プログレ四天王といえば、イエス、ピンク・フロイド、ELPにクリムゾン。
5大プログレといえば、ジェネシスが加わる。
ちょっと、ちょっとお待ちなせい! 誰か忘れてはいませんんか?
そう!ムーディー・ブルース。
ジェネシスも悪くはないが、私としては5大プログレのメンバーとして一押し!
かってジミー・ペイジに“真のプログレッシブなバンドは、ピンク・フロイドとムーディー・ブルースだけだ!”言わしめたその実力と実績。
ありきたりのR&Bバンドだったが、心機一転、新メンバーにジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジを加えたことが、大きな化学変化を起こし大正解。
2作目から、プログレ・アルバムを7連発。
しかも各アルバム、質の高い力作ばかりで、次はどのような進化を新しいアルバムで見せてくれるのか、いつもファンに期待を持たせる数少ないバンドだったように思う。

1967年 DAYS OF FUTURE PASSED ヤンキー集合の茶店の夜ではない、サテンの夜である。

1968年 IN SERCH OF LOST CHORD 失われたコードって、オームだった!

1969年 ON THE THRESHOLD 時代を先取りした、AIとの会話。デカルトのI THINK, THEREFOPRE I AM(我思う、ゆえに我あり)ってちょっと尖がりすぎ。

1969年 TO OUR CHILDREN’S CHILDREN’S CHILDREN のっけからサターン・ロケットの打ち上げの音のSEだろうか? でかいボリューム設定にしていると、近所から苦情が舞い込むのは間違いなし!

1970年 A QUESTION OF BALANCE 一曲目から、ジャスティンのギター全開! 途中で曲がスローになってほんの一時ホッとする。

1971年 EVERY GOOD BOY DESERVES FAVOUR 以前のように尖がらないで、リラックスしていこう~って感じだろうか?

1972年 SEVENTH SOUJOURN 何も無い荒れ果てた原野に、新しい木の芽が!(内ジャケットのイラスト参照)小さいながらも新たな希望の光が。俺たちは何も大それた事をやってやるなんて思っちゃいないさ。ただのロック・バンドなのさって宣言したところで彼等の旅は終わる。
演奏、メロディー、歌詞そしてアルバム・アートまでが彼らのアルバム制作のコンセプトによって統一されている。
特に演奏に関しての目玉は、やっぱりメロトロンを使っていることで、キーボードのマイク・ピンダーは60年代メロトロンの開発におけるテスターの一人だった言われている。その彼は、 ビートルズにこの新しい楽器の購入を推奨し、アビー・ロードのスタジオで生まれた曲が、STRAWBERRY FIELDS FOREVERだった。
メロトロンを使うクリムゾンなど後のプログレ・バンドに大きな影響を与えたと言っても過言ではないだろう。
このバンドで残念なことは、ライブが弱いことだろう。
5人組の “世界一小さなオーケストラ”と称されていたのためなのか、ライブに於いてもその編成で公演を行ったわけだが、スタジオ録音で綿密にオーバー・ダブされた楽曲を、たった5人でステージ再現するのはやっぱり無理があったように感じた。
少なくとも、サポート・メンバーとして、コーラスの出来るギター奏者とキーボード奏者を各一名ツアーに帯同させ、そしてフロント・ラインに立つボーカルのレイ・トーマスが、フルートを時たま思い出したかのようにピーヒャラ吹くだけではなく、それ以外の楽器、例えばシンセかギター担当し演奏に厚みを加えるべきだったと思う。
1973年3月、イエスのCLOSE THE EDGE TOURの日本公演を堪能した友人は、翌年1月のムーディー・ブルースの日本公演の出来を嘆いていた。
全体的に音が小さく迫力がなかったと言っていたのを覚えている。
もちろん、予算の関係で一番安いチケットを購入したため、ステージからかなり遠方の席だったことは、少し考慮しなければならないが。
地味頁:俺、真のプログレッシブなバンドは、ムーディー・ブルースだ!なんて言ったけ?
真の演歌歌手は、ムーディー勝山、って言ったような覚えはあるんだけど…
博士:ワシはムーディーより紙オムツのムーニィーを思い出す。
子供が赤ちゃんだった頃、糞まみれの紙オムツと格闘し大変だった思い出が有るのう~
当然子供は遠い昔の赤ちゃんだった頃の記憶なんてまったくない。ちょっと残念。
ムーディーやムーニィーも遥か昔の話と思う年の暮れ。
アァ~、月日の過ぎるのは早いこと。
5大プログレといえば、ジェネシスが加わる。
ちょっと、ちょっとお待ちなせい! 誰か忘れてはいませんんか?
そう!ムーディー・ブルース。
ジェネシスも悪くはないが、私としては5大プログレのメンバーとして一押し!
かってジミー・ペイジに“真のプログレッシブなバンドは、ピンク・フロイドとムーディー・ブルースだけだ!”言わしめたその実力と実績。
ありきたりのR&Bバンドだったが、心機一転、新メンバーにジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジを加えたことが、大きな化学変化を起こし大正解。
2作目から、プログレ・アルバムを7連発。
しかも各アルバム、質の高い力作ばかりで、次はどのような進化を新しいアルバムで見せてくれるのか、いつもファンに期待を持たせる数少ないバンドだったように思う。

1967年 DAYS OF FUTURE PASSED ヤンキー集合の茶店の夜ではない、サテンの夜である。

1968年 IN SERCH OF LOST CHORD 失われたコードって、オームだった!

1969年 ON THE THRESHOLD 時代を先取りした、AIとの会話。デカルトのI THINK, THEREFOPRE I AM(我思う、ゆえに我あり)ってちょっと尖がりすぎ。

1969年 TO OUR CHILDREN’S CHILDREN’S CHILDREN のっけからサターン・ロケットの打ち上げの音のSEだろうか? でかいボリューム設定にしていると、近所から苦情が舞い込むのは間違いなし!

1970年 A QUESTION OF BALANCE 一曲目から、ジャスティンのギター全開! 途中で曲がスローになってほんの一時ホッとする。

1971年 EVERY GOOD BOY DESERVES FAVOUR 以前のように尖がらないで、リラックスしていこう~って感じだろうか?

1972年 SEVENTH SOUJOURN 何も無い荒れ果てた原野に、新しい木の芽が!(内ジャケットのイラスト参照)小さいながらも新たな希望の光が。俺たちは何も大それた事をやってやるなんて思っちゃいないさ。ただのロック・バンドなのさって宣言したところで彼等の旅は終わる。
演奏、メロディー、歌詞そしてアルバム・アートまでが彼らのアルバム制作のコンセプトによって統一されている。
特に演奏に関しての目玉は、やっぱりメロトロンを使っていることで、キーボードのマイク・ピンダーは60年代メロトロンの開発におけるテスターの一人だった言われている。その彼は、 ビートルズにこの新しい楽器の購入を推奨し、アビー・ロードのスタジオで生まれた曲が、STRAWBERRY FIELDS FOREVERだった。
メロトロンを使うクリムゾンなど後のプログレ・バンドに大きな影響を与えたと言っても過言ではないだろう。
このバンドで残念なことは、ライブが弱いことだろう。
5人組の “世界一小さなオーケストラ”と称されていたのためなのか、ライブに於いてもその編成で公演を行ったわけだが、スタジオ録音で綿密にオーバー・ダブされた楽曲を、たった5人でステージ再現するのはやっぱり無理があったように感じた。
少なくとも、サポート・メンバーとして、コーラスの出来るギター奏者とキーボード奏者を各一名ツアーに帯同させ、そしてフロント・ラインに立つボーカルのレイ・トーマスが、フルートを時たま思い出したかのようにピーヒャラ吹くだけではなく、それ以外の楽器、例えばシンセかギター担当し演奏に厚みを加えるべきだったと思う。
1973年3月、イエスのCLOSE THE EDGE TOURの日本公演を堪能した友人は、翌年1月のムーディー・ブルースの日本公演の出来を嘆いていた。
全体的に音が小さく迫力がなかったと言っていたのを覚えている。
もちろん、予算の関係で一番安いチケットを購入したため、ステージからかなり遠方の席だったことは、少し考慮しなければならないが。
地味頁:俺、真のプログレッシブなバンドは、ムーディー・ブルースだ!なんて言ったけ?
真の演歌歌手は、ムーディー勝山、って言ったような覚えはあるんだけど…
博士:ワシはムーディーより紙オムツのムーニィーを思い出す。
子供が赤ちゃんだった頃、糞まみれの紙オムツと格闘し大変だった思い出が有るのう~
当然子供は遠い昔の赤ちゃんだった頃の記憶なんてまったくない。ちょっと残念。
ムーディーやムーニィーも遥か昔の話と思う年の暮れ。
アァ~、月日の過ぎるのは早いこと。