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CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

少しは印税もらえたかな?

2024年09月08日 | AMERICAN ROCK/POPS

60年代から音楽活動をしてきたレイ・ケネディーが1976年にバリー・ゴールドバーグ、マイク・ブルームフィールドやカーマイン・アピスらとスーパー・グループ、KGBを結成。

残念ながらマイクがバンドから脱退し、結局2枚のアルバムを残してあっさり解散してしまったKGBだったが、レイは1980年にセルフ・タイトルのソロ・アルバムを出した。

西海岸の腕利きのセッション・ミュージシャンをバックにデビッド・フォスターによってプロデュースされたアルバムは上質の80年代ロック系AORアルバムに仕上がった。レイはソング・ライターとしても活動してきてブライアン・ウィルソンの共作でビーチ・ボーイズのヒット曲、Sail On Sailorを本作でカバーしている。

ただ本作の評判といえばアメリカではシングル・カットされたJust For The Momentが少しばかり注目されただけで、大して売れなかったそうな。

それよりも日本のリスナーにとっては注目されるポイントはやっぱり本作に収録された曲、You Oughta Know By Now(サイドBの1曲目)ですかね。

本作より少し遅れて1980年7月21日に発売された八神純子のヒット・シングル、パープル・タウンがYou Oughta Know By Nowに極似。最終的にパープル・タウンの作曲者としてレイ・ケネディー、デビッド・フォスターにジャック・コンラッドらの名前も公式に加えられ、曲名もパープル・タウン-You Oughta Know By Now-と変更された。

 


Before The Dance

2024年09月07日 | AMERICAN ROCK/POPS

オーリアンズと聞けばああ70年代に出たあのヒット曲、Dance With Meを思い起こすかも。

1972年にバンドの中心メンバーとなるジョン・ホールらがアメリカ東部のニューヨーク州、ウッドストックで結成。

(ジョン・ホールにホッペン兄弟とウェルズ・ケリーの4人組)

翌年セルフ・タイトルのデビュー・アルバムをあのマッスル・ショールズ・スタジオで録音し、ABCーDunhillから発売するもするも全く注目されなかった。めげずに1974年にセカンド・アルバムを録音するもABCレーベルからダメ出しを喰らい、アメリカでは発売されず、ヨーロッパと日本でのみOrlians 2としてプレスされた。

そんなこんなで、バンドはアサイラム・レーベルに移籍し1975年に3枚目のスタジオ・アルバム、Let There Be Musicを出す。セカンド・アルバムに収録されていたDance With Meを再録しシングル・カットしたところ全米6位の大ヒット。またアルバムも全米33位と大健闘。続く4枚目のアルバム、Walking And Dreamingも全米30位とヒットした。

ところが、ジョン・ホールはバンドとして成功を収めたものの、オーリアンズのそもそもの芸風であるR&Bスタイルのロックンロールがウエスト・コースト系AORに変遷したことによる音楽的方向性の違いでバンドから脱退。

中心メンバーがいなくなったバンドはアサイラム・レーベルから離れバンド再編のため暫しの間休憩となる。

そんな中、何を思ったのか旧所属レーベル、ABCが1978年突如、オーリアンズのファースト・アルバムとアメリカで発売されなかった幻のセカンド・アルバムをカップリングした2枚組コンピ・アルバム、Before The Danceを発売。

(1979年にアメリカのタワレコで買った米盤。日本みたいに1枚売れれば売り場の棚にまた1枚補充ではなく、数多くの売れ線アーティストの新譜アルバムがそれぞれ平積みでずらりと売り場に並べ置かれていた日本上陸前のタワレコには驚いた。)

(幻のセカンド・アルバムがサイドCとDに全編収録されている)

一聴して米チャートを賑わすかと問われれば当時のレーベルの判断通り少々地味な味わいかもしれないけれど、ファーストのマッスル・ショールズでの録音とかセカンドのNY録音は結構洗練されたアダルトなR&Bの味わい良さがあって捨てがたい。

ABCレーベルも後日その辺りを理解したのか、遅ればせながら再発したのだろう。

またアルバム・タイトルが、Before The Dance 、即ち“Dance With Meがヒットする前”と少々自虐的な感じがなかなかよろしい。

ちなみにセカンド・アルバムに収録されたオリジナルのDance With Meはアコギをベースとしたアレンジで、のちに大ヒットした焼き直しバージョンのアレンジよりこちらの方がオイラの好みですかね。

それから、ジョン・ホール氏が2007年、なんとNY州から下院議員として選出され、After The Danceの方が更にすごいことになっていた。


EXPO’ 70?

2024年08月22日 | AMERICAN ROCK/POPS

手持ちのシングル盤、パラパラと眺めていたらこんなのが目に止まった。

1970年2月にシングル・カットされたベンチャーズのKyoto Doll(京都の恋)。

この頃はリード・ギターにノーキーに変わってマギーが、そしてキーボードにジョン・ダリルを加えた5人編成だった。

ちょうど同年3月に大阪万博が開催されるってことで、ジャケには万博記念年盤と記載されている。

ちなみにアメリカでも翌月発売され、そのタイトルはEXPO’ 70だったそうな。

EXPO’ 70と言えば確かアメリカ館に展示された月の石を一目見ようと長時間並んだけれど、いざ月の石の展示の前に来ると列の後ろから押し出されてあっという間に通り過ぎたような…

ああ懐かしい。

ところで、来年また大阪でEXPOあるけれどどうしようかね? 

もう長時間並ぶのはコリゴリだけれど。


たまには酔いどれてみたい

2024年08月21日 | AMERICAN ROCK/POPS

その昔、プライベートや仕事上の接待などでよくお酒を飲んだな~

しかしながら、歳をとるにつれて疲れが残り体に変調をきたす。ある日血液検査を受けてみると、ALTとかガンマなんちゃらなど肝機能の数値が軒並み大幅に基準値を超すことに。

流石にこれはいかんと禁煙と禁酒とまではいかずともかなりアルコール摂取量を減らすことに。

あれから数十年たち、それらの数値を基準値になんとか押し込んでいるオイラである。キリッ。

習慣とは恐ろしいもので、今ではチェイン・スモーカーだったオイラがタバコを吸いたいと思うことはなくなり、お酒もほとんど飲むことは無くなった。

本日はデビュー・アルバムから比べるとさらにディープな世界へ導かれる1976年のトム・ウェイツのライブ盤を挟んで4枚目のアルバム、Small Changeでも。

実年齢にそぐわない嗄れた声での印象的なジャズ・ボーカルは訳詩をみないと一体何歌ってんだかわからないのだけれど、酔いどれストーリーの雰囲気は感じられる。

このアルバムを一人聴いていると、今宵は一緒に酔いどれてみたい気分。

チョット一杯何かもらえる?

へーい、ただいま!

何これ?

ホット玄米茶で。来週血液検査でしょうが?

OMGosh!。


これもデッド

2024年08月13日 | AMERICAN ROCK/POPS

グレイトフル・デッドの1970年の6枚目のアルバムがAmerican Beauty。

彼らの代名詞とでも言われるギターのジャミングを中心としたサイケデリックな味わいはそこになく、前作、Workingman’s Deadのサウンドを引き継いだカントリー・ロック調のサウンドでまとめられている。

またシングル・カットされヒット・チャートを賑わすことはなく、全体を何度も繰り返して聴いているうちにスルメ・イカのようにその旨みがじんわり染み出してくるような曲作りで、彼の地ではこのアルバム前作同様かなり売れたそうな。


ライ、充実の一枚

2024年08月02日 | AMERICAN ROCK/POPS

何気に聴いてみたライ・クーダーの1987年の10枚目のスタジオ・アルバム、Get Rhythm。

 

アメリカではチャート177位と受けなかったみたい。確かにラジオでかかる売れ線からは外れるけれど、オイラとしてはこのアルバムはおすすめ!

ボーダーレスなテックス・メックス・スタイルのルーツ・ミュージック。 

このアルバムには沖縄フレーバーが感じられるGoing Back To Okinawa やノリノリになって生まれ変わったエルビスの大ヒット曲、All Shook Upのカバーなど注目の作品が収録されている。また、しっとりした雰囲気のAcross The Border Lineもすんばらし~の一言。

ぜひライのスライド楽しんでほしい。


爽やかパワー・ポップ

2024年08月01日 | AMERICAN ROCK/POPS

パワー・ポップとは、弾ける様なポップなサウンドと言う意味で、元祖としてバッド・フィンガーとかラズベリーズらの名前がよく挙げられる。

今日はラズベリーズの1973年の3枚目のアルバム、Side 3はでも。

スリードッグ・ナイト、ベイシティーのプロデューサーとして有名な、ジミー・イエナーを再起用して制作された。

オイラとしては前作よりハードになった本作の方が好みでだったのだが、何故か前作の全米チャート36位から138位と大幅に順位を落としズッコケてしまったのを覚えている。

エリック・カルメンのねちっこい節回しのロックン・ロールと他のメンバーによるあっさり目の曲によって程よくバランスが取れたアルバムだ。

聴いていて本当に楽しくなる。


実質10円のLP

2024年07月05日 | AMERICAN ROCK/POPS

なんちゃらオフのアプリを携帯に登録していると月一回クーポンが送られてくる。

全商品に対しての購入で100円引きと書いてあったので夕方に近所にあるショップに出かけてみた。

最近はなんちゃらオフでも結構調べてから値付けをしているみたいで、中古レコード・ショップ顔負けの強気の値段になっているのでここのところ足が遠のいていた。

今回以前にはなかった税込110円の棚を発見し、何かあればと捜索を続けるも中々気に入ったものは見つからない。だいたいこの価格帯は長い間売れ残りの中古が集まるので、ポップス系のオーケストラ物、60年代オールディーズ、発売当時かなりの枚数が売れたポップス系、例えばアバ、ベイシティー・ローラーズ、オリビア・ニュートンジョンやアラベスクなどが沢山売れ残っている。

そんな売れ残りの山からロッド・スチュワートの1978年のアルバム、Blondes Have More Funを発見!

(ジャケにはそれほど痛みはなく帯付き。盤面には薄い引っ掻き傷が2箇所あってプチ音が若干出るが、100円なら良しかな)

個人的にはイギリスでソロやFacesのメンバーで活動していた頃のロッドは割とお気に入りだったが、アメリカに進出してからはかなりポップ寄りに変身してしまったので当時はこのレコードは買わなかった。

110円なら買ってもいいかと、今回購入に至る。

ただ1枚だけだとクーポンを使えばレジでたった10円を支払うだけ。これだとレジ打ちしている尾根~さんの経費も多分出ないので申し訳ない気持ちになって、新たに110円の別のLPを4枚を選別し、550円マイナス100円クーポンで計450円の大人買いと相成った。

改めて聴いてみると意外といけるね。食わず嫌いだったかな?

ちなみにカーマイン・アピスが全曲でドラムを叩いている。ディスコ調のDa Ya Think I'm Sexy?がロッドとカーマインの共作だったとは....知らんかった。


手付かずのレコード・アルバム

2024年06月29日 | AMERICAN ROCK/POPS

第二次世界大戦終了後、旧ドイツ帝国の首都ベルリンが二分され、さらに東西冷戦が継続したことで1961年にベルリンの壁が建設され完全に孤立した状態となった旧西ベルリン。そんな閉鎖空間の中で形成された精神的退廃。それにドラッグが絡んでくると健全な夢も希望も見出せない。

ルー・リードの1973年のアルバム、Berlinはそんな状況下で逃げ場を失った主人公と娼婦のカップルの破滅を描き、そんな暗~い映画の様なストーリーをロックで表現を試みたトータルな作品となっている。

サウンド的には、プロデューサーにアリス・クーパーや後期ピンク・フロイドの作品で有名なボブ・エズリン、ベースにジャック・ブルース、ギターはアリスのレコーディング・セッションに参加しているスティーブ・ハンターとディック・ワグナー、ドラムスはエインズレー・ダンバー、キーボードにはスティーブ・ウィンウッドやブルー・ウィーバーなど一流どころが参加しているのでしっかり作り込まれている。

ただヒット・チャートを意識したポップ・アルバムではないので、一度聴いたぐらいでは中々個々のメロディーを記憶に刻めない。

英語が苦手なオイラとしてはまずは歌詞の和訳とアルバム・ジャケやブック・レットを飾るそれぞれの写真を基にまず自分なりにストーリーを構築して理解を深めていくことが第一歩ですかね。

そんなこんなでこのアルバム買ってみたものの長~い間手付かずになっている。

今日は既に4回通してこのアルバムを鑑賞しているところ、まだまだオイラの体に馴染むには時間がかかりそう。

ワイルド・サイド歩いた方がまだまだ楽ちん。


80年代もいい曲あるね

2024年06月28日 | AMERICAN ROCK/POPS

1971年、エピック・レーベルからLPを出しメジャー・デビューを果たしたREO Speedwagon。大ヒットはなかったけれど中堅バンドとして息の長い活動を続けて70年代を駆け抜け、1980年9枚目のスタジオ・アルバム、High Infidelityでついに全米1位の大ヒットを達成。

1982年にアルバム、Good Troubleを出し、その後約1年間のブレークを挟んで1984年にアルバム、Wheel Are Turnin’でカム・バック。

High Infidelityが出た時のインパクトと比べると、少々物足りないと感じるものの印象的なパワー・バラードは健在。シングル、Can’t Fight This Feelingは全米1位に輝く。

80年代もいい曲が沢山あると改めて認識した次第。


もうすぐ夏、その2

2024年06月27日 | AMERICAN ROCK/POPS

夏といえば、やっぱりビーチ・ボーイズ。

60年代から70年代にかけて数多くの作品を残しているが、気軽に楽しむならやっぱり彼らのベスト盤がよろしい。

1974年に出たコンピ・アルバム、Endless Summerは当時LP2枚組、1962年から1965年の初期サーフィン・ホットロッド系を中心に20曲を収録。全米1位でミリオン・セラーとよく売れた。トータルの収録時間が短めだったこともあってあっという間に聴き終える。

その後、いろいろなベスト・モノが発売されるが、彼らの全期間における音楽活動の集大成のコンピ・アルバムの決定版といえば、2003年のSounds Of Summer。CD2枚組で1962年から1988年のヒット曲、Kocmoまでの計30曲が収録されている。

そして、2022年に60周年記念盤としてSounds Of Summerが増補改定され、なんとCD3枚組で計80曲収録で発売された。

新規にリミックスされたお馴染みの曲に中・後期に出たアルバムから収録された知らない曲も新鮮に聴こえ、これがあれば暑い夏もサラッと乗り切れるかも…

いやいや、音楽を聴くだけでは梅雨明け後の猛暑日・熱帯夜の連発は甘くない。

基本に帰って、ここはランシャツとトランクス一式の戦闘服の着用一択かな…


もうすぐ夏

2024年06月25日 | AMERICAN ROCK/POPS

夏といえば、オイラが若かった頃サーフィン出来ないくせに格好だけはOPのTシャツと半パンにアロハを纏いビーチ・サンダルを履いていた時期があったね。

そんな偽サーファーをも魅了したのがサンフランシスコ出身のロック・バンド、パブロ・クルーズ。

70年代の後半、彼らとハワイのロック・バンド、カラパナは爽やかな夏と海を感じさせサーファー達の間で人気を分け合った。

彼らの1977年のサード・アルバム、A Place In The Sunは、前作のLife Lineの全米139位から一気に6位と大ブレーク。

ウエスト・コーストの爽やかさにちょっぴりファンキーでポップな要素を絡ませた曲は夏にぴったり。

あれからかなりの月日が流れオイラの夏の定番ユニフォームといえば、偽サーファーもびっくり、ランニング・シャツに薄いトランクス一枚がデフォとなる。

ああ~、あの頃に戻りたい。


Against The Windはやっぱり無理

2024年06月14日 | AMERICAN ROCK/POPS

ニュー・ジャージー出身の著名なシンガー・ソング・ライター系ロッカーといえばブルース・スリングスティーン。

じゃあ、デトロイトならやっぱりこのお方、ボブ・シーガー。

10歳の時、父親が家を飛び出し経済的に苦しくなるなか、高卒で60年代からプロの音楽活動をスタートするもなかなか芽が出ず、1974年にバック・バンドとしてシルバー・ブレット・バンドを結成した頃からようやくその存在を認知されるようになった苦労人。

そして1976年にキャピトル・レーベルから発売された9枚目のアルバムNight Moveが全米8位となりついにブレークを果たし、その後の10数年の活動でも安定してヒット・アルバムを出し続けていく。

本日はボブ・シーガーの1978年に出した11枚目のアルバム、Against The Windでも。

流されて生きてきた日々は過去のこと、今じゃ物事に対して誠実に考え生きていく。

この歳になって、例え向かい風であっても駆け抜ける。

おぉ~、Against The Wind泣けるね。

だけど今まで人生の河にどっぷりと浸かり流れ流されてきたオイラにはチート耳の痛い話でもある。

そう明日からでも遅くない、逆風に立ち向かおうではないか!

とは言え、足腰の弱ったオジンにはハードルが高い。

追い風でなんとかお願いします。


忘れられたSunflower

2024年06月13日 | AMERICAN ROCK/POPS

ビーチ・ボーイズは1966年のPet Sounds発売の後、次作のSmileプロジェクトが上手くいかずリーダー格のブライアンは精神的に不安定に陥り、その後アルバムを制作するもイマイチ思った結果が出ず低空飛行。

そこで1962年のデビューから在籍していたキャピトル・レーベルからワーナー系のリプリーズに移籍し新規一転を図った。その第一弾のアルバムが1970年のアルバム、Sunflower。

ビーチ・ボーイズらしい良いアルバムに仕上がったと思いきや、当時のアルバム・チャートでは全米151位とそれまでの最低の記録となった。

これって70年代に入ってリスナーの嗜好も社会情勢の変化と共に移り変わっていくので、当時のリスナーから共感を得ることが出来なかったのかな?

ただ半世紀を超えて改めて聴いてみれば、今更60年代とか70年代の境界線なんて特に意識しないわけで、オイラとすればビーチ・ボーイズの作品のひとつという括りの中では綿密に作り込まれた評価の高いアルバムだと思う。


Luxury Linerにもハマる

2024年06月12日 | AMERICAN ROCK/POPS

日本では人気がいまいちのカントリー・ミュージック。

まあオジンのオイラはラップやヒップ・ホップが苦手なようにやっぱりカントリーの牧歌的な雰囲気が現代の若者に刺さらないのかも。

本場アメリカではカントリーをロック・ビートに乗せたカントリー・ロックが60年代半ばごろから登場しその間口を広げてきた。そしてポップになったカントリーはメインストリーム・ミュージックとして浸透し始め、70年代に人気を博した。

本日はポップ路線の女性カントリー・シンガーのエミルー・ハリスでも。

カントリー・ロックのパイオニアでバーズやフライング・ブリトー・ブラザーズの中心メンバーだったグラム・パーソンズのソロ・アルバムに参加し活動を共にしたエミルーであったが。グラムの薬物中毒による急死によって、彼女はカントリー・シンガーとしてソロ活動をスタートさせた。

彼女がその後注目を集めたのはボブ・ディランの1976年のアルバム、Desireで非常に印象的なバック・コーラスを務め上げたことだろう。

本日はその同年に出た彼女にとって代表作でもあるアルバム、Luxury Liner(真珠の舟)でも。

(親愛なるグラムの作品、2曲を取り上げている。)

派手さはないけれどなぜかハマってしまうオイラだった。