愛には 苦痛に満ちた反応はない。
<by ヴィヴェカーナンダ (インドの宗教家) >
今年は、「国連生物多様性年」ということで、「生物多様性」という言葉をよく耳にする。
この地球という惑星には、多様な生物が生きている。
日本の一部分の場所だけで生活していては、想像できないぐらいのたくさんの国で、
多くの民族や人種が、生活している。
宗教の宗派も、確実に増え続けている。
彼(ヴィヴェカーナンダ)によれば、宗教の教義上の違いは矛盾ではなく、
1つの真理に対する異なったアプローチであるらしい。
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ヴィヴェーカーナンダはまず、宗教が様々な教えに分かれているという現実を見つめる。
人が思考する限り、宗派は増え続ける。ならば大いに増えるべきだと。
活動を生み出すには、二つ以上の力の衝突が必要である。
多様は生命の第一の原理であり、全てが同一というのは静止した死の世界だ。
問題となるのは自分だけが正しいと思い込み、他の教えを抹殺しようとすることだ。
彼は「相手の教えを壊すな」、「低いと思われる教えは引き上げよ」という。
彼によれば、宗教の教義上の違いは・・・矛盾ではなく、1つの真理に対する異なった
アプローチである。
それらは違いにより補い合う。
一つの教義に真理は収まりきらない。(多様な宗教の全体が真理である)
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今、私は、多様な人間が住み分けている「社会」や「会社」という集合体を考えている。
非常に身近に、多様な人間の集まりであると同時に、多様な思惑と思考の衝突する
場所であるからだ。
正直、私の置かれている「立ち位置」と、「立場(権力)」には満足していなくても、
仕事は履行できる。
しかし、それ以上の「生き方」を自分が求めた場合、少しばかりの迷いが生じる。
人間は、現状を把握して、コントロールする力量も持ち合わせていると思う。
そのために、必要なのが・・・・「愛」であり、「思いやり」であると、私は感じている。
たとえ、言葉にしなくても、心に描き続けるだけで・・・・目の前の人に伝わると、
ただ、ただ、信じながら、生きている。
青臭い姿勢かもしれないが、おそらく、私は・・・・
自分の「生」が続く限り、そうした生き方を貫くだろう。