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ボランティア的な 「仕事」

2013年01月08日 | 仕事 -

100%仕事満載の場合は、問題ないのだけれど・・・
私の場合は 「ボランティア的仕事」 というグレーゾーンが
存在する。

それは、意外と、昔からのことだ。
情に流されやすい性格を上手にくすぐられると、断れなくなり、
ほとんどの責任を伴う “労働” を 自分に課することがあった。


このグレーゾーンというのは・・・
「自発的に行動はしている」 のだけれど、
知人・友人との “しがらみ” から、頼まれてしまって、
「断りづらいモノ」 のことである。

やはり、ひとことで「仕事」 とは言っても、
自分が自発的に取り組むものだから、下手なことはできないと
深く思うために、そこには確固たる “こだわり” がある。


また、正当な金銭的な対価が派生しないプロジェクトに
関わる際には、自負心が強くなって、美意識を投影するがうえに、
周囲との連携の中で、「自分の意見を通したい」という欲求が
ふつふつと 芽生えてくることもある。
もちろん、常ではなく、自分のコントロールがうまくいかない
・・・そういう場合のみに限るのだけれど・・・。


単純に、金銭的な価値に還元ができる場合は・・・
私は全体の中でバランスをとって、意図を主張しながらも、
上手に調整をしていくことを選ぶ。
自分を律して、総合的な調和を求めて、仕事を運んでいく。
だから・・・、やはり、「 対価の有無 」 は、大きな違いだ。



グレーゾーンの “こだわり” は、時として面倒であり、
その活動やプロジェクトに入れ込んで、熱心になれば なるほど
強くなっていくのが常で、そういう「客観性」を失くした状態で、
よりベターなものを制作することは、(私の場合は) 難しい。


常に、バランス良く、調和をはかっていても・・・
どこかに “ほころび” が出てくるものである。
でなければ、精神的に、自分を追い詰めていたりして、
気がつかないところで 「負担に感じている自分」 を発見する。
それが、しがらみに縛られた 「ボランティア仕事の実態」 だ。



やはり、「自発的な行動」 と言うからには、常に 100%が
自発的な行動でなければ、有効的な効果に結びつかないことが
多々あったことを、しみじみと思い返す。

倫理や正義を礎に、(自分の心を) 無理やり納得させても、
やはり心の底から 「やりたい」 と思ったことでなければ、
ボランティア仕事は特に、もやもやが 付きまとうものなのだ。
また、随分と後になって、「こうだった」「ああだった」 と
感じるとしたら、自分の費やした時間が哀しいではないか・・・。



一通りの経験を積んだ今、全ての関係性を客観視できる自分と、
明確な線引きができる自分と出会えることを、心から願う。

私がやり遂げた仕事には、正当な対価がつくはずであるし、
自発的にやりたいと思った仕事には、気持ちの良い後味が残る・・・
そういうローテーションを維持していきたいと 心から思う。