戦争はなくなるのか。どこかでだれかが謝って、核兵器のボタンを押したり、世界の幸せなんて考えることができないだれかが自分のわがままで核兵器を使ったり、自分の利益のためにどこかに売ったり、たくさんの核兵器の管理なんてきっとできない。

兵器なんていらない、作らない、持たない、そんな世界は無理なんだろうか。自衛隊なんていらない。「攻められたらどうする?」戦わない道をいつも考えていけたらいい。

公式サイト「ステルス」

ダーティハリー

2006年11月19日 | アクション


1971年 アメリカ 103分
■原題「Dirty Harry」
■2006.11.19 BS2
■監督 ドン・シーゲル
■出演
   クリント・イーストウッド(ハリー・キャラハン)
   ハリー・ガーディノ(ブレスラー)
   アンディ・ロビンソン(さそり)
   ジョン・ヴァーノン(市長)
   レニ・サントーニ(チコ)

《story》
ビルの屋上からプールで泳いでいた女が狙撃された。サンフランシスコ警察のキャラハン刑事が捜査で、薬莢と犯人からのメッセージが見つかる。そのメッセージには、市に対して10万ドルの要求が書かれてあった。応じなければ黒人か牧師を殺すとあった。新しく相棒となったチコと捜査にあたり、屋上にいる犯人を見つけるが、逃がしてしまう。その後、黒人の少年が狙撃される。次は牧師だと張り込んでいるところに犯人は現れたが逃げられてしまう。再び市に脅迫状が届く。14才の少女を誘拐したという。20万ドルを持ってハリーは指定された場所に行くが、そこで犯人と格闘になり逃がしてします。ハリーは、独自の捜査で犯人をつきとめる、そこで、娘の居場所を聞き出すため、犯人に拷問をかける。しかし、少女はすでに死んでおり、犯人は刑事に拷問された違法の捜査として釈放される。再び犯人は犯罪に手を染めるだろうと、ハリーは尾行を続けるのだが。

◎高校時代にリバイバル上映されていたことを思い出す。友だちは、この手の映画が好きだったが、私は関心なかった。でも、一度テレビで見た記憶がある。最近になって、クリント・イーストウッドの監督しての活躍を見て、もう一度見たくなった。「ダーティー」とは、汚い、やり方がまずいという悪い意味だと思っていたけど、映画の中では「掃除屋」と説明があった。何でも危険な仕事はハリーがやってくれる。そんな人物を表しているらしい。行動は荒々しいけど、冷静であわてず判断し、正義感に触れた刑事だった。ただかっこいいだけでなく、アクションがいいだけでもなかった。
なぜ、あんも犯人が釈放されたのか理解できなかった。犯人の人権が騒がれていた時代なんだろうか。身代金の受け渡し場所で負傷した男だし、ハリーは顔を見ているわけだから、犯人であり証拠はちゃんとあるはずだけど・・。
最後に撃ち殺してしまった方が、後で問題にされるんじゃないかな。気持ちの上ではしっきりしたけどね。