自分にとっての友達

2011年01月10日 | 自分 -

今日は、「成人の日」。

年末年始の疲れが尾を引き、まだすっきりとしていない日々だ。

先週も、ドタバタばかりで、昨年のつづきのような状態だった。
打ち合わせの途中に、「この後は焼き鳥でも食べながら・・・」と
酒飲み仕事仲間に誘われての(結果・・・)終電帰宅となった。



だからというわけでもないが・・・
友人とのプラベ約束を、(本日)当日にキャンセルしてしまった。
おそらく準備が終っているだろうと予測した状態で、昨年末に
スケジュールを決めたが・・・(私自身が)とんでもない状態で・・・
明日の大事な仕事を優先して、自宅作業に勤しむことになったのだ。

しかし、返す返すも、本日アポしていた・・・この友人・・・・
いつもながら、変わらず、自分の都合を押し付けてくる。
どこへ行くとか、いつ誰と会うとか、すでに勝手に決められていたり、
すべてに対して「自分のやりたいように決定したいようである」。
思い通りにいかないと、声のトーンはさがり、相手を攻撃するかのような
意味深な発言があったりすることも過去にはあった。
今日は、ドタキャンした私に非があるので、相手の言うとおりにしたが、
ずっとこういう「やり方(関わり方)」は変わらない。

私が断っても、「とりあえず、こうしてみては?」と、さらに続く。
実現されるまで、誘い続け・・・・私は、断り続けるというーやりとり!
最終的には、私が折り合いをつけて、「えっ!わずか二時間でもいいの?」
という食事会をすることになってしまう。

今日も、その人の母親の介護施設に一緒に行くことになっていたらしい。
(私にしてみれば)初耳のことである。
勝手に「親が会うのを楽しみにしているから」と言われ、自分としては、
「そんなことになっていたの?」という言葉が、つい出てしまった(笑)。
なんとなく、頭の痛い・・・人間関係である。

大晦日と元旦に、「母の誕生日会をするから」とお誘いを受けていたが、
それもお断りしたばかりだった。




私は思う。
友達は、多いほうが良い。
しかし、その相手との付き合い方は、その内容如何によって、
微妙に変わってくるものだ。
一緒に何かを分かち合える友や、意見や感情が連動する友、
なんとなく引き付けられる人もいるし、気が付かないところで、
心の支えになってくれている友達や知人もいる。

その反面、悪影響を与えられたり、負荷をかけられたりすることも
あるのが常だが・・・・ (誰もが経験することだろうが)・・・
私にとっては、その「質感」が大きな問題となる。

「心の平衡」と「穏やかな日常」を手にすることを第一にした場合、
私の気持ちを「乱してしまう友」は、日々の中で“危険度”が大きく、
最近は「あまり接触したくない」と感じるようになった。

快適な時間と空間を過ごすためには、隣に誰がいるかということも、
重要な要素となる。



結局は、友達も・・・ 自分が選び、自分にとってプラスになる・・・
そんな友達が何よりだと思うようになった。
意図的に、勇気をもって選択していくことも、“自分を守る”上では、
とても貴重なことのように感じる。




人間関係には、主従関係のように、力のバランスがどちらかに傾いている
偏狭なものもある。
依存したり、されたり、あるいは頼りきったり、頼られたり・・・
もちろん、そういう関係もうまくいくことも多いけれど、
自分中心に考えてみると、「自律していない」ことに気付くことがある。
若い頃には、その境界線が見えなくなっていることも多かった。

バランスの悪い“寄りかかりあい関係”は、健康的なものだとは思えない。
最近は、「お互いが前を向いて歩いて行ける友達こそが、本当の友達だ」と、
しみじみと感じたりする。



人生の最期を迎える時に、どれぐらいの知人や友人が私の周囲にいてくれるのかー
それはとても大切な「人生の結果の一つ」になってくるだろう。
しかし、たとえ少なくてもいいから、本気モードで(私を)懐かしがってくれる友が
いることが、その量(人数)よりも重要なことだと思う。
今後は、そんな・・・私の「人生のネットワークづくり」をしていきたい・・・・と、
心から、そう思う。