息慮凝心

2011年01月11日 | 言葉 -


  「息慮凝心   

          (そくりょぎょうしん)


  ― 慮る (おもんばかる) をやすみて、心を凝らす ―





目の前が、たくさんのことで 「いっぱい・いっぱい」 になったときこそ、
周りのことが見えていないことが多い。
そんな余裕のない時は、自分にとって、より良き判断ができないものである。
そういうときこそ、あえて突発的に先に進んだりしないで、
また、(たとえば)“考えあぐねること” を(しばし)やすんで、
「わが身の心を凝らしてみよ」 という言葉である。

自分自身の心の奥底に、意識を集中してみる。

時々、執拗に、途方もない “何か” に(無意識の内に)囚われる。
そういうときに・・・この言葉は、役に立ってくれている。
根拠のない思い込みや、勘違いなどの場合もそうだろう。

人間は、誰しも、(私自身と言うべきか・・・)
弱いものだし、淋しいものだし、流されるものだと思うから―。
いつも、どんな時でも、そういう可能性と背中あわせにあると思うから―。

「自分でしっかりと律して、自覚しなければならない」 と、私は思っている。






私は、20年・・・・
ちょうど20年間・・・・
この言葉を胸に刻んで、これまで生きてきた。


ちょうど20年前のある日、
私に強い影響をあたえた “その人” は、答えなど諭すことなく、
ただ、この言葉を、しずかに つぶやいた。

幾度となく聴くうちに、“その人” も、この 簡単で深い言葉 を
とても大切にしていることが、痛いほどわかってきた。

父親と同じくらい、いや、それ以上の年齢を重ねてきた “その人” には、
確実に、“その人”なりの価値観と世界観が 備わっていた。

実父と同時期に、「生」 を “マットウ” して、この世を去った人だが、
今も忘れがたき、私の父親のような人であり、師のような人であった。
また、あるときは、子どものような横顔を持つ人でもあった・・・。


もし、今、ご存命だったとしたら、すぐに連絡をして会いにいくのに 。。。