『反核と戦争責任-「被害者」日本と「加害者」日本-』
岩松繁俊・著/三一書房1982年
著者はラッセルのことを紹介されている人でもあるようです。
中央中心主義だけが原因だったようにはボクには思えない……。下「」引用。
「わかりやすくするために、あえて図式的に表現してみよう。東京を中心に考えると広島・長崎ははるかに遠いところにあるが、焼津所属の第五福竜丸のマグロは自分たちの食卓にのぼるというきわめて身近で切実な問題だったのである。だから、ビキニの死の灰事件が東京のひとびと、なかんずく主婦たちを直接に動かして、死の灰マグロ反対の運動がおこり、これが水爆(実験)反対之運動にひろがっていったのである。」
プレスコードや、原爆神話なども問題であったと思う……。
index
それに、「はだしのゲン」以前と以後では異るのではないか?
そして、日本の敗戦の原因がソ連の参戦というのだけでは、筋が通らないことだと思う……。
反戦思想などない、日本政府……。下「」引用。
「「非核三原則」といいながら、「核の持ち込み」を許しているにもかかわらず、表面上は核の持ち込みはないとして国民の前に開きなおるという欺瞞にみちた政策をとっているのも、反戦の思想によって裏打ちされていないからである。」
index
近距離の人はピカはあっても、ドンは聞かなかったという。そして、きのこ雲も見なかったという。下「」引用。
「その雲の真下にいた私たにとって、キノコの形をし雲は存在しない。原子核分裂の瞬間、十の太陽が一時に落ちたように光の球が猛烈な閃光できらめいた。ところが、あたりはまもなく暗くなり、みるみるうちに闇となった。地上のすべてを焼き、衝き倒し、破滅させて、闇のなかにつつみんこんだのである。しかしその闇は、まことに無気味な色をした、まさに地獄の闇の色であった。」
分ける中国……。下「」引用。
「「戦争に利用された犠牲者」である一般人民と戦争遂行責任者である「日本軍国主義」とを区別する思想がひろく浸透している。」
それを愚民という著者。下「」引用。
「また、「人民」は指導階級から命令されたとおりにしか動けない、理性をもたないロボットだったのだろうか。これはじつは人民を愚民とする愚弄の論理である。」
愚民だから、共産党一党独裁でいいというのか?
右翼の脅迫があったという……。下「」引用。
「一九五四年光文社から出版された『三光』(カッパブックス)は、日本軍の戦争犯罪について当時日本で発行されたほとんど唯一の文献(極東国際軍事裁判の記録をのぞいて)であったが、右翼の脅迫によって絶版とされてしまった。かなり長い空白期間をおいて、朝日新聞記者の本多勝一氏が中国で直接取材し記録『中国の旅』(朝日新聞社、一九七二)および『中国の日本軍』(創樹社、一九七二)が発行された。」
ラッセルもマスコミ批判をしていたという。下「」引用。
「ラッセルは一九六三年九月、「平和財団」を設立するにあたって、もっともつよくジャーナリズム批判をおこなった。私はこのことを折にふれて紹介してきたが、日本では注目されることがなかった。ラッセルは、マスメディアの報道機関について、反戦・平和運動にたいして「本質的に敵意をいだいているひとびと」、「当局から金をもらって自己の利益のためにうそをついているひとびと」によって支配されている、と規定し、それに対抗するために、「バートランド・ラッセル平和財団」を設立したのである。」
index
インタビュー岩松繁俊原水禁議長
もくじ
index
index
岩松繁俊・著/三一書房1982年
著者はラッセルのことを紹介されている人でもあるようです。
中央中心主義だけが原因だったようにはボクには思えない……。下「」引用。
「わかりやすくするために、あえて図式的に表現してみよう。東京を中心に考えると広島・長崎ははるかに遠いところにあるが、焼津所属の第五福竜丸のマグロは自分たちの食卓にのぼるというきわめて身近で切実な問題だったのである。だから、ビキニの死の灰事件が東京のひとびと、なかんずく主婦たちを直接に動かして、死の灰マグロ反対の運動がおこり、これが水爆(実験)反対之運動にひろがっていったのである。」
プレスコードや、原爆神話なども問題であったと思う……。
index
それに、「はだしのゲン」以前と以後では異るのではないか?
そして、日本の敗戦の原因がソ連の参戦というのだけでは、筋が通らないことだと思う……。
反戦思想などない、日本政府……。下「」引用。
「「非核三原則」といいながら、「核の持ち込み」を許しているにもかかわらず、表面上は核の持ち込みはないとして国民の前に開きなおるという欺瞞にみちた政策をとっているのも、反戦の思想によって裏打ちされていないからである。」
index
近距離の人はピカはあっても、ドンは聞かなかったという。そして、きのこ雲も見なかったという。下「」引用。
「その雲の真下にいた私たにとって、キノコの形をし雲は存在しない。原子核分裂の瞬間、十の太陽が一時に落ちたように光の球が猛烈な閃光できらめいた。ところが、あたりはまもなく暗くなり、みるみるうちに闇となった。地上のすべてを焼き、衝き倒し、破滅させて、闇のなかにつつみんこんだのである。しかしその闇は、まことに無気味な色をした、まさに地獄の闇の色であった。」
分ける中国……。下「」引用。
「「戦争に利用された犠牲者」である一般人民と戦争遂行責任者である「日本軍国主義」とを区別する思想がひろく浸透している。」
それを愚民という著者。下「」引用。
「また、「人民」は指導階級から命令されたとおりにしか動けない、理性をもたないロボットだったのだろうか。これはじつは人民を愚民とする愚弄の論理である。」
愚民だから、共産党一党独裁でいいというのか?
右翼の脅迫があったという……。下「」引用。
「一九五四年光文社から出版された『三光』(カッパブックス)は、日本軍の戦争犯罪について当時日本で発行されたほとんど唯一の文献(極東国際軍事裁判の記録をのぞいて)であったが、右翼の脅迫によって絶版とされてしまった。かなり長い空白期間をおいて、朝日新聞記者の本多勝一氏が中国で直接取材し記録『中国の旅』(朝日新聞社、一九七二)および『中国の日本軍』(創樹社、一九七二)が発行された。」
ラッセルもマスコミ批判をしていたという。下「」引用。
「ラッセルは一九六三年九月、「平和財団」を設立するにあたって、もっともつよくジャーナリズム批判をおこなった。私はこのことを折にふれて紹介してきたが、日本では注目されることがなかった。ラッセルは、マスメディアの報道機関について、反戦・平和運動にたいして「本質的に敵意をいだいているひとびと」、「当局から金をもらって自己の利益のためにうそをついているひとびと」によって支配されている、と規定し、それに対抗するために、「バートランド・ラッセル平和財団」を設立したのである。」
index
インタビュー岩松繁俊原水禁議長
もくじ
index
index