CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

あの時君たちは若かった。

2022年08月11日 | JAPANESE

1978年、ゴダイゴの3枚目のオリジナル・アルバム、Magic Monkey(西遊記)が出た。

テレビ番組のオリジナル・サントラ盤てな記載も帯にはあったが、このアルバムでは歌詞がガンダーラも含めて全編英語で歌われていてちょっと違った印象を受ける。

とは言えこれを聴けば、レギュラーで出演していた若かりし頃の堺正章、夏目雅子、岸部シローと西田敏行らが蘇る。

今じゃ白髪もそこかしこのオジンになってしまったけれど、あの時はオイラも若かった。


都会は苦手?

2022年08月10日 | West Coast Rock

シンガー・ソング・ライターのダン・フォゲルバーグはデビュー以前はロス・エンジェルスで音楽活動をスタートさせるもののその水に合わず、ナッシュビルに転居。

そこで実力を見出されレコード・デビュー、全国に活動を展開しなければならないのだが、やっぱり都会はどうも苦手だったような。

落ち着きを取り戻したのは自然豊かなコロラドのロッキーの山中で暮らしを始めたことで、曲作りも積極的に取り組めたようだ。

そして前作から2年後の1976年に出た4枚目のアルバム、Nether Landsはシカゴで有名だったコロラドの山中のカリブー・ランチを主にしてレコーディング。

ストリングスを取り入れた繊細で抒情的な曲、フォーク・ロックにカントリー、時に活力溢れたロック・サウンドも盛り込む内容で、基本的には従来の作品の方向性とはそれほど変わった感じは受けず、彼らしくいい味は出ていると思う。

因みにアメリカではこのアルバム結構ヒットして、マルチ・プラチナ・ディスクに認定されている。

ただ、このアルバム・ジャケのデザインから非常に暗いイメージが感じ取れ、当時の日本ではあまり売れないと考えられたのか、レコードは米オリジナルのゲート・フォールド仕様からシングル・ジャケに格下げて発売。確かに彼は大学でアート系の学部を専攻、それまでのアルバムのジャケにも彼の絵画が使われているが、何となく暗さが少々不気味さも感じられなくはない。

オリジナルの内ジャケのデザイン、米盤はゲート・フォールド仕様。

やっぱり暗いのはちょっと苦手?


ザナドゥって?

2022年08月10日 | BRITISH ROCK

時は13世紀、マルコ・ポーロの東方見聞録に記されたモンゴル帝国の煌びやかな都、上都(Shangdu)。

東方見聞録がのちの世に伝えられ、ヨーロッパでは彼の地の事を伝説の都、もしくは桃源郷、ザナドゥ(Xanadu)として語られる事に。

更に時代は進んで20世紀、1980年にザナドゥ(Xanadu)がミュージカルに。

そのサントラ盤のタイトル曲、Xanaduはまさかのエレクトリック・ライト・オーケストラとオリビア・ニュートンジョンによるコラボ。

曲を聴くまではイメージが湧かなかったけれど、オリビアのハイトーン・ボイスをうまく活かした軽快なELOポップで80年代のあの頃を思い出しなかなかよろし~

1968年、ジャガーズがデイブ・ディー・グループのThe legend Of Xanaduを“キサナドゥの伝説”って邦題でカバーしてたけれど、じっくり聴いてみるとザナドゥって歌ってるので、その後はジャガーズのカバー以外はザナドゥってことに。

ところでオリビアさんつい先月ここに登場したんだけれど、つい先日お亡くなりになられたみたいで…

ひょっとすると伝説の都、ザナドゥに旅立たれたのかも…

RIP


70年代の歌謡曲でも

2022年08月03日 | JAPANESE

1枚目は1976年の太田裕美の5枚目のシングル、赤いハイヒール。ミリオン・セラーになる大ヒットも山口百恵の横須賀ストーリーに阻まれて残念ながらオリコン・チャートは2位。

サビの部分でホーンが入る所のアレンジが何となくより良き未来が待っている様で中々よろし〜

2枚目は1979年の甲斐バンドの13枚目のシングル、安奈。オリコン4位の大ヒット。哀愁を感じるハマショー爪弾くアコギのイントロがよろし〜

その昔カラオケでマイク持つ手の小指を立てながらよく歌ったような...

3枚目は1974年のマギー・ミネンコの2枚目のシングル、涙の河。当時のバラエティ・ショー、金曜10時の噂のチャンネルで和田アキコ、せんだみつおやデストロイヤーらとドタバタやっていたっけ。

父親がロシア系アメリカ人だった事から、お顔立ちはサラッとスラブ系ですな。

ああ懐かしい〜

 

 


ブリージンな夜のひと時

2022年08月02日 | JAZZ・FUSION

野暮用で昼の1時ごろ外に出かけたのだけれど、もう暑いのなんのって。

5時頃になっても気温は下がらずペット・ボトルの飲料のがぶ飲みでお腹がパンパン。

日没になって辺りが暗くなってくると、とある集合住宅の鰻の寝床のような我が家にもベランダから緩やかな風が吹き込み、一風呂浴びて本日の汗を洗い流してようやく一息付く。

そんな時はスムージィーなフュージョン・サウンドがいいかも。

ジョージ・ベンソンのワーナー移籍第二弾、1977年のIn Flightでも。

前年の大ヒット・アルバム、Breezin’の制作を踏襲しレコーディングは同じメンツを起用。

ファンキーでソウルフルなThe WarのThe World Is A Ghetto、Feelingsで有名なモーリス・アルバートの曲やダニー・ハサウェイの曲、それに多くのアーティストにカバーされているEverything Must Changeなどでベンソン自慢ののどをたっぷりと披露。

ブリージンな夜にマッチして、いい感じにこなれている。

ただ前作と比べると今回選曲が少々地味だったかな?


バーズ再結成?

2022年08月01日 | West Coast Rock

オリジナル・メンバーがロジャー・マッギンのみだったバーズも70年代初め頃についに解散、その後オリジナル・バーズ再結成なんてデビッド・ゲフィンによる企画物もあったけれど、出てきたアルバムはバーズの香りが漂うも個人的に一番印象に残った曲がニール・ヤングのCowgirl In The Sandのカバーだったのは少々寂しい限り。

てな訳で各メンバー、ソロ・プロジェクトに励んだりもしくは別のバンドに加入したりと再び散り散りバラバラに。

そうこうしているところ70年代後半になって、オリジナル・メンバーだったロジャー、ジーン・クラークとクリス・ヒルマンが集まりライブ・ツアーを敢行。その流れで3名でアルバムを制作することに。

バーズ再結成の前触れか?

出来上がったのは1979年のセルフ・タイトルのMcGuinn, Clark & Hillman。

各人それぞれが自作曲を持ち寄り、外部の作品も加えてアーバン系ウエスト・コースト・ウンドとでも呼べばいいのかカントリー系の泥臭さはなく比較的柔らかなサラッとした印象。まあこれはコレで楽しめる。

ただ何となくバーズのイメージじゃ無いわなと思っていたところ、次作はジーンがゲスト扱いのアルバムとなり、最終作の3枚目はジーンはプロジェクト外となり、残りの二人でMcGuinn-Hillmanなるアルバムが制作され、その後解散。

再結成って言葉、以前より演奏技術も上がり洗練された音楽を聴かせることが出来てファンにとっては心地よい響きに聞こえるかも知れないけれど、下手すれば単なる懐メロバンドって評価にも繋がりかねない。なかなか舵取りが難しい。

やっぱりバーズは60年代、彼らが若かったあの頃を象徴したバンドとして記憶に留めたい。