磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ジャーナリストの証言-原子力25年の軌跡-

2008年07月21日 | 読書日記など
『ジャーナリストの証言-原子力25年の軌跡-』
   原子力ジャーナリストの会・著/電力新報社1981年

--いつものことに関わる人たちを本当のジャーナリストにはボクには思えません……。
--無責任な「原子力・見聞録」と名付けたほうが、この本にはあっていると思う。



恐怖の風? 下「」引用。

「このような米・ソ両国の核開発競争は、原水爆の凶悪化をもたらすことになり、米・ソ両国だけでなく、全世界を恐怖の風が吹きまくった。」

風だけだったのでしようか?
そして、全世界といっても、日本にも核保有論者は当時にもいたのです。
--核保有論という風は、昨年も日本でふきましたね……。
恐怖の風で、支配できると、愚かな政治家は思っている……。
--それは北朝鮮だけではないでしょう……。

正力松太郎……。下「」引用。

「「当然ながら鳩山総理は私を招いて、防衛大臣を勧めた。わたしは言下に断わった。
“原子力大臣ならやる”
彼はキョトンとした。
“原子力って何だね”。
 総理大臣が知らないものも無理はない。この時初めて、わが国政府機構の中に原子力を中心とする科学技術全般を専管とする大臣のポストが決まり、その本格的政治が動き出しのだった。」
 正力国務大臣は、北海道開発庁長官の肩書きで原子力担当を勤めた。原子力問題は行政上 は高崎達之助経済企画庁長官が担当したが、国会での原子力関係の審議には正力国務大臣が当たっていた。経済企画庁の島村武久原子力室長は、そのままの身分で正力国務大臣付きとなり、補佐していた。その当時の正力国務大臣について、「原子力にとりつかれたというか、とにかく原子力のことしか考えていなかった。北海道開発庁の事務次官の話をしても、ほとんど聞いていなかった」と想い出を語っている。」

正力松太郎といえば読売新聞ですね。

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著者のなかには、読売新聞社社員の方もおられます。

湯川秀樹はやむなく受け入れたようです。下「」引用。

「湯川博士は当初、多忙を理由に固辞していたが、すったもんだのあげく、藤岡由夫東京教育大学教授を原子力委員にすることで、非常勤委員を受託した。正力委員長は藤岡教授が学術会議の原子力問題委員長をやっていたので入れたくはなかったのだが、湯川博士を委員にするために、やむなく入れることにした、という話が伝わっている。また、湯川博士にしても、再三の要請をことわることは、学界が非協力であるとの誤解を生む恐れがあるということで受けることになったわけである。」

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“カチン”ときて辞めた? 下「」引用。

「正力発電は「外国から導入する」ことを意味するもので、もともと好んで原子力委員になったわけではなかった湯川博士は、正力発言に“カチン”ときた。」

正力などは、3原則ですら守られなかったのではないか?
--ある本では、元から原爆にかかわる技術を公開するわけがないのに、学者たちが甘かったと書く人たちもいます……。

--カーター大統領。
鋭く追求したわけでなく、カーターの思惑についてなどは書かれいなかった……。

「責任体制の欠陥が生む原子力船「むつ」事件」という小タイトル。下「」引用。

「森山欽司科学技術庁長官「あれは事故ではない。微量の放射線が光のように漏れた段階で、警報が鳴ったということは、安全性が確かめられた証拠である。」
 米内山義一議員(社会、青森出身)「そんな理屈が通るのであれば、半鐘を備えれば火事が起こらないことになるのではないか……。」



--著者3人。
佐々木孝二 日経新聞社・編集委員
中村政雄 読売新聞社・解説委員
石川欽也 毎日新聞社・編集委員










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