日々の「自分の時間」

2011年01月15日 | 出来事 -

人が遊んでいる間や、休暇をとっている間に、仕事をするのは、
いくらなんでも切ないものである。
この週末もまた、出勤。
なれど、なんとなく、自分のペースで仕事ができるのが何よりだ。

誰もに、均等に与えられ、過ぎていく「時間」というもの・・・。
どのように過ごすのかは、すべて自分の選択にかかっている。



100人以上いる会社なので、平日はぎゅうぎゅう詰めの会社には、
今風で自分のデスクというものがない。
だから、あいているシマに、自分の空間をみつけて、自分のロッカーから
仕事道具を持ち出して、セッティングするというスタイルである。
週末は、さすがに、ガラ空きだ。


今、自宅には、4台のパソコンがあり、用途によって使い分けている。
仕事のメインに使用してきたデスクトップが調子悪く、二度のリカバリーを経て、
それでも、日ごとに調子が悪くなってきている。
電源をいれると、勝手に起動を繰り返すようになり、安定してくれるまで
かなりの時間を要するようになった。
PC会社の人の話でも、理由がわからず・・・もう修理工場行きのようだ。
私としては、とにかく、今月末まで頑張ってもらい、ファイル調整をして、
一つの仕事を完全にかたずけてから、工場に行ってもらいたいと思っている。
酷使するようで悪いが、最後のご奉公だと思って、あと数週間お願い~
という気分である。



「パソコンにも、人にも、寿命がある。」

最近、その「寿命があるということ(感覚)」に触れることが多い。
何とも切ない。
時間の流れとともに、自分を取り巻く環境や、人々の状態なども、
刻々と変わっていくということだ。
その時間は、あっという間のように感じているが、本当は膨大な時間で、
その間に放置していた様々なことが動いている・・・・確実に動き、
変化している・・・という、単純で、正当な現実を見せつけられるのだ。
当然ながら、なかなかすぐには理解できず、もごもごしてしまう。

やはり、自分自身の時間は限られているので、無駄にしてはいけないと
しみじみ感じる今日この頃・・・。