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そよかぜから-映画

見てきた映画の記録です
ネタばれあるかも、気をつけて

ショコラ

2007年10月03日 | ファンタジー/アドベンチャー


2000年 アメリカ 122分
■原題「Chocolat」
■2007.9.28 wowow
■監督 ラッセ・ハルストレム
■出演
   ジュリエット・ビノシュ(ヴィアンヌ・ロシェ)
   ジョニー・デップ(ルー)
   ジュディ・デンチ(アルマンド・ヴォワザン)
   レナ・オリン(ジョセフィーヌ・ミュスカ)
   アルフレッド・モリーナ(レノ伯爵)
   ピーター・ストーメア(セルジュ・ミュスカ)
   キャリー=アン・モス(カロリーヌ・クレルモン)
   レスリー・キャロン(オデル夫人)
   ヴィクトワール・ティヴィソル(アヌーク・ロシェ)

 《story》

「おいしい幸せ 召し上がれ」
「おいしい幸せ 準備中」

「すべての人を幸せにしてしまう 不思議なチョコレートを売る母娘の物語」


フランスのある村に、ヴィアンヌとその娘がやってきた。彼女たちは、教会の近くに店を借りて、チョコレートの店を開く。ところがその村は古い因習に縛られていて、村長の顔色を見ながら、村人たちは休日に教会に来ない者やよそ者に対して冷たい態度を取った。しかし、ヴィアンヌのチョコレートは不思議な力があった。倦怠期の夫婦に愛がよみがえったり、夫の暴力に絶えかねたジョゼフィーヌはヴィアンヌの店に逃げ込んだり、孫と祖母との出会いを実現させたりした。ある日、川にジプシーの一団が停泊した。よそ者をよく思わない村長は嫌がらせをするが、ヴィアンヌだけは彼らを受け入れた。しかし、村人の風当たりは強く、絶えられなくなった彼女はアルマンドに悩みを打ち明ける。アルマンドの提案で、彼女の誕生パーティーをジプシーの一団とともに盛大に開くことになった。楽しそうにパーティーに参加しているジョゼフィーヌを見た夫のルーは、逆上して船に火をつけてしまう。絶望したヴィアンヌは嫌がる娘を連れて村を出ようとするのだが・・・。

 チョコレート大好き
古い伝統や習わしがすべて悪いわけではない。逆にいいわけでもない。いいかどうかしっかり考えることが大切だということかな。結局だれかの考えだけが突出して、だれもがそれに従わざるをえない状況の中に、習わしが使われたということだ。よそ者はだめ。教会に来ない者はだめ。それだけを考えたら、いいとは言えないことはよくわかる。閉鎖的では新しい風が入らない。教会だけが正しくて心を救ってくれるわけではない。仏教でもいいじゃないか。新しい風をチョコレートに乗せてやってきたヴィアンヌはいかにも神秘的で不可思議な力を持っているように感じた。でも、そうではなく、弱音を吐く自分と戦っていたのだ。自信を持つための旅だったのかもしれない。彼女が村に新しい風を吹き込んだと同時に、彼女の中にも新しい風が入ってきたのだと思う。落ち着いて暮らせることが、誰もがもっている願いだ。
あのチョコレートを食べたいなあ。私も心が軽くなれそうな気がするよ。


西遊記

2007年08月07日 | ファンタジー/アドベンチャー


2007年 日本 120分
2007.8.2 TOHOシネマズ緑井 フリーパス
■監督 澤田鎌作
■出演
   香取慎吾(孫悟空)  深津絵里(三蔵法師)
   内村光良(沙悟浄)  伊藤淳史(猪八戒)
   水川あさみ(凛々)  大倉孝二(老子)
   多部未華子(玲美=姫)
   谷原章介(文徳=一番家来)  
   小林稔侍(劉星=りゅうせい=祖父)
   鹿賀丈史(金閣大王)  
   岸谷五朗(銀閣大王)   
   三谷幸喜(国王=父)
   

  《story》

「みんな なまか」

天竺を目指して進む三蔵法師一行。どこまで行っても砂漠の中、水が尽きて来た頃、大きな墓を見つけ、そこで家来を連れ馬に乗った美しい少女に出会う。水をもらおうとしたが、そのまま行ってしまう。その後一行は街を見つけ、食料や水を求めて立ち寄る。そして先の少女が姫であったことを知る。玲美姫は、悟空に金閣銀閣をやっつけてほしいと頼み、一行は臥龍山を登っていく。これはわなであるという知らせを聞いて、三蔵法師らは街に戻るが、悟空は玲美姫と交わした約束を守り、「なまか」であることを信じ、登っていく。山頂には金閣も銀閣もいなかった。姫の祖父が山小屋で暮らしていた。玲姫は、金閣銀閣に脅され、祖父が持つ「無玉」を取りにきたのだった。無玉は銀閣に奪われ、街は暗黒の世界になった。捕まった三蔵法師を助けた悟空は、金額銀閣に戦いを挑むのだった。

 うーん これは・・・
途中で後悔してしまった。子ども向けに作ってある。まあ当然だよね。つい、以前の夏目雅子三蔵法師の孫悟空のイメージを描いてしまっていた。いや、もしかしたら似通っているけど、私が見た孫悟空が昔のことだからそのイメージを忘れているだけかもしれない。あまりの軽すぎた。以前の孫悟空はもっと考えさせる場面があったような気がする。「なまか」って何だ? と思った。テレビ番組を見ていないだけに、違和感があった。
多部未華子さんが出ていたことだけが救いかな。なぜか、「がんばれ」と応援したくなる女優なんだ。失敗しそうな感じがして、綱渡りをしている彼女に両手を出して支えようとしている感じ。彼女にはもっといい映画に出てほしい。かわいいアングルもあったからよしとしよう。
疑問点多数あり。なぜあんなに苦労して山に登るんだ。後から簡単に行けたではないか。なぜ悟空達をだまして山に登ったのだ。あのヒョウタンを置いていったのはなぜ? 銀閣は玲美姫に無玉を取りに行かせておいて、後から自分で行ったのはなぜ? もっと悟空達のさまざまな力を使ってほしかった。馬はまだ登場していないの? 始めに悟空や弟子達の生い立ちを簡単に入れてほしかたた?
劇場では子ども達の笑いがいっぱいあった。子どもは、「ああ、おもしろかった」って答えるのだろうな。香取慎吾は、「ドク」で好きになったのだけど、こんな演技はみたくないな。フリーパスがあったから見ました。

  公式サイト「西遊記」


ポセイドン

2007年07月21日 | ファンタジー/アドベンチャー


2006年 アメリカ 98分
■原題「POSEIDON」
■2007.7.14 wowow
■監督 ウォルフガング・ペーターゼン
■出演
  カート・ラッセル(ロバート・ラムジー-父、元市長)
  ジョシュ・ルーカス(ディラン・ジョー)
  ジャシンダ・バレット(マギー・ジェームズ)
  リチャード・ドレイファス(リチャード・ネルソン-老人)
  ジミー・ベネット(コナー・ジェームズ-少年)
  エミー・ロッサム(ジェニファー・ラムジー-娘)
  マイク・ヴォーゲル(クリスチャン)
  ミア・マエストロ(エレナ)
  アンドレ・ブラウアー(ブラッドフォード船長)
  ケヴィン・ディロン(ラッキー・ラリー)  
  フレディ・ロドリゲス(マルコ・バレンティン)
  ステイシー・ファーガソン(グロリア)

 《story》

「全世界が突然ひっくり返ったら、あなたはどうしますか?」

北大西洋を航海中の豪華客船ポセイドン号は、今新年を迎えようとしていた。そのとき、突如現れた巨大波に襲われ、転覆してしまう。天井と床が逆さまになったまま、船内では生き残った人々が救助を待っていた。船長は、このままこのラウンジで救助を待とうと言う。しかし、ディランは上に行って脱出できるところを見つけようとした。娘を捜していた市長や、プロペラのところで抜け出せるのではと、同じ思いを持った物たちが行動を起こす。しかし、途中で待っていたのは火の海、充満する水の流れだった。脱出はできるのか。

 葛藤がほしいと思ってしまうのだけど
リメイクは、どうしても以前の作品と比べてしまう。そこにない新しいことの発見があって、それが前作を越えていると感じること、またはまったく別の視点で良さを見いだすこと。それで合格。そういう意味ではリメイクというのは大きなハードルがあると思う。このポセイドンはどうだろう。リアリティで言えば前作を越えると思うけど、物足らない。前作の良さは人々の葛藤だった。生き延びるために行動することが大切であること。今考えられる限りの知恵を出し合い、努力すること。初めのスタート地点で、じっとしているか行動するかで、運命は分かれた。そこに葛藤があった。上に進む人々にも、どの道を行くかで怒ったり笑ったり泣いたり、それぞれの人生を語ったり、そんな人間の心模様があった。しかし、今回はない。ただ、スリルあるのみ。次から次に迫る障壁を乗り越えてひたすら脱出をめざす。人をけ落とした後悔がない。迷いがない。意見の食い違いがない。こんな状況で少年がいつのまにかあんなところに行くなんて。その経過がない。あまり人の心を感じないだけに、脱出したときの感動がない。

公式サイト「ポセイドン」


あした

2007年06月28日 | ファンタジー/アドベンチャー


1995年 日本 142分
■2007.6.21 GyaO
■監督 大林宣彦
■出演
   高橋かおり(原田法子-冒頭の女の子)  
   林泰文(大木貢-冒頭の石を投げた男の子)
   宝生舞(朝倉恵)  原田知世(わたし)
   津島恵子(金澤澄子-ヤクザの姉さん)
   植木等(金澤弥一郎-ヤクザの親分)
   井川比佐志(森下薫) 
   岸部一徳(笹山剛-ヤクザ)
   多岐川裕美(森下美津子)
   朱門みず穂(綿貫ルミ)
   峰岸徹(永尾要治-妻と娘を失った父)
   村田雄浩(唐木隆司-水泳の先輩)  根岸季衣(一ケ瀬布子)
   ベンガル(池之内勝-ヤクザの兄貴)
   田口トモロヲ(笹山哲-ヤクザ)   柏原収史(高柳淳-恵の彼)
   尾美としのり(学校の先生)   風吹ジュン(冒頭の少年の母)

  《story》

「人は約束する。
    出逢うために、共に生きるために、
    そして、ときには、
    『さよなら』を言うために・・・・」

尾道の内海で、小型客船、呼子丸が遭難した。乗客全員が不明のまま、三ヶ月がたった。残された恋人、夫、妻たちのもとに、不明者からのメッセージが届いた。「今夜午前0時、呼子浜で待っている」朝倉恵は恋人の淳から、ヤクザの親分は孫と妻から、永尾は妻と娘から、小百合と沙由利はコーチから、美津子は夫から。この近くの温泉に泊まっていた法子は、小学校時代に離ればなれになっていた貢と出会う。貢はヤクザの子分になっていた。
本当に不明者はやってくるのか。刻一刻と午前0時に近づいていく。

 あしたは期待と不安
今は不安の方が大きいかな。その不安材料をなくすように努力はしているんだけど。
さて、この映画のあしたは期待。みんな期待を胸に集まってきた。不思議な縁で結ばれた人たち。それは船の乗客だった人も。彼らに会いに来た人たちも。もしもう一度会えたら何を話そう。やっぱり謝ることしかないかな。「やあ元気?」なんてしらじらしい。「なぜあなたは死を選んだのですか」昔も今も、私にはどうすることもできなかった。何の力もない、自分のことしか考えられない、自分のことで精一杯な日々。こんな言い訳ばかり。みんなどこに行ってしまったのだろうね。天国かな。少し人間くさくなりすぎて、始めにあった神秘さが消えていった。最後まで神秘さや、多少サスペンス的なホラー的な要素もあっていいのではないかと思った。

 幼稚園時代 2007.6.25
ふと思い出す。元々いた幼稚園はキリスト教の関係だった。家を建て、引っ越した先の幼稚園は何も宗教的なものはなかったと思う。転園・・・初めてだったか、病気で遅れて行ったか、はっきり覚えていないが、母親に置いていかれる寂しさで泣いた記憶がある。結局、家に連れて帰ってもらった。あの寂しさをふと思い出す。
この幼稚園の関係で思い出すことは、2本の鉄の棒でできた滑り台のようなもので、頭がはさまって大泣きしたこと。登園するとき、手をつないだ女の子の手が余りに細くて小さくてびっくりしたこと。その子は小学校にあがっても細かった。絵を描いていて、隣の子の名前が「久保」と言う子で、「ぼく」と「久保」が反対であることを発見し誇らしく思ったこと。「ぼくはくぼ」と何度も言っていた。ブランコがこわかったこと。和田先生に憧れていたこと。

 『ひびけ青空へ! 歓喜の歌』-板東ドイツ俘虜収容所物語-安宅温 
      ポプラポケット文庫 【BOOK】 2007.6.24 

あの映画は、日本にこんな事実があったのかと感動したものだ。それが児童書と本屋にならんでいたのですぐに買ってしまった。1日で読み終えた。舞台は徳島の板東俘虜収容所。松江所長が映画の主役だった。しかし、ここではドイツに侵略されたポーランドのヘルトレが準主役だ。なぜなら、彼の子孫がこの本の作者だからだ。血はつながってないようだが、ヘルトレが日本に再びやってきて、生涯を送るほど、この収容所での生活は心に残るものだったのだということがよくわかった。それに、ドイツに強制的に兵士にならされ、こんな遠くまで戦争に駆り立てられてきたという複雑な立場の人間がいたこともよくわかった。同じ収容所で、侵略した相手と一緒に生活したくない。そんな彼らの気持ちを考慮して、松江所長は別棟の施設を与えた。そんな人を大切に考えることが、これだけの感動的な大舞台を用意することができたのだと思う。小数派の弱い立場の人間のことを考えることの大切さを教えてくれる。

パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト

2007年06月10日 | ファンタジー/アドベンチャー

 
2006年 アメリカ 151分
■原題「PIRATES OF THE CARIBBEAN: DEAD MAN'S CHEST」
2006.7.25 TOHOシネマズ緑井
  2007.6.6 wowow
■監督 ゴア・ヴァービンスキー
■出演
  ジョニー・デップ(ジャック・スパロウ)  
  オーランド・ブルーム(ウィル・ターナー)  
  キーラ・ナイトレイ(エリザベス・スワン)  
  ビル・ナイ 、ステラン・スカルスガルド


 《story》

「さらば、ジャック・スパロウ」

前作のパイレーツ・オブ・カリビアン「呪われた海賊」の続編ということで制作。前作では、不死の海賊バルボッサから、ブラックパール号を奪い返し、大海原へと船出した。そんなジャック・スパロウの前に、運命が立ちはだかる。かつてブラックパール号を手に入れるために、「深海の悪霊」デイヴィ・ジョーンズと『血の契約』を交わした。その契約の期間が終わり、ジャック・スパロウは、魂を取り立てられようとしていた。

うかつにも、前半ボーっとしてうつらうつらしてしまった。疲れていたのか。おもしろくなかたのか。ところどころ頭に入っていない。そのためか、よくわからなかった。前作の吸い込まれるようなストーリーではなかったような気がする。ようわからんなあと思いながら、ただアクションだけは部分部分で心に残った。ラストでは大だこに立ち向かって行った。次回に続く。できればもう一度見たい。今度は日本語版を見て、おもしろいのかどうなのか判断したい。見ることができるでしょうか。

    2007.6.6 wowow 

 うんそうだったのか
を1個増やした。確かに前半寝ていた。何のことやらわからず見ていた。1の方もよく覚えていなくて、意味不明だった。でも、今回もう一度1から見て、つながった。そうしたらおもしろさがわかった。3で1の船長バルボッサが当たり前に出てくるところが不自然だったが、この映画の最後に現れ、仲間と同列になった。こうなると3をもう一度見たくなる。また、新しい発見がありそうだ。今回1も2も3も全部吹き替えだ。その方が映像に集中できる。台詞の内容は、字幕でも吹き替えでも、訳者の気持ち次第だし、本来の役者の声でなくても、わかりやすければその方がいい。
自分だけ逃げたかに見えたけど、やっぱり戻ってきたスパロウ。でも、エリザベスが非情なことをせざるを得なかった。大蛸に食われたスパロウ。だれもが彼が好きだった、ということで。

公式サイト「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」

 家から出て何かをしよう 2007.6.10
今の自分は体力も力もない。昔の自分だったらあったのか。なかった。でも、気持ちだけはあった。それがいいことで、動かぬもう半分の自分を引っ張り、体力さえあれば、どこへでもボランティア活動に行きたい。でも、すぐに身体はしっしんができかゆくなり、疲れしまう。気転もきかないから、何をしていいかもわからない。
でも、こrだけは言える。家から出よう。ここにいたらダメになる。見捨てるという意味ではなく、もっと自分の世界を広げよう。外に出てさざまなことにチャレンジしよう。やってみよう。家に居着くことがないくらい、忙しくてももっとしたくてたまらなくなるくらい、そんな活動をしよう。待つのではなく、自分から片っ端からやってごらん。結局手をつけない料理より、どんどん味見して自分に合うものを見つけるんだ。
私も何かしたい。贅沢な話。ナビをつけていいろなところに出かける。折り畳みの自転車も積んで、着いたところで散策する。写真を撮る。記録を残す。一人でもいい。もう時間がない。


パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち

2007年06月03日 | ファンタジー/アドベンチャー

2003年 アメリカ 143分
■原題「PIRATES OF THE CARIBBEAN: THE CURSE OF THE BLACK PEARL」
■2007.5.28 DVD
■監督 ゴア・ヴァービンスキー
■出演
  ジョニー・デップ(キャプテン・ジャック・スパロウ)
  オーランド・ブルーム(ウィル・ターナー)
  キーラ・ナイトレイ(エリザベス・スワン)
  ジェフリー・ラッシュ(キャプテン・バルボッサ)
  ジョナサン・プライス(スワン総督)
  ジャック・ダヴェンポート(ジェームズ・ノリントン)
  リー・アレンバーグ(ビンテル)
  マッケンジー・クルック(ラゲッティ)  
  デヴィッド・ベイリー(コットン)
  ケヴィン・R・マクナリー

 《story》

「その呪いを解くのは、愛-」
「あなたのために私は戦う」


総督の娘エリザベスは、子どもの頃、海を漂い助けられたウィルという少年から手に入れた金貨を大切に持っていた。大人になったウィルは、鍛冶職人として一人前となっていた。エリザベスとウィルは惹かれながらも、身分の違いから近づくことができないでいた。ある日、海賊バルボッサの一団が現れる。ねらいはエリザベスが持っていた金貨だった。バルボッサは彼女とともに連れ去るのだった。たまたま囚われていたキャプテン・スパロウは、ウィルと契約を交わし、エリザベスの救出に向かう。

 ルフィーのような海賊
憎めない海賊、正義感たっぷりでもない、どこか悪びれているけど悪党にはなりきれない。そんなだれにも好かれるヒーローだ。
牢に入れられ、抜け出すのにテコの原理を使う場面があった。あれは3部にも使われた。ここに出てくる悪党のバルボッサが、3部で同じ仲間として船に乗り込むのは、それだけスケールが大きくなったよということだと思うけど、ここではこんなに恐れられ憎まれているのに違和感がある。

公式サイト「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」

 二度手間 2007.6.3
3階から1階に降りて、用事を済ませようとして忘れ物に気づき、また3階に上がる。忘れたものを持って1階に降りて先ほどの作業をしようとして、また忘れ物に気づく。3階に上がる。1階に降りて時間がなくなり、また今度。こんな時間と労力の無駄がいっぱい。1度に済ませられなくて、さらにうまくできなくて、ときには投げ出してしまったり、忘れぱなしだったり、何とも不器用なこと。隣の人があきれかえっている。つまらないことに時間をかけ、何にも進歩しない。それでも、少しでもやる気をだして、二度手間のことをこつこつとやる。それしか進む道がないのだから。

 『たそがれ清兵衛』 藤沢周平 新潮文庫 2007.6.2 【BOOK】
映画はよかったと思う。でも忘れてしまった。どんな場面に感動したのだろうか。
藤沢周平の作品はいつか読んでみたいと思っていた。でも、短編ばかりで、どうしてこれが映画にできるのだろうかと不思議に思っていた。今回の「たそがれ清兵衛」だって50ページ。読んでみてたいして感動はなかった。でもこれが映画になると、最後の戦いの場面も、妻との関わりも、きっと心を動かされるのだろう。
堀を切る役を頼まれたとき、清兵衛の心には妻のことしかなかった。その清兵衛の気持ちを深く感じる描写がない。でも、淡々と物事が進んでいくなかで、清兵衛の気持ちがにじみ出てくる。そこは不思議なものだ。

パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド

2007年06月02日 | ファンタジー/アドベンチャー

 
2007年 アメリカ 170分
■原題「PIRATES OF THE CARIBBEAN: AT WORLD'S END」
2007.5.28 TOHOシネマズ緑井
■監督 ゴア・ヴァービンスキー
■出演
  ジョニー・デップ(キャプテン・ジャック・スパロウ)
  オーランド・ブルーム(ウィル・ターナー)
  キーラ・ナイトレイ(エリザベス・スワン)
  ジェフリー・ラッシュ(キャプテン・バルボッサ)
  ジョナサン・プライス(スワン総督)
  ビル・ナイ(デイヴイ・ジョーンズ)
  チョウ・ユンファ(キャプテン・サオ・フェン)
  ステラン・スカルスガルド(ビル・ターナー)
  ジャック・ダヴェンポート(ジェームズ・ノリントン)
  トム・ホランダー(ベケット卿)  ナオミ・ハリス(ティア・ダルマ)
  デヴィッド・スコフィールド(マーサー) ケヴィン・R・マクナリー(ギブス)
  リー・アレンバーグ(ビンテル) マッケンジー・クルック(ラゲッティ)
  デヴィッド・ベイリー(コットン)

 《story》

「決戦の時が来た。今こそ、覚悟を決めるのだ。」

「呪われた“世界の果て”から 命をかけて連れ戻せ
                   -あのジャック・スパロウを・・」


パイレーツシリーズ第3段。世界の果ての囚われの身となったキャプテン・スパロウ。ターナー、スワン、そして宿敵のバルボッサが手を組み、命を懸けてスパロウの救出に向かう。東インド会社のベケット卿は、「深海の悪霊」ジョーンズを操り、次々と有力な海賊を倒していた。海賊たちに残された道は、9人の伝説の海賊を招集し、最後の決戦に挑むこと。その9番目の海賊がスパロウだったのだ。

 迷った挙げ句、見てよかった
「デッドマンズ・チェスト」では、映画館で途中眠ってしまい、よく意味がわからなくて、おもしろいとは言えなかった。それなのになぜこれを見たのか。本当は「眉山」を見ようと出かけたところ、映画館に早く着いてしまい、待つのがめんどくさくて、すぐに上映されるこれを選んでしまったのだ。しかも吹き替え。字幕は疲れているときは意味不明に陥ることがある。「デッドマンズ・チェスト」がそうだった。
一か八かの賭だった。それがあたった。おもしろかった。内容も把握できた。わくわくしながら最後まで見ることができた。
CGを使っている場面が多いのだろうけど、どうやって撮影したのかと考えてしまう場面が多かった。ターザンみたいに綱を持って移動するシーンに感動するなんて私くらいだろうか。いろんな工夫があっていいけど、CGだけで作られるようになったら、映画も楽しくなくなるだろうなあ。やっぱり俳優の演技あっての映画だし、何かを実物の用に見せる工夫が映画ならではの楽しさだと思う。ジョニー・デップの腰をくねらせながら見せる演技があってこそ生きてくる。悪ぶっていて、でもやさしさがいっぱいのスパロウにあこがれてしまうんだ。

公式サイト「パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド」

 OS東劇という映画館 2007.6.2
学生時代に何度か行ったことがある映画館だ。ここで何を見ただろうか。ゴジラの映画だったか、「明日に向かって撃て」だったか。昔は、映画の途中からでも入館して、途中から見たこともあった。そして2回目を続けて見て、見始めたところまで見たら映画館を出ていた。つまり、ラスト見てから最初を見るのだ。今考えると変な話だ。ラスト見てしまったらおもしろくないだろうと思うのだけど、昔はそれほど気にしなかった。映画館を出ることなく2回続けて見たこともあった。「リッツ」では、飲んだ後オールナイトを見たこともある。「ジョーズ」だった。映画館の中でたくさんの人が平気でタバコを吸っていた。広島駅にも映画館があった。ここはリバイバルで安かった。宝塚、朝日会館などもよく行った。一番通ったのはサロンシネマだ。フィルムマラソンも何度か見に行った。懐かしい映画館通い。
今は、TOHOの緑井が一番。またはサロンシネマやシネツイン。車じゃないと行けなくなって、緑井優先。そこでやってないものは、散歩がてら、遠くの安い駐車場に停めて、見たい映画を見る。週一の贅沢。今日は、シネツイン2の近くにあった劇場を懐かしく感じた。
 『変身』 東野圭吾 講談社文庫 2007.6.2 【BOOK】
彼が変わっていく。少しずつ、でも確実に。
純一はおとなしい性格だった。不動産や、強盗に銃を向けられた少女を助けようと飛び出し、頭を損傷した。でも、部分的な脳移植で助かった。画期的な脳移植で、10万人に1人しか適合しないドナーが、運良く見つかったのだ。それがなんと自分を撃った犯人京極だった。退院した純一は、次第に自分が自分でなくなっていくことを感じる。周囲も彼の変化を見て、彼から離れていった。
「手紙」がおもしろかったので、東野作品を読むことにした。よくある題材だけど、とても新鮮な感じして、どんどん読み進めてしまった。「僕」から「俺」に変わっていく主人公。心の中で闘い、諦め、再び闘い、脳移植でなくとも、自分の心の戦いのごとく、だれにでも自分にでもありうることとして感じられた。人は、悪魔にも天使にもなれる。京極は悪の代表のような存在だったが、彼の人生の中ではやはり悪も天使も存在したはずだ。しかし、彼が死んだとき、悪の一色の脳であった。ある意味、純一の頭の中で悪が勝ち、殺人を犯した。しかし、純一の心を呼び覚ました恵み力で、純一は自分を取り戻した。まさしく心の中の自分ともう一人の自分の戦いなのだ。
私は単純明快な結末を望んだ。最後は純一の脳が勝り、京極の脳を支配できるようになること。でもそうじゃなく、殺さざるを得なかったことは残念だ。


いちばんきれいな水

2007年05月26日 | ファンタジー/アドベンチャー


2006年 日本 90分
2007.5.19 シネツイン2
■監督 ウスイヒロシ
■出演
  加藤ローサ(谷村愛)  菅野莉央(谷村夏美)
  カヒミ・カリィ(真理子)  南果歩(母)
  田中哲司(父)
  松田洋治  峯村リエ  高谷基史

  《story》

「11年前の大切な秘密を伝えるために、
           今夜、彼女は目を覚ます」

「姉と過ごした奇跡の3日間。姉妹のかけがえのない夏がはじまる」

夏美は6年生。夏美の姉は、難病で11年間眠ったままだった。夏休みのある日、母の妹の真理子が、外国で事故にあったという知らせが届き、父母はすぐに向かう。夏美は姉の世話をしながら留守番をすることになった。その夜、奇跡が起こった。愛が目覚めたのだ。愛は19才に成長していたが、心は8才のまま。とまどう愛。そして無邪気な好奇心あふれる行動をとる愛に夏美は振り回される。愛は夏美をいいところに連れて行ってあげると言い、工場の地下の、使われなくなった地下鉄の駅に行く。そこにはきれいな澄んだ水が湧いていた。そして、その水には愛の秘密が隠されていた。次の日、再び愛は眠りについた。散らかった部屋の中で愛の絵日記が見つかった。澄んだ水の秘密が綴られていた。

 伝えたいこと
人にはだれかに伝えたいことがあるものだ。愛が目覚めたとき、それは夏美に伝えたい気持ち一点だったと思う。だから、目覚めたことを誰にも知らせる必要はなかった。夏美にだけ会えればよかった。だからこそ、ファンタジーなのだと思う。だれかにあの時のことを謝りたい、お礼を言いたい、死ぬ前に話しておきたい、見せておきたい・・・そんなことが人にはあるものだ。ある意味、それが実現して伝えられることは奇跡に近い。誰にも言えぬまま、この世を去ってしまうことの方が多いのだろう。あのきれいな水のこと・・・・難病の恐ろしさから夏美を捧げようとしたこと・・・自分が生きてきたさまざまな思い、そして前しか見ることができない現代の夏美に、もっとさまざまな世界を見てほしかった。素直に受け止めたら、今、自分が残せるものをしっかり作っておきたいと思った。あんなきれいな水は教えられないけど、自分が美しいと思ったものをできるだけたくさん形にしたいものだ。映画鑑賞の記録もそのひとつ。

公式サイト「いちばんきれいな水」

  『オデュッセイア』 恩田 陸  新潮文庫 【BOOK】
「ハウルの動く城」や「天空の城ラピュタ」を思い出した。まるで大きな宇宙船みたいな感じがする。自分の生活空間自体が移動するのだ。自分の住んでいる町そのものが動くのだ。夢のような話だが、動くことに何のメリットあるだろうか。さまざまな環境の場所に行けること。気ままに自然に任せて生きている様子そのものなのか。そんな町にあこがれている時代こそ、夢と希望があり、生きる力がみなぎっていた。生きるとは一人ではない。助け合って生きるのだ。でも、そんな町がじゃまくさくなるとき、自然を破壊し、環境をを壊し、いらいらして短気になり、人々は殺し合う。そんな人間の人間たちの生きる象徴なんだろう。ココロコは。

 デジタルとアナログ
こんな絵本があった。どちらがいいかということではなく、それぞれの性質に合わせて、いいところがあるということだった。デジタルは、その瞬間を表す。7時20分、7時21分というふうに。でも、アナログは、なめらかな流れを表す。7時20分から21分まで針が流れるように動いていく。
デジタルの体温計は数字だけ。でも、水銀の入った昔ながらの体温計は少しずつあがる。都会はデジタル、田舎はアナログ。私はアナログがいいなあ。いきなり変わる数字や、点だけでできている絵や、0と1の組み合わせの意味不明なものより、なめらかに流れる時計が好き。なだらかな模様が好き。電子の世界より、小さな宇宙の世界の方が夢がある。デジタルの良さもあるけど、なんだかのんびりおっとり感じるアナログがいいなあ。

 眼鏡が変わっても
眼鏡が壊れた。修理に出した。10数年前の眼鏡を引っ張り出してかけた。家族のものはだれひとり眼鏡のことを口にはしない。きっと眼鏡が変わったことに気づいていると思うんだけど・・・・関心ないしね。職場では、数人が気づいて声をかけてくれた。気づいて話題にしてくれないってさみしいね。古い眼鏡だから変に見えるだろうなと内心不安な気持ちでいるのに、何も反応がないって、やっぱり自分は影みたいな存在なんだなとさみしくなるよね。それだけ自分が気にするほど人は見ていないということなんだと思う。大事なのはそういう見かけじゃなく、何をして何を言うかなんだね。


ナイト ミュージアム

2007年04月08日 | ファンタジー/アドベンチャー


2006年 アメリカ 108分
■原題「Night at the Museum」
2007.4.1 TOHOシネマズ緑井 with h/t
■監督 ショーン・レヴィ
■出演
   ベン・スティラー(ラリー・ダリー)
   カーラ・グギーノ (レベッカ-受付)
   ディック・ヴァン・ダイク(セシル・フレデリックス)
   ミッキー・ルーニー
   ビル・コッブス(レジナルド)
   ジェイク・チェリー(ニック-息子)
   ロビン・ウィリアムズ(テディ・ルーズヴェルト)
   ミズオ・ペック(サカジャウェア)
   ラミ・マレック(アクメンラ)
   リッキー・ジャーヴェイス
   アン・メアラ(デビー-仕事紹介所)
   キム・レイヴァー(エリカ・ダリー-博物館館長)
   スティーヴ・クーガン(オクダヴィウス)
   ポール・ラッド
   オーウェン・ウィルソン
   パトリック・ギャラガー(アッティラ・ザ・フン)
   リック・ガーヴェス(ドクター・マクフィー)

  《story》

「みんなみんな動き出す」

ニューヨークで暮らすラリーは、離婚して失業中。元妻は再婚することになり、息子のニックの心をつかむために、安定した就職をしようと、自然史博物館の警備を始める。初日の夜、警備を任されたラリーは、真夜中に展示物が動き始め驚く。ニックの信頼を得るため、次の日も奮闘する。そして、3日目にニックを驚かそうと、博物館に招待するのだが、真夜中になっても、展示物が動かない。元警備員たちが、展示物を動かしていた原動力の金の石版をねらっていたのだった。

公式サイト「ナイトミュージアム」

 大騒ぎのあとは
少しずつ展示物が動き出す。そして、町の真ん中でこんなことが起こっているとはだれも知らないという快感。朝になれば何もなかったかのように元に戻り静まる。そんな不思議さな世界は、昔からだれもが憧れる。真夜中に動き出すおもちゃたちの世界のように。彼らといろんな話ができたらどんなに楽しいだろう。夜の博物館は現実はきっと怖いだろう。暗闇の中にたたずむ恐竜や蝋人形たちを思うとぞっとする。でも、彼らが楽しく会話できたら、昼のにぎやかさ以上に、盛り上がるだろう。そんな夢を実現させてくれた映画だ。ただ、最後のダンスパーティーはやりすぎだと思った。大きな出来事があったあとも、何もなかったかのように静まる博物館。外から見れば、ちょっとした音や影が恐怖に感じられ、でも実は中ではみんなで大騒ぎ。特定の人にしか、それは体験できなかったら、もっと不思議さは増したかもしれない。不思議な世界は、不思議なままで残した方がいい。体験できるのは、映画を見る人だけの特権にしておきたかった。

 キャッチボール
久しぶりに子どもとキャッチボールをした。やりたいと思っていたのに、なかなかできなかった。いろんなことしたいと思っていたのに、実現したのは本の少しだけ。キャンプだって、ワゴンで寝る旅行だって、山登りだって、さまざまなプランはあった。でも、そのほとんどは実現していない。言い出すこともできないものもある。すぐに却下されたり、いつの間にか消えてなくなったり。
自分というものは変えられないものだとつくづく思う。ならばこの哀しみは最期まで続くのか。それはもっとつらいことだ。最期はひとりのたれ死ぬことはわかっているけど、少しでも花をそえたいものだ。自分は変えられなくとも、気分は変えられる。いやなことを180度反対のことに考え、気持ちを変えることはできる。
  『親指さがし』 山田悠介 幻冬舎文庫 【BOOK】
解説者が述べているように、修学旅行の怪談話止まりかなと思った。最初は引き込まれていくんだけど、だんだんモンスター化していき、落胆していく。クライマックスがまさに落胆そのもの。映画を見ようかと迷い、結局見なかった。もし同じストーリーだったら、幻滅しているかもしれない。発想はおもしろいんだけど、最後の詰めががっかりだ。もっとちがった展開で、不思議さが最後まで持続して、偶然の偶然がもたらす恐怖、そして哀しみのどん底にあった悲劇の少女の存在。親指に隠された秘密、明らかになる謎と、さらに深まる謎。自分では書けないけど、そんなホラーに出会いたい。後半にモンスター化するパターンは味気ない。


どろろ

2007年02月14日 | ファンタジー/アドベンチャー


2007年 日本 138分
2007.2.9 TOHOシネマズ緑井
■監督 塩田明彦
■出演
   妻夫木聡(百鬼丸)  柴咲コウ(どろろ)
   瑛太(多宝丸)  中井貴一(醍醐景光)
   原田美枝子(百合-百鬼丸の母)
   杉本哲太(鯖目)
   土屋アンナ(鯖目の奥方-妖怪)
   麻生久美子(お自夜-どろろの母)
   劇団ひとり(チンピラ)
   中村嘉葎雄(琵琶法師)
   原田芳雄(寿海)

《story》

「運命を越える旅へ」
「父の野望のため体を奪われし者-。
   時の権力に両親を奪われし者-。
   失われた体と心を取り戻すために、今こそ運命に挑め」

ある戦乱の世。醍醐は天下を統する野望を果たすために、魔物と契りをかわす。それは、力を得るかわりに、生まれくる我が子の体を48の魔物に分け与えた。生まれた子は肉の固まりでありながら生きていた。母の百合は殺すことができす、たらいに乗せ川に流す。その子を拾った寿海は、医術の限りを尽くし、仮の肉体と両腕に魔物から守るための妖刀をつけた。やがて寿海は死に、その子百鬼丸は、魔物退治の旅をする。魔物をしとめるごとに奪われた体が戻ってくるのだった。ある時、その妖刀を見た盗人が、自分の両親を殺した敵をとるため、百鬼丸の妖刀ほしさに、ともに旅をするようになる。名は、「どろろ」・・・・そして敵の名は・・・。

期待していた通りで良かった
実写版ってあまりよくないイメージがある。昔の「鉄腕アトム」最近も「鉄人28号」など。でも、この映画は予告からして期待できた。CGもうまく使っていたし、あまりボロが目立たなかった。映画館で見る価値は十分あった。まだ、この続きを見たい気持ちで映画が終わった。百鬼丸は、だんだん人間の体に近づいているのだから、命の危険が大きくなるということだ。今まで見たいに傷を再生するなんてできない。だから、この続きはむずかしくなると思う。よっぽどのストーリーを考えないと、おもしろくなくなってしまう。私は、マンガ本を全部読んだわけではないので、この続きはあるのか、最後はどうなるのか、わからない。どろろも女性として登場する場面があるのかどうなのか。「リボンの騎士」のような場面もあるのだろうか。ただ、柴咲コウのどろろがいいものやらどうなのやら、判断しかねる。もっと小柄な少女というイメージが強いからだ。違和感があるわけではない。柴咲コウの今までのイメージをぬぐい去るのに、少し時間がかかっただけだ。

公式サイト「どろろ」

 鉄腕アトムを見たのが最初かな
テレビで白黒のマンガを見た覚えがある。リバイバルだったと思うけど。ジャングル大帝、 ビッグX、ワンダー3、不思議なメルモなどを見たものだ。マンガ本はあまり見なかった。ジャンプとかマガジンとか、あの頃はキングなんてのもあった。でも、買ったのは「キング」1冊だけ。マンガ本に出会うことがなかった。高校時代になって初めて「火の鳥」に出会った。同じクラブの同級生が貸してくれた。渋々という雰囲気で貸してくれた。おもしろくて読みふけった。「どろろ」全部読んだわけじゃない。断片的に、機会があるごとに読んだだけ。でも、魅力的だった。マンガってのは、そこにテーマがあるんだとわかった。その後、熱中したのは、大学時代にあだち充の「みゆき」など。あだち作品をいっぱい読んだ。そして数年前、「コナン」と「ワンピース」だった。今はもう読むことはない。「ワンピース」は意味がわからなくなった。「コナン」は読んでもいいけど積極的でなくなった。

 再び研修に出た息子
土曜日に帰ったと思ったのに、火曜日には福岡に出かけていった。そのために、なんと4時30分に起きて、駅に向かい、6時発の新幹線に乗るのだった。大変なものだ。学生とはちがうことはわかっているけど、もう少し余裕は持てないものか。午後7時頃からメールを送ったり、電話をかけたりしても、いっこうに返事がない。無事についたものやら、どうなのか親としては心配だ。結局10時過ぎに電話がかかり、泊まるはずのところに行けなくて、会社に泊まるそうだ。そんなことってありんあのか。まだ正式な社員ではなにのにね。世の中厳しいというべきか。世の中おかしいというべきか。人権が守られていない不当な行為については断固声に出して訴えるべきだ・・・・と事情がわかるのまま、叫んでます。しばらくは、心配でたまらないことでしょう。特に母親はね。