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CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

彼はハマショー 俺、 ヒマdeショー

2020年10月05日 | JAPANESE

取り出しましたるは、その彼の1984年発売の浜田省吾の11枚目のオリジナル・アルバム、Down By Main Street。

外タレっぽい通称のごとく聴いているとやっぱりアメリカン・ポップス、特にウエスト・コースト系サウンドやブルース・スプリングスティーンの影響を受けていると感じる。

サビの部分は所々英語に置き換えているが、概ね日本語で綴られている歌詞に自動的に感情移入出来るがロック好きの私としては中々便利でよろし〜

おじんになった今聴けば、後先考えず怖いもの無しに過ごした20代だった頃の自分を思い出す。

(こんな風にアメ車に乗ってカッコよく決めてみたかったけれど、人生そんなに甘くはなかった)

ただ、あの時ああすれば良かったのになんて思うこともたまにあるけど、まだまだ未熟で人生経験の少ないなりに下した当時の決断だったことを考慮すれば、やっぱりそれがベストだったと思うことにしている。

その結果が今の存在に繋がっているわけで、まあ受け容れる以外にないのが現実でして...

暇人のたわ言でした。


シングルはパチ屋仕様?

2020年08月11日 | JAPANESE

ちょっとそこのあなた、LPレコードで音楽を聴くくらいで面倒がってどうするの!

シングル盤なんて一曲終わるたびに、レコード・プレーヤーの方に飛んでいかなきゃならないからもっと大変でっせ〜

確かに。レコード・コレクターと自ら称しているのに、つい意気地のないこと口走って反省しておりやす。

それではお詫びの印に久々にシングル盤でも。

取り出しましたるは中島みゆきの“悪女”なんていかがっすか〜?

LPに収録されている“悪女”は少々スロー・テンポの重〜い展開。しかしシングルはアップ・テンポのパチ屋仕様(そんな訳ないか)でサクサク、ドライでカラッとした“悪女”に仕上がっておりますです。

そう言えば、昔は中島みゆきはパチンコ屋でよく聴いていた記憶が…

喧騒に包まれたホールのスピーカーからかすかに流れ来る歌に耳を傾けながら無心に球を弾き続けてたっけ。

あの頃は仕事上のストレス溜め込んでいて、仕事帰りに毎晩ホールに通っていた頃が…

そんな時代もあったねと、いつか話せる日がくるわ〜♪って遠い昔に思いを馳せていると、レコードの針はいつの間にか内周の無音部をクルクル回転している。

むむ〜、やっぱりシングル盤は忙しなさ過ぎるかな?


音楽は心の空気だぁ〜!

2020年08月06日 | JAPANESE

69年に登場し70年代はじめにかけて活躍したはっぴいえんどが、アメリカのポップ・ミュージックのエッセンスが詰め込まれたメロディーとリズムに日本語を載せた新しい音楽を提唱。

機は熟しておらず特定のリスナーからは支持を受けたものの、全国的にはまだまだマイナーなジャンルだった。

しかしながら、彼らの遺伝子は次世代のミュージシャンに確実に受け継がれ成長してきた。

前作Go Aheadでプチ・ブレイクし、それを足掛かりにソウル、ファンク、ディスコなどのフレーバーを詰め込み更なる前進を遂げたアルバムが、1979年の山下達郎の通算4枚目のアルバム、Moonglow。

月の光のもとひっそりとスタートを切り、この後輝く太陽の光を目いっぱいに浴びてRide On Time となるのであった。

えっ! あなた乗り遅れちゃったの?

トイレット・ペーパー切れで、カーチャンがコンビニから帰ってくるまでじ〜っとトイレの中で待ってたからね〜 

電車2本分遅れちゃった。

(音楽は心の空気だぁ〜!ってキャッチ・フレーズで新たに設立されたAir Recordsから発売)

 


和物モノ・トーンの世界

2020年07月27日 | JAPANESE

リボルバーの白黒ジャケを見ていると、このアルバムを思い出す。

中島みゆきの1976年のセカンド・アルバム、みんな去ってしまった。

リボルバーがドライなモノ・トーンだとすると、こちらはかなり湿気を含んだ奴。

やっぱり日本人的にはそんなイメージになるのかな?

ただ前作のデビュー・アルバムから比べると、全体的に和製フォークから歌詞とメロディーに歌謡曲の素がパラパラ見え隠れ。

翳りはあっても柔らかくしっとりした味付けに仕上がっている。

お好きですか?と問われれば嫌いな世界でもない。

でも毎日は勘弁して。

サイドー2の4曲目、“うそつきが好きよ”は日吉ミミがカバーしてたのをテレビで見た。

“うそつきが好きよ”って言われると嘘でも嬉しい〜


早く梅雨があけて欲しいね

2020年07月16日 | JAPANESE

バラエティーのMCとしてあちこちの番組に出演し人気を博している有吉氏。

今の若い人は多分知らないだろうと思う。

それは今から約25年ほど前の1996年の12月、漫才コンビの猿岩石名義で出した初シングルが、1997年オリコン年間11位でミリオン・セラーを記録。

ちょうどその頃思い切って新しい方向に仕事を転換していたときで、もし失敗すればお終いと言う不安が頭の片隅に。

そんな時この歌の“見えない未来を見つめて”だとか“行けるところまで行こうか...見えない地図を広げて”なんてベタなフレーズに妙に共感し、何とかなるさと楽観的に開き直りが出来た様な?

コロナ感染拡大中で停滞中の今日この頃ではあるが、これまた楽観的ではあるが早く真夏の白い雲の様に再び風に吹かれて歩いて行けることを願う。

3インチのCDも中古屋の片隅に佇んでるだけで今や化石の様な存在ですな。


ちょっと気分が晴れないときは…

2020年04月22日 | JAPANESE

初期佐野元春の完成形とでも言える1982年のSomeday。

日本語と英語の歌詞がうまく混ざり合ってスムーズな展開に、和製ポップもここまで来たのかと当時ビックリした記憶が。

そう、ちょっと気分が晴れない時はコレなんかオススメです。

俺は洋楽専門だ〜!って突っ張らなくても... リラックス出来ますってば、本当!

なにしろ翻訳した歌詞カード無しで何を歌っているのか瞬時に理解出来ちゃいますから。

誓うよ Someday〜 信じる心いつまでも Someday〜♪♪ ああ懐かしい。


触れるだけで爆発!

2020年04月09日 | JAPANESE

1974年と言えばオリコンでは73年12月から74年11月にかけてのシングル年間ヒット第一位が殿様キングスの“なみだの操”、アルバムは少しばかりロックぽい井上陽水の“氷の世界”だったらしい。

実のところその当時活動していた日本のロック・バンドについてはあまり詳しく無い。

まあ、サデスティック・ミカ・バンドとかプログレ系ではコスモス・ファクトリーぐらいだったかな。それに同年6月に発売されたらしい四人囃子の“一触即発”も何と無く名前だけは記憶にある。

なんと2007年にその“一触即発”が紙ジャケCDで再発された時に買っていたのだ。そこで早速CDを取り出しみた。

ジャケを眺めて、なるほどなるほど、パイプを加えたシュールなナマケモノのイラストのジャケには収録曲は全5曲で10分を超える長尺曲やインスト・ナンバーとおぼしき曲が記載されていて、3分程度で終了のポップ路線のアルバムでないことは聴かずとも分かる。

今聴いて演奏はしっかりしているし、和製ピンク・フロイドてな売り出し文句通りタイトル曲の“一触即発”にその影響がよく見受けられ、曲の展開もよく工夫され私にとって大好物な曲だ。

当時このアルバムしっかりと聴いていれば、森園勝敏爪弾く渾身の泣きのギターに思わず、“あなたの〜♪ 決してお邪魔はしないから〜 おそばに置いてほしいのよ〜♪”って病みつきになっていたかもね。

前作が東宝の映画のサントラを担当していたことから、オリジナルはプログレとは縁遠い東宝レコードから出たそうな。

シングルのジャケもおまけで付いていた。B面のトロピカルなブエン・ディアもなかなかよろし〜

 


絶対ベスト・アルバム!

2020年04月02日 | JAPANESE

1978年五輪真弓さんのベスト・アルバム、さよならだけは言わないで。

新進シンガー・ソング・ライターのオリジナル・アルバムの場合、時に若気の至りで数合わせに無理矢理作った曲も見受けられ、ちと残念なんて事も…

五輪真弓さんの場合は左様なことは全くなく、オリジナル・アルバムに収録された隠れた名曲を楽しむ事も。

さらに彼女のベスト・アルバムとなると、安心して聴けてなおよろしおす。

フランス録音の“海”久々に聴いてとても楽しめました。


連休の締めはこれ

2020年03月22日 | JAPANESE

食事の締めと言うと、鍋物を食べれば雑炊。他の日本食ならお茶漬けってトコですかね。

お茶漬けといえば思い出すのが...

時は80年代も後半、商用で東南アジアの某国に出張で出かけた。経済開放政策が取られてまだそれほど経っていなかったため、エコノミック・ジャパンの象徴たる日本商人のお姿はほとんど見られない状況。お見かけしたのは大手商社か友好商社の駐在員、はたまた彼らの招きでやってきた日本のメーカーのお方々ぐらいだったような。

当時は西側諸国の人間が入国する玄関口はバンコックで、確か週一かニ便だったか、旧宗主国の関係からかエア・フランスがパリからバンコック経由でB747を飛ばしていた。

我々の仕事のスピード感覚と比べると当時はのんびりして、一回入国すれば一週間現地に滞在する日程だったのでかなり時間を持て余したのを覚えている。

食事はホテルだけではなく外の小さなレストランなんかで時間を潰していた。

そこで話をよく聴いたのが水茶漬け。

あの頃は、農家が収穫した米のモミを道路脇に敷いた筵の上にばらまき乾燥させていたのが定番で、田舎道を走る車が跳ねる小石なんかがその中に結構混ざる事になる。それをしっかりチェックしないで食卓に登場すると、謝って小石を奥歯で噛んで歯を痛めてしまうことがよくあったそうな。

そこで、編み出された奥義が水茶漬け。茶碗盛られたご飯の上におもむろに水を掛けると、炊けたご飯粒にこびり付いていた小石水と一緒に茶碗の底へ。

そうすれば比較的安全にサラッとご飯を掻き込めれる。まあ水茶漬けは試したことはなかったが、たま〜に小石に遭遇した経験はある。

結構前振りが長くなってしまったが、今回は小石つながりで1979年の中島みゆきの出したアルバム、“親愛なるものに”収録されていた“小石のように”でも。

アルバムの中ではその存在はあまり目立たないが、軽快なカントリー・タッチの癒しのメロディー。

若き小石が川を旅しやがて海に辿りつくお話で、歳をとって今一度聴けば中々示唆に富む内容かな?

当時ホテルで暇を持て余していると、上流からゴトゴトゴトと爆音が。

何かしらと眺めると川を下る小石ではなく、なんと某国の上陸用舟艇! 戦利品を公共交通機関に使っていたみたい。

遠い、遠い昔のお話でした。


ちょっとなに言ってるのかわからない。

2020年03月08日 | JAPANESE

チューリップと言えば、60年代末ごろ青春真っ只中で、プロテスト・フォークに興味があったお方々ならフォークの神様と呼ばれた岡林信康氏の歌う放送禁止歌“チューリップのアップリケ”を思い起こすかも知れない。

それとも、小学校時代土曜のお昼になると学校から飛んで帰り吉本新喜劇に夢中になったお方々から、70年代の中頃から20歳未満禁のパチ屋よく通った私のような人間なら、思い起こすのは間寛平の1975年の大ヒット曲“ひらけ!チューリップ”を思い起こすかも。

何しろ、ウィキによると100万枚突破のスーパーシングルだったからね。

てなことは全くない!

やっぱり、チューリップと言えば、1972年頃にメジャー・デビューした和製フォーク・ロック界の雄チューリップで決まり。

本日は、1976年に出た7枚目のオリジナル・スタジオ・アルバム、Melodyでも。

リーダーの財津和夫氏はビートルズ、特にポール・マッカートニーの影響を受けた作品がしばしば見受けられたが、7枚目のアルバムとなるとそれらの影響は既に消化済みで独自の和製フォーク・ロックのスタイルを確立し、そつのないアレンジはほぼチューリップとして完成の域に到達していたと思う。

特にこのアルバム、ポール得意の安易な組曲形式のギミックもないし、一曲一曲丁寧に作られていると感じるね。

メロディーや歌詞は、日本もしくは日本人らしい情景をよく映し出している。例えば10CC張りのファルセットを使った洋風ロッカバラードの“ともだちのあなただから”も歌詞を眺めると日本人らしい切なさに溢れているいるではないか!

ちょっと、そこのあなた! いつもと違って真面目に書いてるような… きっと何か隠し事が?

わかりました? 実はチューリップで70年代中頃となるとやっぱりパチンコ台のチューリップを一番に思い起こす口で…

どうもすいません。

当時はスロットなんか台に組み込こまれていなくて、ひたすらチューリップをめがけて打ち込む感じ。奥義の2連流しが連続で決まった時の爽快感たら…

奥義と言えば、学生街の雀荘なんかで仲間内で麻雀を楽しんだことも。

奥義、メイトに乗れば安上がり! 2巡目までのリーチのみ、鳴きたん、トイトイ、速攻1枚目での風牌鳴き などなど安上がり専門で…

ちょっとなに言ってるのかわからない!

それじゃディランのプロテスト・フォーク“時代は変わる”でも聴いてちょっくら反省でも...

プロテスト・フォークなら“チューリップのアップリケ”の方がいいんじゃねぇ?

 


そんな時代もあったねと…

2020年03月06日 | JAPANESE

本日は御本家登場。

中島みゆきの1976年5月に発売されたデビュー・アルバム、“私の声が聞こえますか”に収録されている“時代”の一節で有る。

シングルでは一足早く前年の9月に“アザミ嬢のララバイ”、そして12月のポプコン・グランプリ獲得の“時代”で既に全国的に人気を確立。

重苦しい内容の歌詞を淡々とした歌唱でサラッと歌い上げる芸風に引き込まれた。

あんな時代も あったねと♪

いつか笑って 話せるわ♪

私の人生、失敗や失望なんか結構あったけどね、ホント今じゃほとんど笑い話。

 


こんな時代もあったねと…

2020年03月04日 | JAPANESE

1975年に河島英五とホモ・サピエンス名義でメジャー・デビューしたときのアルバム、人類。

当時の記憶は定かではないが、確か私の兄が友人からが貸してもらったのがこのレコード。

その頃 ロックばっかり聴いていて和モノはほとんど聴かなかったし、興味もあまりなかったのだがこのアルバムの曲に関しては何となく断片的に記憶している。

(懐かしいベルボトム・ジーンズ)

(これまた懐かしい!フレヤーのパンツに厚底のシューズ。河島英五は確か背丈が180センチ以上あったから、この手の厚底シューズを履くと巨人に見えたのではないか?)

特に“何かいいことないかな”、“てんびんばかり”それに“さよなら”のこれら3曲のメロディーだけは歌えなくとも未だに覚えている。反対に酒と泪と男と女という大ヒット曲が収録されていたのにも関わらず、この曲はお酒のコマーシャルの印象が強い。

若干23歳だった河島英五が同世代もしくはそれよりも下の世代の若者の心の中を代弁しているかのようで、独特の歌い回しで且つ力技で押さえつけるような歌唱が当時新鮮だった。

あれからちょうど45年、今再びこのアルバムを手に取り聴いてみて、改めて非常に示唆の富む内容だと思った次第。

例えば、人生の後半に当たるこの歳になると、もちろん正確には分かりはしないものの、この先人生どう転ぶかある程度見えてくるわけだが、“何かいいことないかな”の歌詞の通り不思議なことに未だに何かいいことないかと何かを探している自分がいる。

大きい小さいは別にして人類の欲望ってやっぱり死ぬ一歩手前まで続くんだと….

(和モノ・フォークなのにレーベルは何故か洋楽が専門のエレクトラ・レーベル)


2020年も懲りずにレコードを聴き、そして想う その3

2020年01月10日 | JAPANESE

曲は良いけどヒットするかと言えば、まだまだ周り追いついてきていない時代で、彼の音楽がなかなか受け入れられない。 

しかしようやく1978年のアルバム、Go Ahead!で風穴を開けた。

そしてついに彼の時代の到来とばかり、続くアルバムは1979年に独立レーベルのエヤー・レコードからの記念すべき第一弾のムーン・グロウ!

 

まあ今聴けば古さを感じさせるが、所々に散りばめられた達郎節を聴けば再びあの頃へと…. 

特にリズム・セクションがバッチリのレイニー・ウォークはよく聴いた。

 

Rainy Walk Rainy Walk ♪♪

Silver Rainy Walk Silver Rainy Walk ♪♪ 

と久々に口ずさんでみる。 

そうあの頃ワシも若かった。


年末に聴いてみるレコード、その4

2019年12月26日 | JAPANESE

あっ〜と言う間も無く、あと1日で今年のお勤めも終わりとなる。 

何故だかこの頃時間が過ぎ去るのが以前よりも特に早くなっているような感がある。 

会社にいるときは時間があっという間に過ぎても一向に構わないが、せめて自宅で音楽を聴くときぐらいはもう少しゆったりと時が流れて欲しいと思う。 

本日はかってゆったりしていた良き時代を懐かしみ珍しいアルバムでも。 

鈴木キサブロー氏がキサブロー名義で出した最初で最後のLP、Letter。

 

鈴木キサブロー氏と言えば80年代から90年代にかけて数多くの楽曲をこれまた数多くのシンガーにバラエティーに富んだ曲を提供し続けた売れっ子作曲家だった。WiKiを見ればああ〜あの曲はこのお方の作品なのかと驚く。 

ロックを中心に聴いているお前が何でこのLP持っているのと問われれば、実はその昔シンガポールで働いていた頃、日本の曲が懐かしくなって現地のレコード・ショップに飛び込んだところ見つけたのがコレ。 

曲調は浜田省吾風の和製アメリカン・フォーク・ロックと言うか、それともシティー・ポップ風とでも言えばいいのだろうか、歌謡曲とは一味違うアレンジ。付属の歌詞カードを見て発見したのは70年代西城秀樹のバック・バンドだった藤丸バンドとかShogunで活躍した芳野藤丸がギターを全編に渡って弾いているってことかな。 

残念ながらレコードは廃盤だし、CD化もされていない幻のアルバムなので是非聴いてみてと言えないのが難点。

レーベルは何とイーグルスとかジャクソン・ブラウンら多くのウエスト・コースト系ミュージシャン在籍のアセイラム!


太陽の町

2019年10月14日 | JAPANESE

先日アメリカのニューヨーク州から知り合いが我が家を訪問した。 

トランプ大統領の評判だとか、民主党から次期有力大統領候補となった女性議員ウォーレン氏の評価、アメリカの歯医者や医療保険などなど、地元のアメリカ人の視点で色々興味深い話が聞けて楽しかった。 

さらに他の興味深い話としては、電車に乗ると申し合わせたように多くの乗客が何かしらスマホをいじっているのを見て驚いたそうな。 

かって四つ折にした新聞とか文庫本を片手に親指で器用にページをめくっていたのが現在スマホに取って代わったので我々とすればそう違和感はなかったのだが、確かに車社会のアメリカ人からみれば混み合った列車内において集団でスマホをいじっているその異様な光景に遭遇すれば驚くのも無理はないかと… 

ウェブ・サイトでニュースを見たり、アプリを使ってメッセージの送信そしてゲームをしたりと確かに退屈な通勤の暇つぶしにはなる。 

しかし天邪鬼な私は車内ではスマホを一切触らず、通り過ぎる朝の光に輝く街並みをただボンヤリ眺めながら通勤に勤しむ日々。 

そんな時浮かんで来るのがこのメロディー。 

井上陽水のアルバム、二色の独楽に収録された太陽の町。

 

前作が累計140万枚のミリオン・セラーを記録したアルバム、氷の世界と比べると売り上げも落ち内容もやや地味に聴こえたかもしれないが、今更ながら名曲ぞろいのアルバムだと思う。 

かがやき あふれる

緑と光の町を (緑はちょっと少ないけどね)

 

走り抜ける

まぶしさの中を

ふりかえらず

立ち止まりもせず〜♪

 

振り返っている暇もなくどんどん過ぎ去る朝日に輝く街の風景。 

なかなかよろし〜