昨今のインターネットの発達により、日本の映像や音楽が海外で簡単に見聴き出来るようになった現在、日本語を含む日本固有の文化は世界的にかなり浸透し理解されてきたと思う。
ポップな日本語の単語を散りばめた曲であっても、あまり違和感を持って聴かれることはなくなり、未だ特定のミュージシャンだけでは有るが、彼らが作り出す音楽が結構海外で受けるようになってきた。
ビルボード・チャート一位を記録した、坂本九が日本語で歌う“上を向いて歩こう”を除けば、その後の長い間日本語で歌われた曲が世界で注目を集めた事例はほぼ無かったと言えたのでは...
此処東南アジアでは、華僑が多いため洋楽を除けば、昔から北京語もしくは広東語で歌われる歌謡曲が多く、数多くの日本の演歌やポップ・ソングなんかも翻訳され広く歌われていた。
そのため、当時日本から海外に進出をもくろむミュージシャンは、歌モノは出来るだけ避け、インストで勝負することになった。
テクノ系ではイエロー・マジック・オーケストラ(ボーカルが付いた歌もあったが、それらは特に感情を込めた歌ではなく、電子系のフィルターを通した楽器の一種のような感じだった)、電子音楽系では喜太郎や冨田勲などが独特の世界観を持って海外に進出した。
その中で80年代に活躍したバンドがカシオペアである。
デビューしてイギリスで演奏したり、後にモントルー・ジャズ・フェティバルなんかでも演奏し、結構ヨーロッパで人気があったようだが、此処東南アジアでも結構知られた存在だった。
なにしろ、当時彼らのカセットやCDがショップで普通に売っていたし、ナイト・クラブ・トロピカーナ(古っ~!、多分永住している60代以上の日本人で無いと知らないと思う。何故って、25年ほど前に店を閉めたからね)のカバー・バンドなんかも、時折彼らのヒット曲“朝焼け”を軽快に演奏していたのを覚えている。

1980年作サンダー・ライブ、超ハイテク演奏にぶっ飛ぶ、オン・タイムでレコードは買っていない。シンガポールでCD購入

1982年作ミント・ジャム、海外向けに、ライブでベストアルバム作成、オン・タイムでレコードは買っていない。シンガポールでCD購入

1984年作サウンドグラフィー、スタジオのベスト・アルバム、オン・タイムでシンガポールでカセット購入

1984年作ダウン・アップビート、スタジオ録音でだが一発取りと聴いてぶっ飛ぶ、オン・タイムでシンガポールでカセット購入

1985年作スゥート・サファイア、野呂一生初のソロ、オン・タイムでシンガポールでカセット購入

1988年作ワールド・ライブ88、この後活動停止。オン・タイムでシンガポールでCD購入。その後メンバー・チェンジしため興味をなくし、カシオペア打ち止めとなる。
やっぱり、サンダー・ライブから固定された最強のメンバーの演奏でないとね。
メンバー・チェンジした後は何かチョット違うような...
まあ、当時の彼らの繰り出した精密機械のような超ハイテク演奏が、現在のクール・ジャパンなるイメージの土台を作ったのではないかと…
今日の結論
おじいさんになると、昔のことをホントよく喋りだすようになるって、今は無き父親を見続けてきてよく思ったものだ。
いざ、自分がその年齢に近づくと、あら不思議! 昔のこと自動的に喋りだすね~
最近のことはあまり覚えていないのに、数十年前のことをパッと思い出す。
ポップな日本語の単語を散りばめた曲であっても、あまり違和感を持って聴かれることはなくなり、未だ特定のミュージシャンだけでは有るが、彼らが作り出す音楽が結構海外で受けるようになってきた。
ビルボード・チャート一位を記録した、坂本九が日本語で歌う“上を向いて歩こう”を除けば、その後の長い間日本語で歌われた曲が世界で注目を集めた事例はほぼ無かったと言えたのでは...
此処東南アジアでは、華僑が多いため洋楽を除けば、昔から北京語もしくは広東語で歌われる歌謡曲が多く、数多くの日本の演歌やポップ・ソングなんかも翻訳され広く歌われていた。
そのため、当時日本から海外に進出をもくろむミュージシャンは、歌モノは出来るだけ避け、インストで勝負することになった。
テクノ系ではイエロー・マジック・オーケストラ(ボーカルが付いた歌もあったが、それらは特に感情を込めた歌ではなく、電子系のフィルターを通した楽器の一種のような感じだった)、電子音楽系では喜太郎や冨田勲などが独特の世界観を持って海外に進出した。
その中で80年代に活躍したバンドがカシオペアである。
デビューしてイギリスで演奏したり、後にモントルー・ジャズ・フェティバルなんかでも演奏し、結構ヨーロッパで人気があったようだが、此処東南アジアでも結構知られた存在だった。
なにしろ、当時彼らのカセットやCDがショップで普通に売っていたし、ナイト・クラブ・トロピカーナ(古っ~!、多分永住している60代以上の日本人で無いと知らないと思う。何故って、25年ほど前に店を閉めたからね)のカバー・バンドなんかも、時折彼らのヒット曲“朝焼け”を軽快に演奏していたのを覚えている。

1980年作サンダー・ライブ、超ハイテク演奏にぶっ飛ぶ、オン・タイムでレコードは買っていない。シンガポールでCD購入

1982年作ミント・ジャム、海外向けに、ライブでベストアルバム作成、オン・タイムでレコードは買っていない。シンガポールでCD購入

1984年作サウンドグラフィー、スタジオのベスト・アルバム、オン・タイムでシンガポールでカセット購入

1984年作ダウン・アップビート、スタジオ録音でだが一発取りと聴いてぶっ飛ぶ、オン・タイムでシンガポールでカセット購入

1985年作スゥート・サファイア、野呂一生初のソロ、オン・タイムでシンガポールでカセット購入

1988年作ワールド・ライブ88、この後活動停止。オン・タイムでシンガポールでCD購入。その後メンバー・チェンジしため興味をなくし、カシオペア打ち止めとなる。
やっぱり、サンダー・ライブから固定された最強のメンバーの演奏でないとね。
メンバー・チェンジした後は何かチョット違うような...
まあ、当時の彼らの繰り出した精密機械のような超ハイテク演奏が、現在のクール・ジャパンなるイメージの土台を作ったのではないかと…
今日の結論
おじいさんになると、昔のことをホントよく喋りだすようになるって、今は無き父親を見続けてきてよく思ったものだ。
いざ、自分がその年齢に近づくと、あら不思議! 昔のこと自動的に喋りだすね~
最近のことはあまり覚えていないのに、数十年前のことをパッと思い出す。
最近バリエーションに富んでますね。
今でもたまに聴きたくなりますね。尾崎さんもカシオペアも・・・私はEYES OF THE MINDのジャケットが未だ意味??なのです。
では、また。
一応広く浅くって感じで楽しんでいます。
それから、EYES OF THE MINDについて記事アップしておきました。
私も同じく意味わかりません。