磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

女人舞楽-不良少女と呼ばれたけれど-

2012年05月02日 | 読書日記など
『女人舞楽-不良少女と呼ばれたけれど-』
   原笙子・著/エピック1994年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「かつて『不良少女とよばれて』、大人の身勝手と無理解に傷つき、行き場を失った少女を救い導いてくれたのは「ほんものの舞楽」だった。平安時代初期頃、一度は跡絶えた女人舞楽。「おんな、子ども……」という誹りにも屈することなく、その復活に半生を賭けて生きてきた著者が、苦難の道のりと闘いの日々を語る。」



娘のシグナルは登校拒否……。下「」引用。

「私は外向的な性格であり、家出の条件?が調っていたので家出をして、シグナルを送っていたのだったが、後に娘が小学校低学年のとき、登校拒否という言葉もまだ社会性を持たぬ頃、舞楽活動に熱中する私に、親としての愛を求めるシグナルを送って来た時期である。それは、吐き気、頭痛、腹痛、食欲不振という身体症状だった。
 悲しいかな、私はそのことに気がつくのに時間がかかった。幸いなことに、父母とはちがって、ずっと早くに気づいて対処することは出来たが……。」

母の言葉。下「」引用。

「-略-十四歳のとき「あんたを生みたくなかったのだ」と告げる、母の無知な言葉の刃に傷つき、母に背を向け家を出、荒れた日がある。そのとき、五十二歳の私は、成長した母の愛に包まれ、やすらぎを得た。
 しかし、私の方で遠慮しているうちに、母は肺がんに犯され、末期の八カ月を自宅で過ごした。その間は、高い敷居を越えて母を見舞うために生家に出入りした。」

自宅にアトリエをもっていた著者の父。

演じてくれた父……。下「」引用。

「『不良少女とよばれて』の著者の父として、保守色濃い神職界はもとより、氏子をはじめ、世間の好奇の目に晒されたことは、ずいぶん辛い思いを味わったと思われるが、この日を、こうして迎えることが出来て、ほんとうによかった。」

五人の子に恵まれたという。

“平安の雅”源氏物語・上演……。











もくじ



エンタメ@BlogRanking


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。