一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
円いお月様
目の前にもとめていたものがあっても見れない人は見れない。気付くことができない。
人は本来、もとめているもののほとんどをすでに得ている可能性があります。気付かないだけ。気付こうとしないだけ。
お月様は円く奇麗に輝いています。でも雲がかかるとそれが見えません。しかしあることは事実です。
ただ隠れているだけ。
人の心も同じように本来丸く、煌々と光り輝くものなのです。自分なんかと人はすぐに自分自身を責めますが本来は責めるどころかこんなに輝いているのだと驚かなければいけないのです。
それは修行を積んだ善人しかわからないこと。いえ、そう簡単には決めつけられません。
仏教で述べるように80歳の老人でもわからないことが3歳の子供が悟ることができるのですから。
こだわりのない、円い心。素直な心。すぐに反省できるこだわりのない自由な心。
同じものを見て「なんてすばらしい」と感動できるような人こそ、神仏に近いのかもしれません。
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