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CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

ご無沙汰LPでも、その2 和製キャロル・キング

2019年09月24日 | JAPANESE

シンガー・ソング・ライター、五輪真弓の1972年のファースト・アルバム、少女。デモ・テープを聴いたキャロルキングが気に入ったみたいで、アメリカは西海岸、ハリウッドのスタジオで録音敢行。 

(英語でのクレジットの記載、アメリカでも販売しようと思ったのかね?)

プロデューサーやミュージシャンも現地調達で、キャロルキングも2曲ピアノを弾いているし、キャロルとかってCityというバンドで同僚かつ2番目の旦那となったチャールズ・ラーキーもベースで全面的にレコーディングに参加。

(アレンジャーの木田高介を除けば、全てあちらのお方々ばかり) 

60年代にジェリー・ゴフィンと共作で多くのヒット曲を作り、自身のアルバム、Tapestryが大ヒットしていた頃のキャロルに気に入られ海外レコーディングが実現したことから、後に箔をつけるために流行った凡百の海外録音とは一線を画し、正にパイオニアと言える出来事で和製キャロル・キングと当時呼称された所以だったのではなかったかと思う。 

今聴けば古いと言われるかもしれないが、デビュー・アルバムの初々しさ、そして淡々した歌唱は非常に好感が持てる。

(英語のクレジットでは、なわとびがSkipping Rope、朝もやの公園でがIn The Misty Morning、少女がGirl、雨がRain Drop、そして汚れ糸はBefore I Leaveとなるそうな....) 

この後数枚のアルバムの制作を経て、彼女は歌謡曲路線に軸足を向けヒットを飛ばす事となる。


たまにはアイドル歌謡でも

2019年08月19日 | JAPANESE

ふん! アイドル歌謡なんてだるくて聴いてられるか〜  

英語の歌詞も満足に聞き取れない癖にやっぱりロックだよとか、モード演奏が何の事かわからないのにジャズっていいな〜ってかっこつける人がいる。 

それって一体誰のこと? 

私じゃないよ! 

演歌や歌謡曲も結構聴くからね。 

歳をとれば、あぁ〜昔は良かった〜ってよく出るセリフ。

若い人からすれば、また同じ事言ってるとか時代は変わるから比較したって意味がないって言われるかもしれないけど、アイドル歌謡に関しては、ちょいと一言ある。 

かってはアイドルはピンで勝負! 成功するもしないも全責任が自身にかかってくるから、今時の多勢なグループ・アイドルとはプレッシャーが違うし、何かプラス・アルファなものを持っていないと生き残れない結構シビアな世界だった。 

本日は、独自の魅力で70年代のアイドル・ポップ歌謡を牽引してきたうちの1人、南沙織。 

彼女の1976年の出たアルバム、哀しい妖精。

(私が通っていた中・高では全く巡り会えないレベルのこのお姿)

 

1971年にデビューし、若干舌っ足らずの歌唱ではあったが、バイリンガルの能力からなのか洋楽のカバーも卒なくこなせるため、当時他の歌謡ポップのアイドルとは何か一味違い、ロック少年だった私の琴線に触れる存在だったような…. 

このアルバムには、SSWのジャニス・イアンの曲を日本語で歌っていたり、おなじみのポップ歌謡の重鎮、筒美京平や都倉俊一、さらには安井かずみ・加藤和彦のコンビ、SSW系の田山雅充に荒井由実が作詞を手がけたりとかなり豪華なことになっていた。有名どころの作詞・作曲家から曲が集まる事からして、業界に玄人の彼女の隠れサポーターが結構存在していたのかも知れないね。

 

これらを聴いて、彼女がアイドルだった古き良きあの頃の妄想にしばし思いを馳せるのである。  

あるところで甘味な妄想が途切れてしまう。

ちょっと待ってくれ! 

まさか後年あのアフロのおっさんと結婚するなんて! 

私の妄想とはちょいとシナリオが違ったみたいで…


熱帯夜にシングル盤を聴く

2019年08月12日 | JAPANESE

お盆休みに突入し、今日も明日も明後日も休みという余裕から、普段あまりかけないシングル盤でもと取り出したのがコレ。 

日本のフォーク・ロック・グループの赤い鳥が1971年に出したシングル盤、竹田の子守唄。B面には有名な“翼をください”がカップリングされていて両面がA面と言って良いほどのお値打ちシングル盤である。

 

実はこのレコードは、自身が買ったものではなく、友人が部屋を整理していた時に発掘されたものを頂いた。 

私にとって70年代と言えば、中高大と学生時代の真っ只中でラジオやレコード・プレイヤーから流れてくる音楽にどっぷり浸かっていた時で、新譜の発売が発表される毎に次はどんな新しいことをやってくれるのだろうとドキドキしたものだった。 

日本のニュー・ミュージックと呼ばれるカテゴリーの発展の先鋒を務めた赤い鳥は、洋楽のポップ・センスを一味加えたことによって、そこら辺のフォーク・ギターをジャラ・ジャラ掻き鳴らす日系フォークとは一線を画した存在だったと注目していた。 

じゃあ、久々にベタではあるがB面の“翼をください”を聴いてみた。

 

あれっ? ちょっとテンポが早いんじゃね〜の…

一瞬33回転で録音されたのを、通常のシングルのスピード、45回転で再生したのかなと錯覚に陥ったが… 

いや、そんな訳はない! 7インチのシングル盤は45回転で音源をカッティングし、そして再生されると決まっている。 

てなことで調べてみると、今までずっと聴いてきたバージョンはアルバム・バージョンなるもので、全体的にスローテンポで進行しトータルの演奏時間は3分25秒。 

シングル盤の音源は別テイクで、曲の進行スピードが早くドラムやベースのリズム・セクションがサビのところでドコドコドコと派手に登場。

でっ、トータルの演奏時間は2分46秒でした。 道理で早く聴こえる訳で...

Wikiには両音源の事は記載されてはいないが、これら以外にも歌詞の少し違うバージョンや英語の歌詞で歌われているものなどあるらしい。 

熱帯夜に比較のために何度も聴くにはチート暑苦しいけど、アルバム・バージョンとシングル・バージョンの違いが40数年ぶりに分かったのはお盆休みのおかげかね?


こんなの聴いてみました

2019年07月26日 | JAPANESE

いつも洋楽が中心なので、本日はThe Boomの1989年から1992年に出た初期4枚のアルバムから選曲されたベスト・アルバム。

 

このアルバムかれこれ30年も経っているけど、若さに溢れていてなかなかよろし〜 

もちろんサウンド面では、デジタル・テクノロジーの進化や最新のミキシング手法が使われている今の歌と比べて、人によっては古いと感じるかもしれないが、どの歌も丁寧に歌われていて結構普遍的な内容なので、歌詞がドンと入り込んでくる。 

定番の“島唄”、“釣りに行こう”、“中央線”、“そばにいたい”、“川の流れは”などなど、いい曲ばかりです。


レトロに染まる、その2

2019年06月05日 | JAPANESE

あがた森魚の“日本少年”のようなレトロ調なCDといえば、同年の1974年に出たサダディスティック・ミカ・バンドの“黒船”かな?

 

レトロ調といってもアルバムの題材として江戸時代末期の黒船来航を扱っているので、少々メロディーや歌詞に古い日本のイメージを感じさせるし、また歌詞カードのデザインもそれらしい体裁にはなっているけど、中身は西洋人のプロデューサーが絡む当時としては最新のロック・サウンドを聴かせる。

 

まあ昭和の黒船として、日本のロック舐めちゃいかんぜよ〜って感じで海外にちょいと挨拶がわりに殴り込みをかけてみたアルバムと言えるのかな。 

演奏もしっかりしていてオリジナリティーもあるし、海外のコンサートで共演のロキシー・ミュージックを喰ってしまったと言われていたのも納得である。

惜しむらくは、アルバム全曲でなくともシングル・カット出来そうなキャッチーな曲を数曲英語で歌えばあちらでもっと受け入れられたのではないかと。 

まあ、リーダーだった加藤和彦が欧米で人気を得たいと言う野心をあまり持っていなく、自身のやりたい音楽活動を今後も続けていくってスタンスだったのかな?と妄想してみる。 

助手;博士どうしたんですか? パンツ一丁で,,,, 

博士:今日も真夏のようなあまりの暑さで体は汗でギトギト、ついに耐えられなくなってこんな姿なのじゃ。

助手:そういえば、博士はいつもブリーフ履いていますね。今時ブリーフ履いている人って少なくなってきて、トランクス・タイプが主流になってるって何かに載ってましたよ。 

博士:トランクス・タイプの下着の上にズボンを履くとなんとなくズボンの中がごわごわした感じになってどうもいかん。 

スボン下には身体にフィットするブリーフ一択じゃ!

近頃あまり見受けなくなったメリヤス製の薄手の猿股やステテコならまあ良しとしてもいいがのう…

助手:ほんとレトロなお方。

 


レトロに染まる

2019年06月04日 | JAPANESE

ロック中心のコレクションの中に少し変り種なCDがある。

あがた森魚が1974年に出した2枚組超大作の、“日本少年、ヂパング・ボーイ”である。

(レトロチックなイラスト)

(二つ折りのジャケの内側、紙ジャケCDなので虫眼鏡がないと何が書いてあるのか読めない)


 

あがた森魚といえば、ちょうど井上陽水が1972年に出したデビュー・アルバム、“断絶”と同年に、シングルで出した“赤色エレージー”のイメージが強い。 

レトロチックな歌謡曲調でロック少年には物足りなかった。 

それから2年後に出たこのアルバムは、ジャケットのデザインにかなり心を引かれたのの結局買わずじまい。一体どんな曲が入っていたのだろう? 

2002年に紙ジャケで復刻され、ようやく28年ぶりに手にした。

(歌詞カードや副読本の航海日誌のレプリカが封入されていたが、これも虫眼鏡がないと読めないのでギブ・アップ) 

あがた森魚少年の夢、世界一周冒険譚が描かれたトータル・アルバム。 

細野晴臣がプロデュースを引き受け、かっちりとした演奏は鈴木慶一率いるムーン・ライダースのメンバーや矢野顕子ら当時ニュー・ミュージック系と称された助っ人達、さらにシュガー・ベイブの山下達郎や大貫妙子らもコーラスでチョロっと参加。 

ハッピー・エンド解散の後、そしてYMOがまだ結成されていないちょうどソロ時代の細野晴臣が得意とした少しゆる目の異国情緒に溢れる味付けが全編に散りばめられ、ノスタルジックな気分に浸り結構楽しめるし、また本人の語り、歌謡曲調、ビーチ・ボーイズ調のコーラスとか、エルビスが歌ったDon’t Be Cruelの替え歌なんかも登場しもうなんでも有りのびっくり箱で思わずニンマリ。  

しかしこの作品、2枚組のアルバムから一曲取り出して聴くと言うものではなく、ポップ調のオペレッタとでも言うべきか、全編を一つの作品として味わうもので、よほどの暇人でない限り完クリ出来ない難易度の高いものとなっている。 

助手;博士どうしたんですか? よだれ垂らして,,,, 

博士:オォ〜 つい寝てしまったわい! 世の中全てがスピード優先、レトロに染まるのも大変じゃのう〜


センチメンタル

2019年06月03日 | JAPANESE

1972年5月のデビュー・アルバム、“断絶”からわずか6ヶ月の同年12月にセカンドアルバム、“陽水II センチメンタル”が出た。

 

(ゲート・フォールド・ジャケの内側)

(レコード・スリーブに書かれた陽水さんの近況報告)

デビュー・アルバムに比べるとなんとなく続編ぽい感じでややインパクトに欠けるきらいはあるが、フォークというよりはロックというべきサウンドにのせて独特な感性の歌詞が展開されその出来は上々、私の心を打つ。 

陽水だから出来る誰も真似のできない作品に仕上がった。 

当時井上陽水の存在は認識していなく、初めて知ったのは翌年発売されたライブ盤、“もどり道”とシングルカットされた“夢の中へ”だった。 

今改めて聴けばそうは思わないが、当時の日本のフォークは歌謡曲の延長のように感じ特にレコードを買って聴くほどのこともない喰わず嫌いだった。 

しかしこのお方の登場で認識は一転。 

このアルバムでは、やっぱり定番ではあるが、“東へ西へ”が歌詞もメロディーも秀逸に感じる。 


お情け無用のお祭り電車に呼吸とめられ〜♪

身動きできずに夢見る旅路へ〜♪

だからガンバレ みんなガンバレ 夢の電車は東へ西へ〜♪ 


ほんと臨場感に溢れている。 

かって平社員の身分でまだ勤先が都心にあった頃、同じように足の踏み場もない満員電車に毎日揺られていた頃が懐かしい。 

その後海外に転勤することになって、年に1−2回の出張での帰国の際かって通った職場に顔を出す時、それまでは無理矢理でも乗る事が出来たのに、なんとなく空いている車両がやってくることを期待して2本3本と電車を見送っていた。 

数本遅らしたところで、どれも同じ混み具合だったんだけどね。 

時は流れて、最近は少子化の影響なのか、毎朝乗客を車内に押し込む学生アルバイトの姿も全く見なくなったし、ラッシュ・アワーのピーク時に乗っても身動き出来なくなるほどの混雑は少しばかり緩和されたみたい。 

なんとなくノスタルジーに浸る気分にさせてくれるこの曲を聴くと、あぁ〜あの頃は良かったな〜ってセンチメンタルな気分になってしまうのだ。 


連休の締めは荒井由実さんで

2019年05月06日 | JAPANESE

久々に彼女のレコードを取り出しかけてみた。 

1973年のデビュー・アルバム、ひこうき雲。

 



なんでも14歳頃から曲つくりを始め、このアルバムには彼女の中高時代に作った曲が収録されている。 

14歳と言えば、私の場合頭は丸刈りで一途に部活に打ち込んでいた頃。勉強も生活態度も適当で教育的指導と称してよく先生に頭をしばかれていた。 

このお方今更ながら、本当に才能に溢れていたのだと思う。 

このアルバムを聴くと本当に彼女の初々しさを感じ、“俺もそんな頃があったのだ”といまの記憶を消去してあの頃に戻ってみたい様な気も起こらないでもない。

 

(初々しい頃のお姿)


多分昔と同じ様にヤンチャな少年をもう一度演じることになるのだろうけど… 

しかも“あの子の命はひこうき雲〜♪”なんてフレーズ私の頭じゃ逆立ちしても絶対浮かんでこないからね。

井上陽水がかって、“人生ぃ〜が 二度〜あれば〜 この人生ぃ〜が 二度あれば〜♪♪”なんて歌ってたけれど。 

やっぱりこの年になると人生は一度きりで充分と思う今日この頃。 

連休お疲れ様でした。



こんなのも聴いていましたね

2019年03月14日 | JAPANESE
新しく設置したデスクトップ・スピーカーも音出し快調。

で、本日は南沙織の1975年のアルバム、人恋しくて。



このお方、当時の他のアイドル歌手と少し毛色が違って、歌謡ポップスだけでなく海外のポップスのカバーとかフォーク系の歌を結構取り上げたりしていて、私と周波数が会うのでよく聴いていた。

このアルバムからシングル・カットしてヒットした“人恋しくて”は翌年“春うらら”っていう曲でヒットしたシンガー・ソング・ライターの田山雅充のペンによるもの。

“春うらら”も結構当時よく聴いた。

それから、アルバムの1曲目には五大洋光作の“哀しみの家”が収録されているが、五大洋光って矢沢永吉のペンネームと知ってヘェ〜….


(五大洋光ってクレジットされている、アルバム最後の曲”夢をかえして”も五大洋光作)

さらに最近彼女の息子さんが近々結婚するってネット・ニュースかなんかで知って、もうあれからそんなに年月が過ぎ去ったんだ!ってふと思った次第。

道理で、私も毎日どこかが痛くてヨレヨレなわけだ。

本日も和物で。

2019年03月11日 | JAPANESE
ここのところブログを更新していなくて、久々にブログの編集画面を覗いてみるとブログ開設から1500日とキリがいい数字に目が止まる。

思えばこの1500日の間には仕事の関係で海外に2年ほど一家で移住した時期があってあれこれバタバタしたことにより、時が早く過ぎて行く感覚となり数年前のことが昨日のことの様に思える。

まあ、私の場合は加齢によって単に些細な出来事の記憶が抜け落ちているってことかも知れない。

記憶を取り戻すために、本日も大昔に買って忘れ去られたやつでも聴いてみようではないか。

1976年の中島みゆきのセカンド・アルバム、みんな去ってしまった。

初期のフォークもしくはフォーク・ロック調の曲が多く、独特の暗〜い感じの歌詞を初々しくさらっと歌っていて、後年のドスを効す歌唱はまだ登場していない。




(ジャケ)


(ヤマハ系アードバーク・レーベル)

数十年振りに聴いたけど、結構メロディー頭に残っているね。

記憶がみんな去ってしまってなかったので、よかった〜。

フォーク歌謡とでも呼べばいいのかな?

2019年02月26日 | JAPANESE
今日は小椋佳の1974年のアルバム、“帰っちゃおうかな”を聴いてみた。

アコギ片手に歌う典型的なフォーク・シンガーでもないし、歌謡曲のジャンルかと言えばそうでもなく、またテレビにも出てこない極めて特異的な存在であった。

当時私が聴いていた洋楽のハード・ロックもしくは昨日のはっぴえんどとは対極の位置に存在していたと思しき歌手だったので、時々テレビのドラマの挿入歌の作者という程度の認識で、当然彼のレコードを積極的に聴く事はなかった。

時は流れて、歳を重ねると共に色々な事を経験してきたことから音楽の守備範囲もかなり広がり、今ではどのジャンルでも結構聴ける様になってきた。

何しろ、ビートルズのサージャント・ペッパーズのアルバムなんて、70年代当時、サイドー2は2曲目、When I’m Sixty-fourから始るのがお約束だったからね。

その後東南アジアで働くことになり、インド系の音楽もテレビのチャンネルをひねれば流れてくる様な日常から免疫が出来たのか、ジョージのWithin You Without Youなんか楽勝で 、バングラデシュ・コンサートのLPのサイドー1全面を覆うラビ・シャンカールの熱演も問題なし。

今となっては残された難敵はプラスティック・オノ・バンドでのオノ・ヨーコ氏の叫び声と言うかアバンギャルドな歌唱ぐらいかな?

話は戻って、この小椋佳のLP現在廃盤となっていて、ネット・オークションか中古屋を回らないと手に入らない代物で、つい最近友人が幾らかの古いレコードを処分するというのが縁で手にした。

一聴してみて、どこを切っても小椋佳って感じで、他の歌手がカバーしようともこの独特の味は多分出せないだろう。

頂き物ではあるが、45年経ってこのLP初めて聴いてみて遅ればせながら懐かしの70年代の雰囲気がよく出ていて中々よろし〜って感想。

さらにこのアルバムの魅力はジャケの写真。

花束を持ったお嬢さんにはさほど興味はないが、首都高高架下の都営バス、六本木バス停のレトロチックな様が遥か彼方に去っていった昭和を思い起こす。



“大いなる旅路”は鉄道モノのテレビ・ドラマの主題歌に使われていたね。

ウイスキーとユーミン

2019年02月14日 | JAPANESE
本日は荒井由実の1974年に発売されたセカンド・アルバム、ミスリム。



久々に聴いてみる。

彼女は現在まで数多くのアルバムを出したが、 初々しさがあって捨て曲なしのこのアルバムが個人的にはベストだと思う気持ちは未だ変わらない。

フゥ〜

チョット、そこのあなた! お酒飲み過ぎだよ〜ん



3連休の暇潰し、その3

2019年02月13日 | JAPANESE
連休中暇を持て余し、 近所のハードオフで中古レコードでも漁ってみようかと。

昔は洋楽でも一枚100円のLPがちらほらと見受けられたのだが、最近はジャンク扱いのLPは300円から500円と結構強気の値付けとなっている。

昔は、中古のLPなんて見向きもされなかったのだが、最近のアナログ・ブームの影響かどうかは分からないが、中古レコードを集める人が増えたのかな?

貧乏性なのか、ジャンク扱いのLPが500円となると購入するのを躊躇してしまう。

てな事で、100円の値がついた邦楽LPを漁っていると、ふと目に止まったコレを購入。

フォーク・グループ、アリスの二作目のスタジオ・アルバム、Alice IIである。


(ジャケに燦然と輝くシルバー・クロス!、コレが愛の光なのか?)

このアルバムが発売されたのは、1973年で私は当時高校生で、和物にはほとんど興味がないクラスでは浮いた存在のマイノリティーなロック少年だったので、当時はこのアルバムの存在を知らなかった。

また当のアリス自身もまだブレイクする直前で、ファン層は深夜放送などをよく聴く若い連中に限らたマイナーな存在だったような….

さて、後日ベスト物のCDにて聴いたことのある"愛の光”という曲以外は全く知らないこのアルバムを今更ながら一聴してみることにする。


(サイドー1の一曲目が”愛の光”)

音作りが古いと言えば確かにその通り、しかしながら私のような古い人間には和洋問わず70年代の音がなんとなくしっくりくる。

80年代のデジタルやテクノ・ブームに突入した頃から音が無機質に感じられようになってしまった。

多分、その反動もしれない。

平成の時代も終わり昭和がさらに遠くなる今日この頃、わずか100円で昭和のLPが買え、ひと時を楽しめるのは有り難き事。

ランダムにレコード紹介、その33 Back To The Street

2018年12月18日 | JAPANESE
本日はこのお方。

ロック系シンガー・ソング・ライターとしては今や大御所的な存在の佐野元春。

彼の記念すべき1980年のデビュー・アルバム、Back To The Street。



(さぁ、皆さんご一緒に。 オォ〜 アンジェリ〜ナ、君はバ〜レリ〜ナ ♪♪ と韻を踏んいる。)

デビュー当時はアルバムのセールスも伸びず苦戦した。

英語の歌詞が付いていたとしても違和感のないアメリカン・サウンド仕立ての曲にうまく日本語の歌詞を乗せた作品は、当時としては少しばかり先を行き過ぎていて、リスナーがそれに付いてくる事が出来なかったのが原因じゃないかと思った。

その証左として3作目のアルバム、Somedayでようやく時代が追いついたのか、アルバムはバカ売れ。

あちらのアーティストの作品だけがロックじゃね〜ぞって教えてくれた一枚でした。

ランダムにレコード紹介、その20 Oh My みゆきさん!

2018年11月27日 | JAPANESE
なんでもスパッと白黒つけなきゃ収まらない私のようなせっかちな人間はいつまで経っても女心を理解できない。

物事全てが数学で言う自然数のように、有限かつ現実的にどっしりと存在すれば解り易いのだが、女心というものはそれとは微妙に違っているような….

偏見かもしれないが、例えば√に囲われた整数にならない数字で、小数点以下が延々と続き決して収束しない苛立ち感に悩まされる感じがする。

思わずどこかで“四捨五入お願いします〜”って言ってしまいそうな。

しかしそのような無粋考えを持つような輩は決して女性にモテないって考え 、中島みゆきのレコードでも買って勉強でもしてみようじゃないかと。

本日はこれ!

彼女が1981年に出した8枚目のアルバム、“臨月”。

(表ジャケ)


(裏ジャケ)


(懐かしきアードバーク・レーベル)

暗〜いメロディに乗せてこれまた暗〜い歌詞で彼女が歌うとこちらも沈んでしまい、ちょっと苦手。

前作の“生きていてもいいですか”は全体が本当に暗いイメージで深い海の底居るような絶望感炸裂。

しかし、暗〜い歌詞を明るいメロディーに淡々と歌われると趣が異なる。

このアルバムには、明るいメロディーの“あした天気になれ”に“バス通り”、とかアップ・テンポの“一人上手”やフォーク・ロック調の“成人時代”などはすんなり受け入れられる。

なるほど! こちらでバイアスをかけて出来るだけ明るい雰囲気を構築しその中で ポジティブに事を理解してあげるべきかな?

もし複雑で不安定な感情の場合、白黒つけるための四捨五入はお願い出来ないのかもしれない。

端からどうこう言うのではなく、もう成り行きに任せるべきじゃないかと….

な〜んて大袈裟な!って気がしないでもないが、彼女のレコードを聴いて学んだ何十年も前の若き日々でした。

まあ、こんなことを書いちゃうと、“そこのあなた!解ってもないのに、解ったようなフリするんじゃね〜よ!”ってお叱りを受けるかもしれない。

どうもすいません。