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CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

細かい事が気になるオイラ

2024年11月08日 | AMERICAN ROCK/POPS

1982年のフェアウェル・ツアーのアルバム発表後、ドゥビー・ブラザースは解散。

その後完全に健康を回復したリーダーのトム・ジョンストンがレギュラーで復帰し1989年のドゥビー・ブラザースの再結成アルバムがキャピトル・レーベルから出て全米チャート17位と一定の成功を収めた。そしてその2年後の1991年、通算11枚目のスタジオ・アルバム、Brotherhoodが出たもののアルバム・チャートは82位と振るわず、この後キャピトル・レーベルとの契約も打ち切られる事に。

全体的に地味な印象を受けるが、何度も聴き込んでいくと初期の頃のドゥビー・ブラザースの雰囲気は十二分に味わえオイラとしては悪い印象は全く感じない。

そんな事よりもっと気になる事が…

CDの制作工程を区別するSPARSコードが設定され、初期のCD生産の頃は、過去にアナログで録音・ミックスしたマスター・テープをデジタルに変換する方式がAADと記載され、ミックスする段階でデジタルの方式を取ればADD。後に一連の工程が全てデジタルで行われる場合はDDDと記載されるも、その方式が一般的になる90年代にはいつの間にかDDDの表記はわざわざCDに記載される事がなくなった。

因みにこの90年代初期にプレスされたCDには何とDADと記載されている! なぬ〜 この表記初めて見た。

デジタルで録音し、それをアナログでミックスし、デジタル・マスタリングでCDが完成って事ですかね?

一体どのような状況になればDADって工程を選択するのかな? 

誰か教えて!


レコード鑑賞でのメリット

2024年11月07日 | AMERICAN ROCK/POPS

久々にミート・ローフの曲をレトロチックに楽しもうととターン・テーブルにレコードを置く。

ロッキー・ホラー・ショーなどのロック・オペラのステージで頭角を表し、作曲家のジム・ステインマンと組みトッド・ラングレンによってプロデュースされた1977年のロック・オペラ、Bat Out Of Hell(地獄のロック・ライダー)で大ブレーク。

初年度の全米アルバム・チャートは13位止まりだったが、このアルバム毎年売れ続け現在全世界の累計売り上げが4千数百万枚とピンク・フロイドの狂気、AC/DCのBack In BlackやイーグルスのGreatest Hitsらと肩を並べるメガ・ヒットを記録する。ただ何故か日本では人気がなかったね。邦題の地獄って言葉にネガティブな反応があったのかも?

全編で約46分のこのアルバムをCDでも所有しているが、一気に聴くとオジンのオイラは連続するそのパワーに圧倒され疲れてしまう。

レコードを表から裏にひっくり返すのは面倒なんだけれど、その最中に一息入れ新鮮な気分で名バラードのTwo Out Of Three Aint’s Badから楽しめるのはいい感じ。

ちなみにこの曲の邦題は “66%の誘惑”ってなっているが、一体何のこと? 

直訳すれば2/3あれば悪くない、すなわち物事なんでも100%完璧に求め過ぎるより多少不便でも案外馴染んでしまうレトロなオイラのことかな?


産みの苦しみ

2024年11月04日 | AMERICAN ROCK/POPS

スリー・ドッグ・ナイトといえばダニー、コリーのチャックの3人のボーカリストがフロントマンとなり自前のバンドがバックを固める編成となっている。特徴としては他のアーティストのカバーが基本で、3人のボーカリストがそれぞれ気に入った曲を発掘し彼ら3人の総意に基づいてアルバム収録曲が決定される。

特に新人アーティストに関する目利きがよく、彼らによって取り上げられた曲がヒットする事が多く新人たちのオリジナルのバージョンも同様に注目を集めさせる有難い存在だった。

特にエルトン、ハリー・ニルソン、ランディー・ニューマン、ポール・ウィリアムスにラス・バラードらはかなりその恩恵を受けた。

本日はスリー・ドッグ・ナイトの1974年の8枚目のオリジナル・アルバム、Hard Laborでも。

(中々難産みたいで....)

(おぉ〜!出てきた、出てきた、ニュー・アルバムだぁ〜!)

(カルテの特記事項にはStrangest Birth on Recordだって。やっぱり普通じゃなかったんだ!)

このアルバムではアメリカではまだ無名だったレオ・セイヤーのThe Show Must Go Onを取り上げ全米4位のヒットとなり、レオの後のアメリカ進出に道筋をつけた。

とは言え、毎回同じ趣向だとやっぱりリスナーに飽きられるリスクもあるってことで、今回プロデューサーにラズベリーズや後期のハード・ポップ時代のグランド・ファンクのアルバムをプロデュースしたジミー・イエナーを起用し、売れ線のポップ・アルバムとして手堅くまとめ上げられた。

全盛期と比べると人気に少々翳りが出始め出した頃とは言え、アルバムは全米20位とまずまずの出来。

コンスタントにヒット・アルバムを作っていくって中々大変な事で、それ故Hard Laborってアルバム・タイトルが付けられたのかな?


AORの頂点に立つ

2024年10月27日 | AMERICAN ROCK/POPS

1974年、バンド・メンバーを入れ替え新生フリートウッド・マックが誕生。

翌年のバカ売れしたセルフ・タイトルのアルバムに続く第2弾のアルバム、Rumoursが1977年に完成。

前作と同様個性の異なった自前の3人のソング・ライターによるポップな作風は変わらずも、今回更に磨きの掛かった内容のアルバムは全米・全英のチャートでそれぞれ1位を獲得するだけでなく彼らの昨日の中で最も売れたアルバムとなり、全界での通算の売れ行きが4000万枚を突破。

とは言え、オイラとしてはボブ・ウェルチ在籍時代のマックと芸風はさほど変わっていないように思うのだけれど…

何が一体これ程の大爆発を産んだのか?

まあ新規加入のリンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックスの一味違うフレッシュな自作曲と彼らのヴィジュアル面なんかがかなり功を奏したとは思うけれど….

ハードやプログレ・ロックが70年代初期ごろの勢いを無くし、中期にはディスコやパンクが台頭したものの少々食傷気味になったリスナー達。

やっぱり時代が新しいスターを欲したのかな?


まさかのベット・ミドラー

2024年10月25日 | AMERICAN ROCK/POPS

昨日発掘したCDの中からこんなのも出てきた。

1979年の映画、The Roseのサントラ盤。

短命だった伝説の女性ロッカー、ジャニス・ジョップリンの生き様をモデルにした映画でベット・ミドラーを主人公を演じている。

ジャニスも凄かったがベット・ミドラーも本編内のライブにて負けずに迫力のある歌唱を披露している。

元々彼女は演劇を学び舞台女優を目指してハワイからNYにやってきた。そこで歌唱力も認められ、1972年のデビュー・アルバム、The Devine Miss Mでの彼女が披露したトラッド・ポップスは多くのリスナーを魅了し大ヒットし、その後彼女はシンガーの仕事と並行して映画にも出演するマルチな活躍を継続していった。

因みにオイラはベット・ミドラーと言えば映画に登場する芸達者な印象が強い。

80年代当時、若き日のオイラは1982年のダニー・ディヴィートと共演したコメディタッチの映画、殺したい女(Ruthless People)からフォーエバー・フレンズ(Beaches)など数本と90年代のフォー・ザ・ボーイズなんかを見た記憶が….

それはさておきオイラが知らないうちに瞬間的な流行歌とは無縁のベット・ミドラーのThe RoseのCD買っていたなんて、うちのカーチャン中々やるじゃん。


英米混成軍団

2024年10月16日 | AMERICAN ROCK/POPS

1976年、元スプーキー・トゥースのギタリスト、ミック・ジョーンズ、元クリムゾンのイアン・マクドナルドにデニス・エリオットの英トリオにアメリカ人トリオ、ルー・グラム、アル・グリーンウッドとエド・ガリアルディ一が合体しフォリナーを結成。

ミックはスプーキー・トゥース時代にマイク・ハリソンやゲイリー・ライトのパワフルでソウルフルなダブル・ヴォーカリストを擁して活動していたがちょっぴり泥臭くて一般受けしなかった。

フォリナーではそれを踏まえてルー・グラムのヴォーカルの能力をより引き出しつつアメリカのマーケットをターゲットに英ロック特有のウェットさをしっかり拭き取りスッキリ・クッキリのポップ路線へと舵を切った。

結果、1977年のセルフ・タイトルのデビュー・アルバムがアメリカでチャート4位、そして通算売り上げが500万枚以上の大ヒットを記録。

英米ロックの中道的なラインをうまく攻めた事が決め手だったと思う。

サクサク聴いていけるので何回でもおかわり出来る。

大ヒットするわけだ。


彗星のニュースを見て思い出す

2024年10月14日 | AMERICAN ROCK/POPS

ニュースによると尾を引いた彗星、アトラスが西の空に見えるらしい。

ただ本日の夜空はあいにく薄曇りで何も見えずその代わりにFirefall、1976年のセルフ・タイトルのデビュー・アルバムでも。

元フライング・ブリトー・ブラザーズのリーダーだったグラム・パーソンの紹介でリック・ロバーツとジョック・バートレーが知り合う事になりお互い意気投合。元ジョジョ・ガンのベーシスト、マーク・アンデス(後に売れまくった頃のハートに加入)、元バーズとブリトー・ブラザースのマイケル・クラークにSSWのラリー・バーネットらが合流して1974年にコロラドでハンドを結成。

当時70年代半ば、メイン・ストリームだったハード・ロックやプログレも徐々に息切れパンク、それにディスコやフュージョンなどが台頭しその地位を取って代わろうとしていた。

そんな混沌としたミュージック・シーンにおいて、このバンドが登場し、特にリックとラリーらによる各々違った作風の曲が混ざり合いウエスト・コースト系バンドとは一味違った独特な風合いを生成し、リスナーに対しつかの間ではあるが清涼感を与えた様に記憶する。

彗星の如く登場した彼らのアルバムは全米28位、またシングル・カットされたYou Are The Womanは9位とヒットしデビュー・アルバムとしては掴みは上々だった。


顔立ちは若き頃の河島英五か?

2024年10月03日 | AMERICAN ROCK/POPS

ハーモニカ・ホルダーを首に巻き付けそしてアコギを抱かえて、個性的なハスキー・ヴォイスで歌う様はなんだかディランみたいな佇まい。

1976年ミシシッピ州の田舎町メリディアンから大きな希望を抱いてニューヨークに。ストリートから始まって街中のクラブなどニューヨークの街のあちこちで歌い続け、ようやくレコード会社の目に留まる事となったSSWのスティーブ・フォーバート。

1978年にコロンビア・レコードの傘下のネムペラー・レーベルからアルバム、Arrive On Arrivalにてソロ・デビュー。

大ヒットにはならなかったものの、個人的には魅力的な作品で将来性を感じさせる気になるミュージシャン。そして次作で待望のヒットを飛ばす事に。

ただその後アルバムを数枚出すも1984年にレコード会社と方向性の面で揉めて数年間まともな音楽活動が出来なかったのが残念だった。

1988年にゲフィン・レーベルと新たな契約を結ぶことが出来ようやくニュー・アルバムの制作が解禁され、現在も活動継続中の息の長いミュージシャンだ。


アンダーグラウンドから1974年についに光を浴びる

2024年10月02日 | AMERICAN ROCK/POPS

本日はVelvet Undergroundの1969年のライブでも。

1969年にライブ録音されたものの、何故かその後お蔵入り。

1974年になってようやくレコード化 されようやく日の目を見たのが彼らのライブ・アルバム、Velvet Underground Live with Lou Leed, 1969。

過去3枚のアルバムと当時まだ発売されていなかった1970年のスタジオ・アルバム、Loadedから選曲された2枚組、17曲収録の集大成のようなアルバムに仕上がった。

当時タブーであったドラッグや性また心の暗部などを、比喩的な表現でなくダイレクトな言葉でさりげなく詩に纏め、 シンプルなロック・サウンドに乗せて歌い上げていてベルベットらしい仕上がり。ゆっくりしたペースから徐々にピッチが上がって盛り上がっていく。

また、結成当時のメンバーであった英国人ジョン・ケールはすでにバンドから脱退しており、 ルー・リード中心のバンドだったことから初期の前衛的なサウンドも薄れて割と聴き安いと感じる。

60年代中後期、著名バンドを除いてはロック自体はまだまだメインストリームな存在ではなく、商業的にほとんど成功しなかった彼らではあったが、新しい何かを求めてキャリアをスタートした彼らはのちに続くロック・バンドやソロ・アーティストに多大な影響を与えた。

このアルバム、1969年に出たとしてもニコのいないベルベットじゃ世間的に注目を集めにくかったかもね。

1974年に出たことでようやく時代が彼らに追いついたと思う。

再発アメリカ盤、レーベルのデザインから見て1975年以降にプレスされたのかな?


カントリー・ロックは何処に?

2024年09月30日 | AMERICAN ROCK/POPS

70年代と言えばカントリー・ロック結構流行っていた気がするけれど、今じゃバーズやイーグルスなんかは懐メロ的存在で、ラスティー・ヤングやポール・コットンらが相次いで死去してしまったポコなんかもオイラのような年配のファンを除けば話題に上らないね。

80年代になって時代は変わり、アンクル・テュペロ、初期のウィルコ、カーボーイ・ジャンキーにジェイ・ホークスなどオルタナ・カントリー・ロック・バンドなんかが相次いで登場し話題を振りまいたんだけれど、そんな彼らもいつの間にか忘却の彼方。

これも時代の流れ、仕方がないのかな。

本日は1982年のポコのアルバム、Cowboys & Englishmenでも聴いて昔を思い出すことに。

アルバム・タイトル通り、メンバー構成がアメリカ人のラスティー、ポールとキーボード担当のキム・バラッドとイギリス出身のスティーブ・チャップマンとチャーリー・ハリソンからなる正統派カントリー・ロックが楽しめる。

当時ポコの売り出しに消極的だったMCAレーベルでの契約上の最終作で全10曲のうち7曲がカバーとポコとしては異例の作品ではある。

エバリー・ブラザーズ、ゴードン・ライトフット、ティム・ハーディンにJ.J. ケールらの渋めの曲をカバー。特にJ.Jの曲、Cajun Moonなんかはその後ライブで結構披露しているのでかなり彼らにとって思い入れのある作品かと感じる。

カバー曲が多いとは言え、しっかりコーラス・ワークやキレのいい演奏はいつも通りで決してMCAレーベル最終作のやっつけ仕事では無いと今更ながら思う。

まあ地味ではあるんけれど…


風向きは変わる

2024年09月29日 | AMERICAN ROCK/POPS

エアプレイン末期にジェファーソン・エアプレイン解散後、ポール・カントナーがソロ・プロジェクトを立ち上げグレース・スリックやクイックシルバー・メッセンジャー・サービスから末期エアプレインに加入したデヴィッド・フェインバーグがレコーディングに参加。

更にその後のソロ・プロジェクトはマーティン・バリンや新メンバーが加入しバンドに昇格、ジェファーソン・スターシップとして活動することに。

1974年のファースト・アルバム発売し、数枚のアルバム制作後にマーティン・バリンが脱退しエルビン・ビショップ・バンドからミッキー・トーマスら新メンバーが加入する第二期メンバー・チェンジがあったものの、北米では安定した活動を続けてきた。

本日は彼らの1982年の7枚目のオリジナル・アルバム、Winds Of Changeでも。

(いかにも80年代のコンピューター・グラフィックをジャケに採用。バンド・メンバーの写真はジャケ裏表にはなくかなり手抜き)

このバンドの売りのグレース姐さんとミッキーとの迫力あるツイン・ボーカルは健在し、アルバムはアメリカ・チャートで26位とそれなりの結果を残した。

ただ時は80年代に入り流行のトレンドは様変わりし、アルバム・タイトルをWinds Of Changeとしたのも時代の変化に即応する意識付けをしたのですかね? このままコンベンショナルなスタイルを継続していくと遅かれ早かれ時代に取り残されジリ貧なる恐れはあったかも…

そこで1984年の次作、Nuclear Furnitureに於いてプロデューサー、ロン・ネヴィソンのもと新進気鋭のミュージシャン・プロデューサーのピーター・ウルフをアレンジャーに起用しよりポップな80年代のサウンドを目指したものの、その方向性の違いに満足しなかった創業者ポール・カントナーが脱退しバンドは解散。

そして残ったメンバーで新バンド、スターシップを結成しそのポップ路線を継承し大ヒットを連発。

やっぱり、風向きは変わっていた。


残念な45回転LP盤

2024年09月24日 | AMERICAN ROCK/POPS

昨日は7インチ、331/3回転コンパクト盤だったので本日は12インチ、45回転LP盤について語ってみる。

1.12インチの45回転は通常の331/3回転と比べて周速が早いため針の盤面のグルーブをトレースする距離が長くなり、再生時の情報量がより密になる。

2.通常1枚のLPが2枚に分割されて収録されることになり1面あたりの曲数が少なくなる事によってカッティング・グルーブをより左右に振ることのできるスペースに余裕が生まれ、よって音量を好みにしたがって増やすことも可能となる。

3.一面当たりの曲数が減ることによってレコードの内周の近く迄カッティングする必要がない事から、内周歪みによる雑音を極力減らすことが出来る。

4.その他の要因もあると考えられている。

これらのことから45回転LP盤の音質は優れていると言われる。

ただ通しで聴くなると、結構短時間でLPをひっくり返したり2枚目のLPと交換したりと結構面倒な手間がかかり、上質な音の余韻をしっかり味わおうにも全体を聴き終える頃にはその印象が薄れ "あれっ、何だっけ?" てな事になりかねない…

オイラみたいなものぐさ太郎には、やっぱりCDかPCにダウン・ロードしたデジタル音源を聴くのが無難ですかね。

フリートウッド・マックの1975年のセルフタイトルアルバム、Fleetwood Mac。

ボブ・ウェルチ脱退の後、リンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックスが加入し3者3様のオリジナル曲にそれぞれの個性溢れるボーカルがマッチし一気に全米1位を獲得する大ヒット作品に。この45回転盤はライノによって2012年に再発されたもの。

再生される音は多分重厚に聴こえる気はするものの、聴力の落ちたオジンの耳には45回転という売り文句によるバイアス効果も影響するしているかもしれない。

3曲聴いたら、ハイ裏返しの忙し無い仕様となっている。

 


またまた10円レコード

2024年09月20日 | AMERICAN ROCK/POPS

近所のなんちゃらオフに久々に行ってみました、

ジョン・デンバーの1974年のGreatest HitsのLPの税抜500円と書かれたスティッカーの上に税込110円と値引きされた小さなシールが貼ってあったのを目敏く発見。

帯付きのジャケはダメージなくレコードの盤面にもスクラッチが見当たらなかったのでコンディション的には良と判断。

ちなみにこのベスト・アルバムは収録曲11曲中7曲を気合を入れ直して再録したものでなんと世界中で1千万枚ほど売れた大ヒット・アルバム。

オイラもその昔下手くそなギターをボロンと鳴らしカントリ~ ロード🎵 テイミ~ ホ~ム🎶って歌ってましたっけ。

CDで音源をすでに持っているけれど、敬意を表してゲット!

100円の割引クーポンを持っていたので、レジのキャッシュ・トレーに10円玉一枚しっかり置いてまいりました。

キリッ。


スティーブ・ミラー・バンドって?

2024年09月17日 | AMERICAN ROCK/POPS

60年代にスティーブ・ミラー・ブルース・バンドとしてブルース・ロック中心の芸風からスタート。

そしてボズ・スキャッグスが加入時の頃にスティーブ・ミラー・バンドと改名しキャピトル・レーベルと契約。

当時流行りのサイケデリック・ムーブメントの影響を受け、1968年にファースト・アルバムを出しその後幾度かのメンバー・チェンジを経て中堅バンドとして活動を続けてきた彼らであった。

そして1973年に出したよりポップ志向のアルバム、The Jokerが全米2位となる大ヒットとなり遂にブレークを果たす。

本日はThe Jokerに続く1976年の9枚目の作品、Fly Like An Eagleでも。

(左利き用のジミヘン・モデルのストラトを右利き用に弦とストラップを付け替えたちょっと不思議な光景)

(30周年記念盤のCDにはボートラが、そしてDVDもおまけでついてくる。)

シンセのイントロに続くアルバム・タイトル曲、Fly Like An Eagleはファンキーなエレ・ポップ、ブルースを基調とした曲、またキャッチーで軽快な曲にオールディーズなど盛り沢山な内容となっていてこのアルバムも大成功(全米3位)を収める事に。

ただあまりにバラエティーに富んだ芸風なのスティーブ・ミラー・バンドを一言でと問われるとこれが中々難しい。

あぁ~、アブラカダブラの人?


20世紀の歌姫の伝記

2024年09月11日 | AMERICAN ROCK/POPS

つい先日某通販のサブスク・サイトでリンダ・ロンシュタットの自伝的なドキュメンタリー映像、Sound Of My Voiceを見た。

1時間半程度の長さでなんでも2021年のグラミー最優秀音楽映画賞を受賞した結構見応えのある作品だった。

リンダは歌手になろうと故郷からロス・エンジェルスに出てきて、ボブ・キンメルとケニー・エドワーズの3人でフォーク・トリオ、ストーン・ポニーズを結成。67年にキャピトル・レーベルから出たDifferent Drumが中ヒット。

ただ、キャピトルとしてはリンダのソロでの売り出しが理に叶っていると考え、ストーン・ポニーズはあっさりと解散。ソロになってそこそこの知名度を獲得していくと、プロデューサーに元ピーター&ゴードン、ジェイムス・テイラーの一連のヒット・アルバムのプロデューサーだったピーター・アッシャーの目に留まりリンダのプロデュースを引き受けることに。

そのキーとなったアルバムがピーター・アッシャーが単独でプロデュースした1974年のアルバム、Heart Like A Wheel。

オールラウンドで圧倒的な歌唱力を武器に、懐メロR&B、フォーク、カントリーにバラードと色々なジャンルをリンダに歌わせてみたところ、これがピッタリとハマって全米1位の大ヒット。特にアルバム・オープナーを飾るR&B、You’er No Goodでのドスの聴いた歌いっぷりは最高!

また彼女の歌唱力もさることながら、どこでどのように見つけてきたのか選曲が秀逸。アルバム・タイトルになったしっとりしたバラード、Heart Like A Wheelはカナダの無名のシンガー・シングライター、アンナ・マクギャリルの作品。それ以外にポール・アンカ、エバリー・ブラザーズ、ローウェル・ジョージ、ハンク・ウイリアムス、ジェーム・ステイラーらの作品を取り上げ、更にオイラの大好物のライ・クーダーもカバーしたダン・ペン作のThe Dark End Of The Streetなんてほんと渋いところついている。

この後、パンキーなロックから更にはオーケストラをバックにジャズ・スタンダードに果敢に挑戦と自身のやりたいことを次々と極めていくのは流石の一言。