渡辺竜王の2つのブログ記事によってまたしてもネットでは炎上中であります。<--リンク
1日、2日に渡って連載されたそのブログを読みます限り、渡辺さん、かなり混乱されている、自己矛盾に陥っておられる様に見えます。
しかしながらご自分では終始一貫していると思っておられる様です。
この事は明らかに渡辺さんの認識と世間の認識(ネット世間ではありますが、、、)の間の乖離を示しています。
さて、どうしてそうなっているのか、少々考えてみましょう。
と言う訳で、「村の論理と世間の論理」というテーマになりました。
広い、大きな世界から隔離された、自給自足の村であれば、外の世界とは異なる価値観、論理構成であっても村民は誰も困りません。
そのルールに従って生きてゆくのみです。
しかしながら、外の世界と関係を持たなくてはならない場合は、村のルール最優先と言う訳にもまいりません。
それなりの外のルール、世間のルールに配慮した対応をしなくては、そのような表現方法、論理構成をしなければ世間からは認められません。
村の常識、世間の非常識、、、という場合があるのです。
さて、将棋の話です。
将棋のルールは村の中でも世間でも同じです。
しかも将棋の世界では「村は指導的立場」にあります。
つまり「村の常識が世間の常識」となります。
こうして村と世間のルールが同一でありますれば、価値観が同一でありますれば、「村一番の合理的思考」は「世間でも一番の合理的思考」と評価されるのです。
そうやって「竜王の思考は合理的だ」、「竜王は頭が良い」と評価されてきました。
それもこれも「村のルールと世間のルールが同一」であったお陰です。
しかしここで勘違いが生まれる余地が生じました。
「将棋のことについては、世間は村の決定に従うべきだ」というものです。
「我々は将棋のプロであり、素人はプロに従うもの」とでもいう態度でしょうか。
さてそれで今回の騒動の場合ですね。
村の論理では「村の存続、繁栄が優先順位1位」となります。
全てはこれに向かって集約され、村民各自の多少の不便、不都合、不利益は「村の為にはしかたないもの」と見なされます。
今回の場合は、「竜王戦が何事もなく無事に開催され終わること」が優先順位の1位です。
従いまして、それを脅かすような出来事が事前に予測される場合はそれを排除しなくてはなりません。
こうやって、「三浦9段を挑戦者とすること」が「望ましくない混乱を生むであろう」と判断され、「排除されるべきリスク要因」と認定され、現実に排除されました。
こうして「村の論理」では「三浦9段の挑戦権はく奪」が「苦渋の決断」と、そういう表現になった訳です。
それでも、このような経緯は「村の中での説明会では一定の評価をうける事」になります。
「村のためを思えばこそ」という説明には村民はなかなか反対しずらいものであります。
しかしながら同じ説明を村の外の社会、一般世間にした場合は「なるほど、そうか」という訳にはいきません。
「村民が受け入れたので、世間でも通用するだろう、、、」というのは世間知らずの希望的観測でありましょう。
「村の存続」などは世間にしてみればそれほど大事ではないのです。
竜王戦が無事に開催されようが、混乱しようが、言ってみれば「どーでもいい事」なのであります。
しかしながら、「竜王戦の挑戦者が変更された」となれば、「どーして?」と聞きます。
そうして「ソフトでカンニングした為に外されたらしい」となれば「証拠はあるの?」となります。
世間は竜王戦がなくても自分の生活は困りませんが、それなりの関心は持っています。
そうしてそれは「公平に運営されている棋戦」としての「フェアな竜王戦」に関心があるのです。
ですので竜王側に「挑戦者に対する疑念がある」、というだけで「連盟が挑戦者の資格をはく奪した」となると「それがフェアなのか?」となります。
世間では「竜王戦の無事な開催」よりは「竜王戦が公平に運営されている事」の方がずうっと価値が高いのです。
そうして「外された挑戦者がえん罪だった」となれば、「挑戦者の権利はく奪のおとしまえ、どうつけてくれるの?」という事になりますねえ。
それが世間の論理というものであります。
さてそういうわけで、「村の中では合理的、理解できる」と評価されたであろう渡辺さんの説明も価値観が異なる世間では「なにそれ」となってもおかしくはない、当然の事なのであります。
そうして、そのような「価値観の違いがある」ということは、連盟を運営されている方々は、そうして影響力をお持ちのトップ棋士の方々は、一般の棋士の方たちよりも十分に理解し配慮して物事を言ったりやったりしなくてはならないのは明らかな事なのであります。
PS
棋戦においては「公平である事、公平に運営されている事」は大事な事でありましょう。
それゆえ、「ソフトでカンニング」はとても許容できる事ではありません。
そうして同様に、「訳のわからない理由で挑戦権のはく奪」というのも許容できるものではないのであります。
加えて、この期に及んでも一切の公式説明をしない、第三者委員会とやらの後ろに隠れておられる方々の責任はとても重いと言えそうです。
PS
リスク管理、はごろもの例など、ご参考までに。<--リンク
・・・ いろいろ事情があったのかもしれないが、リスク下での「ノーコメント」は広報コミュニケーション的には「失言」とされる。・・・
何も情報を出さない、、、というのは事実上の「ノーコメント」であります。
リスク管理、こんな記事もありました。
・将棋三浦九段の不正疑惑、本当に残念なのは「日本将棋連盟」の対応だ<--リンク
PS
現状ではネットの世間では大方の見方が一致している様です。
そうして、その議論も見ております限りはそれほどひどいバイアスもなく、議論の幅もひろく、時折入る反対意見もはさんでの、それなりの客観性がある様に見受けられます。
そしてその様子は少なくとも10日に島邸で開かれた秘密会合の状況よりは公平であり、客観的であると思われます。
追伸
・三浦九段のソフト不正疑惑で調査委員会が初会合/将棋<--リンク
ようやくメンバーが決まり、初会合です。
さて、このあとどうなりますやら。
委員会の皆さんの仕事ぶり、竜王戦終了までの時間稼ぎ、、、ではない事を祈っております。
PS
「電王戦記」はこちらから入れます。<--リンク
特集記事一覧にはこちらから入れます。<--リンク
1日、2日に渡って連載されたそのブログを読みます限り、渡辺さん、かなり混乱されている、自己矛盾に陥っておられる様に見えます。
しかしながらご自分では終始一貫していると思っておられる様です。
この事は明らかに渡辺さんの認識と世間の認識(ネット世間ではありますが、、、)の間の乖離を示しています。
さて、どうしてそうなっているのか、少々考えてみましょう。
と言う訳で、「村の論理と世間の論理」というテーマになりました。
広い、大きな世界から隔離された、自給自足の村であれば、外の世界とは異なる価値観、論理構成であっても村民は誰も困りません。
そのルールに従って生きてゆくのみです。
しかしながら、外の世界と関係を持たなくてはならない場合は、村のルール最優先と言う訳にもまいりません。
それなりの外のルール、世間のルールに配慮した対応をしなくては、そのような表現方法、論理構成をしなければ世間からは認められません。
村の常識、世間の非常識、、、という場合があるのです。
さて、将棋の話です。
将棋のルールは村の中でも世間でも同じです。
しかも将棋の世界では「村は指導的立場」にあります。
つまり「村の常識が世間の常識」となります。
こうして村と世間のルールが同一でありますれば、価値観が同一でありますれば、「村一番の合理的思考」は「世間でも一番の合理的思考」と評価されるのです。
そうやって「竜王の思考は合理的だ」、「竜王は頭が良い」と評価されてきました。
それもこれも「村のルールと世間のルールが同一」であったお陰です。
しかしここで勘違いが生まれる余地が生じました。
「将棋のことについては、世間は村の決定に従うべきだ」というものです。
「我々は将棋のプロであり、素人はプロに従うもの」とでもいう態度でしょうか。
さてそれで今回の騒動の場合ですね。
村の論理では「村の存続、繁栄が優先順位1位」となります。
全てはこれに向かって集約され、村民各自の多少の不便、不都合、不利益は「村の為にはしかたないもの」と見なされます。
今回の場合は、「竜王戦が何事もなく無事に開催され終わること」が優先順位の1位です。
従いまして、それを脅かすような出来事が事前に予測される場合はそれを排除しなくてはなりません。
こうやって、「三浦9段を挑戦者とすること」が「望ましくない混乱を生むであろう」と判断され、「排除されるべきリスク要因」と認定され、現実に排除されました。
こうして「村の論理」では「三浦9段の挑戦権はく奪」が「苦渋の決断」と、そういう表現になった訳です。
それでも、このような経緯は「村の中での説明会では一定の評価をうける事」になります。
「村のためを思えばこそ」という説明には村民はなかなか反対しずらいものであります。
しかしながら同じ説明を村の外の社会、一般世間にした場合は「なるほど、そうか」という訳にはいきません。
「村民が受け入れたので、世間でも通用するだろう、、、」というのは世間知らずの希望的観測でありましょう。
「村の存続」などは世間にしてみればそれほど大事ではないのです。
竜王戦が無事に開催されようが、混乱しようが、言ってみれば「どーでもいい事」なのであります。
しかしながら、「竜王戦の挑戦者が変更された」となれば、「どーして?」と聞きます。
そうして「ソフトでカンニングした為に外されたらしい」となれば「証拠はあるの?」となります。
世間は竜王戦がなくても自分の生活は困りませんが、それなりの関心は持っています。
そうしてそれは「公平に運営されている棋戦」としての「フェアな竜王戦」に関心があるのです。
ですので竜王側に「挑戦者に対する疑念がある」、というだけで「連盟が挑戦者の資格をはく奪した」となると「それがフェアなのか?」となります。
世間では「竜王戦の無事な開催」よりは「竜王戦が公平に運営されている事」の方がずうっと価値が高いのです。
そうして「外された挑戦者がえん罪だった」となれば、「挑戦者の権利はく奪のおとしまえ、どうつけてくれるの?」という事になりますねえ。
それが世間の論理というものであります。
さてそういうわけで、「村の中では合理的、理解できる」と評価されたであろう渡辺さんの説明も価値観が異なる世間では「なにそれ」となってもおかしくはない、当然の事なのであります。
そうして、そのような「価値観の違いがある」ということは、連盟を運営されている方々は、そうして影響力をお持ちのトップ棋士の方々は、一般の棋士の方たちよりも十分に理解し配慮して物事を言ったりやったりしなくてはならないのは明らかな事なのであります。
PS
棋戦においては「公平である事、公平に運営されている事」は大事な事でありましょう。
それゆえ、「ソフトでカンニング」はとても許容できる事ではありません。
そうして同様に、「訳のわからない理由で挑戦権のはく奪」というのも許容できるものではないのであります。
加えて、この期に及んでも一切の公式説明をしない、第三者委員会とやらの後ろに隠れておられる方々の責任はとても重いと言えそうです。
PS
リスク管理、はごろもの例など、ご参考までに。<--リンク
・・・ いろいろ事情があったのかもしれないが、リスク下での「ノーコメント」は広報コミュニケーション的には「失言」とされる。・・・
何も情報を出さない、、、というのは事実上の「ノーコメント」であります。
リスク管理、こんな記事もありました。
・将棋三浦九段の不正疑惑、本当に残念なのは「日本将棋連盟」の対応だ<--リンク
PS
現状ではネットの世間では大方の見方が一致している様です。
そうして、その議論も見ております限りはそれほどひどいバイアスもなく、議論の幅もひろく、時折入る反対意見もはさんでの、それなりの客観性がある様に見受けられます。
そしてその様子は少なくとも10日に島邸で開かれた秘密会合の状況よりは公平であり、客観的であると思われます。
追伸
・三浦九段のソフト不正疑惑で調査委員会が初会合/将棋<--リンク
ようやくメンバーが決まり、初会合です。
さて、このあとどうなりますやら。
委員会の皆さんの仕事ぶり、竜王戦終了までの時間稼ぎ、、、ではない事を祈っております。
PS
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