1971年、ロック・バンドがカーネギー・ホールで開かれたライブをレコード化した。
なんとLP四枚組のボックス仕様で、当時の定価が7800円也。
ガキの小遣いでは、到底買えない価格。
まあ、ロック・ファンの大人でもちょっと躊躇する価格。
何しろ1971年のサラリーマンの平均月収が7万円弱の時代、おいそれと買える代物ではなかった。
と言うわけで、レコード会社もそのあたりを考慮し、LP1枚もののダイジェスト盤を発売していた記憶がある。
ジャケットのデザインは、ボックス・セットと同じのシカゴのお馴染みのロゴだけを真ん中に配置したシンプルなものだったが、ジャケットの色は確かボックス・セットの白色ではなく、黄緑色だった記憶がある。
当時は、まだブラス・ロックまでまだ手がまわる状況ではなかったので、ダイジェスト盤でさえ購入しなかった。
それから数年後、ようやくシカゴを聴き始めるのであるが、この四枚組のボックス・アルバムは、レコード会社も収録時間が長すぎるのと、価格面から考えて売れる確信を持てなかったのか、このアルバムのみレコードでの再発はなかったような記憶がある。
そしてCD時代になって、ようやく再発された。
特に2005年には、アメリカの再発もの専門のライノ社から、決定版というべき数多くのボーナス・トラックを含む、CD四枚組のボックス・セットが出て飛びついた。
しかし買ってはみたものの、収録時間が長いことから、少し冗長となる感じがして一通り聴いてその後はCD棚の肥やしとなった。
シカゴのライブとは言えば、個人的には1975年当時日本のみで発売されたLIVE IN JAPANとなる。
カーネギー・ホールは、クラッシック・コンサート向きに設計された構造を持つため、ロックの演奏会には不向きとシカゴのメンバーが言っていた。
反対にLIVE IN JAPANは録音状態も良く、それに当時の最新アルバム、CHICAGO Vからのヒット曲も収録され、またピート・セテラがLOW DOWNなどの日本語バージョンを辿々しく歌っていたり、歌い終わると“ドモ、アリガトー”や大阪弁の“オオキニー”なんて言っていたのが結構微笑ましく思え、こちらを優先的に聴くことになった。
しかし、ついこの前、中古の四枚組のボックスが目に留まりつい買ってしまった。
ボックスの状態は良くないので、白いテープをあて補強。
レコードは丸洗い、そして各インナー・ジャケットもアルコールで消毒。
レコードは先の所有者がほとんど聞いていなかったのか、傷もほとんど見当たらなく、ノイズが全く聞こえない。
CDのように50−60分連続して惰性のごとく聴いていくのではなく、レコードの場合、約20数分で演奏終了し、裏返しもしくは別のレコードに交換する手間が必要で、この作業が集中力を一旦休憩させる時間となり、LPを新たにターン・テーブルに乗せた際、こちらも気持ちをリセット出来、彼らの長時間の熱い演奏を楽しむ事が出来た。
そして、改めてこのアルバムの素晴らしさがやっとわかった気がする。
ところで、シカゴは、後期のAOR路線からは想像がつかないほど、初期には反体制の主張をアルバムで明確に唱えてきた。
このアルバムでも、“若者は選挙に行き国の体制を変えよう、そして選挙制度も変えようじゃないか!”なんて、参考のために各州の選挙のシステムを説明している表がこのアルバムに添付されている。
彼らの主張に賛同するかどうかは別として、バンドそして当時の彼らのファンも本当に熱い連中であったことは間違いないと思う。
何故ならば、当時ロック・バンドとしては誰もやったことのない四枚組のライブ盤は少し冗長さを感じさせまた高額商品だったにもかかわらず、ファンの後押しでアメリカではなんとチャート3位を記録し、プラチナ・ディスクを獲得している。
70年代はロックの力で世の中を変化させようとという、ポジティブな時代であった。
ところでイギリスでは、それまでの三枚のアルバムが全てトップ10になったものの、このアルバムはチャート・インしなかった。アメリカの政治に関してのメッセージにはさほど興味を感じなかったのかも知れない。