磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

-第2回原爆問題シンポジウム- 原爆と平和教育

2008年12月09日 | 読書日記など
『-第2回原爆問題シンポジウム- 原爆と平和教育』
   長崎「原爆問題」研究普及協議会(編・発行)1979年

うすい冊子で、古い本です。
しかし、いろいろなことが書かれてあります。



「あいさつ」小林ヒロ
「原爆被害の意味するもの」市丸道人
「被爆者の暮らしの中からの訴え」谷口稜曄
「新たな戦争の危機と原爆-思想・文学の状況を含めて-」山田かん
「平和教育の現状と展望」坂口便
「平和教育の思想と現状」古川原
「アメリカの核意識について」秋月辰一郎
「原爆・平和教育に関する年表」


山田かんさんが、以下のように書いています。下「」引用。

「「いかなる国」の原爆所有も許されないの反面に、社会主義国的所有は許されるという図式でもある。とにもかくにも「政党」の党派性的イデオロギーによる原水爆への虚妄なる論議の歳月が、いかに原爆体験の継承とその認識に対してマイナスに働きつづけてきたのか、今にして知ることができる。これが脱政治的姿勢へと連繋していっていることは季刊「長崎の証言」1号の林京子のインタビュー記事に現われている。」


あらゆる国の核兵器に反対!
これは平和を訴えるなら、当たり前のことだと思います。

日本共産党系はそうはならなかったのが歴史のようですね。
そして、日本共産党系は原発についても反対されていなかったように書かれてある本もあります……。

坂口便さんは、行政の無理解、いいえそれを通りこした、彼の言葉では『攻撃』があったそうです。

坂口便さんは、「古来、“教育を制するものは国を制する”と言われてきた。」と書かれていました。

それゆえ、教科書問題でも無理な論理を通そうとされる方たちがいるわけですね。

動物園のボス猿に品格のあるなしや?

民主主義の社会を!










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広島県大百科事典 上巻

2008年12月09日 | 読書日記など
『広島県大百科事典 上巻』
   中国新聞社・編/中国新聞社1982年2刷

あ~せ 五十音順索引。



「刊行にあたって」 下「」引用。

「1892年(明治25)5月5日、広島の地で創業して以来、地域社会の歴史とともに歩みつづけてきた中国新聞社は、読者の皆様に支えられて、今年で創刊90周年を迎えました。それを記念する事業の一環として、かねて『広島県大百科事典』(全2巻)の編集を進めていましたが、企画から3年の歳月をへて、ここに刊行の運びとなりました。-略-」

靉光(あいみつ)、赤岩栄(あかいわさかえ)のことが書かれてありました。

「アリス・ハーズ平和基金」 下「」引用。

「-略-毎年、アリス・ハーズ平和基金は、これまで1000万円以上を平和のために支出してきた。その多くがベトナム支援、原爆映画などの購入と海外への贈呈に使われてきたほか、「アリス・ハーズ平和賞」として、原水爆禁止運動に貢献した個人あるいは団体に贈られてきた。名越操、西本良子、福田須磨子渡辺千恵子、広島市福島町地区被爆者の会、山下会、新日本婦人の会広島県支部、広島県高校生平和ゼミナール、ほか。」

新藤兼人監督、岡田茂東映会長、月丘夢路などがとりあげてある……。

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大田洋子のことも……。下「」引用。

「-略-本名初子。父福田滝次郎は山県郡原村の中農地主。初子7歳のとき、両親の協議離婚により母トミとともに実家、都谷村横山家へ移り、初子は親戚大田家の幼女として移籍された。母トミの4度目の結婚先、佐伯郡玖島村の稲井家へ迎えられたときは9歳だった。玖島高等小学校へ転校、1921年(大正10)進徳高女研究家卒。江田島の切串補習学校で裁縫教師を1年余、のち広島県庁にタイピストとして再就職する傍ら新劇グループに加わったり、短歌や小説を書いた。-略-」

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俳優の木村功(きむらいさお)は、海軍生活を経て終戦。原爆で両親を失う。

「共産党呉軍事部」 下「」引用。

「海軍部内に反戦思想を広め、兵士たちを奴隷化から解放しようとする革命運動は、大正末期から呉軍港を中心にひそかに浸透し、日本共産党はその運動の砦としてくれ軍事部を設置し、地下活動を続けていた。しかし非合法活動への弾圧は年々強まり、1932年(昭和7)10月30日の、いわゆる熱海事件で検挙者を出したことにから組織は芋づる式に明るみにで、共産党呉軍事部は壊滅した。-略-」

原子爆弾
多くのページ数がさかれてある。

「仁義なき戦い」と映画のことも書かれてあります。下「」引用。

「-略-当時としては珍しいドキュメンタリータッチのやくざの群像劇として鮮烈な印象を残した東映映画。」

ドキュメンタリータッチなんでしょうか?

杉本五郎ゼノ少年牧場についても書かれてありました。

下巻











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目 次





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はだしのゲン-児童文学版- 3冊

2008年12月09日 | 読書日記など
『はだしのゲン-児童文学版-上巻』
   中沢啓治・原作/深沢一夫・作/汐文社1980年、1983年7刷

■もくじ■
第一章 おさなき麦たちよいかれ!  5
第二章 生きぬくのだゲン!  63
第三章 いま、あたらしい戦争が!  135

京都とゲンの父……。下「」引用。

「わかい頃、京都にでて日本画のべんきょうをしていた大吉は、そのまちで、新しい学問やかんがえ方をまなぶさまざまな人とあうことができた。しかし、父の急死で広島によびもどされ、家業の下駄の絵つけを継ぐことになった。当時は、なんにんか職人もかかえ繁盛していた絵つけの仕事も、戦況が悪化すると問屋からの注文がばったりへって、いまは大吉ひとりでも仕事のない日がつづくありさまだ。下駄をつくる木材が不足し、下駄にすえる鼻緒も問屋の店先からすがたをけしていた。」

長男はこう描かれていた……。下「」引用。

「いちばんとしうえの、中学五年生の浩二である。浩二は学徒動員のひとりとして、広島市の東南やく二○キロの、呉の海軍工廠(こうしょう)で働いていた。」

無差別攻撃の理由……。下「」引用。

「つまり、幼少年の無差別な殺戮は、兵士の補充を根もとから断つことになるのだと、大吉はつたえたかったのだ。」

それだけではなく、戦争がイヤになるように仕向けていた。
心理戦も考えていた米軍……。


『はだしのゲン-児童文学版-中巻』
   中沢啓治・原作/深沢一夫・作/汐文社1981年、1984年5刷

■もくじ■
第四章 ハゲタカよはばたけ!  5
第五章 きり裂かれてもなお!  85
第六章 よみがえれ永遠の命となって!  178

「ノーモアーヒロシマ」は打電されていない……。下「」引用。

「外国人記者の立入禁止令がでる以前に広島入りして、〈ノー・モア・ヒロシマ〉を打電したバーチェット記者」

本人がそう書いているのだから、間違いないだろうと思うが……。

アメリカ軍は掠奪暴行を重ねていたという……。下「」引用。

「広島に進駐したアメリカ占領軍は、京都に本部をおいた第六軍のなかの、第十軍団(本拠地、呉市)である。呉の旧海軍施設に進駐したアメリカ海兵隊は、とくに気性が荒く、一般住民をおそって掠奪暴行をかさねていた。」

そういえば、今でも米軍がボランティア活動したなどというのは聞いたことはないなあー。



『はだしのゲン-児童文学版-下巻』
   中沢啓治・原作/深沢一夫・作/汐文社1981年、1983年6刷

■もくじ■
第七章 うらみのされこうべ!  5
第八章 とどけ焦熱の叫び!  91
第九章 ヒロシマをいしずえに!  148

ABCCのことは書かれてあるが、日本人医師との関係などはマンガでは書かれてあるが、児童文学版では書かれていない。


それに、イラストが足の裏だけ……。
表紙も足の裏!

はだしのゲンであって、足の裏のゲンじゃないと思うが……。


方言がまんがのように生きていないとも思う。


--タイトルをみても、前向きですね。

ゲンというのは、けっこう後ろも向きます!

そこで、すごく浪花節なんです。

そこにジ~ンとくるんだけど……。

ゲンのそういった魅力をあまり感じませんでした……。






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物語世界の歴史21 原子爆弾投下

2008年12月09日 | 読書日記など
『物語世界の歴史21 原子爆弾投下』
   吉田悟郎、鈴木亮、他・編/岩崎書店1983年、1984年2刷

歴史というのなら、司馬遼太郎のように鳥瞰図的に描いてほしかったと思う。
--歴史とは流れであって、大河である……。
しかし、それにするのには、原稿用紙の枚数が足りないですね……。



■目 次■
ひめゆり部隊  1
ノー モア ヒロシマ  23
ナチスの強制収容所  45
つれてこられた朝鮮人  65
ベトナムの独立  87
日本の無条件降伏  107
ヨーロッパに平和が  129
朝鮮の独立  147
戦争犯罪人  167

--「ひめゆり部隊」
将校や軍医はガスマスクをもっていたという……。下「」引用。

「六月十九日の午前一時ごろ、壕づたいに、れんらくがつたえられてきました。数時間は、第三外科のせいとたちがひなんしていた壕(いまひめゆりの塔がたっていたところ)が、アメリカ軍によって攻撃され、火焔放射器とガス弾のために、女学生三十二人、先生四人がやきころされたというのです。いっしょにいた兵隊や民間のひとたちも、ぜんめつしたらしいということでした。ほんとうは、壕のおくのほうにいた将校や軍医は、防毒マスクをもっていたので、いきのこっていたのですが--。」

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--「ナチスの強制収容所」 下「」引用。

「強制収容所にはいった最初の棟(むね)の入口には、“収容所博物館”とかいてあり、ここで殺された二十九カ国の国旗が、かかげてありました。死者の霊をまつって、それぞれの国の政府からおくられたものです。」

ヨーロッパの国の国旗、ほかにトルコ、中国……。同盟国だった日本の旗はない、つまり殺されてはいないという。

死体を焼いた灰は、肥料として本国へ送られたという。大便から機械油をつくろうとしていたもいう。

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--「ベトナムの独立」
「二百万人の飢え死に」という小タイトル。下「」引用。

「ベトナムはながくフランスの植民地でした。ところが一九四○年(昭和十五年)九月、日本軍がベトン無の北部にはいりこんできました。日本軍は、すぐに米をたくさんあつめはじめました。いざというときのために、日本軍とその関係者が二カ年食べるだけの用意をしたのです。そのうえ、ある地域では、米のかわりに、ジュート麻をむりやり栽培させました。軍用の麻袋のためです。」

このおかげで独立したなどと思えるのは、よほど都合のいい部分だけを強引につままみあげる詐欺師のような人でしょうね……。

--「戦争犯罪人」
木田少尉は、死刑判決を受けた。
上官は無罪。毒ガスの実験をやったという。








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少年少女小説傑作選 ハコちゃん-あるはんの木の話ほか-第2版

2008年12月09日 | 読書日記など
『少年少女小説傑作選 ハコちゃん-あるはんの木の話ほか-第2版』
   今西祐行・著/実業之日本社1981年第2版1刷、1985年2版2刷

--今西さんのは詩的だと思う……。
それも長所であり短所でもあるとも思う……。
すべてにいい物なんて、この世にはないと思う……。



■もくじ■
ハコちゃん  5
あるハンノキの話  25
鐘  45
石をみがく少年  65
星の花  97
島の太吉(たきち)  107
サルどろぼう   115
くらがり峠  131
なたね地ぞう  155
聖(サンタ)エレーナの島  177
解説(岩沢文雄)  202

乗り物は一つだけだったハコちゃん。下「」引用。

「ハコちゃんは、汽車にも電車にも、バスにも乗ったことはありません。もちろん船にも乗ったことはありません。この土手の上が、ハコちゃんのたった一つの乗りものです。
 波をじっと見つめていると、ときどきいまにもからだが水の中へ落ちそうな気がします。そして思わず上を見るのです。すると、船はとまります。」

ボクなら、ハコちゃんと、電車ごっこや、お馬さんごっこで遊びたかったですと、マヌケな感想をいうような子どもでしたね……。

--今もそうかわらないけど……。

「鐘」は平和のイメージが強いようですね。下「」引用。

「-略-この鐘一つでなん発のたまができるというのです。そのために人間の心をすくうだいじなものが、一つ一つなくなってしまうのです。……よろしゅうございます。おつかいください。-略-」(*)といった僧侶。

その要望をした人は、戦場で体が不自由になり、シンバル奏者になることはできなかった。下「」引用。

「-略-おまけに、戦争がおわって帰ってみると、家族は空襲で死んでいたのです。あれはてた焼けあとに立ったとき、わたしはもう一度あの鐘の音を聞きました。あのドイツの作曲家が、曲の中に鐘をいっぱい鳴らした気もちが、いっそうはっきりとわかりました。わたしも、日本じゅうにいっぱいの鐘を鳴らしたい。坊さんになる決心をしたのは、そのときです。」

その気持ちもわかりますが、近所の人がうるさいというのも理解できます。








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